第2話 村人の諍い
三日間の療養を経て、やっと家に帰れることに。
診療所の先生は「大きな怪我もないし、もう大丈夫」と笑顔で送り出してくれた。
父が私の荷物を持ちながら、大きく息を吐く。
その心からは、愛情と安堵に満ちたヴィオラの音が聴こえてきた。
何日もベッドで横になっていたせいか、足取りが少しふらつく。
でも、我が家に帰れる嬉しさの方が大きかった。
メロディア村の道は、いつもと変わらない。
木造の家々、気の早い煙突からは、夕餉の準備の煙が上がっている。
私のよく知る、穏やかないつもの村。
でも――私には、すべてが違って見えた。
すれ違う村人から、次々と心の音が聴こえてくる。
「アリア、無事で良かったわね!」
いつもの笑顔で声をかけてくれる、パン屋のマリアンヌおばさん。
でも、彼女の心からは重く、暗いコントラバスが響いている。
旦那さんの病気のことを心配しているの……?
肉屋のハインリヒおじさんは、「無茶するんじゃないぞ」と苦笑いしながら、私の頭を撫でてくれた。
だけど、心の太鼓は激しく打ち鳴らされてる。
誰かと揉めてる?……心配だ。
笑顔の裏に悲しみ。優しい言葉の裏に怒り。
心の音が教えてくれる本心と、取り繕った表情――こんなにも違うんだと驚いてしまって、どう接したらいいのかわからなくなる。
本音と建て前とはよく言うけどさ……。
そんなモヤモヤを抱えながら家に着くと、父は私に休んでるように言って荷物を片付けはじめる。
私は母がいつも座っていた窓の椅子に腰を下ろして、窓からの景色を眺めた。
窓の外では、夕陽が響骨山脈の向こうに沈もうとしている。オレンジ色に染まる空と森の木々のシルエット。巣に帰る鳥たちの最後のさえずり。
私は、そっと目を閉じた。
心の音が、遠くからも聴こえてくる。村中の人達の心の音が、まるで遠くで演奏しているオーケストラのように響いている。
これは、一体なんだろう……?
このチカラは、私に何をさせようとしているんだろう……。
翌日、アンダンテ月の16日。
今日も雲ひとつない快晴だ。
もうすっかり元気になった私は、溜まった洗濯物を片付けることにした。
村の井戸で水を汲む。
冷たい水で顔を濡らすと、眼が覚めて気分もさっぱりする。
さて、洗濯洗濯!
桶に水を満たして持ち上げようとした時――。
「返せと言っているんだ!」
大きな怒鳴り声が、村の広場から聞こえてきた。
「何事……?」
桶をその場に置いて、声が聞こえた広場の方へ向かう。
そこには村人たちが集まっていて、中央で二人の男性が対峙していた。
ひとりは、村で鍛冶師をしているグスタフさん。
トミーの父親だ。30代半ばの筋骨隆々とした体格で、口調は乱暴だけど仕事熱心で優しい人。
もうひとりは、村で大工をしているヨハンさん。
20代後半で、器用な手先で村の家々の修繕を一手に引き受けている。
二人とも顔を真っ赤にして睨みあっている。
「俺の斧を返せ!お前が盗んだんだろう!」
グスタフさんが怒鳴ると――
「盗んでなんかいない!俺は自分の斧を使っているだけだ!」
ヨハンさんも言い返す。
野次馬に集まった村人たちは困惑した表情で二人の言い合いを見ている。
村長のオットーさんが仲裁に入ろうとしたけど、働き盛りの男二人の剣幕に押されて引き下がった。
……たしかに、あの体格の良い二人に睨まれたら、怖いよね……。
オロオロと困った様子の村長を手伝おうかと思ったその時、グスタフさんとヨハンさんから心の音が流れてきた。
私は二人に意識を集中させる。
すると、周りの音が遠ざかって、グスタフさんとヨハンさんの音がはっきりと聴こえてきた。
グスタフさんの心からは、激しい太鼓の音。
怒りに震えている。でも――その奥に不安が見える。トミーのこと?……それとも別の不安?
ヨハンさんの心からは、不規則なピアノの音。
焦りと困惑と――恐怖。何かに怯えている?
二人とも、嘘はついていない。心の音が教えてくれる。
でも、じゃあ――真実は?
「二人とも落ち着いて――」
村長が再び声をかけようとした時、グスタフさんがヨハンさんに掴みかかった。
「返せ!あれは、あの斧は親父の形見なんだ!」
「だから!俺は盗んでない!」
ヨハンさんも負けじと押し返す。
二人は取っ組み合いになって、村人たちが慌てて止めに入った。
「グスタフ落ち着け!」
「ヨハンも熱くなるな!」
村人たちが必死で止めようとするけど、二人とも大柄で筋骨隆々だ……。
「私も止めに入った方がいいかな……?」
すぐに弾き飛ばされそうだけど、意を決して飛び込もうとした時、ふと思った。
心の音では、二人とも本当のことを言っている。
グスタフさんの斧は確かに無くなっているようだ。
ヨハンさんもグスタフさんの斧を盗んでなんかいないと、心の音が叫んでいる。
だとしたら――真実は?
「待って!」
私は思わず声を上げていた。
村人たちの視線が、一斉に私に向く。
グスタフさんとヨハンさんも、驚きで動きを止めた。
いつもは大人しくて、あまり声を張り上げたりしない私の大きな声に、みんなが驚いている。
「アリア……?」
村長が困惑した表情で私を見るけど、構わず私は二人に近づいた。
深呼吸をして二人に問いかける。
まだ、胸がドキドキする。
間違っていたらどうしようと、怯える気持ちがむくりと顔をもたげるけど、ぐっと押さえつける。
大丈夫、この聴こえている音は、間違ってなんかいない。
「グスタフさん、ヨハンさん。二人とも、少しだけ話を聞かせてもらえませんか?」
グスタフさんが、険しい顔のまま私を見た。
「アリア……お前には関係ない。トミーを助けてもらった恩は忘れてはいねぇが、これは俺とヨハンの問題だ」
大柄な男性から発せられる怒気に、身体が恐怖で固まってしまいそうになる。
ただでさえ顔も怖いんだから、迫力が凄い。
だけど、勇気を振り絞って言った。
「でも、このままじゃ何も解決しません。お二人の話を、ちゃんと聞きたいんです」
ヨハンさんが疲れた表情でため息をついた。
「……いいだろう。どうせこのままじゃ埒が明かないからな」
その様子に、グスタフさんも渋々といった感じで頷いた。
話し合いが出来る――そう感じた私は、グスタフさんから先に話を聞くことにした。
「グスタフさん、斧が無くなったのはいつですか?」
「3日前だ。アンダンテ月の13日の朝、工房から消えちまっていた」
心の音が変わる。
激しい太鼓の音が、少し静まった。
話を聞いてもらえる。その安堵が伝わってくる。
「斧の特徴は?」
「柄に模様がある。親父が彫った、三日月と星の模様だ」
グスタフさんの声が少し震えた――太鼓の音も静かになっていく。
「親父は10年前に死んだ。あの斧は……大事な形見なんだ」
彼の心から、チェロの悲しい旋律が聴こえてくる――父への思慕。そして、喪った悲しみ。
私は頷いて、今度はヨハンさんに向き直った。
「ヨハンさん。あなたの斧を見せてもらえますか?」
ヨハンさんは少しためらった後、自分の工具袋から斧を取り出した。
立派な斧だ。
刃は磨かれて、柄にも手入れが行き届いている。
でも――――柄には、模様がない。
「これは……」
グスタフさんが目を見開いた。
「俺の斧じゃない……」
ヨハンさんがほっとしたような表情を浮かべた。
「だから言っただろう!俺は盗んでないと!!」
呆然としているグスタフさんと周囲の村人たちに向かって、自分の無実を訴えるヨハンさん。
「グスタフの斧じゃなかったんだ……」
「じゃあ、グスタフの勘違い?」
「これじゃ、ただの言いがかりだわ」
村人たちの言葉に、顔色が悪くなっていくグスタフさん。
一方、安堵の表情を強めるヨハンさん。
これは、誰が見てもグスタフの勘違いで、ヨハンさんに因縁を付けたように見えるよね。
――でも、私はヨハンさんの心の音を聴いていた。
ほっとした音の奥に――――まだ、彼のピアノが恐怖に震えながら音を紡いでいる。
……何かを、隠しているんじゃないかな?
ふう。
……少し、頭が重い。
二人の心の音を同時に聴くのは、思ったより疲れる。でも、まだ大丈夫。
「ヨハンさん」
私は、静かに尋ねてみる。
「あなたは、グスタフさんの斧のことを、何か知っていませんか?」
ヨハンさんの顔が強張った。やっぱり……。
「…………知らない」
――嘘だ。
彼の心の音が、激しく乱れて不協和音を響かせている。恐怖の旋律が、高く震えている。
でも、それは――悪意の音じゃない。
そんな感じに聴こえない。
何かから、誰かを守ろうとしているのかな?
震えて高く響く音色の中に、確かに感じる音だ。
「ヨハンさん」
私は、もう一度尋ねてみる。
「あなたは、誰かを守ろうとしていますね?」
驚愕の表情でこちらを見るヨハンさん。
青ざめて、震える声で答える。
「……なぜ……そんなことが…………」
「教えて下さい。本当の事を」
私は、彼の目を真っ直ぐ見つめて問いかけた。
こめかみがズキンと痛む。
心の音を深く聴きすぎたかな……。
でも、ここで諦めるわけにはいかない。
ヨハンさんは、長い沈黙の後に、ゆっくりと口を開いた。
「…………息子だ。うちの息子のエミールが……斧を持ってるのを見たんだ」
グスタフが息を呑んだ。
「エミールが?」
ヨハンさんは俯きながら、苦しそうに続けた。
「3日前の朝、エミールが見慣れない斧を持って、森に入って行くのを見た。追いかけて問い詰めたけど……黙り込んで何も言わない」
ヨハンさんは頭を抱えながら、申し訳なさそうにあった事を吐き出す。
「斧は森のどこかに隠したようで……俺は、息子を守りたかった。仕出かした事をわかっていながら……だが……」
彼の心から、深い悲しみと後悔の音が聴こえてくる。
父として、息子の過ちを庇ってしまった。
でも、それが友人を傷つけることになってしまった――その後悔とジレンマが、彼を苦しめていた。
「エミールはどこに?」
私がエミールの居場所を尋ねると、ヨハンさんは俯いた。
「家にいる。部屋で閉じこもって……」
「エミールを連れてきてもらえますか?」
私の言葉に、ヨハンさんは驚いた表情を浮かべた。
「だが……」
「大丈夫です。きっと、エミールなりの理由があるはずです」
私は、なぜかそう確信していた。
――エミールの心の音が、遠くから聴こえてくる気がした。
それは――――怯えて震える、小さな音だった。
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