夢の魔法使い

音羽真遊

夢の魔法使い

(えっと、今日の小テストの範囲は……)

 登校中の地下鉄の車内。私は何とか確保した座席で、世界史の教科書を開いた。

 顔の高さまで持ち上げたそれを、ぼんやりと眺める。

 本当は、小テストなんて、自分に対するただの口実だ。泣きはらした目を隠せるのなら、何でも良かった。

(まぁ、誰も私のことなんてたいして気にしていないんだろうけど)

 私はあくびをかみ殺し、、目尻にたまった涙をぬぐう。肌に指が触れるとヒリヒリと痛んだ。

(一晩中泣いたのなんて、はじめてかも)

 上着のポケットから鏡を取り出し、自分の顔を映してみる。

 その刹那、鏡から突然強力な光が放たれた。

「えっ、なにっ? まぶしっ!!」

 光に驚き、電車内だということを忘れて大声を出してしまった。

 周りの乗客に睨まれているだろうかと恐る恐る目を開けると、ありえない光景が目に飛び込んできた。

「えぇっ」

 自分で見た物を信じられず、瞬きをして目を擦る。

「痛たた」

 擦ったことで再び痛みを感じた瞼に気を遣いながら、ゆっくりと目を開く。けれど、目の前の光景は目を閉じる前と変わらなかった。

「どういうコト?」

 満員に近かったはずの車内が、すっぱり空っぽになっているのだ。私以外、誰もいない。 私はまるでマンガの登場人物のようにあごに人差し指を当て小首をかしげた。

「どういうコトだろうねぇ」

 突然、隣から男の声が聞こえた。私以外の人間がいないことは確認したはずなのに。

「誰っ!?」

「さて、誰でしょう?」

「うわぁっ」

 声のした方を振り返ると、思ったよりも男の顔が近くにあって、私は無意識に後ずさっていた。

「……地味に傷つくなぁ、ソレ」

 じっと私を見つめるその顔は、この世のものとは思えないほど整っている。

「あなた、誰なの?」

「魔法使い」

 男は視線をそらさずにふわりと微笑む。

「……」

(どうしよう。怪しすぎるっ)

 怪しいことはわかっているのに、得体の知れない男なのに、その笑顔から、目がそらせない。それどころか、どこか安心さえ感じさせるような、不思議な笑顔だ。

「ところでお嬢さん。何か悩みはありませんか?」

「……」

(より怪しくなってきたっ)

 それなのに、目をそらすことが出来ない。いや、もしかすると、そらさせてもらえないのかもしれない。

「お兄さんに話してごらん?」

 笑顔だけでなくその声もまた、優しく包み込むようでいて、有無を言わせない強さを持っている。私はきっと、どこかでわかっていたんだろう。この人には逆らえない、と。

「ふぅん。で、君が密かに思いを寄せていた幼なじみは君の親友を好きになってしまった、と」

「やめてよ、密かにとか。恥ずかしいじゃない」

 私はぽろぽろと涙をこぼしながら訴えた。

「あぁ、ごめんごめん」

「本当はわかってたの。はじめて二人を会わせたときから。きっと二人は気が合う。お互い好きになるかもしれないって。でも、いざ二人が付き合うことになったら、何か心がドロドロしてきて、二人に向かって裏切り者って言っちゃったの。おめでとうって、良かったねって、笑って言いたかったのにっ」

 二人が付き合い始めたことが嫌だったんじゃなくて、二人が私から離れていくような気がして、それが寂しかっただけ。

「……今日、二人にどんな顔して会えばいいの……?」

「よしよし。じゃあ、お兄さんが君にいいモノをあげよう」

 男はそう言うと何かを包み込むように両手の平を重ね合わせた。手の隙間から、まぶしいくらいの光が漏れている。

「君の涙を止める薬」

 ゆっくりと開かれた手の中を見て、私は泣き笑いを浮かべた。

「ってこれ、みかんじゃん」

 高校に入ってはじめて出来た友達に、好きな果物はみかんと言ったら、その年の冬、家で取れたからって、山ほど学校に持ってきてくれた。正直ちょっと恥ずかしかったけど、そのみかんは本当においしくて。

 お互い好きだった先輩に彼女が出来たときは、みかんのやけ食いしたりもしたっけ。

 そう言えば、二人を初めて会わせたときにも、お土産にってみかんを持ってきてたような。

「ぷっ。どれだけみかん……」

 気がつくと涙は止まっていて、笑みがこぼれていた。

「ほら、笑った」

 男の声と同時に、再び鏡が光る。

「だから、まぶしいって!!」

 私は思わず目を閉じた。

『○○動物園前~』

 聞き慣れたアナウンスに気づいて、私は目を開けた。

(……いつの間に眠ってたんだろう)

 いつの間にか膝の上に落としていた教科書をカバンにしまい、ホームへと下りる。改札への階段を上りきると、そこにはみかんを山ほど抱えた女の子が立っていた。

「おはようっ。昨日はごめんねっ」

 二人同時に、同じ言葉が口をついて出る。それに気づいて、顔を見つめて笑い合う。

(二人して目を腫らして、なにやってんだか)

「みかん、一緒に食べようと思って」

「こんなにいっぱいどうするの」

「え~、食べれるよ」

「そう言えば私、さっきみかんの夢を見た、気がする」

「どれだけみかん好きなの??」

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夢の魔法使い 音羽真遊 @mayu-otowa

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