ジャストギフトノットボックス

ひつまぶし

ジャストギフトノットギフト


「おひさだねぇ」


 七星ななせはあの日。

 あっさりと死んだ。

 別に死んでも涙とかは出なかった。

 悲しくなかったなどという強がりをする気はない。

 ただ涙とかを出す気にはどうしてもなれなかった。


 あれから数週間いつも通りの毎日を送った。

 葬儀はかなり大所帯で行われて、彼女の旅立ちを悲しむものの多さが分かった。だからこそ、俺が泣いていないのは曇り空に見える一縷の光の柱のように目立った。

 親御さんには挨拶をしたけど、遠回しに文句を言われていたと思う。一番気持ちが変動する時期だから俺に当たってしまうのも無理はない。


 数週間であったことと言えばそれくらいであとは普通にいつも通りの学校の日々。

 あの日より随分と寒くなった。


「まぁ、久しぶり」


 目の前にはサンタのコスチュームを着こなす女の子が立っている。ここは俺の家の俺の部屋だ。

 長髪を後ろでまとめてサンタ帽子で抑えている。俺はまず彼女が彼女であるかを確かめる。


「君は七星」


簡潔に彼女の身分を明かさせる。

彼女は目を丸くして、満面の笑みを浮かべた。


「そうだよぉ~○○○だよ」


 手を後ろに覗き見るように彼女は俺と目を合わせた。

 その目線を俺は無言で受け止める。あと一つとても大事な質問をしなければいけない。これで彼女についてはある程度決着が着く。


「俺の事を覚えてるってこと」


彼女は少し固まった。緊張が流れたような気がしたけど、彼女は瞬きを増やした程度にしか変化は示さなかった。困惑というより、戸惑いに近い表情。俺は窓の外に目をやった。外は一面晴れていて、現実味のない空だった。


「……そりゃあ~、君は☆☆☆だよ」


真剣な声音で当たり前の事を彼女は言った。

やはり彼女は俺の事が分かるようだ。

当たり前だよな。そっちの方が良いに決まってる。

彼女は目を瞬かせて、少しの間、沈黙が部屋を包んだ。


「なによ! この質問は~」


沈黙を破ったのはやはり彼女だった。こういうのは変わっていない。窓から視線を戻すと赤らんだ頬を手で覆っていた。

俺は机の上のコーヒーを片手で持ち、ベッドの上に座った。

ベッドの軋む音は今の状況のように歪な音だった。


「今日はクリスマスだよね」


俺は質問を続けた。

コーヒーを飲むが既に冷えきっている。


「私の外見をご覧いただければ」


彼女は手を大っぴらに広げて目をつむった。

口がチューチューという音を立ててタコのようにしていた。


「なにしてるの」


俺は特に感情が起伏することはなかった。


「それはこっちのセリフよ」


「私は今無防備に男の子の部屋にいて、目をつむったのよぉ これがどれだけ勇気のいることか君には分かんないんだねぇ」


頬を風船のように膨らまし、空気が抜ける音が最後にした。

知らないよと言いたかったが、彼女は言い終えると俺の目から視線をそらして後ろのドアの方へ向く。足元の包装紙がクシャという音を立てた。


彼女が現れたのは今から数十分前。

クリスマスには似つかわしくない顔をして、憂鬱な朝を迎えた俺はベッドで少し無気力に本を読んでいた。

時計は登校時間を知らせていて、栞を挟んでベッドの縁に着席した。机の上には母が用意したコーヒーに手を伸ばそうとした時だった。

部屋の中央。完全なる中央だと、なんとなく分かった。

赤と緑が交互に混じった1メートル程の箱がそこに置かれていたのだ。


両親は小学生の頃「サンタは俺達だ。これからはお金をあげるから自分で何か買え」と言うような夢のない人たちだった。毎年この日は食卓に並んだときにしれっと一万円を渡される。

だから、この箱が両親の行いではないことは分かる。

それにこの大きさ。家のドアの幅より明らかに大きい。

これを入れるのは不可能だ。

部屋で組み立てられたという線もあるが、そんなことをしていたら俺は目を覚ますと思う。

昔から眠りが浅くて、サンタさんを両親が打ち明けたのも、俺が毎年目を覚ますので、意味がないと判断しての事だと俺は勝手に想像していた。


つまりこれは"ただのプレゼントボックスだけどただのプレゼントボックスじゃない"ということ。


もちろん彼女がいるのだからその箱が開いたということなのだが、俺が故意に開いたわけではない。仕方なかったのだ。


箱を無視して部屋を出ようとドアノブに手を掛けたのだが、ノブは回るだけで、自分の存在理由そのものを忘れていた。

その時、謎の音が部屋で鳴った。


「……て、……」


途切れ途切れの音。


「な、……け、……」


俺は音の出所だと思われる中央の箱に目をやる。

微かに動いたような気がした。

そして、これは音ではなく誰かの声であることがやっと分かった。


「なん……で、……あ、て、、のぉ?」


最後に語尾が上がったことから疑問的な文と分かった。


「なんで、……あ、……くれないのぉ?」


もう少しで聞こえそうだ。


「なんで、開けてくれないのぉ???」


ちゃんとした声が聞こえた。

それと同時に声にどこか聞き覚えがあった。

あの日、突然死んでいった人と同じ声。

録音か何かとほんの一瞬だけ疑おうとしたけど、体の奥の何か。人の大事なものを握るその何かが瞬時に否定した。

同時に、これは彼女だが、彼女すぎると俺は思った。

理想の彼女だった。




「七星はサンタから送られたの?」


冷えきったコーヒーを飲みほし、地面に落ちた包装紙を拾った。


「☆☆☆はサンタさんを信じるタイプには見えないけどなぁ」


「それは間違ってないよ。ただ、七星がいるんだから少し信じても仕方ないと思う」


「それはそうだね。じゃあサンタさんということで良いよ」


「答えになってないけど……」


全ての包装紙をまとめ腰を上げゴミ箱へと向かい、捨てた。

時計は既に授業開始を示している。


「君はどこまで覚えてるの?」




「☆☆☆が葬式で泣いてなかったとことか?」


「そっか、」



彼女とは高校で出会ってからの付き合いだ。

付き合いといっても恋人的表現ではなく。

単なる友人関係としての付き合いということは言っておく。

入学早々に友達作りに手こずり、図書館に入り浸る生活を続けていた俺は、昔から本を読むことが唯一と言っていい俺の日常を形作る物だったので特に違和感なく二週間ほど過ごした。委員会はもちろん図書委員を選んだ。委員の集まりでは仕事が終わればカウンターからは離れて、読書スペースに腰を下ろし、勤務時間の終わりを待った。


「離れて読書とは、なめた後輩だなぁ」


頁が終わりを迎えようとして次の頁に指を挟んだ時に彼女は電車に駆け込み乗車をするように話しかけてきた。

俺が返す言葉を必死に本を眺めながら探す。

俺のような人が離れたところで誰も気にしないだろうと調子に乗って注意されるという想定を全くしていなかった。

見つかるはずのない答えを本を眺め探していると、肩に手が置かれる。かなりの勢いがあり肩で小規模の爆発が炸裂した。


「無視は良くないなぁ~、がきんちょよ」


置かれた手は先輩にしてはかなり小さな手だった。一番の成長期の時期にこれなら、今後もこの手であらゆる生活をするのだろうと思うと先ほどまでの妙な焦りが少しだけ和らいだ気がした。しばらく無視を続けていると、肩から小さな手が離れた。

俺は安堵の息をする。


「小学生みたいな手だったな……」


離れていったという安心から心の本音を思わず漏らした。

これがいけなかったというべきなのか、悪くなかったというべきかは死んでしまった今ですら僕にはハッキリとは分からない。あの時の僕ならそんな考えすら出てこないであろうが。


「だぁ~れが小学生みたいだとぉ~!」


真横から力の抜けた大声が聞こえた。

素早く顔を向けるが誰もいない。


「ばぁ!」


視界の下方からやはり小学生のような小柄な女性が姿を表した。長髪を後ろで束ねた大人らしい髪型に少し丸みを帯びた顔。イタズラを生業とする霊がいたらこのような風貌だろう。


「……こんにちわ」


「反応うすっ、つまんないよぉ~」


そんなこと言われてもつまんないのは生まれつきだ。


「というか! 私を小学生と言ったなぁ、後輩君よ」


向かい机から身を乗り出して叫んだ。

なんだか徐々に申し訳なさが薄れていき、残ったのは少しのめんどくささだった。頁をめくり、彼女に視線だけを向ける。


「謝ればいいですか? すみません」


冷たくすれば大抵どこかへ行く。今までの経験則だ。

多少の罵倒を彼らは置いていくが、これからの面倒を受けるより、幾分かましだ。でも、彼女はその彼らには当てはまらない人間だった。


「ハリネズミのような後輩だなぁ」


どちらかというと針だけでは?という疑問が浮かんだが、彼女に突っ込むと話が宇宙の膨張のように広がりそうだったので止め、代わりにお返しをすることにした。


「あなたはサルみたいな人ですね」


彼女は眉を片方動かした。


「ひどすぎぃ! 私はハリネズミをプレゼントしたのに! サルはないでしょぉ~! やり直して!」


「図書館ですよ。 もう少し静かにした方が」


俺の注意を聞いて、無言になった。

彼女も聞き分けはいいようだ。


「君は周りがまるで見えていないようだね」


彼女の言葉に本へと戻した視線を再び彼女へと向ける。

そして、そこから平行移動させる図書館を一周する。誰一人として存在しなかった。カウンターにも誰もいない。奥の教員室にも人影なしだ。窓の外にふと目をやるとここに来た時より随分と影を落としていた。もう帰る時間だったのだ。


「……では、帰ります。」


帰宅できるとなればここでこれ以上彼女と会話をする必要もないと思い本を鞄へとしまう。


「えー、もう帰るのぉ~?」


荷物をまとめ机のあいだを縫うように歩く。ドアの取っ手に手をやる。


「お疲れ様です」


振り返りそう言うと彼女は満面の笑みを浮かべ髪をたなびかせた。後ろの蛍光灯に照らされる彼女はこんな夜中には勿体無いほどきれいに見えた。


「また明日ね!」


それから彼女とは徐々に話すようになった。

もちろん俺から話しかけることなどは一度もなく。

そして、彼女に"違和感をもち始めた"のは丁度1ヶ月程経った頃だった。


自転車片手に二人で下り坂を歩く。

街頭のみが通行人のように背後へと消えていく。時刻の割には空は暗く季節の変化をシンシンと肌に感じる温度と共に感じさせる。


「あの本面白かったよぉ」


「それは良かったです。僕もあれはすごく好きで」


「特最後の三人が元の場所で静かに暮らす場面はここまでこれて良かったぁぁって思ったよ」


「いいでよね。異世界ものはどうしてもラノベみたいになりがちなんですけど、あれはなんというか雨の前の湿っぽい雰囲気を常にもっていて、どしゃ降りのような場面はないんだけどゆっくり丁寧に進んでいくというか」


「すごく分かる」


駅が近くなり別れの鐘のように六時のチャイムがしばらく続いた沈黙を横切っていった。信号を越えたらもうすぐいつもの分かれ道。


「そろそろだね、じゃあ」


彼女はいつもの満面の笑みを浮かべたが、その目はいつものとは違って見えた本のヒロインのような。

気付きながらも、口から出ることはなくただ手を振りながら分かれ道に振り返る。

はずだったのだが、


「あ、そうだ! 私一つ大事なことを忘れてた!」


彼女は目の奥に溜まったものを吐き出すように俺を引き留めた。しばらくの沈黙を彼女は置く。深呼吸を三回ほどした。

心の準備的なものが彼女には必要だったのだろう。


「後輩君…………名前教えて?」


意外すぎる言葉だった。

でも、それは「そんなことかよ」とかそういう意味での事ではない。


決してない。


「……名前……?」


まとまらない頭を整理するためなんでもない質問で場を進めた。


「そう!……別に嫌だったらいいんだけど、ほら! 毎日いつまでも後輩君っていうのは何か他の後輩君と同じじゃない? だから名前で呼んだ方が見分けもつくし、そう! 便利じゃないかなぁ~何て思ったりしてぇ~」


顔を赤くしながら徐々に口が早くなる彼女を見る余裕は俺にはなかった。しかし、そのお陰でようやく自分がなにを言うべきかそして、彼女が自分をどう思っているのかを何となく理解できた気がした。


「あの、……先輩、」


「な……なに、」


先輩が食い気味に聞いてきた。


「俺……先週、名前教えたと思うんですけど」



彼女は俺の名前を忘れていたのだ。

その瞬間、胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚があった。

痛みというより、空気が抜ける音に近い。

俺にとって、ここまで言葉を交わした人間は親以外にいなかった。

いや、親とはほとんど会話をしない。量だけで言えば、人生で一番話した相手だったと思う。

正直、かなり仲良くなったと思っていた。

女子と毎日登下校して、本の話をして、笑って

そんな状況が続けば、「もしかして」と思ってしまうのは、俺だけじゃないはずだ。

だから、俺は彼女を避けるようになった。

いつものように話しかけてくる彼女を無視した。

帰り道も、彼女が来る前に自転車を押して校門を出た。

委員会にも顔を出さなかった。

それでも、彼女は毎日話しかけてきた。

その様子を見て、俺は勝手に決めつけていた。

おもちゃが思いどおりにならず、悔しがっているだけなのだと。

自分は何も悪くない。

そう思っていた。

思い込もうとしていた。

 

ある日、廊下の向こうで声が荒立つのが聞こえた。

先輩が、友達と口論していた。

珍しいと思って、少しだけ立ち止まった。

すると、どうやら彼女は相手の名前を忘れていたらしい。

何度も呼びかけられて、困ったように首を傾げている。

そんなことがあるのだろうか。

そう思った瞬間、胸の奥が冷えた。

俺の名前を忘れていた、あのときのことが、

まったく同じ温度でよみがえった。

もしかして

わざとじゃなかったのかもしれない。

嫌われたわけでも、軽く扱われたわけでもなく、

ただ、理由があって忘れていただけなのかもしれない。

俺は彼女に時間をもらい、真剣に話をした。

長い話だったが、要するに、彼女は「そういう病気」かもしれないと言った。

ただし、それは彼女自身の推測で、まだ誰にも言っていないらしかった。

親にも話していない。

本当に病気なのかどうかも、まだ分からない。

言うのが恥ずかしいのだと、彼女は笑っていた。


「言った方がいいよ」


そんな無責任な言葉を、俺は口にできなかった。

彼女は、忘れてしまう恐怖と、羞恥心の両方と戦っていたのだ。

今この瞬間にも、何かを失っているかもしれない。

だから俺は、彼女と一緒に、その秘密を背負うことにした。

学校では恋人ということにして、ほとんど一緒に行動した。

忘れていることがあれば、俺が教えた。

一緒に過ごして分かった。

彼女は、かなりのことを忘れている。

それでも、ここまで生活してきたのだ。

夏休みに入りかけた頃、彼女は母親に打ち明けたと言った。

それを聞いたとき、俺は心から嬉しかった。

これで、学校も対応してくれる。

彼女も、もっと楽になる。

そして

この生活も終わる。

俺以外の誰かが、彼女を見ていればいい。

 

「私は……後輩君に……見てて、ほしいな」


その言葉は、予想していなかった。

彼女は俯き、頬を赤く染めていた。

その色の意味も、

胸の奥で速くなる鼓動の理由も、

俺には分かってしまった。

それでも、俺は彼女のそばにいた。

夏は祭りに行った。

秋は食べ歩きをした。

冬は彼女の家にも行った。

都合よく、親はいなかった。

すごく楽しかった。

すごく。

 

「楽しかったんだよ……」


俺は、目の前のサンタの格好をした"彼女のようなもの"に、静かに声をかけた。


「そうだね」


返事は、あまりにも自然だった。

声も、表情も、仕草も。

彼女は彼女だった。

だからこそ、俺は飛び込んだ。

勢いのまま、彼女の体に覆いかぶさる。

両手で首を掴み、

スカートから覗く足を、逃がさないように押さえつける。

指に力を込める。

浮き輪の空気を、ゆっくり抜くみたいに。

丁寧に。

何度も。

何度も。

目の前で、彼女は苦しそうに身をよじった。

瞳には涙が浮かんでいる。


「☆☆☆君、わ……たし、だよ……○○○だよ」


かすれた声。


「違う。違う」


声が震えた。


「全然違うんだよ!!」


「彼女は名前なんて呼ばない!」


「じゃ……わたし、の方が……いいね」


「違うんだよ」


息を吐くように言った。


「君は全く魅力的じゃない……」


「……どこまでいっても、俺の理想の彼女なんだよ」


指に、さらに力を込める。


「君を失うのは一回でいい」


「君に謝るのはおかしいかもだけど、泣けなかったのはごめん」


「君はもう、この世界には居なかったんだ」


しばらくして、俺は力を緩めた。


「受験、頑張ってね」


白い彼女がそう言った。


「……ありがとうって言っとくよ」


雪のような顔をした彼女がいつもの笑顔を浮かべた。


「君は贅沢だ」


「そうかもしれない……」


声は、もうどこにも返らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ジャストギフトノットボックス ひつまぶし @hanmanadesiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画