第12話 沼乃探偵事務所

翌朝――すなわち、あの大活躍の夜の次の日である。

妖霧は二段ベッドの、一階部分で目を覚ました。そしてスマホの時刻を何となく眺めた……自分が遅刻したことを知り、慌てて飛び起きる。


「……あ、あれ? みんなどこ行った?」


布袋エリアにある、沼乃探偵事務所。

午後12時、事務所には妖霧一人しかいない。這い出るようにしてベッドから出ると同時に、スマホのグループチャットを眺める。


《フレイヤ:オタクショップへ。

 カジー:どっかの女子んとこ。

 昼には戻るから、妖くんはゴミ捨てよろしく!》


「あの野郎ども……なんで起こしてくれなかったんだもう」


ぼやきつつもゴミ袋をまとめ、事務所の前に置いたときだった。


「おはよう、妖ちゃん。お寝坊さんだね」


玄関から顔を出したのはあかりだった。

白いTシャツにショートパンツ、ピンクの髪をポニテにまとめ、まるで休日のお姉さんのような雰囲気だ。


「昨日はお疲れ。今日もよろしくね、副所長さん」


「い、いや……その呼び方はちょっと」


「あはは、かわいいとこあるじゃん」


 あかりは妖霧の横を通りすぎ、ゴミ袋を指さす。


「……ところで妖ちゃん。ゴミ袋の中身、ちゃんと分別してる?」


「もちろん」


「うそ。昨日の夜、ペットボトル燃えるゴミに入れてた」


「気配消したのに……見てたのか」


「見てたよ」


妖霧は気まずくて、目をそらした。


そ、そうだ――これは、よい機会なのでは?

昨日の鍛冶山のアドバイスが、まだ頭に残っている。


その、今日こそ……食事に誘ってみるか?


勇気を出そうとした瞬間――。


コンコン、と入り口が叩かれた。


スーツ姿の三人組が、そろいもそろって柔らかい笑顔で立っていた。

胸元には〈ウォーターフロント都市開発部〉のバッジ。


「こんにちは。沼乃探偵事務所さんですね? わたしたち、ウォーターフロントの者です」


「……はい。何のご用でしょうか」


あかりが前に出て、妖霧が何か言うのをあからさまにさえぎった。

だが次の言葉で、彼女の顔が固まる。


「立ち退きの件で伺いました。というのもこちら、清流院さんからのご依頼でして……」


その名前を聞いた瞬間、あかりの表情がわずかに強張ったのを、妖霧は見逃さなかった。


「あの……前にも言ったよね。ここを、どく気はないよ。ここはあたしの事務所だから」


「しかし、行政代執行の可能性があります。

抵抗されますと強制になりますが、よろしいですか?」


「強制って……何の権限で勝手に言ってんのよ? こっちは学級弁護士立ててるんだ。何か言うならそっちによろしく」


その声は、普段の明るい感じではなく怒りをはらんでいた。


「そういうことらしいから……今日は帰ってくれ」


事情を理解していない妖霧だったが、三人をぎろりとにらむ。

三人の男女は、それでも笑顔を崩さない……わざとあおってくるような雰囲気が鼻につく。


「承知いたしました。今日のところは失礼いたします……どうぞこれからも、よろしくお願いいたします」


あかりに押し出されるようにして、三人の職員は退散した。

扉をほとんど強引に閉めると、あかりはため息交じりにつぶやいた。


「……ごめんね。ちょっと嫌なやつらで」


「あいつらは? ウォーターフロント、とか名乗ってたが」


妖霧の問いに、彼女は首を横に振りながら答えた。


「ウォーターフロントは、マナ使いの更生プログラムの一つ。

簡単に言えば、……バランティアの都市開発と、マナの研究事業を柱にしてるんだ」


なるほど……マナリーグや地団駄団と同じような、プログラムの一つというわけだ。


「しかしそんな連中が、何で立ち退き要求してくるんだ?」


「最近この布袋エリアに、巨大なマナ実験施設を開発するって話が持ち上がっててね。元々他のマナ使いからしたら、このエリアは治安が悪いし、都市開発の話は仕方ないと思う。

でもあたしたち住民の意向は、一切聞き入れられてないんだ」


「なるほど。どうにも――まだおれの知らない、事情があるらしいな」


妖霧は両腕を組んで、彼女に尋ねた。


「それで? 今あいつらの言っていた、清流院ってのは誰だ?」


「うーん……昔、あたしの親友だった子の名前」


あかりは窓の外を見るように目線を遠ざけた。

ピンク髪がわずかに揺れる。


「あたし、探偵事務所、ここに作ったのも理由があってね。

あたしさ、児童保護施設の出身なんだけど……そこで、結構ひどい目に遭ったんだ。

マナ使いとして能力が開花して、あいつらに追い出された時……居場所を求めて、ここに流れ着いたんだ」


ゆっくり語り始めるあかりの声には、少しだけ震えがあった。


「それでいろいろあって、今この廃墟にたどり着いた。それでね、ここを事務所にすることにしたんだ。

あとは妖ちゃんも知っての通り……あいつらからしたら、勝手に廃墟に住み着いた悪者って感じかな」


妖霧は茶々を入れることなく、黙って聞いていた。

普段は明るく振る舞う彼女が、こんな弱さを見せるのは珍しい。



「そうだ。妖ちゃんも、昔話とか……ある? 最強の風使いになる前の話とか?」


「いや……別に、大した話じゃない」


「えー? 聞きたいなー」


あかりが体を寄せてくる。

その距離があまりにも近く、妖霧の顔は瞬時に沸騰した。


「必要なら、今度してやる。だが、面白い話じゃない……」


「そんなことないよ。あたし、楽しみにしてる」


あかりが笑って――突然パンと手を叩いた。


「そうだ! せっかくの機会だし、あたしが案内してあげるよ」


「ん? 案内?」


「あたし、この布袋エリアには2年もいるんだから。妖ちゃんにもしっかり案内してあげないと」


そう言いながらあかりは、彼をあざとく見つめて言った。


「まさか他に用事があるなんて言わないよね?」



妖霧の脳内には、いろんな思いが流れ込んできた。

恥ずかしさ、ドキドキ、緊張、そして期待――

これって、実質デートではないだろうか?


――断るなんていう選択肢、彼には思い浮かぶわけもなかった。

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最強の風使い、美少女にだけ勝てない 羊乃AI @hitsuji-no-ai

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