今日が人生における最後の一日だと思って生きる

ある人は、「今日が人生における最後の一日だと思って生きる」という心構えを持つことで、生き方が変わったと言った。


「今日が人生における最後の一日なのだ」

そう自分に言い聞かせたところで、おそらく明日はやってくるし、明後日はやってくる。

だけど、その言葉が真実になる日がいつか必ず訪れる。もう自分には「明日」は永遠に訪れないのだと思い知らされる日がいつか必ず訪れる。

この世の中に「絶対」は少ないのだけど、このことはその数少ない「絶対」の中の一つだ。誰もこの運命から逃れることはできない。


その一日にいる自分を時々想像する。

「最後の一日」にいる自分は、その事実を後悔なく受け入れることができるのだろうか。あるいは、その事実を前に、それまでの自分の人生を後悔してしまうのだろうか。もし後悔してしまうのだとしたら。全く別の人生を生き直したいと思っても、自分にはもう時間は残されていないのだと思い知らされたとしたら。そのことを想像すると、私はいつも恐怖に襲われる。この世の中に、「自分の人生の終わりに、自分の人生を後悔すること」ほど恐ろしいことはないのだと信じていた。

会社員時代の私は、その恐ろしい「最後の一日」に向かって突き進んでいた。だって、その時の私は仕事という地獄の中で心身をボロボロにするような毎日過ごしていたのだから。その時進んでいた道の先に、自分が望む人生なんて1ミリだって存在していなかった。

おそらく、この「想像」が、私を会社員からFIRE生活に飛び出させる一つの力になったのだと思う。それは一つの力だったのだけど、ただ、私にとっては非常に大きな力だった。


どうすれば後悔のない人生を生きられるのだろうか。

そのことを私はよく考えていた。

その時の私が頭に浮かべる一つのイメージがあった。そのイメージとは次のようなものだ。


『おそらく、末期がん患者の見ている世界と、普通の私のような人間が見ている世界は全く違う。私たちは遠い未来ばかり見ようとする。だけど、末期がん患者にとっては「今」が全てなんだ。なぜなら自分に「明日」が本当に訪れるかなんて分からないから。

そしてきっと、末期がん患者が見る世界のほうが、より本質的な世界なんだ』


私たちは遠い未来を見ようとする。

そして今を見ようとしない。明日を見ることに懸命になっている。

だけど、人生は「明日」には存在しない。人生は「今」にしか存在しない。

なぜなら、人生とは「今日」という一日の積み重ねなのだから。それ以外の人生なんてこの世の中に存在しないのだから。

末期がん患者のような人生の終わりを思い知らされた人間にとっては「今日」が全てだった。「今」が全てだった。だけど、後悔のない人生を生きるためには、そのような生き方をする必要があるのだ。なぜなら、「後悔のない人生」は、「後悔のない今日」にしか存在しないのだから。

それは当たり前の事実だったのかもしれないけど、その当時の私にとっては大きな発見だった。

そして私は「後悔のない今日」を生きるために、会社を辞めた。

私は今でも次のようなことを自分に問いかける。


私はしっかりと「今日」を生きることができているのだろうか。

「今」を生きることができるのだろうか。


そのことはいつだって、そして何度だって、自分自身に問いかけるべき質問なのだと信じていた。

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