本編
第1話 勇者の残像と不協和音
「勇者カイルが、隣国の王女と結婚?……そして、パーティ脱退?」
賢者リリアン――通称リリィは、目の前の巻物に書かれた文字を三度見した。頭脳明晰な彼女の人生設計において、これは完全に『測定不能なエラー』だった。
リリィにとって、勇者カイルは長年恋焦がれた『理想値』だ。彼はこの国の第二王子であり、その戦術は常に論理的で、指示は明確。彼を慕うことが、リリィ自身の賢者としての目標だった。だが、そのカイルは、一切の相談もなく、一通の巻物と共にパーティを去った。理由は「王族としての責務」。
「……非効率的だわ」
リリィは静かに巻物を閉じた。
「効率? 」
ギルドの酒場で、ガロッドがテーブルを叩いた。赤毛の戦士は、マグカップの中身を床にぶちまける勢いで憤慨している。
「あいつ、自分の夢より地位を選んだんだぜ!? 騎士団長になればいいとか、国の防衛のためとか、そんなのは後付けの理屈だ! 俺たちとの誓いはどうなるんだよ!」
「ガロッド」
僧侶のセラがたしなめる。
「感情的にならないで。カイルにはカイルの、王族としての義務があったのでしょう」
「そうよ、ガロッド」
リリィは静かに言った。
「国家の安全保障と、一介の冒険者の誓い。優先順位は明確だわ。彼の判断は、むしろ論理的には正しい」
ガロッドはリリィを睨みつけた。
「お前までそんな理屈を並べるのかよ! どうせお前は、まだあのカイルの残像を追いかけてるんだろ!?」
リリィの心臓が、一瞬、凍り付いた。彼女が必死に隠してきた感情の核を、この直情的な戦士はいつも真っ直ぐに抉ってくる。
「ふざけないで。私は常に目の前の事象を分析し、最適な解を導き出す。そこには感傷的な要素は含まれないわ」
リリィは冷たく言い放ち、立ち上がった。
「無責任な勇者の話は終わり。次のダンジョン攻略について、会議を再開しましょう」
カイル脱退後、初めてのダンジョン探索。パーティの指揮は、年長者という理由で急遽リーダーとなったガロッドが執ることになった。
「いいか、今回は俺が正面から敵の攻撃を受け止める。リリィは後方から魔法で弱体化を。ゼフィ、お前は側面から一気に数を減らせ!」
ガロッドの戦術はシンプルで熱かった。真正面からぶつかり、力でねじ伏せる。リリィのスマートで計算高い戦術とは真逆だ。
「待ってガロッド」
リリィが冷静に口を開いた。
「その作戦は危険すぎます。このフロアのモンスターは集団での連携が特徴よ。戦士が囮になる間に、私が事前に設置した魔力トラップで一掃するのがカイルのやり方だったわ。そちらの方が被弾率が低く、効率的よ」
ガロッドは、剣を地面に突き刺した。イライラが頂点に達している。
「またカイルの名前かよ!」
ガロッドは荒々しく髪を掻きむしった。
「確かにカイルの戦術はスマートだった! だがな、あいつがいなくなったんだ! お前はいつまで過去に囚われてるんだよ!? 俺は俺のやり方で、お前たちを無傷で連れて帰る!」
「無傷? その熱い感情論で、冷静な判断を欠いて被弾するのが目に見えているわ」
「はっ。じゃあ聞くが、今の俺とお前が、まともな戦術会議ができると思ってるのか? お前の言う『効率的』なトラップを仕掛ける前に、俺たちの関係が持たないぜ!」
ガロッドはリリィに背を向け、先に進んだ。
僧侶のセラがため息をつき、盗賊のゼフィがリリィの肩に触れる。
「リリィ、さっきの言い方はちょっと酷かったぜ? ガロッドだって、精一杯リーダーをやろうとしてるんだ」
「……私は、ただ、彼に最適な解を提示しただけよ」
リリィは唇を噛みしめた。最適な解? 本当にそうだろうか。彼女は分かっていた。ガロッドを否定したのは、カイルを忘れられずにいる自分自身を、ガロッドに投影して苛立っていたからだ。
(違うの。ガロッド。あなたのことを見てるわ。だけど……どうして、あなたの熱い眼差しが、カイルの冷たい理屈よりも、私の心を乱すのか、計算できないのよ)
リリィは、思わずガロッドが立ち去った暗い通路に向かって、小さな冷気の魔法を放った。それはモンスターに当たるのではなく、ただ、冷たい空気を空間に残すだけだった。まるで、自分の心の温度を測るように。
その夜、リリィは眠れず、一人で自室の机に向かっていた。彼女の目の前には、白紙の巻物が広げられている。
『感情の解析レポート:勇者カイルから戦士ガロッドへの移行における、精神的負荷の考察』
リリィは、次に進むために、まず自分の感情を『分析』しなければならないと結論付けたのだ。
「ああ、なんて不器用なんだ、私は」
リリィは巻物にペンを走らせる。
「第一節。勇者カイルへの感情:【尊敬】に基づく長期安定型のアドミラシオン。これは測定済み……」
「第二節。戦士ガロッドへの感情:【動揺】に基づく短期的なパルス。現在、心拍数と魔力の変動が観測されているため……【測定不能な変動値】と仮称する」
彼女はそう書き込み、その変動値の正体が、恋心であることを必死に否定しようとしていた。
(第2話につづく)
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