「イベント」(冬)

ナカメグミ

「イベント」(ふゆ)

 きみって、本当に頭が悪いね。

浮かんだ言葉を飲み込んだ。小学5年生男児の算数の授業。

「途中のこの計算式まで、よく書けたね。すごい」。

笑顔で、マニュアル通りに変換した言葉を口にする。ここから先は解説に徹する。

 上下の紺色スーツに、メイク、ネイル、髪色ともにナチュラルならOK。

37歳で独身。バイトの末につかんだ個別指導塾の正社員の職だ。給料は決して高くはない。でもここを辞めたら、その先の未来が描きづらい。

     * * * *

 高級住宅街のほど近くにある、月謝が高いラインの学習塾。集団教室のほかに、月謝によってランクがちがう個別自習室も完備する。主な顧客層は3層。

 塾の看板を担う1層目。医師の子どもなど英才教育を受けている、現状の学力、進学先ともに有望な子どもたち。幼少時から複数の習い事をさばく技術を身につけているから、学習習慣、集中力の切り替えともに優れている。塾の折り込み広告やウェブ上の宣伝で、笑顔とともに成功体験が載るのは、この層だ。

 この地区で最も多い2層目。親の収入が潤沢なため、私立高校に進学するが、学校の内申点と学力を底上げして、できれば私立高校の選抜クラスを目指す層。

 3層目。親のレールや収入とは別に、公立高校への進学を目標に学習に取り組む子どもたち。中には生活を切り詰めて月謝を払っていただく家庭もある。


 午後10時。塾の前にはずらりと迎えの車が並ぶ。近隣からの苦情も多い。塾側も再三、注意を促しているが、我が子しか目に入らない彼らの耳には届かない。

       * * *

 塾講師をやっていて心からよかったと思う瞬間。帰り道。

 ほどよい疲れとともに夜の雑踏を歩く。居酒屋、コンビニ、薬局。通り沿いのマンションにともる灯り。塾の明るい照明で疲れた目を休める暗闇。充実感と自由。コンビニでビールと酎ハイ、つまみのだし巻き卵と野菜サラダを買う。ストロング系の酎ハイは、最近、鳴りを潜めたようだ。

 テレビを流しながら、頭を空っぽにして酒を飲む。つまむ。洗濯はまとめて休日にやればいい。面倒を見る子どもがいない開放感。そのルーティンの日常をたびたび乱すのは、各種企業、小売業、マスコミが手を取り合って展開する「イベント」だ。

       * * *

 時事問題なども受験に出るから、新聞は塾講師として、読むのは必須。11月。

各塾は冬期講習生の獲得に力を入れる。現役塾生からの紹介のほかに、新聞の折り込み広告を見て体験授業を申し込む方もいる。他塾の広告もチェックする。そのときに目の端をかすめ、私を確実にいらつかせるもの。クリスマスの広告。

 紙媒体やスマホの広告。テレビCM。まちのあらゆる店のディスプレイ。10月のハロウィーンはまだいい。子どもに菓子を配り、20歳までが仮装する、所詮ガキのイベントだ。

 クリスマスは体にじわじわと浸透する毒のように、私の神経をざわつかせる。

      * * *

 平日は酒とつまみで済ますことが多い。土曜日も、午後からほぼ授業だ。日曜日に睡眠をまとめて取った後、たまには栄養のある食事を作ろうと足を向けた近所のショピングモール。入り口が金色の電飾で華やぐ。

 「ママ、きれい!」。ムートンブーツを履いた女児がはしゃぐ。母親は、店が用意した赤と緑の撮影スポットで、スマホを女児に向ける。その脇を通り抜ける。

 入ってすぐの花屋。「いかにも」な、ポインセチアはまだ。そもそもセンスを売りにするこの店は、安易な展示はしない。スーパーにはケーキの予約看板。

100均も赤、緑、金色、銀色。2階の家具店では、手間を省いて簡単に展示できるツリーが売り出し中。


 手間ならやめちまえよ。そんな形だけのイベント。恋人こっご。家族ごっこだろ。

 ルーティンで保っていた心の平衡が、崩れ始める。

      * * *

 今日はクリスマス・イブ。中学3年生などの受験生以外は、既におまつり気分だ。

小学生の個別指導クラスの教室。クリスマスの話題に染まる。

 

 「今日はブッシュ・ド・ノエル。食べるんだ」。

 はいはい。フランス語で『クリスマスの薪』を意味する、あのケーキですね。

 「サンタさんにプレステ5、買ってもらうんだ」。

 はいはい。きみんちのサンタさん、5万円以上のプレゼントを小3に贈るんだ。

 気前がいいね。将来、金遣いに気をつけな。


頭の中を毒が舞う。笑顔でこらえる。

「よかったね」「わあー、楽しみだね」。

何が?

     * * * 

 午後6時前。小学生の授業が終わった。

 算数を受け持つ小学5年生男児の母親が、外車を路駐して迎えに来た。つやのあるモカグレージュの長い髪。体にフィットした黒いアンサンブルニットと、グレーのロングスカート。この辺りに最も多い「2層目」のクライアントだ。

 「先生。すみません。授業の解説が早くて長いみたいで。うちの子、集中力、短いから。もう少し合わせてもらっていいですか?」

 

 あのね

 おまえの子ども、おまえに似てバカなの。

 あのレベルの問題、できのいい子は解説いらないの。

 おまえの子、やる気ないの。

 集中力も、学習習慣もないの。

 おまえが自分にかまけて、身につけさせなかったの。

 

 飲み込む。

「申し訳ありません。次回の授業から気をつけます」

 次回なんて、ねえよ。

     * * *

 クリスマス。彼女の自宅前。木目が映えるロッジ風の家。

一時期、このあたりで流行った建築家の住宅だ。ガレージはからっぽ。

彼女の車が戻ってきた。彼女ひとりだ。小学5年生男児が、昨日言っていた。

母親はクリスマス当日は、姉が通う中学校のクリスマスイベントの手伝いに行くと。帰ってきた。

 車をガレージに頭から入れ、こちらに背を向けてトランクを開けるその後頭部を

思い切り打つ。彼女の家の傍らに、山と積まれていた薪の1番太い1本。


 このあたりは薪ストーブ、好きだからね。煙突の手入れは業者まかせだろ?

 無駄なことには手間かけて、肝心なことは外部発注なんだよ。あんたら。

 

赤に染まった薪を、玄関先の庭に放り投げた。木のドアに飾られた、ひときわ大きく丸いクリスマスリース。常緑樹にヒイラギの赤い実、リボンやベル。

むしり取って捨てた。ばかばかしい。見た目ばっかし。


 彼女の黒のダウンコートのポケットをまさぐる。車のキーを取り出す。

一度、運転してみたかったんだ。この外車。赤のベンツ。おしゃれだね。

エンジン音が心地いい。

     * * *

バス通りの広い道を走って、久しぶりの運転に慣れたころ。左手を腹にあてる。

34歳のとき。1度妊娠した。流産した。それっきり1人。

 

 もうよそのガキの面倒はいいや。

 未来もいらないや。

 なんにも振り回されたくないや。

 どこ行こっか。


さすが高級車は優秀。静かだ。振動も。周りの音も。頭の中も。

(了)


 


 

 

  







 



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「イベント」(冬) ナカメグミ @megu1113

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