第41話「田んぼと火①」

「お姉ちゃんっ」


 夏真っ盛り、数十メートル先で田んぼ道を歩く人物を見つけると、十歳のリンは無邪気に駆け出した。


「リンちゃんっ」


 長い黒髪、清楚な制服、落ち着いた表情にたっぷりと母性を滲ませ、筧スズは振り返る。


「おかえりっ」


「ただいまっ!」


 しゃがみ、手を広げた温もりの中に、リンは飛び込む。


 スズもまた、腕の中の希望を大事に撫でた。


 七歳差。


 リンはスズの胸に顔を埋めるのが好きだった。


 記憶の奥底にいる母親にそうされているような気持ちになるから。


 頬を撫でるその艶やかな髪が、尊敬すら覚える程美しいと思えるから。


 リンはいつも、スズの後を付いていった。


 しかし、スズの背中を追っていくうち、否応にも気付いてしまった。


 才能の差が、あまりに歴然としすぎているということに。


「姉になろうとするな」


 祓魔師の卵たちが訓練する道場で、リンはいつもそう言われた。


「あれは特別だ。真似しなくていい」


「でも、私だって出来ますっ」


 そう言い、小さな手に意識を集中させる。


 スズのように自由自在に武器を作り出せると信じて。


「おい、大丈夫か!」


 しかし、次の瞬間には気絶寸前のところを支えられ、担がれ、布団に寝かされる。


 スズもこの道を通ったのだと信じた。


 だから、この道は正解なのだと思っていた。


「筧の家は、長女はすこぶる優秀なのだがなぁ」


 ふすまの向こう、大人の人影が二つ。


「ああ、いかんせん妹が。霊気の総量が致命的に足りない。あれじゃ生涯かけても武器一つ作り出すので精一杯だ」

「無理に二人目なんか作らなければ良かったのに」

「そろそろ行くぞ。第二の筧スズを作れと上が急かしてる」

「はいはい。そんなのいるわけがないがな」


 リンが通ろうとしている道はその実、スズ一人だけのものだった。


 誰しもが持っていると思っていた資格は、自分には無いのだと悟った。


 リンはその瞬間から自分の存在を恥じた。


 お荷物のくせに、天才の姉に近づこうと努力してしまった。


 出来損ないのくせに、夢を見てしまった。


「私、祓魔師になれないと思う」


 真夏の太陽が田んぼの道を照らし上げる中、スズがリンの手を優しく引っ張って歩く。


「どうしてそう思うの?」


 スズはリンの気持ちを理解しようと顔を覗き込むようにする。


「才能、無いって言われた」


 リンは呟き、恐る恐る顔を上げた。


 スズは遠くを見ていた。


「リンちゃん、私思うんだ。祓魔師になることだけが人生じゃないって」


「え?」


 晴天の霹靂のようなスズのその一言に、リンは目を丸くする。


「確かに私たちはずっと期待されてきたけど、きっと道は他にもあるんだ」


「そう、かな?」


「そうだよ。中学に行けばわかると思う。人間は皆、自分なりの道を、幸せを探してるんだ」


 そのときリンは、目の前のスズが本物のスズではないような感覚を覚えた。


「きっと、何になっても良いんだ」


「お姉ちゃん」


「……ん?」


 一瞬の後、スズは立ち止まり、リンを見下ろす。


 リンはスズの視線を感じながら、たどたどしく口を開いた。


「お姉ちゃんの、幸せは、何?」


「え?」


「やっぱり、戦うこと?」


 リンは二つの足に視線を落としながら、返事を待つ。


「戦うこと、確かにそれもあるけど、本当は」


 リンは何かを察して顔を上げる。


 そして、リンのいつも淀んでいた瞳が少女らしく輝いた。


「本当は、お嫁さんになりたい」


「お嫁さん……!」


 リンの目の輝きは際限なく、世界そのものまで広がっていく。


「お嫁さんって、あのお嫁さん⁉」


「うん、あのお嫁さん」


 どこか達観を含んだスズの目は、健気に日差しを反射し続ける田んぼに向けられていた。


「素敵! リンもなりたい!」


「ふふっ、きっとなれるよ」


「好きな人、いるの?」


「えっ?」


 スズは目を見開いて驚き、上を見上げて唇に指を当て、次の瞬間には頬を赤らめて笑った。


「それはまだ、いないかな」


 そしてスズは、何かを思い出してふっと笑った。


「しばらくできないかもね」


「えー? そうなの?」


「任務で忙しいから。でも、好きな人ができたら教えるね」


「うん、約束ねっ」


 スズは田んぼを見ていたときと同じ目で、リンを見つめた。


「うん、約束」


 リンもまたスズの目をじっと見つめ、嬉しそうに歩き出す。


 リンには、スズの存在そのものが世界の何より頼もしいものに思えていた。


 ――スズを見上げるリンの目が黒く曇ったのは、それから約一年後のことだった。

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