第13話 終焉と旅立ち
――世界が、白く塗りつぶされていた。
光線が過ぎ去った後のレムナスは、瓦礫の山と、焼け焦げた石と、立ちこめる白煙だけが残っていた。
石畳は抉れ、崩れた講堂の尖塔は途中から折れ、
聖都を象徴するステンドグラスは粉々に砕け散り、虹の欠片のように地面に散乱している。
その中心で。
リヴィアは、仰向けに倒れていた。
黒い軍服は焼け爛れ、布と皮膚の境界が曖昧になっている。
剣を握っていた指は痙攣し、息はかすかに、引きつるように上下するだけだった。
(……まだ……終われ……ない……)
声にならない声で、心だけが抗っていた。
目の前には、光の翼を背負ったセリウスが立っている。
天血解放――
天界の血を無理やり引きずり出した、暴走状態。
白く光る瞳からは、もはや理性の色はほとんど失われていた。
「リヴィア……」
かすれた声が漏れる。
まだ彼女の名を呼べるだけの“彼”は、そこに残っている。
だが、右手の双剣は、確かに彼女へ向けられていた。
「…これ以上は…逃げろ、リヴィア…」
その光が、再び収束していく。
リヴィアは、震える腕を少しだけ持ち上げた。
剣はもう、重さすら感じないほどに感覚が遠い。
(あ……今度こそ……)
十年前と同じだ、とふと思う。
エルデナの炎。
崩れた白の塔。
伸ばした手の先で、すべてを失っていったあの日。
(……私、あれから何をしてたんだろう)
思考が、途切れかける。
――その時だった。
「“アーク・シールド”!!」
轟音とともに、リヴィアの前に巨大な炎の盾が展開された。
紅蓮の壁が、セリウスの光線を正面から受け止める。
光と炎がぶつかり、爆風が路地を吹き抜けた。
「……グレイ……」
薄れゆく意識の中で、リヴィアはその背中を見た。
黒の軍服の上に防御用マントを羽織り、大剣を地面に突き立てている。
その横には、魔導端末を両手で操作し、補助陣を展開するエレナの姿。
「出力限界です! これ以上は――」
「いいところまで持てばいい!」
グレイは歯を食いしばる。
炎の盾がきしみ、ところどころひび割れを起こす。
「……グレイ?」
一瞬、セリウスの瞳が揺れた。
光に侵されつつある、最後の理性が軋む。
「セリウス!!」
グレイが叫ぶ。
「そこにいるのは“天界人”じゃなくて、お前自身だろ!!
エルデナで一緒に笑ってた、お前だろうが!!」
その声が届いたのかどうか。
セリウスは苦しそうに頭を押さえ、光に満ちた瞳をぎゅっと閉じた。
「……うる、さい……」
「もう理性が…。」
「うがぁぁぁあああああ……!!」
叫びと共に、光が一瞬暴発する。
炎の盾が粉々に砕け、衝撃波が路地一帯を吹き飛ばした。
グレイもエレナも弾き飛ばされ、転がりながら体勢を立て直す。
だが――その爆発を境に、セリウスを包んでいた光の奔流は、少しずつ細くなっていった。
「……く、そ……」
肩で荒く息をしながら、セリウスは膝をつく。
光翼は欠け、双剣の輝きも弱まっていた。
体のあちこちに亀裂のような痕が走り、そこから漏れる光が徐々に収束していく。
「くっ……まだ制御が……」
セリウスは舌打ちし、リヴィアを見下ろす。
瀕死の少女。
痙攣する指。
それでも、彼女はまだ剣を手放していない。
「……リヴィア…。もう戦場で会いたくないよ。」
その呟きだけは、昔と同じ声音だった。
セリウスは一歩、後ろに下がる。
「今回は、引くよ」
「隊長の遺志も、カイゼンさんの選んだ未来も……
ここで全部潰すわけにはいかないからね」
視線の先には、瓦礫の影からこちらを伺う革命軍の残党たち。
撤退の合図を待つ目だ。
「グレイ。…リヴィアを頼む…」
それだけ告げると、セリウスは光を纏って跳躍した。
「くっ。都合の良い奴め、変わらないな。」
瓦礫を蹴り、崩れた塔の影へと消える。
後を追うように、革命軍の影も次々と闇へ溶けていった。
レムナスの空には、光の残滓だけが薄く漂う。
⸻
カラムの最期
「……っつぅ……!」
近くの路地から、押し殺した呻き声が聞こえた。
「カラムさん!!」
「まだ喋らないで!」
エレナが駆け寄ると、
そこには血だまりの中で横たわるカラムと、
肩を抑えながら座り込むネロ、
壁にもたれかかるアシュとリズの姿があった。
カラムは腹部を押さえ、その手の隙間から絶えず血が滲んでいる。
既に応急処置は施されているが、
明らかに、もう“軍医に任せれば何とかなる”段階ではなかった。
「カラムさん、すぐに後送します。ヘリは――」
エレナが通信端末に手を伸ばす。
「……やめろ」
カラムが掠れ声で制した。
「この出血じゃ……乗る前にくたばる」
「バカ言わないでください」
アシュが額に汗を浮かべながら怒鳴る。
「俺たちまだ、何も――」
「アシュ」
リズが彼の腕を掴む。震えていた。
「……リヴィアは?」
グレイが頷き、振り返る。
エレナがリヴィアのもとへ駆け寄り、治癒補助の魔術具を展開する。
「命は……繋ぎます。ここで失わせはしません」
「……そうか」
カラムは、いつものように目を細めて笑った。
「お前ら……よくやった」
「カラムさん……」
ネロの声が震える。
「リヴィアは……泣いてねぇか?」
「まだ、意識が……」
グレイが答える。
「なら、そのままでいいや……
泣かれたら、行きづらくなる」
冗談めかした言い方なのに、声はあまりにも弱かった。
「俺はな……」
カラムは、視線を空へ向ける。崩れた講堂の向こう、灰色の空。
「帝国軍に拾われて……
“生きる意味”とか“正義”とか、そんな大層なもんは、
よく分かんねぇままここまで来た」
「でもな」
近くにいたアシュ、リズ、ネロ、
そして少し離れた場所で治療を続けるエレナ、
その背中越しに横たわるリヴィア。
全員の顔を、一人ずつ見るように視線を這わせる。
「黒翼に来てから、ちょっとだけ分かった気がしたんだよ」
「俺は……“自分で選んだ部下の背中を、最後まで見送る”ために……
ここまで生きてきたんじゃねぇかなって」
「やめてよ……そんなの、笑えないわ」
リズが唇を噛む。目が潤んでいた。
「俺は……ずっと助けられてばっかで……」
アシュがうつむく。
「まだ……何も返せてねぇのに……」
「はは……返さなくていい」
カラムは、弱々しく笑う。
「お前らが、生きて……好きに選んでいけば、それでいい」
ネロは、無言でカラムの腹部に手を置いたまま、
血塗れの眼鏡の奥で、ただ何かを堪えていた。
「……グレイ」
カラムが呼ぶ。
「ここで死ぬのは……俺だけで十分だ。
お前は、ちゃんと目的を果たせよ!」
「分かってる」
グレイは短く答えた。
その声には、怒りと悔しさと、かすかな敬意が混じっている。
「リヴィアにも……言っといてくれ」
「……なんて?」
「お前はもう前に進む理由を見つけてると…。」
口元が、くいっと上がる。
「……それと」
カラムは空へ向けて手を伸ばそうとしたが、途中で力が抜けた。
代わりに、指先だけがわずかに動く。
「悪かったな。
いつも通り……“前を開けてやる”って約束してたのに……
最後くらい……誰かに……」
「カラムさん!!」
アシュが叫ぶ。
その声が終わるより先に、
カラムの胸の上下は、静かに止まった。
風だけが、石畳の上を抜けていった。
⸻
黒翼の撤退
「……撤退する」
沈黙を破ったのは、グレイだった。
「ここに留まれば、帝国と革命軍、両方の追撃に飲み込まれる。
レムナスのことは……もう、帝国と聖理協会の問題だ」
「でも……」
リズが声を上げる。
「カラムさん、ここに……」
「必ず戻る。今は、カラムの死を無駄にしない方が先だ」
エレナが、震える声を押し殺して言う。
「負傷者を抱えて戦える状況じゃありません」
ネロは無言のまま、カラムの目をそっと閉じた。
「……行きましょう。
カラムさんは……きっと『さっさと行け』って言います」
アシュは拳を握りしめ、何かを飲み込むように頷く。
リヴィアは簡易担架に乗せられ、
エレナの魔導装置と応急処置で辛うじて命を繋ぎとめていた。
「……絶対に、死なせませんから」
エレナが、小さく呟く。
黒翼の影は、倒れた隊長をその場に残し、
レムナス聖都から静かに姿を消した。
聖堂の鐘楼は折れたまま、
誰も鳴らす者がいないまま、
煙の向こうに沈んでいく。
⸻
対峙 ― 軍務部統括レイリット
それから数日後。
帝都グランドアーカム。
軍務部統括レイリット大将の執務室。
重厚な扉が、ノックもなく乱暴に開かれた。
「レムナス作戦について――説明をいただきたい」
グレイが一歩踏み込み、まっすぐレイリットを見据える。
鋭い眼光を持つ老将は、書類から視線を上げ、僅かに眉をひそめただけだった。
「礼儀を忘れたか、少佐」
「こちらも、人を一人失いましたので」
一瞬だけ室内の空気が張り詰める。
レイリットは、椅子から立ち上がりはしない。
背もたれに深く体を預けたまま、指先で机をとんとんと叩く。
「作戦は、軍務部として正規の手順を経て承認された。
お前の部隊は、その命令に従った。それだけの話だ」
「“レムナス”という場所を選んだ理由は?」
「革命軍が潜伏していたからだ」
「聖都を、世界最大の信仰拠点を、
帝国自らが先に攻撃したと見られれば――世界はどう動くか、分かっておられるでしょう」
「それに黒翼単体で乗り込ませた意味も、全く理解できません。」
レイリットの目が僅かに細くなる。
「質問の意図が見えんな」
「見えているはずです」
グレイの声は低く、冷えていた。
「――これは、革命軍の制圧が“目的”ではなく、
世界を戦争に引きずり込むための、ただの“導火線”だったのでは?」
「また、そのきっかけの重みを黒翼に追わせるつもりだったんじゃないのか!!」
レイリットは肩をすくめ、あくまで穏やかな表情を崩さない。
「陰謀論は嫌いでね、アークライト少佐。
諜報部員の悪い癖だ。
事実だけを見ろ。
レムナスに革命軍はいた。
帝国はそれを討つ命令を下した。以上だ」
「命令系統の途中に、議会のハイゼン議員の署名が混じっていたのは?」
グレイが畳みかける。
「本来、軍事作戦に民間議員が直接決裁を入れることはないはずです」
レイリットの指先が一瞬止まった。
「……書記官の誤記だろう」
「偶然にしては、出来すぎています」
「偶然でなければ、お前は一体、何を信じるつもりだ?」
老将の視線が、じわりと圧を増す。
「それとも――」
レイリットは微笑んだ。
「お前は、自分の上官たちを“魔族”だの“天界の傀儡”だのと決めつけ、
反乱でも起こすつもりか?」
室内の空気が冷たくなる。
グレイは、拳を握り締めた。
だが――その手を、エレナがそっと袖口から掴む。
「少佐」
それだけで、彼は一度目を閉じることができた。
「……いえ」
グレイは視線を逸らさないまま、静かに言う。
「私はただ、記録を残します。
誰が、いつ、どんな命令を下し、
その結果、誰が死んだのか」
「勝手にしろ」
レイリットは興味をなくしたように書類へ目を戻した。
「ただし――少佐。
軍は“命令に従う者”と“従わせる者”で成り立っている」
「その枠組みを壊そうとする者は、
敵より先に、内側から処分される。
覚えておくことだ」
「……肝に銘じておきます」
そう言って、グレイは敬礼もせずに踵を返した。
扉が閉まる瞬間、
エレナは一度だけ振り返り、
レイリットの視線が、まるで“何かを観察する研究者”のように冷めていることに気づいた。
(やっぱり……何か、隠してる)
⸻
墓前にて
それから、さらに幾日かが過ぎた。
レムナスからの撤退後、
黒翼は名目上「戦果を挙げたものの損耗大」として、しばしの休養を命じられた。
リヴィアの身体は奇跡的に命を取り留めたものの、
全身の火傷と骨折、魔力枯渇による内臓への負担で、長い療養が必要だった。
――そして、彼女が歩けるようになった日。
帝都郊外の軍墓地には、低い風が吹いていた。
整然と並ぶ白い墓標の一つ。
そこには新しい名が刻まれている。
『カラム=ハイゼル 黒翼分隊長
ディナシア帝国歴XXXX年 レムナス戦没』
リヴィアは、墓標の前に膝をついた。
まだ完全に回復していない身体がきしみ、
傷跡が鈍く痛む。
手には、小さな花束。
帝都の片隅の花屋で、リズと一緒に選んだ、どこにでも咲いている白い花。
「……来るの、遅くなってごめんなさい」
墓は何も答えない。
ただ、白く、そこに在るだけ。
リヴィアは、そっと額を墓標に寄せた。
「カラムさん。
私、ちゃんと進んでいますか。」
目を閉じると、
何でもない、くだらない日常が浮かぶ。
⸻
回想 ― 黒翼の日々
「お疲れさーん! 本日の夕食は帝国特製“なんちゃってシチュー”だぞ!」
食堂でジンが鍋を振り回しながら叫ぶ。
「なんちゃってって何だよ」
アシュが眉をひそめる。
「昨日もそれだっただろうが」
「今日はちゃんと肉が入ってますよ」
ネロが無表情で言う。
「……一応ですけど」
「“一応”って言うな」
ジンが泣きそうな顔をする。
「予算の範囲で頑張ってんだぞ、こちとら」
「ねぇリヴィア、味見係やろ」
リズがスプーンを突き出す。
「新人の舌で評価を」
「え、わたし?」
「だってほら、闇魔法使いだし、味にうるさそうじゃん」
「どういう理屈よ」
一口食べてみる。
「……美味しい」
「マジで!?」
ジンの顔がぱぁっと明るくなる。
「ほら、聞いたかお前ら! リヴィアちゃんお墨付きだぞ!」
「リヴィアの味覚、大丈夫か?」
アシュが疑わしげにスプーンを覗き込む。
「いや、普通に美味しいから」
「……塩分は少し多いです」
「ネロ、お前は黙っとけ」
笑い声が、狭い食堂を満たす。
⸻
訓練場では。
「リヴィア、一騎打ちやろうぜ!」
アシュが二丁拳銃をくるくると回す。
「いやです」
「即答!?」
「あなた、リヴィアによくケンカ売れるわね」
リズが雷を纏わせた短剣を弄びながら言う。
「いいじゃん。勝てるまで挑めばいいんだろ」
「あの、アシュさん。
前回は三秒で吹き飛ばされてましたけど」
ネロが端末を見ながら淡々と補足する。
「ログ残ってますよ、動画も」
「消せぇええええ!!!」
カラムは、そんな彼らを少し離れたところから眺めていた。
「……隊長、止めなくていいんですか?」
ネロが訊くと、カラムは肩をすくめる。
「いいんだよ。
バカやれるうちは、まだあいつら余裕あるってことだ」
(この人は、いつも少し遠くから“全員”を見ていたんだ)
そう気づいたのは、今になってからだった。
⸻
レミナスは、黒翼の破壊工作作戦後、帝国軍の主力が雪崩れ込み、侵攻間もなく陥落した。
世界はエルデナ侵攻以来の衝撃が走り、各国が対帝国に対する動きを強めていた。
戻れない日々
「……戻りたい、か」
背後から声がした。
振り向くと、そこにはグレイが立っていた。
軍服の襟元は少し乱れ、目の下には薄い隈が浮かんでいる。
「いつから、そこに」
「さっき」
「気配を消さないで」
グレイは少しだけ口元を緩め、それからカラムの墓標に視線を落とした。
「みんな、元気か?」
「アシュは、相変わらずうるさいです。
リズは、最近やけに私に構ってきます。
ネロは……自分を責めている気がします」
「エレナは?」
「……忙しそうにしてます。
少佐の資料整理と、中枢の監視と」
グレイは「そうか」とだけ呟いた。
風が少し強く吹き、
リヴィアの黒髪が墓標の前で揺れる。
グレイは、レイリット将軍への粗相から謹慎処分を受けていた。
「……私」
リヴィアは、迷うように言葉を探した。
「私が、もっと強ければ。
あの場でセリウスを止められていたら。
カラムさんを、誰も死なせない選択が、できていたら」
「“もしも”の話をし出したらキリがないぞ」
グレイが静かに言う。
「俺だって同じだ。
もっと早く命令の裏を掴めていたら。
レムナスに黒翼を出させずに済んでいたら」
「でも、現実は違った。
俺たちは、あの時あの場で、“そうするしかなかった”からそうした」
「それを、間違いだとは言わない」
リヴィアは拳を握る。
「……でも、許されるとも思えない」
「許しが欲しいのか?」
グレイが問う。
しばしの沈黙の後、リヴィアは首を振った。
「……分かんない。
でも……あの人たちの分まで、何かを見届けなきゃいけない気がする」
「ティナも、ルーカスも、カラムさんも。
エルデナで、ここで、全部を置いていった人たちの分まで」
グレイの表情が、少し柔らかくなる。
「そういうところ、変わらないな」
「何が」
「全部を背負おうとして、勝手に潰れそうになるところ」
「……うるさい」
リヴィアは頬を膨らませる。
その表情に、十年前の白の塔の少女が一瞬重なった。
「だから、役割分担だ」
グレイはそう言って、カラムの墓標の前に立つ。
「リヴィアは、“見届ける側”でいい。
俺は、“引きずり出す側”になる」
「……帝国の、闇を?」
「ああ」
彼はポケットから一通の封筒を取り出し、黙ってリヴィアに渡した。
中には、異動命令書が入っていた。
『リヴィア=ノクス一等兵
ディナシア帝国辺境駐屯隊 シキナ駐屯地へ転属』
「……シキナ」
リヴィアは小さく復唱する。
帝国本土の遥か南。
海を隔てた島国。
ディナシアと軍事同盟を結び、
“海の防波堤”と呼ばれる、戦略要衝。
「左遷、ですか?」
少し乾いた笑いが漏れる。
「表向きはな」
グレイはあっさりと認めた。
「“レムナスにて暴走気味の行動あり。隊長死に関する責任の一部を問う”」
「……そう書かれてた」
リヴィアは封筒を握りしめる。
「でも、実際には違う」
グレイは、自分の封筒も取り出して見せた。
『グレイ=アークライト少佐
ディナシア帝国山岳駐屯隊 グラルド駐屯地へ転属』
「グラルド……山岳国家の」
「そうだ。
シキナには、斬のセイクリッドルート・ムラサメがいると言われている。
グラルドには、雷のセイクリッドルート・ボルガンが」
リヴィアが顔を上げる。
「……あなた、まさか」
「ああ、脅した」
グレイはあっけらかんと言った。
「レイリット大将に、レムナス作戦の“記録”と、
ハイゼン議員との繋がりをちらつかせた。
『このままでも構わないが、どこかで勝手に漏れるかもしれない』とな」
「卑怯ね」
「お互い様だろ」
短いやり取りだが、そこには確かな信頼があった。
「お前をシキナに飛ばしたのは、俺だ。
セイクリッドルートに会え。
魔法の“根っこ”を見てこい」
「……帝国の闇も、そこで何か掴めるかもしれない」
「グレイは?」
「俺はグラルドで、ボルガンと山岳戦線の有り様を見てくる。
セイクリッドルートが、帝国とどう距離を取っているのか」
「全部分かったら、どうするの?」
「そっから考える」
グレイは肩をすくめる。
「今はまだ、“手札集め”の段階だ。
エルデナも、レムナスも、全部“序章”だったと証明してやる」
「リヴィア」
彼はまっすぐ彼女を見る。
「お前は、お前のやり方で強くなれ。
その過程で、帝国にとって都合の悪い真実をいくつも拾ってこい」
「……命令?」
「依頼」
リヴィアは、小さく笑った。
「なら、受けるわ」
⸻
旅立ちの朝
数日後。
帝都の東端にある軍用港には、乗船準備中の輸送船が並んでいた。
シキナ行きの船のタラップ前で、
リズとアシュとネロが、それぞれ違う表情で立っている。
「本当に行っちゃうんだね」
リズが言う。
「……気づいたら、いなくなってそうな人だから、早めに見送り来た」
「お前が言うなよ」
アシュが突っ込む。
「泣くなよ? 絶対泣くだろ?」
「泣くわけないでしょ」
リズはふいっと顔を背ける。
「……シキナ、海きれいなんでしょ。写真送って」
「了解」
リヴィアは頷く。
「アシュは?」
「決まってんだろ。
ちゃんと帰ってきたら、また模擬戦の続きだ」
「嫌」
「そこは“うん”だろ!!」
ネロは、少し離れたところで無言のまま立っていた。
「ネロ?」
「……すみません」
彼は深く頭を下げる。
「レムナスで、僕がもっと早く状況を分析していれば……
カラムさんを、助けられたかもしれません」
「それ、何回目?」
リヴィアは苦笑する。
「何度言っても、結果は変わらないわよ」
「でも――」
「だったら、次に活かして」
リヴィアは一歩近づき、ネロの額に指をこつんと当てた。
「あなたの頭は、黒翼の武器なんだから。
止まらせないで」
ネロは、ようやく顔を上げる。
「……はい」
「隊長の墓参りは、お願いね」
「ええ。毎週行きます」
グレイとエレナは、少し離れた場所からその様子を見ていた。
タラップに足をかける前、
リヴィアは最後にグレイの方へ向き直る。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってこい」
「死なないでくださいね、少佐」
エレナが小さく付け加える。
「そっちこそ」
グレイは苦笑する。
「山は崩れるし、雷は落ちるし、グラルドは危険だらけなんだぞ」
「心配なら、素直に『一緒に来い』って言えばいいのに」
エレナが呆れたように言う。
「言わなくても来るだろ」
「その自信どこからですか」
軽口を交わしながらも、
全員の胸に重いものが沈んでいることは、誰も口にはしなかった。
リヴィアはタラップを上り切り、
最後に一度だけ振り返る。
帝都の空は、今日も灰色だ。
だが、その向こうには、見たことのない海と、島と、
“斬”のセイクリッドルートが待っている。
(カラムさん。
わたし、行ってきます)
(エルデナで止まった時間を、
十年後のレムナスでまた止まりかけた時間を、
今度こそ、自分で動かしに行く)
船の汽笛が鳴る。
リヴィアのペンダントが、胸元で小さく揺れた。
――こうして、黒翼の一章は幕を閉じる。
次に彼女が立つのは、海に囲まれた島国シキナ。
斬の理を司るセイクリッドルート・ムラサメとの出会いが、
彼女の運命を書き換えていくことを、
この時のリヴィアはまだ知らない。
だが、それでいい。
物語は、ここから“創世”へ向かって転がり始めるのだから。
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