第11節~兆し①
放課後のブザーが鳴ると同時に、2-1の教室の扉が勢いよく開いた。
「放課後だ!晴花、行くぞ!」
伊武の声が響き、一気にざわめく。
「伊武先輩……?」「応援団の人じゃない?」「なんで晴花?」
そんな小声が、クラスの隅々にまで広がっていく。
突然の来訪に目を丸くした晴花は、慌てて立ち上がった。
「景秋くん!?」
驚きながらも、晴花は「待って待って!」と慌てて荷物をまとめ、隣の天音に「行ってくる!」と声をかけて駆け出す。
女子数人が心配そうに晴花を見送り、天音の方へ視線を向ける。
天音は苦笑しながら「大丈夫だよー」とジェスチャーを返した。
その仕草に、クラスの女子たちも少しだけ安堵の息をついた。
校舎の玄関を抜けると、霧島先生がすでに車を回して待っていた。
灰色のセダンが西日を反射し、車体の影が長く伸びる。
「遅かったわね。もう行きましょう」
霧島先生が短く言い、助手席のドアを開け、晴花が滑り込む。伊武は後部座席へ。
「じゃ、行ってくる。進展があったらすぐ連絡する」
伊武が言うと、天音は頷いた。
「宵雨先生が話を聞いてくれるといいね」
「うん。おじいちゃんなら、きっとわかってくれると思う」
晴花は制服の袖を整えながら、少しだけ背筋を伸ばした。
霧島先生がハンドルを握り、車が静かに発進する。
ウィンドウが下がり、伊武と晴花が親指を立てて見送る仲間に合図を送った。
静寂堂──対話の扉
静寂堂の扉は重く、開けるたびに軋む音が響いた。
中へ足を踏み入れると、空気が一段階静かになる。
書架が並ぶ廊下の奥、窓からの光が薄く差し込む部屋の隅に、宵雨が静かに座っていた。
白髪を束ね、深い皺のある顔。
その目は、伊武たちの姿を捉えるとすぐに立ち上がった。
「来たか。話は聞いている。遺物の件だな」
霧島先生が一歩前に出る。
「昨日、瞑想室で演奏の試みがありました。
ピアス先生の演奏は確かに響いた。けれど、他の生徒たちは、生理的に演奏ができないことが改めて分かりました」
晴花が続ける。
「それでも、あの音を広めたいんです。
だから、旧校舎の倉庫にある“遺物”を見せてもらえませんか?」
宵雨はしばらく黙っていた。
その沈黙は、拒絶ではなく、何かを測るような静けさだった。
晴花の言葉が空気に沈み、伊武の拳がわずかに握られる。
やがて、低く深い声が響く。
「……あれは、異界の来訪者が残したものだ。
長い年月の中で、多くの者が触れようとしたが、誰一人使いこなせなかった。ゆえに、封印した。だが、“音を鳴らした者”が現れたというなら、話は別だ」
伊武が息をのむ。
宵雨は机の引き出しから、重厚な鍵束を取り出し、そっと置いた。
「明日、私も立ち会おう。倉庫を開ける。
ただし——触れるのは彼だけだ」
「ピアスくん、だけ……?」
晴花の声がかすかに震える。
「そうだ。“音”はこの世界の構造をわずかに歪める。君たちはまず、それを“記録し、観察”しなさい」
晴花の目に、静かな光が宿る。
「……ありがとうございます。絶対に、無駄にはしません」
霧島先生が深く一礼した。
「理事長、ありがとうございます。明日、倉庫の前でお待ちしています」
「よかろう」
宵雨は微笑むことなく、ただわずかに目を細めた。
その声は低く、しかし確かに響く。
「音は、世界を揺らす力を持つ。
それを扱う者、深く関わる者は――その重みを理解し、責任を持たねばならない」
再び沈黙が降り、静寂堂の深さをさらに震わせていた。
――しかし、この時、宵雨でさえも予想しきれぬ事がすでに起きていた……。
同時刻──響千学苑・瞑想室
瞑想室には、昨日の空気がまだ残っていた。
天音はノートを広げ、昨日の記録をまとめていた。
指の震え、喉の閉塞、呼吸の浅さ——演奏を試みた際の身体の反応を、丁寧に言葉にしていく。
ピアスは窓際に座り、ギターを膝に乗せていた。
弦には触れず、ただ空気の反響を確かめるように、指先を静かに浮かせている。
八雲は壁際に立ち、腕を組んだまま言った。
「昨日のこと、記録する意味あるか?」
声は静かだが、どこか突き放すような響きがある。
天音はペンを止めずに答える。
「意味はあるよ。できなかったことを、ちゃんと言葉にして残しておかないと、誰にも伝わらない」
八雲は肩をすくめる。
「まあ、当たり前だろ。演奏なんて、俺たちには無理なんだ。 理屈の上じゃ、鳴るわけない」
その言葉に、真冬が顔を上げた。
彼女は壁際で静かにノートを読んでいたが、ふと立ち上がる。
「……ねえ、私も、やってみてもいい?」
天音が少し驚いたように目を見開く。
「真冬ちゃん……本当に?」
ピアスはギターを抱え直し、そっと立ち上がる。
「じゃあ、教えるよ。構え方から。無理しないで、ゆっくりでいい」
真冬は頷き、ピアスの前に立つ。
ピアスは彼女の手を取り、ギターのネックに添えさせる。
「まず、左手はここ。指を立てすぎないように。力は抜いて」
真冬は深呼吸し、両手をゆっくりと伸ばす。
弦の上で指が止まり――小さく、震える。
「……っ……!」
喉が詰まり、息が浅くなる。
だが、完全には止まらなかった。
彼女の指が弦に触れた瞬間、ひときわ淡い“音”が、ほんの刹那、空間を震わせた。
ピアスが目を見開く。
「……鳴った……?」
八雲が壁から離れ、眉を寄せる。
「……今の、真冬ちゃんが鳴らしたの?」
天音が囁くように発する。
その音は微弱で、すぐに空気に溶けた。
だが確かに、「意志によって鳴らされた音」だった。
真冬はまだ指先を見つめている。
弦の感触が、痛みのように残っていた。
「……すごい……ほんの少しだけど、動いた。
身体が止まらなかった……」
八雲はしばらく黙っていたが、やがて低く呟いた。
「……じゃあ、次は俺が“鳴らない”ことを証明してやるよ」
天音と真冬が視線を交わし、わずかに笑った。
ピアスは何も言わず、ギターを差し出す。
八雲は受け取り、構えた。
呼吸が浅くなる。指が震える。
——けれど、止まらなかった。
一本の弦が、確かに鳴った。
真冬のときよりも、はっきりとした音。
短く、鋭く、空気を切り裂くような響きだった。
瞑想室の壁が、わずかに震えた。
空気が反応し、音を返す。
それは、世界が“演奏”として認識しかけた瞬間だった。
ピアスが目を見開く。
「……今のは……!」
天音が思わず立ち上がる。
「八雲……今の、完全に音だった……!」
八雲はギターを見下ろし、震える手を見つめる。
指先が熱を持っていた。
「……わかる。今のは……“鳴った”って、はっきり感じた」
天音は、八雲の手元を見つめる。
「八雲の身体は、拒絶されていないってこと……?」
真冬が呟く。
「拒絶の仕組みが、“定義できていない”……のかも」
天音はノートを閉じ、言葉を噛みしめる。
「つまり……遺物に触れられる可能性があるってこと?」
八雲はギターを膝に置き、深く息を吐いた。
「……可能性?そんな都合のいい話、あるのかよ。でも……」
ピアスは静かに頷いた。
「可能性じゃない。今の音が、それを証明した」
瞑想室には、昨日とはまるで違う空気が流れていた。 空気は静かに震え
それは、音が生まれる前の、確かな予兆だった。
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