第5話:畑仕事は、土壌のお掃除から始めますの

 翌朝、わたくしが目を覚ますと、部屋の扉が控えめにノックされた。


「……どなたかしら?」


「あ、あの、『掃除屋』様……! 朝食の準備ができましたので……!」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、宿の主人、ガドさんのやけにへりくだった声だった。


(掃除屋様……? まあ、わたくしのお掃除の腕を認めて、敬意を払ってくださっているのね!)


 プロとして認められるのは、悪い気はしない。わたくしは少し得意な気分で階下へ降りた。すると、昨日までとは打って変わってピカピカに磨かれたテーブルの上に、湯気の立つ朝食が用意されていた。黒パンと塩辛い干し肉だけだった昨日までの食事とは比べ物にならない、ふわふわの白パンに、新鮮な野菜のサラダ、それにジューシーなソーセージまで添えられている。


「これは……?」


「は、はい! 街で一番の店から、一番良いものを! どうか、お口に合いますれば……!」


 ガドさんは、まるで尋問を受ける罪人のように直立不動でわたくしを見ている。


(ど、どうしてしまったのかしら。一夜にして、お客様へのホスピタリティ精神に目覚めたようですわね)


 わたくしはありがたく豪華な朝食をいただくことにした。食事を終え、薬草採取の依頼へ向かう準備をしていると、ガドさんがおずおずと声をかけてきた。


「あの……シーナ様。本日は、どちらへ?」


「月見草の群生地へ、薬草を採りに行きますの」


 その言葉を聞いた瞬間、ガドさんの顔からサッと血の気が引いた。


「つ、月見草の群生地……! あ、あそこは、マーチャント商会の……いえ、その、『汚れた』連中の巣窟でございます! どうか、どうかご無理はなさらないでください……!」


(まあ、そんなに衛生環境の悪い場所なのですか)


 きっと、ゴミの不法投棄場所にでもなっているのだろう。わたくしは、むしろ掃除魂に火がつくのを感じた。


「ご忠告ありがとうございます。ですが、わたくし、汚れている場所を放置できない性分ですの。大丈夫ですわ、綺麗にお掃除してまいりますから」


 わたくしの言葉に、ガドさんは「ひぃっ」と息を呑み、深々と頭を下げてわたくしを見送った。その背中に向けられた畏怖と尊敬の眼差しには、まったく気づかずに。



 街の門を抜け、依頼書に示された群生地へと向かう。そこは、街から少し離れた小高い丘の上にあった。一見すると、ただの寂れた野原にしか見えない。

 けれど、よく目を凝らすと、不自然な点がいくつもあった。特定の区画だけ、土の色が違う。それに、雑草に紛れて、見たこともない紫色の葉を持つ植物が、等間隔に植えられている。


「……妙ですわね。この土地、なんだかとても苦しんでいるようですわ」


 まるで土が悲鳴を上げているような、そんな感覚。おそらく、連作障害か何かで、土壌の栄養バランスが極端に偏っているのだろう。

 わたくしは目的の月見草を探す。それは、紫色の植物が植えられた区画の隅の方に、申し訳程度に生えていた。


「まあ、ありましたわ。ですが……ずいぶん元気がありませんわね。これでは、薬効も期待できませんわ」


 痩せた土地で育った薬草は、品質が落ちる。植物の生育にとって、土壌のコンディションは最も重要な要素の一つだ。土が酸っぱくなりすぎていると、栄養をうまく吸収できなくなるのだ。


「仕方ありませんわね。少し、この土地のお掃除をして差し上げましょう」


 わたくしはまず、邪魔になっている紫色の植物――おそらく、土壌の栄養を独り占めしている外来種か何かだろう――に意識を集中した。


「お掃除(クリーン)」


 わたくしがイメージしたのは、土壌から、この植物にとって必要な栄養素だけを『お掃除』すること。すると、紫色の葉を持つ植物は、みるみるうちに萎れ、枯れていった。


「あら、効果てきめんですわね。では次に、土壌全体の浄化を」


 わたくしは両手を地面にかざし、スキルを発動する。畑を耕し、最適な状態に整えるイメージ。まるで、床にワックスをかけるように、土の表面を整え、中にある不要な成分を綺麗にする。そうすれば、土はツヤツヤと輝きを取り戻すはずだ。


 その、常識では考えられない光景を、茂みの中から二人の男が監視していた。マーチャント商会の見張りだった。


「お、おい……なんだありゃあ!?」


「『ポイズンウィード』様が……枯れていく……!?」


 彼らが栽培している麻薬の原料、ポイズンウィードが、少女が手をかざした場所から次々と枯死していく。魔法を使っている様子はない。ただ、そこに立っているだけだ。


「ま、まさか……昨夜、ガドの宿から逃げ帰ってきた奴が言ってた『掃除屋』ってのは、あの小娘のことか!?」


「馬鹿な! だが、現実に俺たちの畑が……! やべえ、本部に知らせろ!」


 一人が慌ててその場を離れようとした、その時。


「あら、こんなところに害虫がいますわね。害虫は、見つけ次第駆除しませんと」


 シーナが、自分の足元にいた毛虫を指さして呟いた。

 だが、その言葉は、見張りたちには自分たちのことだとしか思えなかった。


「ひぃっ! 気づかれた!」


 パニックになった見張りが、隠れていた茂みから飛び出す。わたくしは突然現れた不審な男たちに驚き、咄嗟に護身用のダガーを構えた。


「ど、なたですの!?」


「く、来るな! 化け物め!」


 男は腰に下げた剣を抜き、やけくそになって斬りかかってきた。

 しかし、その切っ先がわたくしに届くことはない。


「お掃除(クリーン)」


 ツルンッ!

 男は足元をすくわれ、勢いよく地面に頭を打ち付けて気絶した。もう一人も、戦意を喪失してその場にへたり込んでいる。


「まったく、乱暴な方たちですこと」


 わたくしは気絶した男の剣を取り上げると、ついでに彼らが隠れていた茂みも綺麗に刈り払っておいた。風通しが悪いのは、植物の生育にも、衛生上もよろしくない。


「ふぅ、スッキリしましたわ」


 土壌お掃除のおかげで、残った月見草は青々と元気を取り戻していた。わたくしは依頼された量を採取すると、満足してその場を後にした。

 気絶した男と、腰を抜かした男。そして、壊滅した麻薬栽培所を残して。



 遠く離れた丘の上から、一部始終を望遠鏡で監視していた諜報員クロウは、静かに感嘆の声を漏らしていた。


「……見事だ」


 マーチャント商会の麻薬栽培所を、たった一人で、しかも死者を一人も出さずに無力化してしまった。枯れた毒草、気絶させられた見張り、そしてなぜか綺麗に刈り払われた茂み。物的証拠は一切残っていない。まさに完璧な『お掃除』だった。


「『害虫は駆除する』……か。次は、誰を『掃除』するつもりだ、シーナ……」


 クロウは、この恐るべき『掃除屋』の次のターゲットに思いを馳せ、身震いするのだった。

 一方その頃、リンドブルムのマーチャント商会支部に、栽培所壊滅の報がもたらされ、支部長である隻眼の男、ボルコフが激怒の雄叫びを上げていたことを、わたくしはまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る