余命1年の僕から君に
カロリー爆弾
第1話 君だけには言えない
「あなたの余命は……あと一年です」
医師の声は、妙に乾いて聞こえた。
「ガンが思ったより進行しています。実際には……九ヶ月ほどでしょう。痛み止めは出しておきますが……」
頭が真っ白になった。
……一年。いや、九ヶ月。
そんな数字で、俺の人生は区切られてしまうのか。
隣に座っていた母・里穂は、声を押し殺して泣いていた。
父・茂は唇を固く結んだまま、医師に何か質問しようとするけれど、言葉にならない。
妹の天子は、まだ何も知らない。
俺はただ、笑おうと決めた。
どうせ残り少ないなら、普通の高校生活をやり切ってやろう。
せめて、藤守和香奈――俺の彼女には、最後まで笑顔だけ見せていたい。
翌朝。
教室のドアを開けると、見慣れた笑顔がこちらに向かって手を振ってきた。
「おはよ、伊織!」
藤守和香奈。俺の彼女。
茶色がかった髪を肩で揺らしながら駆け寄ってくる姿は、周囲の男子の視線をさらってしまうくらい眩しい。
「お、おはよう」
なるべく普段通りに返す。
「ねえ聞いて! 今朝さ、電車で席ゆずられちゃったの! まだおばさんに見える年じゃないのに〜!」
和香奈は頬をふくらませながら、俺の隣の席に腰を下ろす。
「……そりゃまあ、寝癖がひどかったとか?」
「ひどいっ!」
小さな拳で俺の肩を軽く叩く。
その仕草に笑ってみせたけれど、胸の奥はチクリと痛んだ。
(俺はあと一年も隣に座っていられないのに――)
「ほら、真面目に聞いてよ!」
「はいはい、そうだな。多分あれだよ、和香奈があまりにも可愛いから“席譲らなきゃ!”って思わせたんだ」
「……っ、なにそれ」
和香奈は耳まで赤くして、ノートで俺の顔を隠した。
周囲の友達が「おーい、いちゃつくなー!」と冷やかす。
俺たちは付き合って半年。クラス公認のカップルだから、もう隠す必要もない。
けれど、俺の胸の奥にはずっと隠し続けるものがある。
放課後。
和香奈と一緒に駅まで歩く。夕陽が伸ばす影が、俺たちを寄り添わせるように重なっていた。
「ねえ伊織、次の休みに映画行こうよ!」
「いいけど、何見るんだ?」
「恋愛映画! 絶対一緒に泣けるやつ!」
「……いや、俺は泣かないから」
「うそー、伊織って意外と泣き虫でしょ? 去年の文化祭で劇やったときも泣いてたし」
「……あれはお前のせいだろ」
「えへへ、覚えてた?」
和香奈が笑う。俺もつられて笑ったけれど、その裏で数を数えてしまう。
(あと二百七十日……)
「ん? どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「ふーん? なんか隠してる顔だな〜」
「……隠してない」
「ならいいけど」
彼女の何気ない一言に、心臓が跳ねた。
俺は一生隠し続けるつもりだ。最後のその日まで。
夜。
自宅のリビング。母はまだ泣き腫らした目で夕飯を並べている。父は黙々と酒を飲んでいる。妹の天子だけが事情を知らず、「お兄ちゃん、唐揚げとってー!」と無邪気に笑っている。
「……いただきます」
家族四人での食卓。
この当たり前が、当たり前じゃなくなる日が来る。
「伊織……学校は、どう?」
母の声は震えていた。
「普通だよ。和香奈も元気だし」
「そ、そう……よかった」
母はそれ以上、言葉を続けられなかった。
夜、自室。
ベッドに横たわり、天井を見つめる。
(あと一年……いや、九ヶ月)
(どう生きればいいんだろうな、俺)
答えは出ない。
けれど一つだけ決めている。
――和香奈には言わない。
彼女には最後まで「普通の彼氏」でいたい。
スマホが震える。和香奈からのメッセージ。
《今日はありがと! 伊織といると楽しい!》
その一文を見て、俺は小さく笑った。
「……俺のほうこそ、ありがとう」
声にならない呟きが、夜の静けさに溶けていった。
第1話 完
余命1年の僕から君に カロリー爆弾 @karori-bakudann
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