【論考 社会評論 エッセイのまとめ】
一潟紅黎
【論考&社会評論】謝罪が燃料となるとき
謝罪が燃料となるとき
―― 炎上における本質のズレと悪意の構造 ――
(※本作は特定の個人・団体を非難するものではありません。
加害者や被害者を明確にせず、
「炎上」と「謝罪」という現象そのものを考察する私見です。)
◆ 序論:なぜ謝罪が火を拡げるのか
近年、謝罪が火を消すどころか、炎をさらに強める場面をよく目にする。
本人は真摯に頭を下げているはずなのに、なぜ批判は鎮まらないのか。
私はそこに「本質のズレ」という共通点を見ている。
本質のズレとは、何が問題だったのかを正確に掴めないまま謝ること。
意図や事情を説明しても、受け手の痛みと噛み合わないとき、
その言葉は消火剤ではなく燃料になる。
炎上そのものよりも、「謝罪が燃える」という現象に、
人間の脆さと誠実さの限界を見る。
誰もが加害にも被害にもなりうる時代に、
その構造を理解することこそ、私たちができる小さな防火策だと思う。
◆ 炎上の二つの型と「本質のズレ」
炎上には、大きく二つの型がある。
一つ目は「意図しない誤り」に起因する炎上。
知識不足、勘違い、タイミングの悪さ。
そこに悪意はなくても、結果的に誰かを傷つけてしまう。
私はこのタイプの炎上に、人間的な不器用さを見る。
誰にでも起こり得ることだからこそ、誠実な謝罪と学び直しで修復できる余地がある。
二つ目は「悪意や敵意」に基づく炎上。
他者を攻撃したり、自身を正当化するために歪めた言葉を使うケースだ。
この型では、謝罪すら戦略として使われることがある。
「誤解だった」と装えば、悪意の存在をぼかせるからだ。
この二つは外から見るととても似ている。だからこそ「本質のズレ」が起きる。
悪意のない人ほど、弁明を重ねて火を大きくしてしまう。
一方で、悪意ある人ほど、上手に“誤解”を演じる。
それを見抜くのは難しい。
けれども、どちらの場合も鍵になるのは「理解」だ。
謝罪とは言い訳ではなく、被害の本質を理解した証明でなければならない。
◆ 第一事例:本質を誤った謝罪
ある配信者が、事件被害者の写真を装飾として動画に使用したことで、批判を受けた。
背景の一枚にすぎないと思っていたものが、見る人にとっては「冒涜」と映った。
その後、謝罪が出されたが、内容は制作経緯の説明が中心で、
**「なぜそれが傷つけたのか」**という理解にまでは届いていなかった。
本質を理解していないがゆえに、選ぶべきではない言葉が並ぶ。
敬意を欠いたと言いながらの再公開の模索や、
結果的に「被害者を軽視していた」と受け取られかねない経緯説明。
明確にズレた理解のもと、謝罪で包んだ説明が続いた。
きっと本人に悪意はなかったのだろう。
しかし、敬意の欠如は、言葉の端ににじむ。
後日、再謝罪が出された。そこには明確な変化があった。
批判の本質を理解し、軽視してしまった点に正面から向き合っていた。
批判の内容を精査し、本質を見つけ出すことは難しい。
延焼した批判は無関係で無秩序になり、制御も困難だ。
その中から確信を突く冷静な批判を拾い上げ、
一般的な常識や倫理と照らし合わせ、
自分の過ちを分析するのは、まさに大火災の只中で真実を探す作業だ。
私が評価したのは、そこに到達しようとした姿勢である。
うわべだけの「鎮火したい」だけの謝罪では辿り着けない場所に、
たしかに踏み込んでいたと感じた。
◆ 第二事例:指向性を持った反論
別の配信者は、ある批判的なコメントに反応した。
その言葉は、攻撃とも感想ともつかない微妙なもの。
長く積み重なった心無い言葉たちの中の、たったひとつだった。
私はその反応を見た瞬間、
「ああ、これは怒りというより、限界を超えた悲鳴なんだな」と感じた。
普段から抑えていた不満や悔しさ。
それらが、ほんの一言で決壊してしまったのだろう。
問題は反論そのものではなかった。
問題は、それに指向性が生まれてしまったことだ。
本人の意図を超えて、ファンや視聴者が一斉に動き、
結果的に別の誰かを傷つけてしまった。
私は、ここにも当人の悪意はなかったと思っている。
知名度が高いがゆえに、プライドの傷や怒りを公に出せない。
楽しい配信を目指すがゆえに、憤りをあらわにできない。
それらが蓄積し、放流の機会を逃していた。
反論が“指向性”を帯びた瞬間、濁流に変わる。
普段それをしない人ほど、一度決壊すると流れは止められない。
もはや反論した本人の意図など存在しない。
ファンの側に蓄積していた不満と憤りが、ただの攻撃としてあふれ出す。
その後の推移は、本人が望んだ流れだったとは思えない。
「言葉の封殺」や「謝罪の強制」を意図したのではなく、
溢れかけていた断片が、騒動を受けて一気に表出したのだろう。
ダムは水を無限に貯め続けられない。
溜まり過ぎれば適度に放水し、決壊を避けるべきだ。
亀裂は、日々投げかけられた言葉で生じていたのかもしれない。
限界に達していたから、わずかな衝撃で崩れたのかもしれない。
私は、意図しない濁流のすべてを、ひとりの責任として飲み込む必要はないと思う。
ただし、指向性が生まれ、被害者が出たのなら、そこに対するお詫びは要る。
必要なのはそれだけだ。
重要なのは、悪意を持って指向性を与え、被害を生んだ場合は別だということ。
それは許されないし、断じられるべきだ。
本件は、想定外の指向性によって被害が生まれた――私はそう見ている。
だからこそ、被害者へのお詫びがなされた際には、
世間がその人を許す余地を残してほしいと願う。
◆ 悪意と誤解の境界線
謝罪が失敗する最大の理由は、本質を誤ったまま語ることにある。
「意図はそうじゃなかった」という言葉は、たいてい受け手を遠ざける。
それは理解の証ではなく、自己防衛のサインに見えるからだ。
皮肉なことに、悪意を持つ人ほどこの仕組みを知っている。
批判の本質を正確に掴みながら、あえてズラす。
「誤解だった」と言えば、火が自然鎮火することを知っているからだ。
私は、悪意よりも恐ろしいのは無理解だと思っている。
無理解は誰にでも起こり得て、しかも自覚がない。
誠実な人ほど、「誠実なつもりの言葉」で相手をさらに傷つけることがある。
それが「謝罪が燃料化する」最も人間的な構造だ。
◆ 結論:本質を見失わないために
謝罪が燃料になるとき、
それは多くの場合、誰が、どの部分で傷ついたのかを見誤っている。
経緯の説明よりも、意図の弁明よりも、
まず必要なのは相手の痛みを理解する姿勢だ。
誠実な謝罪の要点は三つ。
被害の本質を理解すること
その痛みに対して誠実に詫びること
同じ過ちを繰り返さない仕組みを考えること
これができたとき、初めて謝罪は“再出発”の言葉になる。
そしてその過程で、誰もが気づくだろう。
謝罪とは、自分の正当化ではなく、他者の理解を取り戻す行為なのだと。
私は信じている。
謝罪の本質が「理解」である限り、たとえ炎は大きくても、いつかは静かに鎮まる。
それを見届けられる社会であってほしいと、心から思う。
◆ 付記:私見
これは、知名度の高い人が不平不満を漏らすべきではないという論ではない。
著名人や有名人は神ではない。
そもそも私が知る神話や伝承の多くで、神々は怒りに囚われ、色欲に揺れ、
美醜で差別すらする“人間らしさ”を持って登場する。
神にすら制御できないものを、人が完璧に制御できるはずもない。
歴史に残る王や偉人からも、不平不満をまき散らして暴れた例はこぼれ落ちてくる。
ここで語った二つの例は、悪意の攻撃でも悪意ゆえの常識欠如でもない。
「本人の意図していない捉えられ方」と「悪意に起因する攻撃」は、外から判別が難しい。
狡猾な者は、本質を正確に読み取りながら、あえてずらす。
本質を捉えられると悪意が露呈するからだ。
だからこそ、本質とズレた謝罪をし、認識違いを演じる。
悪意なら自然鎮火は難しいが、認識違いは自然鎮火もあり得る。
当人が思っているより、その根幹、真意は漏れ伝わるものだ。
それでも、言葉の端々から読み取れるだけで、口にされない悪意は真実ではない。
真意を察したとしても、語られていない真意を元に、
悪意を断じるような事が起こらないように気を付けていきたい。
想像や推測を根拠に他者を断じることは、それ自体が新たな攻撃になり得る。
悪意を持って行われた事を批判するために、自身がそうなる必要は無いだろう。
これを読んだ方々が、冷静な判断への道を少しでも見つけられたなら嬉しい。
謝罪がうまくいかず燃え広がるのは、多くの場合、本質とズレた謝罪に起因する。
もしあなたに善意と道徳があり、真に謝罪の意思があるのなら――。
謝罪したのに受け入れられないことに憤る前に、
自分の理解が本質からズレていないかを、もう一度確かめてほしい。
🪶 作者コメント
炎上は他人事に見えて、実は誰もが当事者になり得ます。
叩く側にも、叩かれる側にも、「悪意のない誤解」は潜む。
この文章が、「自分はどんな言葉で他者に触れているか」を振り返る小さなきっかけになれば嬉しいです。
【論考 社会評論 エッセイのまとめ】 一潟紅黎 @hitogatakurei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【論考 社会評論 エッセイのまとめ】の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます