第7話 犯人

#7犯人


有珠の指示で別室に移された幸は、そこで自分の対応をひたすらに後悔していた。


──なぜ、指紋採取キットなんて持ち歩いていたのか?


──なぜ、あんな探偵ごっこを始めてしまったのか?


──なぜ、もっとしっかりと反論しなかったのか?


問いは次々と浮かび、どれも答えは出なかった。

幸は、部屋の扉をぼんやりと見つめる。


鍵はかかっていない。

だが、「出ないように」と言われている。

次に扉が開くとき、それは──自分が“犯人”として確定した瞬間なのだろうか。


幸は、処刑を待つ囚人の気持ちが、少しだけ分かった気がした。


だが、このまま冤罪を被せられるわけにはいかない。

何か、反論の糸口を見つけなければ──。


思考を巡らせる中で、ふと、あることに気がついた。


──そうだ。そもそも、生徒が回答を盗むメリットなんて、ほとんどないじゃないか。


予備校の成績は、内申に反映されるわけでもない。

むしろ、成績を改ざんすれば、自分の実力に見合わない指導を受けることになり、かえって不利になる。

もちろん、上位クラスに入りたいという動機があれば別だが、それにしてもリスクの方が大きい。


そう考えると──生徒が犯人という線は、かなり薄いのではないか?


では、教師か? それとも、警備員?

いや、まさか……。


そのとき、幸の脳裏に、ある名前が浮かんだ。


──雅 有珠。


彼女は、あのとき確かに言っていた。

「両親に不甲斐ないところは見せられない」と。


──両親を安心させるために、テストの成績を良くしようとした。

──そのために、回答を盗んだ。


そんなストーリーが、脳内で鮮やかに組み上がっていく。


(……この考えは、それなりにインパクトがある。説得力も、ある)


そう思った幸は、さっそく“扉が開いた瞬間に指を差す”イメージトレーニングを始めた。

右手を軽く構え、肘の角度を調整しながら、心の中でリハーサルを繰り返す。


──そのとき、彼はまだ知らなかった。


扉の向こうで、すでに別の“真実”が動き始めていることを──。





一方、有珠は残された四人から質問を受けていた。


教師が口を開く。


「雅さん。君は、本当に彼が犯人だと思うのかい?」


「いいえ。思いません」


有珠は、はっきりと答えた。


「私の考える犯人は、別にいます」


その言葉に、室内の空気がわずかに揺れた。


「じゃあ、一体誰が?」


四人のうちの誰かが、そう問いかける。


有珠は、ゆっくりと話し始めた。


「今回の事件の犯人は、監視カメラの死角を理解している人物。そして、映像の設定に手を加えられる人物です」


教師が、なぜそう思うのかと尋ねる。


有珠は無言でブラウン管テレビの前に歩み寄り、ボリュームを最大まで上げた。


──ガチャ!!!


扉が開く音が、大音量で室内に響き渡る。

四人の心臓が、一斉に跳ねた。


教師が慌てて言う。


「音が大きすぎますよ! なぜここまで音を上げる必要があるんです?」


有珠は、人差し指を口元に当てて、静かに言った。


「音です」


同じセリフ。だが、今度は意味が違っていた。


教師は、先ほどと同じように耳を澄ませる。

すると──扉の音と紙を漁る音の間に、何か別の音が混じっていることに気づいた。


風が吹くような。

タイヤの空気入れを高速で上下させるような。

細く、震えるような音。


有珠が言う。


「それは、犯人の呼吸音です」


教師が、思わず聞き返す。


「呼吸音……? でも、これはどこか……」


違和感がある。そう言いかけたところで、有珠が言った。


「この映像は、早回しになっているんです」


室内に、衝撃が走る。


「先生。たしか、この映像は二十二時三十分頃のものだとおっしゃいましたね?」


教師はうなずく。


「ええ……たしかに、そうです」


「ですが、明確な時間表示がされていたわけではなく、録画開始から犯人が映るまでの時間経過で判断していたのでは?」


教師は、少し戸惑いながら答える。


「そう……ですね」


有珠は、静かに言葉を重ねた。


「であれば、この映像の時刻は──二十三時三十分頃でしょう」


「なぜ、そんなことが分かるんだい?」


そう言いかけた教師に、有珠は即座に答えた。


「VHSレコーダーの“三倍速録画機能”です。

テープの回転数を三分の一に落として、画質と引き換えに長時間録画できるようにする機能ですが──

そのテープを通常再生すると、音や映像が早送りになる場合があります。

つまり、一時間半分の映像が、三十分の録画として残るということです」


そして、静かに続けた。


「犯人は、時間帯を偽装するために、ゆっくりと動き、ゆっくりと音を立てた。

早回しであることを気づかせないために。

……でも、呼吸音だけは、ごまかせなかった」


教師が、なおも疑問を口にする。


「でも、それなら、途中まで三倍速録画にして、部屋に侵入するタイミングで通常録画に切り替えたほうがいいんじゃないか?」


有珠は、首を振る。

「たしかにそうです。ですが、呼吸音の異常さから見て、この映像は早回しであると判断できます。

……ここから先は、本人を交えて直接お話しするのがよろしいかと」


そう言うと、有珠は、ゆっくりと警備員の方へ向き直った。


「ねえ、答えていただきたいの。──二階 堂十郎さん」


名前を呼ばれた警備員は、もの悲しげに、ただそこに立ち尽くしていた。


その姿は、まるで──

すべてを見届ける覚悟を、すでに決めていたかのようだった。

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