右頬をうて
亜咲加奈
右頬をうて
第1話 死者からの電話
今夜もまた爆音が聞こえる。二、三台でつれだって走るバイクのエンジン音だ。聞いている人の多くは不快そうに顔をしかめるだろう。警察に通報する人もいるかもしれない。
彼らを受け入れる人は多くない。俺もまたその一人だった。でも、久世純がしたことを知った今は、どんなわけがあって彼らはバイクを走らせるのかと思いをめぐらせるようになってきた。
十年前、県内の不良少年たちがあこがれた一匹狼、久世純は、県内の暴走族や不良少年グループを統一した。自分が彼らの頂点に立つためではなく、抗争をやめさせるためだ。
久世純はそのために命を落とした。
三月というのに寒気が流れ込み、雲が覆う空からは今にも冷たい雨が降ってきそうだ。
俺が勤める総務課のフロアで、業務用パソコンのメンテナンスを依頼した業者が作業を終えた。百七十五センチある俺の口もとに頭のてっぺんがくるその業者は、丸メガネのつるをつまんでかけ直し、営業用だとすぐにわかる笑顔でいった。
「これで終了です。日野誠司さん、また何かございましたらご連絡ください」
いきなりフルネームで呼ばれた。驚く俺に、業者は今度はいたずらっ子のように笑った。
「お名刺、頂戴いたしましたでしょ。ボクは記憶力には自信がありましてね」
あわててもらった名刺を取り出して名前を確認した。「富田 修一郎」。
「お世話になりました、富田さん」
一緒に社屋の入り口まで歩く。富田さんは聞かれてもいないのにしゃべり出した。
「ちょうどボクの友人が、このあたりに住んでましてね。中高生のころの仲間からそう聞いていたのですけど、なかなか連絡もできなくて」
「長いつき合いでいらっしゃるのですね」
富田さんが四角い大きなカバンの肩掛けの位置を直す。
「ボクの仲間の親父さんがおこした運送会社に就職したんですが、コロナ禍でそこが倒産してね。確かこの会社の物流部門に入ったと聞いてます」
俺は足を止める。まさか、富田さんの友人とは。ひと呼吸して心の準備をし、富田さんがかけた丸メガネのレンズの向こうにある目に俺は目を合わせる。
「そのお友だちのお名前、教えてもらえますか」
丸メガネのレンズの奥にある目に動きはない。
「余田明というのですが」
思い切って俺は告げた。
「彼は俺の友人です」
富田さんの全身が大きく震えあがる。
「何ですと?」
まわりにいた社員やお客さんたちの視線が一斉に俺と富田さんに集中する。視線という名の矢が刺さりまくったまま、富田さんは俺に詰め寄った。
「それで今、余田はどうしているのです。お友だちならご存じでしょ。やつ、生きているのですか。ちゃんとトラック、運転しているのですか」
マシンガンから超高速で撃ち出される弾丸のような言葉をかろうじて上体を引いてかわしながら俺は答える。
「元気にしていますよ。物流部門は今年の一月から子会社になりましたが、今でもそこで働いています」
富田さんは震える手で、会社の作業着の胸ポケットからスマホを取り出した。スマホを落としそうになり、あわてて空いているほうの手のひらで受け止める。
「まさか余田氏の消息が聞けるとは。日野さん、連絡先、交換しましょ」
「なぜですか」
「友だちの友だちは皆友だちですから」
富田さんの電話番号に俺がかける。富田さんのこわばった顔がようやくゆるんだ。
「余田氏によろしくお伝えください」
「はい。伝えます」
気をつけて、といいあって別れた。もちろんその日の夜、余田さんに伝えた。でも富田さんと俺たちはまた、接点をもつことになる。
午後九時、いつものようにベッドの前に並んで座り、俺と余田さんはノートパソコンで小説を読んでいた。俺の同僚、鏡妙子さんが小説投稿サイトで連載している、優等生と暴走族のヘッドとの恋物語だ。俺はすでに最新話まで読み終わっているけれど、最初から読みたいという余田さんのために、もう一度サイトをひらいている。
ひときわ大きなバイクのエンジン音が急に俺たちのあいだに割って入った。節をつけて鳴らしている。
通りすぎてゆくエンジン音に余田さんはいった。
「調子くれてるやつ、いつの時代もいるんだな」
俺たちが住むアパートは県道に面しているので、通りすぎる車の音がよく聞こえる。
「余田さんは暴走族には入らなかったのでしょう」
俺が聞くと、余田さんは吊り上がった眉の下にある鋭い目を遠くに向けた。
「ばあちゃんからすげえいわれてたから。『暴走族にだけは入っちゃなんねえ。あすこはヤクザとからんでるんだから』って」
高校時代、学校で生徒が集まる機会があると、生徒指導主事が必ずそういう話をした。長期休みの前に配られる生徒指導上の注意にも同じことが書いてあった。
俺はノートパソコンを閉じた。鏡さんには申し訳なく思うけれども、余田さんの話のほうに興味を覚えたからだ。
「それにバイクよりも車が好きだったからな。暴走族だけでも大きいグループで三つくらいあった。あとは各高校にワルがいてさ。いくつかの高校同士でまとまってるとこもあった。でも俺らが高二のときに、県内の暴走族とかワルのグループが、全部ひとつにまとまったんだよ。久世純てやつがまとめたんだ。人としてすげえ尊敬できた人でさ。どこのグループにも入ってなくて。他の連中がケンカしてるとこへ体張って飛び込んで、やめさせる。俺らんところにも来たよ」
俺は疑問に思う。ケンカをしてこそ不良少年ではないのだろうか。俺が好きな『三国志』では、魏と呉、蜀と呉が連携したりする場面がある。暴走族や不良少年グループもそのようにしなかったのだろうか。そもそも久世純はなぜ、抗争を止めたのか。
「久世純はなんのためにケンカを止めたの」
「わからねえ。でも純はただのワルじゃなかった。ふつうワルなんて、ぼっちな上に、一人じゃ何もできねえやつばっかりさ。ビビりが多いんだよ。だからおおぜいでつるむんだ。俺だってそうだったし。おおぜいでいれば安心じゃん。それにワルは、親にかまってもらえてねえやつらが多い。親がいろいろ気にかけてくれるうちなら、グレられねえじゃん。そういう親なら、自分の子供がクスリとかやっておかしくなってたら、真っ先に気づくだろ」
俺は思わず口もとをゆるめてしまう。
「余田さんは、おじいちゃんおばあちゃんから、ずいぶん気にかけてもらっているじゃない」
余田さんのお父さんは悩み苦しんだ末に自宅に火をつけた。お父さんだけでなく、お母さんや弟くん二人も失ったあと、余田さんは母方のおじいちゃんおばあちゃんのもとに引き取られた。俺も会ったことがあるけど、素朴でとてもいい人たちだ。
「にもかかわらず俺はワルやってたけどな」
「でも今はとてもいい人でしょ」
余田さんが俺のほっぺたを軽くつまむ。俺も余田さんのほっぺたを軽くつまむ。
先に指を離したのは余田さんで、そのあと俺もすぐに離した。
「純はいつも一人だった。なんで一人でいたのかもわからねえ」
「あまり、いわない人だった?」
「うん。ケンカをやめさせると、バイクに乗って帰る」
「今もどこかで暮らしているの」
「いや。十年前に死んだ。ちょうど俺らが高二のとき。それで俺らもワルをやめた。純はケンカなんかするな、ケンカしても意味ねえって一生懸命語ってた。たった一人で。そういう姿を見ちゃうとな。ワルやってんのがバカみてえに思えてきてさ」
「何があったの」
また節をつけたエンジン音が戻ってきた。続いてパトカーのサイレンが聞こえる。余田さんが苦笑する。
「追いかけっこが始まったな」
「このあいだ、暴走族の子が逮捕されたなんて、ニュースでいってたっけ」
「それな。警察も仕事だから必死なんだろ」
「純がまとめたあとは、抗争はなくなったのだよね」
「けど、長くもたなかった。俺らが高校卒業するころにはまた、暴走族とか復活してたからな。俺が高校卒業して初めて勤めた運送会社が、つるんでたやつの親父さんがおこしたとこでさ。親父さんも元ヤンなんで、よく県内のワル情報教えてくれた」
「純は、どうして死んだの」
そこのバイク、止まりなさい。警察官のアナウンスが聞こえる。余田さんがベッドによりかかって天井を見上げた。
「純が説得してんのに聞かねえやつがいた。そいつがブチギレてバイクで純に突っ込んだ」
純はそのまま、はねられたのではないだろうか。俺が凍りついていると余田さんは目を閉じた。
「純は動かなかった。はねられて即死だった。はねたやつは逮捕されたよ」
俺は動けない。俺の知らないところで、たった一人で戦い、死んだ久世純。
風呂ためてくるわ。余田さんはそういって立ち上がった。
先に風呂から上がってベッドにいくと、余田さんのスマホから着信音が流れた。画面には「純」の一文字と、十一桁の数字。
俺にとっての「純」は一人しかいない。久世純。たった一人で県内の不良少年たちを統一した、彼らのあこがれ。
でも、純がかけてくるなんてありえない。なぜなら彼は十年前に亡くなっているのだから。俺のみぞおちがぞわりと冷える。
着信音は止まらない。俺は鳴動するスマホをじっと見守った。余田さんが使うシャワーの音が小さく耳に届く。
十秒ほど鳴り続け、音は止まった。よほど余田さんに出てほしかったようだ。
立ったままスマホを見つめていると、今度は無料通話アプリのメッセージが届いた。
高橋「純から着信あった」
羽鳥「俺んとこも着信あった。ユーレイ???」
宮沢「俺も! 純、死んでるよな? 死んでるよな?」
平井「俺にもあった。富田何か知ってる?」
富田「ボクのとこにも来ましたよ。平井氏ちょい待ち。調査中なう」
羽鳥「余田ちゃーん、レジェンド純から着信あったー?」
宮沢「よだっちー???」
平井「まさか彼女といたしてる真っ最中とかw」
羽鳥「かもしんない。一緒に住んでる相手がいるって、去年の夏、いってたから」
高橋「富田、まだか」
富田「調査中」
平井「十年になるんだっけ、純が死んでから」
宮沢「レジェンド純。俺らのあこがれ。まさか死ぬなんて(泣)。ホワイトシルバーの車体マジかっこよかった」
羽鳥「語ってますバイク狂ミヤザワ」
平井「さすが元ヤンの息子」
宮沢「だまれ。この県のワルを統一した伝説の男を語って何が悪い」
グループでメッセージをやりとりしているらしい。富田さんもいる。つまり彼らは余田さんの友だち。メッセージはさらに続く。
高橋「余田のやつどうしたんだ」
羽鳥「だから一緒に住んでる相手とイチャコラしてるんだからほっといてあげようや」
平井「あのヤケドだらけの体でも受け入れてるなんてすごい女だな」
余田さんの締まった体を彩る火傷。初めて目にしたときは俺も言葉を失った。でも今は何よりもその火傷の痕が俺にはいとおしい。
去年の夏の終わり、羽鳥からかかってきた電話をとったあと、余田さんはとても苦しそうだった。羽鳥は余田さんに能天気にいったのだ。
誰かつきあっている女はいないのか。早く結婚して子供をもうけ、じいちゃんばあちゃんに見せてやれ。
隣で聞いている俺まで心がずたずたになった。悪意がないだけに彼の言葉は、余田さんと俺を深く傷つけた。
俺たちは男だ。子供なんて、つくれない。結婚を前提としている男女であれば誰からも祝福されるのに、愛し合っている同性同士の同居は、好奇の目にさらされる。不動産会社によっては、住まいさえ貸してもらえない。結婚している男女ならば認められる権利も、俺たちには認められないものが多い。
(もう、仲間とは思えねえ)
余田さんは下を向き、声をしぼり出した。俺は余田さんを抱いて、頭を撫でたのだっけ。
富田「お待たせ皆の衆。ボクらのあこがれ純氏の動向がわかりましたよ」
気がつくと余田さんがそばに立っていた。スマホの画面を見下ろすやいなや、眉を上げて目を見ひらく。
余田さんがスマホを持ちあげ、ロックを解除し、右耳に当てる。相手はすぐに出たらしい。余田さんは腹から喉へ引っ張り上げるような低い声を出した。俺が初めて聞く声だ。
「おい、富田」
富田さんの声がスマホから漏れ聞こえる。
「遅いじゃないですか、余田氏。あ、でも、トーク画面見なくて正解だったかも。デリカシーのない羽鳥氏や平井氏が無礼なことをほざいていましたからね。レジェンド純からの着信で、もとワルどもは大騒ぎしてましてねぇ。ボクが調査していたところでしたよ」
「羽鳥と平井の無礼は通常運転だろ。それよりもなんで純から電話がかかってくんだよ」
「ボクのところにもかかってきましたよ。高橋氏、平井氏、宮沢氏、羽鳥氏にもね」
「十年前に死んだだろ」
「スマホだけは十年間、生きてたってことですね」
「もったいつけてねえでさっさと教えろ」
富田さんの口調が改まったものに変わる。
「余田氏には特別に先行して調査結果をお教えしましょう。この案件はボクらだけでなく、ボクらの身近な人物にも被害を及ぼす可能性が高いので。今、まわりに誰かいますか。ボクは同居人からそっと離れて来たところです。ちなみに同性ですよ。ボク、社会人になってからわかったんですが、恋愛対象が同性なんで。おっと、余田氏は対象外なんでご安心を」
余田さんが俺を見る。
俺も余田さんを見る。
決断の速い余田さんが迷っている。
俺の中で余田さんの表情や言葉が再生される。
(三品込みで受け止めるっつってんだろ)
三品聡。俺が初めて愛した、一年六か月前にこの世を去った同性の恋人だ。いつまでも彼を忘れられない俺を、余田さんは苦しみながらも受け止めてくれた。同僚の健から想いを寄せられ、悩んだ末に一線を越えてしまった俺に、泣きながらいってくれた。
(もうどこにも行くなよ。俺がいるじゃん)
直感した。今、余田さんの前から去ったとしたら、俺は後悔する。
今がその時だ。俺も余田さんを受け止める。家族全員を失った火事、ケンカばかりしていた不良少年だった過去、そして俺を危険にさらすまいとして逡巡している今。全部、まるごと、受け入れる。
「そのまま話していいよ」
小声で俺は余田さんに告げた。余田さんがスマホを右耳から下ろして俺の前に一歩寄る。
「だめだ。これはヤバそうなヤマなんだ」
「今度は俺が余田さんを受け止める番だよ」
「無理すんな」
「無理してでも余田さんと一緒にいる」
余田さんが天井を向く。ため息をひとつつく。
「日野さん。ほんとに頑固だな」
俺は余田さんの左手を握った。余田さんがスマホの画面上で指を動かす。富田さんの声が聞こえた。スピーカーをオンにしたのだ。
「ご準備整いましたか」
「おう」
「純氏のスマホでかけたのは、馬場です」
余田さんの鋭い目がさらに切れ上がる。
「馬場って、純をはねたやつじゃねえか」
「このたびめでたく出所したとの情報です。根拠は馬場本人のものとみられるSNS。さっそく反社会的勢力の一員として活動開始していることがわかる投稿が見られます。ご丁寧に暴露アンド宣戦布告なさってますから。『純のスマホを手に入れた。純にしたがったやつらを狩りに行く』とね。ちなみに今はこの投稿を見ることはできません。馬場本人とみられるアカウントも見当たらない。どちらもさっそく削除したようですね」
「なんで今さら純のスマホから俺らにかけてくんだよ」
キーボードを打っているのだろうか、カタカタと音がする。富田さんはいっそう声を低くした。
「ボクが思うに、復讐のためではないかと。馬場は純氏と敵対してた。馬場のグループはすでに純氏にしたがっていた。反抗してたのは馬場だけだった。自分を裏切ったかつての仲間たちへの復讐と考えるのが妥当でしょうね」
富田さんがそのときを語る。
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