第3話:ギルド登録は、清廉潔白にお願いしますわ
あれから夜通し歩き続け、ようやく森を抜けたわたくしの目に飛び込んできたのは、高い城壁に囲まれた大きな街だった。粗末な木の看板には『冒険者の街 リンドブルム』と書かれている。
(つ、着いた……! ここが、わたくしの新しい人生のスタート地点!)
城門をくぐると、そこは活気に満ち溢れていた。石畳の道を、屈強な武具を身につけた人々が行き交い、鍛冶屋から響く槌の音、酒場から漏れ聞こえる陽気な歌声、様々なスパイスの香りが混じり合って、これまで貴族の屋敷という狭い世界でしか生きてこなかったわたくしの五感を刺激する。
お腹がぐぅ、と鳴った。そういえば、昨夜から何も食べていない。まずは、ゴブリンから手に入れた魔石を換金しなければ。わたくしは道行く人に尋ね、街の中央に一際大きくそびえ立つ『冒険者ギルド』へと向かった。
ギルドの巨大な樫の扉を開けると、むわりとした熱気と汗、そしてお酒の匂いが鼻をついた。中には、いかにも「冒険者です」という感じの、傷だらけで目つきの悪い男たちが大勢たむろしている。
(うわぁ……。なんというか、清潔感とは程遠い空間ですわね。これはお掃除のしがいがありそうですわ)
場違いな令嬢の登場に、ギルド中の視線が一斉にわたくしに突き刺さる。特に、カウンターの前で酒を飲んでいた巨漢の男は、ねっとりとした視線でわたくしを頭のてっぺんから爪先まで舐めるように見ると、下卑た笑みを浮かべた。
「お嬢ちゃん、ここは遊び場じゃねえぜ。お貴族様のおままごとは、お屋敷でやってな」
絡んできた。所謂、テンプレというやつだ。わたくしは内心うんざりしつつも、淑女の微笑みを崩さずに、優雅にカーテシーをしてみせた。
「ご忠告、痛み入ります。ですが、わたくしはここに遊びに来たわけではございませんの。れっきとした、用事がございますのよ」
完璧な貴族令嬢の作法。それが逆に、相手の神経を逆撫でしたらしい。男が顔を赤くして何かを言おうとした、その時。
「お客様、何か御用でしょうか?」
凛とした声が響いた。カウンターの中から、栗色の髪をポニーテールにした、快活そうな女性が顔を覗かせていた。胸元のプレートには『リリア』と書かれている。
「まあ、助かりますわ。魔石の換金と、冒険者の登録をお願いしたいのですけれど」
わたくしがそう言うと、リリアさんと周りの冒険者たちが、一瞬きょとんとした顔をした。わたくしは構わず、革袋からゴブリンの魔石五つをカウンターの上に置く。
「ゴブリンの魔石……。これを、あなたが?」
「ええ。昨夜、森で少々やんちゃな方々に絡まれまして。お掃除させていただきましたわ」
リリアさんは少し驚いたようだったが、すぐにプロの顔に戻り、魔石を鑑定用の皿に乗せた。
「確かに、ゴブリンの魔石ですね。品質も上々です。五つで……2500ソルになります」
(2500ソル……。露店で売っていたパンが一つ200ソルでしたから、パンが12個ほど買えるくらい、ですか。命がけで十数体の魔物と戦った対価としては、少し寂しい気もしますわね……)
少し落胆しつつも、無いよりはましだと自分に言い聞かせ、続いて冒険者登録の申請をする。
「お名前と、スキルを教えていただけますか?」
「名前はシーナ、と申します。スキルは……『お掃除』ですわ」
わたくしがそう答えた瞬間、ギルド内に一瞬の沈黙が走り、次の瞬間、あちこちから堪えきれないような失笑が漏れた。「お掃除だと?」「メイドの真似事かよ」。リリアさんも、さすがに困惑した表情でペンを止めている。
「あの……お間違いでは?」
「いいえ、間違いなく『お掃除』ですわ」
わたくしが胸を張って答えると、リリアさんは何とも言えない表情で登録用紙に書き込もうとした。その時だった。ギルドの隅の席に座っていた、厳つい顔つきのギルドマスターらしき男に、黒装束の男が近づき、何事か耳打ちをしているのが見えた。
◇
「マスター、緊急の報告だ」
諜報員のクロウは、息を潜めてギルドマスターのゴードンに告げた。
「王家の者か。……して、何の用だ」
「今、カウンターにいる少女。『シーナ』と名乗っているが、彼女はただ者ではない。我々の間では『掃除屋(スイーパー)』と呼ばれている、凄腕のエージェントだ」
「なんだと!?」
ゴードンの目に驚愕の色が浮かぶ。
「スキルは『お掃除』だと? フン、我々を試しているのか、それとも隠す気すらないのか。まさしく『掃除屋』そのものだ。彼女は、とある巨大な組織に属している可能性が高い。昨夜、森でゴブリンの群れを一人で『掃除』しているのを目撃した。その手口は、まさにプロの暗殺者。そして、この街に来たのは、何らかの重大な任務を遂行するためと見て間違いない」
クロウは、昨夜聞いた少女の独り言を思い出し、確信を込めて言った。
「『目に見えない腐敗菌』……彼女は、この街に潜む見えざる脅威をターゲットにしている。下手に刺激すれば、我々も巻き込まれかねん。ギルドとして、最大限の便宜を図り、彼女の任務の邪魔をしないように取り計らってくれ」
「……分かった。王家の依頼とあらば」
ゴードンは頷くと、受付のリリアに目配せし、手招きした。
◇
リリアさんはギルドマスターに呼ばれていくと、すぐに血相を変えて戻ってきた。そして、わたくしに向かって深々と頭を下げた。
「シ、シーナ様! 大変、失礼いたしました! まさか、そのような御方とは露知らず……!」
(え? えええ!? な、何ですの、この急展開は!?)
わたくしの隠しきれない気品がついにバレてしまった、ということかしら? いやいや、そんなはずはない。家出してきたばかりの小娘ですわよ、わたくし。
「登録料の2000ソルですが、いえ、とんでもない! 我々の方から、是非登録していただきたいくらいでして! こちらはギルドからのささやかな『ご挨拶』ということで……」
「は、はあ……」
登録料が無料になった。ラッキーだ。
「それから、こちらの魔石ですが、新人への期待料も込めまして、5000ソルで買い取らせていただきます!」
(ご、五千ソル!? 倍じゃないの!)
わたくしが目を白黒させていると、リリアさんはさらに信じられないことを言った。
「本来ならGランクからのスタートですが、シーナ様ほどの実力者に雑用をお任せするわけにはまいりません。マスターの特例で、Eランクからのスタートとさせていただきます!」
もう、何が何だか分からない。けれど、悪い話ではないことだけは確かだ。
(こ、このギルド、新人に優しすぎませんこと!? きっと、わたくしの類稀なる才能と、将来性を見抜いてくれたのに違いありませんわ! 見る目がありますわね!)
わたくしは、すっかり上機嫌になり、潤沢な資金とEランクの冒険者証を手に入れた。
早速、ギルドの依頼ボードを眺める。Eランクの依頼は、ゴブリン討伐や護衛など、まだわたくしには荷が重そうなものが多い。その中で、比較的安全そうな薬草採取の依頼を見つけた。
「まずは地道に稼いで、ちゃんとした装備を整えませんと。薬草にも色々種類がありますからね。例えば、この『月見草』。この油は傷薬の基材として有名ですが、実は肌の保湿にも効果があるんですよ。女性としては、美容にも気を遣わないといけませんものね」
ぽつりと呟いた独り言。それを、ギルドマスターとクロウが聞き逃すはずもなかった。
「「(『月見草』だと……!?)」」
二人の顔が同時に引きつる。『月見草』は、反王家派閥の急進派として知られる、ルナール公爵家の紋章だ。
(クロウ)「『傷薬』……公爵家の『弱点』を探る、という意味か!」
(ゴードン)「『肌の保湿』……『肌』は『派閥の表層』、『保湿』は『内部から潤す』……内部分裂を誘う、ということか!?」
二人は、その恐るべき作戦内容に戦慄していた。
そんなこととは露知らず、わたくしは「月見草の採取」の依頼書を手に、意気揚々とカウンターへ向かった。
「シーナ様、承知いたしました。……くれぐれも、道中お気をつけて。何か、『お掃除』の際にお困りのことがあれば、いつでもこのリンドブルムギルドにご相談くださいませ」
リリアさんは、すべてを理解したかのような、意味深な笑みを浮かべてわたくしを見送った。
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