第四章 第二話 弱者のゲーム:彩音、君だよ

 昼休み。

 三人組はいつものように教室を抜け出し、二階の美術室裏にある倉庫跡へ向かった。

 壊れかけの窓から差し込む光が、舞うホコリを照らしてた。

 その光の粒が、まるで彼女たちの“秘密の基地”を飾るスポットライトみたいに見える。


 綾香は古びた講台に腰をかけ、

 ぶら下げたローファーのかかとを机のふちにカン、カンと当てる。

 その音が狭い部屋に響き、まるで彼女の苛立ちを刻むメトロノームのようだった。


「――マジさ、あの女、あたしのことナメてない?」

 ガムを噛みながら、綾香は唇を吊り上げる。

 その目は、笑っていない。


「えぇ~? 違うって~。ただのポーズじゃん?」

 里奈は木箱に腰を下ろし、

 スマホを弄りながらネイルの色を確認した。

「中二病じゃん。自分の世界で主人公気取り~。見ててマジ痛いんだけど~」


 綾香は目を細め、

「……あの目。前はさ、ちょっと睨んだだけで俯いたのに。今日は――目を逸らさなかった」


「ふふん、反抗期なんじゃない?」

 里奈は鏡を取り出してグロスを塗り、

「で、どうすんの? スマホ水没すいぼつコース? それとも靴箱にプレゼント?」


 綾香は答えず、ガムの包み紙を指でねじ切る。

「……焦んなくていいよ。まずは――“あの子”から、ね。」


「……“あの子”?」

 里奈が眉を上げる。


「佐藤彩音よ」

 綾香の唇がゆっくりとゆがんだ。

「今日、高橋と一緒にお昼食べてたでしょ? あの子、前から高橋にべったりじゃん。

 だから――最初に崩すなら、弱い方」


「ははっ、出た。いつものやつね」

 里奈は肩をすくめ、ニヤリと笑う。

「柔らかいほうからつぶすってわけ。ほんと、綾香らしいわ~」


「……でも」

 紗希が口を開いた。

 窓際に立ち、腕を組み、視線を落としたまま。

「高橋の目、今日は違ってた。あれ、前の彼女じゃない」


 綾香は一瞬だけ沈黙ちんもくし、

 次いで不敵ふてきに笑った。


「だから、面白いのよ」


 ――


 放課前。

 重たい雲の下、教室には微妙な熱気ねっきが満ちていた。


「――ね!佐藤彩音!」


 その名が呼ばれた瞬間、ざわめきが止まる。

 クラス全員が、一斉に声の主を見た。


 廊下ろうか側から三人組さんにんぐみが歩み出る。

 綾香はポケットに手を突っ込み、モデルのようにゆったりとした歩幅ほはばで進んでくる。


「ちょっと話、あるんだ」

 彼女は彩音の机に手をつき、軽く覗き込むように言う。

「別に怖い話じゃないからさ。ね?」


「そーそー」

 里奈が指先で髪をいじりながら、わざと甘ったるい声を出す。

「彩音ちゃんってさ~、ちゃんと来るよね? “”だよ?」


 彩音の喉が小さく動く。

 言葉を探すように口を開いたが、

 出てきたのは空気のれるような音だけだった。


「……わかった」


 その返事に満足したように、綾香は笑い、

「じゃ、放課後。美術室びじゅつしつうらで。」


 里奈も踵を鳴らし、

「高橋さんは~、勉強熱心べんきょうねっしんだからなくていいよ? ね?」



 その瞬間、三人の視線がそろって惠美に向かった。


 彼女はペンをにぎったまま、微動びどうだにしない。

 視線はノートの白紙はくしに落ち、表情は石のように静かだった。


 ――何も、返さない。


 その沈黙が、かえってするどひびく。



 彩音の喉が小さく鳴る。

 彼女は、ただうなずくしかなかった。


「……うん。」


「楽しみにしてるね」

 綾香は唇を吊り上げ、背を向ける。


 ドアが閉まると同時に、

 教室には再び雑音と笑い声が戻った。


 だが、惠美の手にあったペンは、

 彩音が頷いたその瞬間から――

 一度も、動いていなかった。

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