あまから乙女のほろにが帖

六花栗

1.甘酸っぱい「きなこ雪」

「はぁ、階段きつい」

「ふーっ……でも、いい眺めだよ」



 渡船が泳ぐ漣は、きらきら輝いていた。

 首筋を伝う汗も、きらり光った。



 夏の終わりの微風が、少しだけ熱った体を冷ましてくれる。私は同じ文芸部の男子を誘って、高台のカフェ『ちっちゃな人魚姫』へとやってきた。



「課題のスケッチを手伝って!」



 そういう口実だけど、半分は……嘘。

 課題はウソじゃないよ。まあ、きっかけに過ぎない。

 彼とふたりっきりになるためだ。



 じつは、今日こそ彼に告白しようと思っている。花火の日、付き合っていた子と別れたって、後輩に聞いちゃったせい。



 ユーガッタチャンス!

 ああ、これは運命だよ、君。



 ただ、向かいの海はカップルだらけだし、学校近くの商店街なんて論外。人目を避けるなら、このカフェ一択。美味しいものがあるし、なにより店名が素敵。



「人魚姫みたく、王子様に出会うの」



 なぁんて。



 観光客くらいしか来ない静かな場所で、大好きな『わらびもち』と一緒に恋を語る。我ながら完璧な計画だと思っている。



「いらっしゃませー!」

「わーっ、ステキ!」



 海を望む書斎風のお座敷に、

 ちゃぶ台のような机が点々と置かれている。

 先客は話に花を咲かせ、賑やかだ。


 もともと空き家だった古い住宅を改修したらしく、

 一朝一夕にはできない鄙びた風情に心奪われた。


 こんなロケーション、なかなかあるもんじゃない。

 課題に持ってこいだし……もちろん告白にも。



「あれ?」



 彼が怪訝な表情をした。



「何?」



「なんか、知ってる子がいた気がして」



「えっ誰?」



 見渡したけど、いない。



「勘違いかな?」

「ま、気のせいね」



 あんなに下調べしたんだ、知ってる人なんてとんでもない。

 ……ひとまず安心。



「わたし、わらびもち!」


「僕、みたらし」



 げっ。

 彼は辛党、私は甘党。

 ……そうなんだ。



「僕は渋めが好きだからさ」



 ニヤリ、文豪気取りで微笑む彼。

 ガクリ、落ち込む私。

 すれ違う現実。何も言えなかった……残念。


『わらびもち』を一緒に食べる夢は叶わなかったけど、いいんだ。

 大事なのはそこじゃない。



「井伏鱒二って、こんな感じでどう?」



 父に借りた万年筆を手に真剣な顔でペン先を見つめる彼。

 その仕草、グッとくる。

 ほんとはもっと、丸っこいおじいちゃんなんだけどね。


「うん、いいと思う」


 私は平静を装い、サラサラ適当に描き上げながらも、文豪気取りでポーズを取る彼の姿にときめいていた。この時間がずっと続けばいいのに。


「できた!」


 手前に文机、後ろに書棚。お決まりの本の山を書き足す。瀬戸内の陽光に照らされるシルエット調の肖像画を描いてみた。



「渋いね、いいよこれ」

「うわぁ、ほんと。ありがと!」



 課題のテーマは、郷土作家の肖像画。

 自分の好きな場所を背景に描くんだ。みんなだいたい湊かなえか、林芙美子になるだろうし、あえて渋いところを狙ってみた。


 けど、本番はこれから。言えないけどね。



「お待たせしましたー」



 来た来た。彼のみたらし団子と、



私の、『わらびもち』。



 黒糖色に透けて、私の気持ちも伝わればいいのに。ここの『わらびもち』は、蕨の根っこからとった本わらび粉を使っていて貴重だ。ああ、ぷるんと弾む舌触りのときめき。わらびの濃厚な香りと一緒に食べたかったな!



「はい、あーんして」



 お互いにスプーンで食べ合うの。何言ってんだ私。もうヘンタイだ。


 でも、こんなに褒め称えておいてなんだけど

 ひとつ、注意しなければならないことがある。



 それは、「き・な・こ」。



 お皿いっぱいに盛られた『わらびもち』のきなこだ。

 そして、扇風機の存在。こいつは厄介。

 さらに、今日は凪。


 エアコンはないから、つい、扇風機を使いたくなるだろう。

 その先は言うまい。

 不注意ひとつで大惨事、まさに爆弾だ。


「わー、ママ。暑いよ!」


 ほら早速、危険因子。

 子どもがぐずり出した。


「じゃ、扇風機つけよっか」


 ヤバ。隣の親子、一応注意しとこう。


「あら、ごめんなさいね、気づかなくて」


 セーフ。間に合った。


 汗で髪がくっつきそう。直さなきゃ。

 だって、今日は誰かのためにメイクした、特別な日なんだから。


 スカートは膝丈を少し短めに、ピンクのリップで艶っぽく。

 軽い巻き髪で、エレガントさもプラス。


 いま、私は彼とデートしているんだよね。



 事実上。



 花火大会にライブの思い出ばなし。

 確実にふたりの距離は縮まっている。ドキドキ。

 わらびもちで、心を落ち着かせよう。



「あー美味しい!」



 今日はひときわ。

 口の中でぷるぷる震えて、胸の鼓動が高鳴っていく。



「ドキドキ」



 落ち着こうと思ったのに、

 逆に急かされているみたい。



「はやく言ってしまえ」って。



 そうか、そういうタイミングっていまなのか。



 でも、こわい。



 待てよ。

 幸運の女神は、前髪しかないっていうじゃないか。



 そうだ。

 告白の女神が、舞い降りたんだ。



 そうか、えいっ!



「あ、あのね……わたし、き、きみが」



 その時。



 別のなにかが、舞い降りた。



「おー! 天野じゃん!」



 心臓が止まりそうになった。



「げっ、唐木田!」


 なぜか、同級生が仁王立ち。



「なんでここに!」


「わたし、アルバイトしてんの!」


 なんてこった……バイトって。



「ここ暑くない? 扇風機つけたげる!」

 ――カチリ。



 唐木田は無邪気な笑顔で、スイッチを押した。



「どうなるかくらい店長に聞いとけ!」



 間に合わなかった。

 すべて水の泡って、初めての経験。



 吹き付ける「きなこ」の真白な吹雪。

 瀬戸内にも、こんな雪が降るなんてね。


 現国の授業だ。太宰の『津軽』には七つの雪があると習ったけど、

 わたしなら迷わず「きなこ雪」だろうね。



 お気に入りの洋服が、

 メイクが、

 ぜんぶ、きなこ色に染まっていく。


 吹雪の向こうから聞こえる、彼の高笑い。



 願い叶わず消えていった、無惨なあたし。

 鼻の奥にきなこの匂いだけ残して、夏は過ぎていった。


 甘い香りの、酸っぱい思い出ね。

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