なぜ日本では生きづらさとストレスを感じるのか
夜野帳
第1話
電車に乗っても道を歩いていても浮かない顔で歩く人が多いと感じる。
自分自身も同じ顔で通勤している。他者に優しい心遣いもできなくなってきている。心がゆとりもなくすり減っていくと感じる。
昔は日本人は礼儀正しく、親切だと多くの
国で認識されていたと記憶するが、今はどうだろう。そういった認識は薄れているんじゃないか。何年か前に満員の電車内の隣の車両でばたりと人が倒れたのにしばらく誰も気付かなかったことがあった。私の乗っている車両の大学生くらいの男の子達が「やばいよね、日本。冷たすぎん。」と言っていたのを鮮明に覚えている。若い子も感じる社会の無関心さ。
これはかなり危険な状態ではないだろうか。人との繋がりが薄れて、孤独を感じ、益々日本全体の雰囲気も悪くなり、やる気をなくし、経済格差も生まれ、治安も悪化が進む。
そもそも海外諸国の中でも日本の土地柄、人口が密集しているため、人と人の距離感が近い。パーソナルスペースがちゃんと取れていないだけでもストレスを感じるはずだ。
随分前にはなるが、8年ほど海外で生活する機会があった。その時は私自身の心は平穏で今とは大違いに思える。郷に行っては郷に従えというが、日本で生活している今の私は些細な事でイラつき続け、まさに現代の日本人を体現している。日々フルストレスを感じている。
海外生活で大半の時間は子育てに費やしたが、今振り返っても平穏な心をキープできていた。日本では赤ちゃん連れで電車に乗るのも一苦労だと思う。大声で泣く赤ちゃんを必死であやすお母さんに向けられる目線は常に冷ややかだ。妊婦さんも同じく優しさを受け取っていないと感じる。私も最初の妊娠時に、日本の通勤電車で多々怖い思いをした。サラリーマンが大きくなったお腹を押しのけて我先にシートに座る姿には殺意さえ覚えた。そのサラリーマンからは自分さえよければ、が溢れていた。
1歳になった娘を連れて、渡米と渡英したのだが、そこでは周りの方々の自然な助け合いと現地の方々の優しさに多くの幸せをいただいた。
ホームに行く際エスカレーターがないところだと、誰かが必ず手伝ってくれることに驚いた。困っている人に自然に手を差し伸べてくれる。
知らない人同士の挨拶も素敵だった。よく色んな方に話かけてもらって、子供には皆さんが優しく親切だった。
学校でもよくチャリティをやっていて、日本大震災の時は日本人の母親の集まりでお菓子やて手作り小物を出品し、寄付を集めたところ、現地の方々の温かい言葉と寄付をいただいた。
もちろん良いことばかりではないけれど。
私は当時、渡米の際は1軒屋の2階の部屋に住んでいて、気をつけてはいたが、子供の生活音が嫌なのだろう、よく下の階の人に棒でトントンされることや(下の住人にも赤ちゃんができて鳴り止んだ)、下の階の人がうさぎを飼っていてゴミ出しに失敗したのだろう、横の住人が間違えて我が家のドア前にゴミをぶちまけてきた。もちろん私は抗議に行き、下の階の住人に掃除をしてもらった。海外で住む人は正しいかどうかはさておき自分の意思を思い切りぶつけてくる。幼少期からリベートをするのが当たり前だからか。
日本人は理不尽をグッとこらえて、言いたいことを我慢する。それもストレスがたまる。
中華街でのパーキングでは日本の私が先に待ってましたは通用しない。よく中国人に取られていたし、大通りでは運転中大柄なアメリカ人にクラクションや中指を立てられ罵られることも多々あった。都心では友人がスリにあったり、私もバックを引っ張られたが未遂に終わった事もある。
新車を買って乗ったその日にレストランの駐車場で傷をつけられて泣いたこともある。泣き寝入りだった。日本なら防犯カメラだったり、警察を呼ぶだろう。そういったことはきっと相手にされないとどこにも言えなかった。嫉妬や気性の荒さを目の前にしても、子連れの私は保守的になって我慢した。
それでも広い土地や溢れる緑の景色がいつも心を豊かにしてくれていた。何かあれば自己責任という気が張った中でも自由に生きれるという開放感で心は豊かだった。私の住んでいた所が比較的治安もいい場所だったのもあり、さほど嫌な気持ちにはならなかった。
海外都心のカフェで家族で休日を過ごしていたら、いかにも路上で生活されてる人が近くに座った。不快な気持ちになってしまった自分が恥ずかしいと思える事を目撃した。若い男性がさっと前に座って、「何か困っていることはないかい?僕にできることなら。」と話始めた。2人は私達が店を出るまで話込んでいた。今の私なら、見ず知らずの人に話かけられることも不快に思ってしまう、裏があって騙しにきてるんじゃないかと。自分の心にゆとりがないことに気付く。
広い公園にはリスが駆け巡り、定期的にアイスクリームの販売車が公園だけでなく、家の前にも来てくれるのも気に入っていた。日本のように多くの娯楽はないが、その分、家族や友人との絆を大切に生きているなと思った。向こうのスーパーではピザやポテトフライを多くの方が手にしていて、そんなに家事を頑張る必要がないように思えた。外食か週末のBBQも主婦にはありがたい。日本人の食卓は手が込んでいる事が多い。頑張って当たり前も好きでやってる人以外はストレスだろう。
服装や体型も日本では生きづらい。体型は細くなければならないし、おしゃれでなくてもならない。美容医療も進んでおり、20代の若くて可愛い子達が韓国で色んな施術を受けて帰ってくる。肌は白くてはいけないし、シミもシワもない方がいいとされる。私自身もレーザーのシミ取りを好み通う。
海外では大抵の人は誰の目も気にせず、下着が浮き彫りのぴたっとしたレギンスと、お尻が隠れない、短いシャツを合わせていたり、タンクトップで胸周りが大きく開いていても平気だ。日本ではびっくりされる格好の人もいるし、日本ではあまり見ないくらいの巨体の方もはみだし肉など微塵も気にせず布少なめの水着を着ている。
白い肌は日焼けするとシミになるなど気にせず外気浴を楽しむ姿を多々見た。
日本では古来の考え、お客様は神様スタイルをまだ貫いている人もいる。色んなお店で怒鳴ったり、電車のホームで駅員さんに文句をつけたりもよく見かける。日本人は理不尽に耐えるだろう、言い返せないことをわかって言っている。カスハラという言葉が近年やっと出てはきたが撲滅には至っていない。海外の有名百貨店で買い物してる際、「私定時なの帰るわ、バーイ」と接客途中で放置もあったし、在庫を聞いても、そこにないならないでしょ、だしレジに並ぶシーンがあれば、「next」や丁寧だと「next、please」というところもあるが、郵便局も荷物の配達所もどのお店も必要以上の笑顔や親切はない。日本のように怒鳴っても屈強なガードマンが来てつまみ出されたり、裁判沙汰になるだろう。海外では容易に訴えられるのだ。人権を重んじられる働き手にとっては天国だ。
日本での買い物は愛想が良くて当たり前に、お客が甘んじる人が多く、上から目線で日頃のストレス解消するような人がカスハラしていると思う。
建築工事関係も期日や時間に正確な日本。海外ではいつまでもたっても工事が終わらないのもよく目にする。今日は雨だから、など無理をしない働き方なので作業の進みが遅い。
日本ではしてはいけない事、しなくてはいけない事、人の目が気になるという事が多すぎてストレスが多いと思う。
私も日本ではただただぼーっと過ごす時間もない。サブスクにたくさん入って、少しの時間もゆったり過ごさない選択をしている。
ストレスが多い原因の一つに日本人の妥協をしない追究心もあると思う。日本のラーメン、パン類筆頭にインスタントもここまで追究し続けて進化している国は他にないだろう。何にでも追究し続ける気質。アニメも海外でも大人気だ。日本人の追い込み気質によって作り出される究極の諸々は他国で類を見ず誇らしい。おかげで日本では不自由ない生活もできる。
未来を担う若い方々も、もし機会があれば、広い世界を見て見聞を広げて欲しい。
日本という国が外から見ていかに素晴らしいかも感じる。
勤勉で、我慢強く、理不尽を受け入れるタイプの方は特におすすめだ。
自分さえよければになっている人も元はそうでなかったのではないか。ひたすら真面目にやってきたが、社会で受ける理不尽に自身がまるでサンドバッグのように他者からのパンチを受け続けて自身の変化を気づかず日々を過ごすうちに目から光が消え、自己肯定感をなくして優しい心を失う。
まずは自分を大切にできる日を個々に過ごせて、心に余白を持ち、他者への思いやりも出てきて、日本の未来が明るくなるといいなと願う。
なぜ日本では生きづらさとストレスを感じるのか 夜野帳 @Yorutoba
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