小説家としての道、エッセイストとしての道
このFIRE生活の2年間、私は毎日エッセイという形で日記を書いてきた。
小説に関しては5つの作品を完結まで持っていったが、小説投稿サイトにUPしても全くPVは増えず、文学賞に投稿しても一次選考すら通ることはなく、Kindle出版というかたちで自費出版しても全く売れていない。一方で日記ブログはコンスタントにPVを集めることができ、また、このコンテンツを小説投稿サイトに転載しているのだが、そこでもPVを集めることができている。つまり小説家としては全く結果は出ていないが、エッセイストとしては多少は結果がでつつある。私はこの事実をもっと真摯に受け止めるべきなのだろうか。
ライフワークとして私の作りたい物語を作っていく。
そう自分に言い聞かせていても、なかなか毎日創作を行うことができていないし、ときどき何のために自分が小説を書いているのかわからなくなる。もしそれが事実だとしたら、私が自分を表現する方法として「小説」は本当に適しているのか。逆に、現在それなりに結果が出ている「エッセイ」に集中し、その枠組の中で自己表現をしていけばいいのではないのか。それが実現できれば、「文章でもって自分を表現する」という私の目標の一端は実現できているということはできるのではないのか。
そして日記コンテンツは小説投稿サイトに転載すると同時に、Kindle出版という形で自費出版する。今まで出版した他の小説よりも多くの作品を売り上げることができている。ただしそれは無料キャンペーンを活用した結果なので、単純な比較はできない。
しかし、このままエッセイ(日記)に特化するとして、将来的な目標はどのような形になるのだろうか。
小説家であれば、文学賞を受賞して商業出版する、プロの小説家になる、ということが具体的な目標として思い描くことができる。確かにハードルは高いのだろうけど、エッセイを商業出版するよりは道筋は明確だとも言える。例えば、ブログで有名になる、小説投稿サイトで有名になるというような結果を収めることができれば、「商業出版」「プロのエッセイスト」という道はありえるのだろうか。そしてその道は私が本当に進みたいと思える道なのだろうか。
以前は、小説を書くということにもう少しモチベーションをもって取り組むことができていた気はする。
苦労して「見知らぬ女」を毎日執筆していた時期は、日々はそれなりに充実していたのではないのか。少なくとも夢の実現に向かって毎日努力をしているという実感を持つことができていた。
もしそうなのだとしたら、なぜ今の私はそのような充実感を感じることができていないのか。今作っている物語が「私の作りたいと思える物語」から乖離してしまっているのか。あるいは、夜の空き時間で小説を執筆するという方法が実は私に適していないということなのか。もう少しその点について自分の中で掘り下げていくべきなのかもしれない。
やはり「習作」だとしても、私が作りたいと思える物語を作るべきだし、具体的な文学賞を目標に設定して作っていくべきではないのか。
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