聖書知ってる? 70歳からの日雇い労働者① V.1.1
@MasatoHiraguri
第1話 第0話 聖書の意味を知るなら日雇い労働者
○ イエス・キリストの言行録である新約聖書(福音書)の主題(テーマ)とは、如何にして天国へ行くかであり、その要諦は真理の矛盾とその解消にある(と私は考えます)。
そして、その(命題ともいえる)解決すべき問題に関し自分自身の中で整合性を確立することであり、他人の言葉やアイデアによって(頭で)納得するべきものではない。
ですから、私の至った解をここで開陳したり、人に伝播・説得するつもりはありません。
○ このテーマを、古来多くの賢人たちが頭・教養・知識・知性で解決する(整合性のある答えを案出する)ために、研鑽学究してきました。
○ 寡聞にして、私はそれら学問や宗教に関する書をほとんど知りません(それについて書かれた本を、雑学として学んだだけで真剣に読んだことがない)。30年前、日曜日の鎌倉の教会(ミサ)で、牧師さんの話を(非キリスト教徒として)2回拝聴した程度です。
○ ところが、齢68にして始めた日雇い労務者(肉体労働者)の世界で、イエス・キリストが新約聖書(福音書)の中で述べたこと(矛盾の意味)が理解できました。
○ 聖書や聖書・キリスト教について書かれた書物をを読む・教会へ行くばかりが「聖書やキリスト教を知る道」ではない。万人共通のスタイルとは言えませんが、「ジジイになってからの肉体労働者」こそが、最も手っ取り早い(簡単でわかりやすい)「聖書に書かれた真理を体得する道」ではないかと。
<鍵となるのは>
・若者ではなく、ジジイでやる肉体労働。
・技術職ではなく、極めて原始的・素朴な土方・土工という仕事
・本当に命がけの真剣勝負
・激しい怒声・辛辣な罵声・嫌悪(憎みきらうこと。不愉快に思うこと)感情が渦巻く「正直者の世界」
・地位や名誉のためという偽善的な世界ではなく、或いは、クラブやサークルといった遊び・趣味でもない、あくまでもプリミティブで直截的な(飯を食う・生きるための)世界。
第1話 身体を使って考える
肉体労働者の仕事は、中学2年生の夏休み、友人たちと遊び半分・小遣い稼ぎ(カツアゲなんかしないところが当時不良といわれた私たちの偉いところ?)で、新聞配達のアルバイトをしたのが始まりでした。
そして、高校・浪人生の時、知り合いのタイル屋さんのアルバイト(各種道具の搬入セメント捏ね・運搬)を体験し、大学時代には、休日や深夜、建築現場で日払いの仕事を、また大学を休学していた時期には青果市場で働きました。
会社員時代、米国から帰国後、すっかり様変わりしてしまった会社に絶望してサラリーマンを辞め、35歳でなった禅坊主。京都の禅寺に於ける雲水修行も、頭を使わず肉体で考えるという一面においては、私の生活習慣、人生スタイルに合致していました。
ですから、雲水時代は楽しかったのですが、その後葬式坊主となり(私だけが感じたのかもしれませんが、やはりその偽善的な生き方に)煩悶とした経験から、頭ではなく身体で実行動するという点で、雲水時代の薪割り・農作業・托鉢にも似た「魚市場で働く(頭を冷やす)」こともありました。
これまでの私の人生で一番充実していた大学卒業後の5年間、半導体製造装置(設計装置・テスター)といったハイテク製品の(輸入)販売に従事していた時代、私自身の販売とマーケティング手法とは、完全なる肉体労働者スタイルでした。
当時の日本における10大半導体メーカーで、優秀な技術者たちをリードしていた東北大・東大・阪大出身者、或いは、アメリカの装置メーカーにおけるハーバードやMIT、ケンブリッジやオックスフォード出のエンジニアやマーケティング担当者とのやりとり(ビジネスとしての戦い)は、私の場合、頭ではなく気力と体力で勝負していたのです。
アングロサクソンの英米人や、夢やロマンよりも医食同源(病気をなおすのも食事をするのも、生命を養い健康を保つためで、その本質は同じ)の中国人とは、えげつないほど現実的ですから、口ばかり達者な頭でっかちよりも、現実のマーケットを汗水流し自分の脚で歩いて知り、現実に利益を絞り出す人間を信用・信頼するものなのです。
その意味で、齢68にして始めた日雇い労務者(肉体労働者)という仕事もまた、人間として人生最後の焦点となる「天国への道」を解くために、私の頭ではなく身体が命じた選択であったのかもしれません。
第2話 70歳(68歳)で知る新約聖書(に語られた真理)
<土方(土木工事に従事する労働者・土工)という仕事>
大工や左官(壁を塗る職人・かべぬり・壁大工・泥工)、電気屋・アンカー屋(基礎工事屋)といった技術者とちがい、工事現場に於ける土工・土方(雑用夫)の仕事とは、重い建築材料の搬入・運搬、各種技術者たちの補助、掃除といった力仕事・雑仕事。
言ってみれば、大学出のインテリ現場監督の知性で行う仕事でもなく、各種職人さんという、技術で飯を食う類いの人間でもない。あくまでも、純粋理性によって心と肉体をコントロールしながら、キツい・重い・汚い肉体労働を行うのが土工・土方の世界といえるでしょう。
イエス・キリストは「誰でも天国へ行く資格があるが、誰もその資格を手にすることができない。」なんてことを言いましたが、日雇い労務者(肉体労働者)とは、誰でもなれるが、実は誰にでもできるというわけではないのです。
<肉体労働といって肉体ばかりではない>
拳立て50回・腹筋100回できます、サンドバックを1,000回突いていたなんて、大学日本拳法部で鍛えた身体といっても、単なる筋力・筋肉能力だけでは現実社会では役に立たない。
例えば、工事現場でスコップを使って穴掘りといい、柔らかい土や砂ばかりの地面・畑を掘るのではありません。大小の砂利や拳ほどの岩石や錆びた空き缶等々が混じった、カチカチ・ガチガチの荒れた地面をシャベル一つで掘削する。重機(クレーンやショベルカー)、一輪車を押す人が交叉する足場の悪い建築現場で行う穴掘り作業。頭の先からつま先まで神経を使い筋肉を連動させて素早く処理しないと、「モタモタすんな!」「アホンダら!」と、罵声や怒号が飛ぶ。
建築中のビルの最上階、鉄筋(コンクリートの引張りに対する強さを補うために、コンクリートの中に埋め込む直径1~2センチの棒状の鋼材)が格子状に張り巡らされた、グニョグニョした網の上を、網の目に足をはさまれないようにバランスを取りながら、重い建築資材や太いホースを持って素早く移動する。バランスを崩して倒れ、槍のような尖った突起物に首の付け根が刺さり死亡、なんていう事故が頻繁に起こる。つい先日は、私の同僚がトラックから資材を下ろしている最中、鉄骨が足に落ちて親指が潰れてしまった(安全靴を履いていなかったので、労災も降りない)。
ところが、そんな過酷な現場で、一見華奢な肉体の若者や痩せ型60歳の老人が、20キロのセメント袋を二個も担いで10メートルくらいを何度も往復している。全身何百という筋肉や神経を上手く連関させて、一つの作業・仕事・労働を達成する。筋肉だけを鍛える筋肉バカではなく、あくまでも実労働・実業を達成するための筋肉であり肉体こそが大切なのです。
私自身、学生・雲水時代、土方的・肉体的作業の経験があったので大して心配していなかったのですが、68歳ともなると、腹筋や腕立て伏せという単純作業ではない「実労働」に心で思っても身体がついていけない。始めてからの2週間は、朝5時の始発電車で、帰りは20~21時という長時間の拘束もあり、ひと言で言えば、いわゆる「地獄の日々」。
大学日本拳法部時代の扱き(きびしく訓練する)や、雲水時代の厳しい修行なんて、ジジイの肉体労働に比べたら「遊び」でしかない。20代・30代とは比べようもないくらいキツい(思うように身体が動かない)。人をぶん殴るという単純作業ではない。まるで、公園のジャングルジムの中を、重い荷物を持って縦横自在に動き回らなければならないような建築現場の重労働。なにしろ、建築会社としては重い・キツい・汚い仕事をやって貰うためにカネを払っているのですから、情け容赦なくそんな仕事を、雑役夫である土工(土木工事に従う労働者)に振ってくる。
<大学日本拳法のしごきも厳しい禅寺の修行僧もぶっ飛ぶ精神世界>
ちょっとでももたもたしていると「アホンダら!」「オッサン役に立たん、もうええわ。」と、職人や現場監督から怒号の嵐。20歳から60歳代までの土工志願者が1日で辞めていくのが、肉体的以上に過酷な、この「精神的苦痛」からなのだそうです。
つまり、肉体的にも精神的にも、苦痛だの恥・怒りなんていってたら、話にならないのです。
しかし、私にとってどんな大企業の建築現場でも、銭カネという社会の根本原理で動いているところに、この世界の魅力があるのです。
<神聖なる肉体労働(者)>
これは決して「カネのため」というような、下等で卑しい行為ではありません。極めて神聖な、人間としての根源的な肉体的行為です。
私自身、学生時代に水泳や日本拳法といったスポーツで身体を鍛えてきましたが、そこにおける筋力や体力とは単なる「遊び」でしかない。本来、人間の身体とは飯を食うために、生活に於ける様々な問題解決のために機能すべきものである、ということを今更ながら気づかせてくれます。
<神聖なる肉体労働者の世界で知る神聖なる聖書の教え>
格好つけた学者や公務員(政治屋・マスコミ屋・警察屋)といった偽善者たちによる、組織的な噓・噓を法律で正当化した社会を利用しての金儲けではない。噓のない、最も直截(まわりくどくなく、きっぱりしていること)的な知性と感性で、純粋な金儲けに身体を張るのが土方や土工の世界なのです。
○ 日銭のために働いている
朝6時から働いて17時に終わって金を貰うや、即座に酒やギャンブルで使い果たす人。
○
続く
2025年11月11日(火)
V.1.1
平栗雅人
聖書知ってる? 70歳からの日雇い労働者① V.1.1 @MasatoHiraguri
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