第2話 復讐が始まる

 純氏は、身長は百七十センチあるかないかだったし、ひょろっとしてたけど、大きく見えました。そばにいると、こっちまで体温が上がる。特徴のない目鼻立ちなのに、目ぢからがすごかった。見つめられると吸い込まれそうだった。

 初めて会ったのは、ボクらが他の高校のワルから売られたケンカをしてたときでした。市内の高校のじゃなくて、市外の高校のワルです。きっかけはSNSの書き込みをめぐるトラブルでした。ボクらの仲間が巻き込まれたんで、そのケンカを買ったわけです。

 相手は進学校のワル。お勉強だけしか取り柄がないと思い込んでいたら、運動部のレギュラーぞろいで、まあ、動きがいいこと。だけどボクらをナメてかかったのが運の尽き。ボクらは連中よりも偏差値が低い実業高校のワルだけど、ケンカ慣れしていますから。

 ボクの前に来た坊主頭くんがさっそくメンチ切ってきましたよ。

「一発でボコしてやるぞ、チビ」

 チビ。いってはいけない一言をいいましたね。ボクはすぐさま右アッパーからの左フックをやつにお見舞いしました。素直に倒れてくれましたよ。ケンカは先手必勝。よけいなおしゃべりはいりません。

「いい動きだな」

 それが純氏とのファーストコンタクトでした。

「能書き垂れる前にぶち込めっていいたいところでしたがね」

 照れるボクに純氏はほほえんでくれました。

「仲間はいるか」

 ちょうどみんな、進学校の連中を倒したところでした。純氏はボクらに倒された連中も集めてケンカの理由を聞きました。そのあと、優しい目をして諭しました。

「ケンカしてたら警察がすぐに察知する。目立つからな。つまらねえことで鑑別所になんか入りたくねえだろ」

 親にだって、クラス担任にだって、そんなこといわれたことありません。肩で風切ってつっぱってるけど、ボクらワルは基本、寂しがりやです。かまってほしいんです。優しい心づかいに飢えてるボクらは一瞬で、純氏のとりこですよ。こうして純氏はあこがれの人になったわけです。

 純氏にさからう連中だっていましたが、純氏はただ殴られるだけだったそうです。

「なんでやり返さないんですか」

 聞いたボクに、純氏はばんそうこうだらけの顔で笑ってくれました。

「俺はクリスチャンなんだ」

 キリスト教の信者なんて聞いて、ボクは丸メガネのつるをつまんで、鼻の上に乗せ直しちゃいました。純氏が美声で唱えます。

「されど我は汝らに告ぐ、悪しき者にてむかふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。新約聖書のマタイ伝にある言葉だ」

「お言葉を返すようですが」

 ボクはおずおずと切り出します。

「それって、ただ相手にされるがままでいろって解釈ですか?」

「違うよ」

 純氏はほほえんだまま続けます。

「いろいろな解釈があるのだけど、俺なりの理解を話そう。暴力には終わりがない。だから受け止める。暴力を出し切ったら、彼は自分が今まで何をしてきたか初めて気づくかもしれない」

「気づかなかったらどうするんですか」

「俺以外の誰かがきっと、彼の前に立つと思う」

 純氏はボクにミルクと砂糖入りの缶コーヒーをおごってくれました。人生で初めて口にした缶コーヒーは、ほろ苦い味でした。

「俺の父さんは県警で、暴走族を取り締まる部署に勤めてるんだ」

 ボクは缶コーヒーを吹き出しそうになりました。純氏は淡々と続けます。

「父さんはいつも家でワルのことを悪くいう。あいつらは生きている価値がない、誰かを苦しめてばかりいるからと。でも、誰かを苦しめるのはワルばかりじゃない。善人といわれるやつらだって苦しめてる。自分だけが正しいと信じて疑わない。まるで俺の父さんみたいに」

 仲がよくないのかな。ボクは思いましたが、口にしませんでした。言葉にしたら、仲がよくないという現実を、あこがれの純氏に叩きつけるように感じたからです。

「神の教えに出会ったのはつい最近さ。もともと母親の実家が信仰をもっていたんだ。前から、母方の親戚たちから教会に来ないかと誘われていた。だから行ってみたら、見事にハマったよ」

 最愛の恋人について語るような口調でした。でも、続く言葉をいうときは、静かな怒りが表情に、にじみ出ていましたけどね。

「父さんに俺は証明してやりたい。取り締まるだけじゃだめなんだと。暴力には終わりがない。だから、それを気づかせないといけない。逮捕して鑑別所に送り込むだけでは何も変わらないんだ。俺たちはただの、寂しい子供なのに。俺たちが欲しいのは、優しい一言だけなのに。ワルというだけで見放される。ワルというだけで誰もかかわらない。一歩近づいてくれたらいいのに」

 ワルは見た目が怖いでしょ。話しかけても、つっぱねるでしょ。だから声をかける人なんかいなくなるんですよ。声をかけ続けてくれる人なんて、何人いるのでしょうね。

「だから俺は声をかけ続けるんだ。父さんに仕事をさせないために。もう二度と俺たちのことを、生きている価値がないとかいわせないように」

 純氏の目に涙が光っているように見えたのは、ボクの気のせいじゃないと思います。

 純氏はあちこちで成果をあげました。彼のパーソナリティに心打たれるワルが続出しました。

 ボクらのあこがれ純氏にただ一人したがわなかったのが馬場でした。

 その日は曇り空で、月も星も見えなかったなあ。今みたいに気温の下がった、夜の国道沿いでしたよね。そこは俺らが住んでる町から車で三十分走った市にあるんです。車の通りはまばらで、数分ですけど一台も通らない時間帯もありました。

 純氏と馬場が道路上で向かい合っていました。純氏がしたがえた馬場のグループのワルどもと一緒に、俺らは歩道から二人を見てました。

 馬場は百九十センチ、肩幅も胸回りも大きくて、手足は丸太みたいなんです。拳なんてボクシングの十六オンスのグローブみたいでした。長い黒髪を広い額を出して首の後ろで一束にしてました。後ろにはでかいバイクが停まってた。

「どうしても、だめか」

 純氏は美声でね。声優の道に進めばいいのじゃないかと俺はひそかに思ってました。

「勝手にしゃしゃり出てきて、いつの間にかどのグループも骨抜きにしたのは、てめえだろうが」

 馬場の声はでかかった。こいつも美声でしたね。

「争っていてもいいことはない。俺たちはしょせん、一人じゃ何もできないチンケな存在だ。それなら互いに無駄に干渉せず、共存していったほうがいい」

「てめえのそういうところが許せねえんだよ。しょせん俺らはケンカするしか生きるすべがねえ。てめえはそれをなくそうとしやがる」

「俺が止めたのは全部、共倒れになりそうなケンカだけだ。ただでさえ弱小グループしかいないんだ、対立していれば目立つ。すぐに警察に見つかって、パクられて解散させられる」

「俺んとこは弱小じゃなかった。それなのにてめえは、俺がせっかく育て上げた連中を根こそぎ使えなくした」

「人を、使える、使えないの二つでしかおまえは、見ることができないのか」

「ああ、見られないね。人間の価値なんて、それしかねえだろ。そもそも、てめえは何がしたいんだ。てめえだってワルだろう。ワルをやって何が悪いって話は結局、てめえにもブーメランみてえに戻ってくるんだぜ」

 純氏の声が急に小さくなりました。

「いわない」

「聞いたら不都合があるんだな」

「頼む」

 純氏が膝をつき、土下座したじゃありませんか。俺らはびっくりしましたよ。

「馬場。したがってくれ。おまえがうんといえば、俺は終われるんだ」

 車は一台もやってきません。馬場がいきなり大声を上げました。

「てめえの都合に俺を巻き込んでんじゃねえ!」

 馬場がバイクにまたがり、エンジンをかけました。純氏が立ち上がります。馬場を見てます。

「てめえ、どけ。ひくぞ」

「どかない」

 さすがの馬場も、暗い中でもわかるくらい、顔色が変わってましたね。

「バカいってんじゃねえ。このままだとひくっつってんだろ」

「俺が死んでも、俺がしたことは残る」

 純氏が大きく両腕を広げました。はりつけになったイエスみたいでした。

「ひくのなら、ひけばいい。おまえは罪をおかすけど、俺はおまえの罪を背負って死んでいく」

「意味わかんねえ」

「一粒の麦、地に落ちて死なずば一粒にてあらん。死ねば多くの実を結ぶべし。己が生命を愛する者は、これを失ひ、この世にてその生命を憎む者は、之を保ちて永遠の生命に至るべし」

「何いってんだ」

「新約聖書ヨハネ伝の一節さ」

「もう何もいうな」

 馬場は泣きそうでした。遠目だったから正確にはわかりませんが、ほんとに泣いていたのかもしれません。 

 馬場が次にしたことは、アクセルを踏み込むことでした。純氏は動きません。

 馬場のバイクはまっすぐ、スピードをゆるめることもなく、純氏に吸い込まれていきました。

 警察が来ました。馬場氏はすぐに連行されました。むろん、俺らも事情を聴かれます。見たまま、聞いたままを答えました。

 新聞の地方版にこのヤマが報じられたのは、あさってでした。紙面の一番下にある広告欄のすぐ上に、短く掲載されました。

 ボクは高校を卒業した後、情報系の専門学校に進学し、今はパソコンのメンテナンスを請け負う会社で働いています。警察とか役所に行く機会も多いのです。警察ではワルたちの情報がふいに耳に入ることも多くてですね。今じゃまた、県内でワルや暴走族が抗争をくりひろげている。純氏のしたことは何だったのかと、ボクは目頭が熱くなるのです。


「馬場にしてみたら、俺は悪くないって理屈なんですよ。警告したにもかかわらず、逃げなかった純が悪いとね。でも自分は刑務所の中にいるから直接手をくだせない。だから出所したとたんに、手下どもを動かした。県内で、もとワルのおとなが襲われる事件が頻発してるの、余田氏、ご存じありませんか」

「知らねえ。おまえはなんで知ってんだ」

 富田さんが、ふふっと得意そうに笑う。

「ボク、パソコンのメンテナンスで警察なんかにも呼ばれるのでね。職場内の会話、嫌でも耳に入るのです」

 余田さんが俺を見て、富田さんに質問する。

「俺らの身近な人たちにも被害が及ぶとかいったな。どういうことだ」

「馬場の息のかかったワルガキどもは、馬場がやれといった相手の家族にまで手を出してるんです。保育園幼稚園にかよう子供を拉致して親、つまり標的を呼び出す。その子供の前でボコボコにするんですよ。反撃したら子供がどうなるかわかってんだろうな、とかいってね。哀れ彼らは、おとうさん、おとうさん、と泣き叫ぶ我が子の前でタコ殴りにされる。反撃したら子供に何をされるかわからないから、黙って耐えるわけです。ワルガキどもはそれを見て笑うわけです。おまえのおとうさん、弱虫ってね。もとワルの面子、丸つぶれ。ご丁寧にもボコしたやつのスマホまで破壊する。助けを呼べないようにね。呼び出す場所も人気のない山間を選んでる。大けがをしたおとうさんと、何もできない幼児だけが取り残されて、三日後にようやく発見されるなんてケースが、県内であいついでいるんです」

 俺の手を余田さんが強く握り返す。

 それまで軽妙に語っていた富田さんが、覚悟の決まった声を出す。

「それだけじゃないですよ。馬場は、復讐する標的の交際相手にすら手を出している。レイプしたり、別れさせたりね。ボクはそれを聞いて、馬場を許せないと思ったわけです。ボクの同居人にまで手を出されたらたまりませんからね。ただでさえ同性同士、息をひそめて暮らしてるんだ。このささやかな幸せをボクは死守したい」

「俺だって同じだ」

 いった余田さんの手を俺は両手で包む。緊迫したやり取りをしていた余田さんが俺に、ありがとな、と目でいった。いいんだよ、と俺は無言の微笑で伝える。

「じゃあ次に狩られるのは、俺らってことか」

「当たりです。ボコされる相手のもとには必ず純氏のスマホから電話がかかってくる。出てもすぐ切られるみたいですけどね」

 余田さんがベッドに腰かけたので俺も隣に座る。余田さんのスマホの画面には「富田修一郎」と表示されている。

「ボクらも連帯した方がよさそうですね。向こうさんは集団で来るのだから」

 余田さんが提案した。

「スマホじゃなくて、会って話したほうがよくねえか」

 富田さんがまた、軽妙な語り口でいった。

「同意。ひとまず余田氏、トーク画面に参加してくれませんか」

 いったん二人は通話を切り上げた。余田さんが膝の上でスマホを操作し、俺がさっき目にしたトーク画面を開く。


 余田「来たぜ」

 羽鳥「おおう余田ちゃーん! 久しぶり!」

 平井「同棲どう? おめでとー」

 余田「まあな」

 高橋「余田、おまえのとこにも着信あったか」

 余田「おう、あった」

 宮沢「富田情報くれ」

 富田「犯人は馬場。このたび刑期を終えてめでたく出所。ボクらに復讐したい。着信は犯行予告。手下のワルガキどもが凸する」

 

「凸するって、どういうこと」

 尋ねる俺に余田さんは、そんなことも知らねえのかなんていわずに答えてくれた。

「突撃するってこと」 


 高橋「マジか」

 平井「なんで俺らが馬場に逆恨みされるん???」

 羽鳥「純に勝手に突っ込んだのあいつじゃん」

 富田「馬場は自分は悪くないと思ってる。馬場は何らかの経緯と手段で純氏の身内からスマホを入手した疑惑濃厚。純氏にしたがったもとワルどもがボコされてる現状。警察も把握してるが犯人逮捕してません」

 余田「一度みんなで会わねえか。ワルガキどもが集団で来るなら俺らも集団で相手したほうがいい」

 高橋「賛成」

 宮沢「俺、無理。ドカ雪で高速道路使えねえ」

 羽鳥「おまえ県外出てるもんな」

 宮沢「俺んちに集まればいいんじゃね。親父に電話しとくわ」

 平井「すげえ。マジで始まる」

 高橋「いつにする」


 すぐに集まる日時が決まった。


 富田「皆の衆、緊急速報。馬場の手下どもは今週土曜日の深夜、俺らをボコすご予定」


 富田さんが画像を投稿した。SNSの画面をスクリーンショットしたものだ。日時と場所が赤く丸で囲ってある。きっと富田さんが編集したのだろう。


 富田「ワルガキの一人のSNSより拝借。こっそりフォローなう。ただ今よりやつの追跡を開始します」

 

 富田さん、やるな。俺は感心する。


 平井「富田グッジョブ」

 高橋「気合いれていくぞ」


 画面上で「おう」の二文字が乱れ飛んだ。


 宮沢「親父に連絡ついた。これから参加する」


 宮沢さんがお父さんをトークに招待したようだ。MIYAZAWAという名前が表示される。


 MIYAZAWA「うえーーーい! 平成のワルども、ノッてるかーーーーい???」


 俺がお父さんのメッセージを見て固まっていると、余田さんが、また始まったよこの人、といいたげに笑う。

「俺が前いた運送会社の社長。元ヤンで、いつもこんな感じ」


 余田「宮沢さん、ご無沙汰してます」

 MIYAZAWA「おおう? 余田っち! 久しぶりぃ!」

 余田「すみません、お世話になります」

 

 高橋さん、羽鳥さん、平井さん、富田さんも「お世話になります」とメッセージを送る。俺はスマホの前で見えない宮沢お父さんに頭を下げた。


 MIYAZAWA「いーってことよぉ! 若いときを思い出すぜぇ! で? 相手は何人?? もちろん素手だよなあ?」

 高橋「お体心配なんですけど、本当に加勢お願いして大丈夫ですか」

 MIYAZAWA「だいじょーぶ! 毎日筋トレしてっから! 愛車もギュインギュインに乗り回してるよん♪」

 平井「今回バイクいらないんですけど」

 MIYAZAWA「そんなぁ~乗らせてよぉ~イケズぅ~」

 平井「キモ!」

 羽鳥「むしろ車でお願いします。戦場まで俺ら乗っけてってくれると助かります」

 MIYAZAWA「よっしゃー!!! 任せとけ!!!」

 富田「ボクは余田氏に拾ってもらおうかな」

 余田「いいぜ」

 富田「あざます」

 

 俺は余田さんにいった。

「俺が車を出すよ。ケンカはできないと思うけど、余田さんたちをケンカする場所まで運ぶことならできる」

 余田さんの役に立ちたい思いが鼓動を速くする。余田さんは口もとを引き結んで俺を見た。

「本気でいってるのか」

「健といろいろあったとき、余田さんは俺のために体を張ってくれたでしょ。今度は俺が余田さんをまるごと受け止める番だよ」

 俺の手を余田さんがぎゅっと握る。

「絶対守る」

 その手を俺も、ぎゅっと握り返した。 

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