2.「ちゃんぽん大王」と、ほろ苦い放課後

「邪魔すんなぁー!」



 もうやだ。扉を開けた途端、怒鳴られてしまった。


 私は谷垣、高校一年生。

 今日は文芸部でつくる『ご当地ちゃんぽんマップ』の取材で、

 岬の人気店『一番札所』を訪ねたんだ。


 新入部員だから仕方ないけど、

 本当は来たくなかった。


 店主は、部内で『ちゃんぽん大王』と呼ばれている。少しでも気に触ると怒り出す要注意人物で、先輩ですら手を焼いている始末。とにかく地雷だらけなんだよな。


 ……ああ、気が重い。なんで、よりによって私が。



「町おこし? くっだらん!」



 ほら早速、挑戦的な、吐き捨てるような物言い。

 怖ーい。どうしよう。



 けれどね、ぜったいに追い返そうとはしない。

 いままでだって、うち学校の取材を断ったことはないんだ。

 だから、そこは信用している。



 怖いけど、美味しいのは本当なの。



「言っとくが、俺はな、ひとの言うことは気にしねえ。評価なんかクソ喰らえだ!」



 この荒ぶった口調に反して、店のなかは穏やかで美しい。大きな窓ガラスと一枚板の大きなテーブルは拭き上げられ、きらきらひかる海を湛えていた。意外だ。


 でもね壁には、美観を損ねる「食べモグランキング」の手書きのポスター。無造作に貼り重ねられていて、四位から八位に落ちた、今月のグラフはひときわ目立つ。気にしないなんて、ウソウソ。めっちゃ、悔しがってるじゃん。笑っちゃう。


 その時、カウンター奥の鍋から、ふわっと蒸気が立ちのぼる。



「わぁ、いい匂い」

「あのな、うちのはな、ダシに秘密がある」



 店主はそう言いながら、なにやら作り始めた。



「あまぐり大王を三日煮込み、鯛と昆布を合わせて天然塩で仕上げる。鯛はな、三枚に下ろして、ガラを取り出す。炭火で軽く焼いてから煮出すのさ」



 秘密のはずなのにあっさりと。


 いいの?


 まぁ、大事なことって、往々にして

 軽々しい口から漏れ出るものなんだよね。


 それはさておき。


 麺はコシのある自家製。毎日打ってるんだって。すごいよね。湯切りして盛りつける所作は速すぎて追いきれない。私は慌てて写真を撮った。流れるような、あっという間の技だった。


「食ってけ!」


 驚いた。


 澄んだスープを纏う、もちもちの美肌麺。

 後から、鶏と鯛のコクがじわっと広がっていく。

 すごく上品なのに、なにこのパンチ力。



「うまいか?」


「うわ、おいしい!」


「だろ? 素材がいいからな」


「腕がいいからですよ!」


「ま、腕は普通。味変してみるか?」



 店主はそう言って、ちいさなスパイスが入った小皿を取り出した。

 ハバネロ。とびきりの辛い唐辛子だ。



「ひえー!」



 辛さが「ガツン」、口の中は大炎上。

 そこに「キリリ」、ライムの消防隊。

 クールに鎮火してくれる。


 甘美なビターチョコは、芳醇な異国情調の趣。


 癖になりそう。


 あー、荒っぽいのに繊細って、反則。

 でも、こういう子っているいる。

 妙に惹かれるんだよね。A組のあいつだ。


 これって、郷土の味なのか、

 それとも店主の心を映す幻影なのか。うーむ、謎を知りたい。


 ……やるな、ちゃんぽん大王。


「ふっ、高校生になにがわかる」


 店主はそう言い残し、奥へと消えていった。



「……珍しいな。親父さんが、味変を教えるなんて」



 隣のお兄さんが呟いた。

 親父さんって、呼ばれてるんだ。



「……やっぱり、息子さんのことかね」



 向かいのおばさまは、カウンターの上にある写真を見つめる。

そこに写るのは、若い男の子と一緒に、見たことのない笑顔を浮かべる店主。金髪にバンダナを巻いて、ちょっとヤンチャな感じ。だれなんだろう。



「あの頃は、高校出たばかりの息子さんと二人で。にぎわっとったね」



 その男の子、店主の息子さんなんだ。

 わたしは、いろんな話を聞いた。


 昔は街なかで息子とふたり、店を切り盛りしていたこと。

 店を巡る、些細な親子げんかから息子さんは家を出てしまったこと。


 ちょっとした、くだらない意地の張り合い。

 そんなことから、仲のいい親子は、離れ離れになってしまったんだ。



「それが、帰ってくるって矢先にね、バイク事故でなぁ」



 おばさまの声は、消え入りそうだった。

 親父さんが、“頑な”になったのは、それからだって。



「ここに移ったのは、バイク乗りのためでもあるんだ」



 ツーリングロード沿いにあるお店。少しでも事故をなくそうって願いからだったんだ。ここのカーブは事故が多いからね。



「知らなかった」



 うまく言えないけど、荒ぶる言葉の内側を見た気がした。

 透明なスープの底、澱みのように積もる悲しみを。



「あれ、親父さん、どこ行ったの?」

「また、鳶見てるんじゃないか?」



「トビ?」



 店の外に出てみると、いた。

 店主は鳶を見る達人らしい。



「ピー、ヒョロロロー」



 澄んだ空を裂くように、とんびの声が響く。



「鳶はな、獲物を狙う時、こうやって大きく弧を描く」


「じゃあ、いま何か狙ってるんだ」

「そう。森の雛に持ち帰るためにな」



 大空を舞う鳶を見つめる眼差し。

 後悔、懺悔、それとも祈り。

 その顔は、あの怒号の主ではなく、

 遠い空を見つめる、優しい父親の表情だった。



 その姿、息子さんに見せたいと思った。

 もしかしたら、ご主人も同じ気持ちで空を見上げてきたのかもしれない。



 私も一緒に、いつまでも大きな弧を描く鳶を見つめていた。



 さて、困った。



 取材を終えて、この顛末をそのまま書いていいのかどうか、わからなくなった。胸に仕舞い込んだ大切な思いを、子どもの私が、軽々しく書いていいものかって。


 それでも、締め切り間近。相談なんかしていられない。

 書かないわけにはいかないけど、記事を書くって大変。人生に触れることだって気付かされたからだ。



 で、悩んだ末に、こう書いたんだ。



「ちゃんぽん一番札所は、ムカッ腹の一番札所。ケンカ覚悟でぜひどうぞ。口の悪い最低の店主が作る、最高の自家製スープを召し上がれ!」



 案の定、すぐさま怒りの電話が入ったみたい。

 予想通りだ。


 謝りに行きますとも。何度でも。

 ちょっと苦い放課後。



 でもね、ずっとこころに残る、心地いい苦さだった。

 わからないけど、たぶん大人の味って、こんな感じのかな。




 きっと誰にだってある、甘酸っぱくて、辛くて、苦い放課後。

 ごちそうさま。


 青春って、味濃いめ。

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あまから乙女のほろにが帖 六花栗 @rokka_kuri

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