3 声が聴こえた
意識を『別邸』へと切り替えた凪咲は、迅速に動き出す。
朝の支度、家の仕事、昨日までに終えた準備の再点検をし、身支度を整える。
頭の中で「二人の代わりにやれること」の予定を組み立てつつ、諸々を含めたメッセージを入れ、時間に余裕を持って家を出た。
都心にあるこの家から、郊外の『別邸』へと。
三月も最終日の、予報通りに冷え込んだ朝。
晴れている青空の下を、駅へ向かって歩きながら。
(コート、今着てるので)
どうだろうなと、玄関先で確かめた時は大丈夫な気がしたけど、思ったより寒いな。
(でも)
歩いてればそのうち、暖かくなるよね。冷えるの、朝だけなはずだし。
(見た目に髪色が馴染んでるかは、まだ分かんないけど)
黒から『近いけど違う色』に変えて、数日。
(それこそ、あれか)
今考えても仕方ないもんな。
息を吐いて切り替えた凪咲は、コートの襟元をしっかり合わせ、リュックを背負い直す。
歩いていく凪咲の耳に届く実際の音や声に重なるようにして、心に届く〝声〟を聴く。
(鳥)
電柱や屋根の上に数羽留まって、会話している。
あそこの飯が食いやすい、美味い、人間が飯をばらまく場所はどこそこにある、そんな会話。
季節の会話も少し。
鳥たちの下を通り過ぎる。
(猫)
何やら悩みつつ塀の上を歩いている、と思ったら猫が塀から落ちそうになり、咄嗟に声をかけた。
猫には少し驚かれたけれど、縄張りの広げ方で悩んでいると話してくれた。
周囲に人は居なかったので、猫の悩みを聞いていた。
話したら整理がついた、ボス猫と話してくる。
言って、塀から屋根へ飛び移った猫へ、怪我しないようにねと声をかけた。
尻尾を揺らす返事をもらい、猫は見えなくなった。
今の自分にこれ以上できることはないなと、凪咲も歩き出す。
(犬)
嬉しそうに散歩している。
一緒に散歩している人へ「楽しい、嬉しい、お散歩大好き」あなたとのお散歩大好き、と幸せそうに一生懸命に、伝えていた。
一緒に散歩している人も、少し寒そうだけど、犬が可愛くて堪らないといった様子だった。
幸せそうに散歩している二人を横目に、歩いていく。
街路樹や生垣や花なんかは〝声〟というより〝気配〟がなんとなく分かるくらいだし、どれもいつも通り。
春らしくなってきたことに喜んだり惜しんだり、どうでも良さそうだったり。
そんな気配を感じ取る。
虫たちも、種類によって〝声〟に近かったりするみたいだけど、ほとんどの虫たちは〝気配〟がなんとなく分かる程度。
木々や植物たちと同じように、いつも通りの気配。
駅の構内へ入り、リュックを前に持ち替えて電車を待つ凪咲は、リュックから取り出したスマホを操作する。
来た電車に乗ると、時間帯と行き先の関係だろう、車内は空いていた。
素早く座席の端に座った凪咲は、スマホの操作を再開する。
(今回は)
それなりに長い間、『別邸暮らし』をすることになるんだろうな。
電車に揺られる凪咲は、スマホを操作しながら改めて思う。
両親から直接、言われてはいないけれど。
(俺が)
両親の助言を受けて業者を手配し、まとめて『別邸』へ運び込んだ自分の荷物。
同じようにして運び込んだ『別邸暮らしに必要だろう』荷物。
(あと)
通っている高校は転校せず、四月からも通い続ける。
高校卒業後に入る予定だった大学も、取り消しや変更をしないで入学予定のまま。
それらで、こんな自分でも察せる。
どれだけ「やらかした」のかを。
両親には、感謝しないといけない。
そしてちゃんと『療養』しないといけない。
そのための『別邸暮らし』で『一人暮らし』なんだから。
(けど、ごめんなさい)
ごめんなさい。
療養するし、「同じようなやらかし」をしないように努めます。
それでも自分は、二人みたいになれる気がしません。
こんな息子でごめんなさい。
電車を何度か乗り換え、待ち時間や乗車中に今日中に終えるべき「二人の代わりにやれること」をスマホで終わらせた凪咲は、少しだけ安心できた。
(あとは)
もう乗り換える必要がない電車の中、座席の端に座り、送る前にミスがないかチェックしていく。
スマホで確認作業をしていた凪咲の耳に、車両内でぐずるように泣く声が届く。
(赤ちゃんかな)
心に届く〝声〟も聴こえ、それとなく目を向けたら、凪咲の予想通りに赤ちゃんが泣いていた。
(眠いのか、君)
お腹も少し、空いているらしい。
保護者らしき人があやすように声をかけながら次の駅で降りたので、赤ちゃんはたぶん、大丈夫。
保護者さんも赤ちゃんも、お疲れ様です。
スマホの画面へ意識を戻し、ミスはなさそうだと確認し直した凪咲は、それらを送る。
(追加は来てないな)
それらしい連絡がないことを再度確認してから、送ったモノの連絡待ちも兼ねて、凪咲はスマホを操作し続ける。
明日以降の「やれること」の整理、進められることを進めていく。
電車の中は、実際の声で話す人間ばかり。
心に届く〝声〟を出す存在はほとんど居ない。
聴こえるとしても、さっきの赤ちゃんや幼児、お年を召した方とか。
(あとは、時々乗ってくる)
人じゃないヒトたちの〝声〟くらい。
(今んとこ)
道中も、車内も、人じゃないヒトとは──居そうな場所を避けてきたためか──出会ってないし、それらしい〝声〟も聴こえない。
心に届く〝声〟も、耳に届く声も、平和で平穏なものばかり。
安心しながらスマホを操作する凪咲の頭の中に、ずっと。
ごめんなさい。
謝罪を繰り返す
こんな自分でごめんなさい。
助けられなくてごめんなさい。
(誰が、誰に)
謝っているのか、呆れた凪咲は内心で苦笑した。
このまま別邸まで、聴こえる〝声〟が平和なものばかりなら「やらかし」を重ねないで済む。
聴こえる〝声〟が平和じゃなくても「やらかす」ことなく収めれば、同じこと。
(こんなことばっか考える俺は、やっぱり)
ごめんなさい。
思う中、駅に着く。
送られてきていた「やれること」をほぼ終えたスマホを仕舞い、電車を降り、駅から別邸まで歩いていく。
(あと少し)
別邸が見えて、何事もなく到着しそうだと安心した凪咲の──心に〝声〟が届いた。
平穏でも平和でもなさそうな〝声〟が、届いてしまった。
『……申し訳……ありません……どうか……』
どうか、お許しを。
あの日の君によく似た、あの日の君より弱々しい、今にも死にそうに聴こえる〝声〟が、届いた。
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