ねじれ

[レイ]

「セゴはわたしを幸せにしてくれると言ってくれた。だからシンのことは忘れろと。わたしはシンに操られている。シンを殺してやると言うから頭に来た」


 扉が開き、互いに身構えた。ミアが現れて、さっさと医療部の裏へと連れ戻された。堂々とていた。来た回廊を他の剣士が複数、騒動の後片付けをしていたが、ミアは臆することなく連れ出した。シンとレイは早足で歩きながら話した。


「わたしがいない方がいい。こんなことに巻き込まれて。シン、村からずっと休まる暇がないし」

「だからセゴと?」


 ミアが、ここは若い兵士が逢い引きに使うところで、たまにこんなもつれが起きると笑った。駆けつけたほとんどが野次馬だったらしい。


「他にもある。わたしはあの状況で盗めるのはセゴだと思うの。自由に出入りしてもおかしく思われない」

「一人では盗めない」


 レイも納得した。セゴたちが盗んだとすれば、誰かの命令があるからこそだ。特に女王の剣はシンが扱うとき以外は重さも変わる。


 ミアの案内で裏口から治療部の奥へと滑り込むことができた。正面は剣士たちの屯場なので、恥ずかしいときの場合、皆こうして裏口から入ってくるらしい。


「こんなの痴話喧嘩のレベルで済ませられるんですか?」

「死んでないしね。前には刺された奴もいるわ。女の子の自殺騒ぎとか、決闘とかね。剣士ってのはもてるの。本人たちもわかってる」


 はじめて街の食堂で会ったときには、そういう気配があった。誰からともなく声をかけて、この世を楽しんでいる快活さに感心した。任務とはいえ、才能もいる気がする。


「ここには殺されてから来なさいと話してる。さ、早く入って。治療してる人は寝てるんだからね。できるだけ静かに」


 詰め所に入ると、ミアは本を読んでいた椅子に腰を掛けた。そしてシンたちは並んで立たされた。

 ランプの灯の前、ミアは頭を支えるように机に片肘をついて、まずシンを見て、レイを見て、再びシンを見た。そしてじっとしていた。

 今だな。

 シンはレイを向いた。

 改めて言うのも恥ずかしい。

「レイ、聞いてくれ」

「うん」

「君を守るのは僕だ。君が好っ」

「シン、わたしもあなたを守る」


 レイは腰に腕を回してきつく抱き締めてきた。一緒にいてもいいんだと思うと息が苦しい。こうしてシンに抱き締められると、彼の筋肉と呼吸が自分のものになる。


「わたしはシンが好き。ずっと昔からの友だち。生まれる前からずっと一緒にいた気持ちなの。だからわたしもシンのことは失いたくない」

「ん?」

「あれ?」とミア。


 シンはレイをそっと離した。壁際でミアと顔を突き合わせた。


「僕たちさ、交わってる?」

「惜しいとは思うんだけどね」

「惜しいのかな。橋の上と下を通ってる気がするんだけど」

「でも嫌われてはないわ」

「でもずっとお友だちでいましょうねって言われてるんだよ」

「早かったのね。本人も気づいてないみたい。あなたが悪いのよ」

「なぜだよ」

「ま、そんな子に告白しようとしたのは誰よ。二人お似合いだわ」


 ひとまずシンたち部屋に戻ることにした。騒動が収まるまでミアのところで待とうと思ったが、治療部にセゴの彼の仲間が運ばれてきたので逃げるように戻った。


「ねえ、シン、聞いて。ウラカが剣を盗んだのかも。そう考えれば納得できない?」


 レイはハイデルに行く前、海と山越えのところで、すでに剣はルテイム王国へ向かっていたと話した。


「でもそれならわざわざ共和国へ運ぶこともないだろ。途中で……」

「途中で奪おうとしてた。たぶんハイデルくらいで。でも港へ入る前に教会が貸すように命じた」

「ウラカなら渡したように見せかけられるだろうけど、するかな?」

「しないと思う。剣が城に入る前に奪おうとしてる人がいた」

「共和国か」

「あの剣は人を魅入るのよね」

「僕は特に何ともないけど。もう眠いから寝る。明日は忙しくなる」

「うん。おやすみ」


 レイは頬にキスをした。シンは驚いた顔をしたので、ふふんと笑ってみせた。知らないな。こうして好きな人同士は別れるんだぞと教えた。


[シン]

 シンはレイと別れて部屋に戻ると、ベッドで何となく格子天井の格子の数を数え始めた。じいさんも絵を描いていたなとひどく懐かしい気持ちになった。以前と違い、今はもう少し話せればよかったと思う。

 探すのではなく、待てばいいのではないかと考えた。ベッドに両腕を広げて、天井に描かれた絵を思い出すと、部屋が闇に沈んだ。

 剣はシンを必要としている。

 兄はシンを必要としている。

 待てばやって来る。

 城は単なる器だ。

 悩んでいる暇も惜しく、もう決めなければならない。どこの誰の善意や悪意があろうとも、決めるのは僕なんだろう?と自問した。

 シンの全身はドロドロと混濁した粘液の中へ沈んだ。天地水平もわからない状態の中、シンはまとわりついてくる髪、腕、指、目玉と一緒にどこまでも沈んでいく。くまるぐると世界が回ると、いくつもの琥珀の粒が城を照らしていた。ここにはいくつもの魂が封じられている。


 シンは息苦しさに目覚めた。

 すでに窓から光が差していた。よく寝たような寝てないような。頭の中にかすみがかかっているようだ。

 城のすべてを手に入れたい誰かがいるんだろう。ただ「奴ら」は力を手に入れたい。どこの誰だかわからないが、第一王子の悲しみも苦しみも考えに及んでいない。戦争なんてのも偽善と偽善の衝突にすぎない。


「終わらせてやる」


 ベッドから起き上がると、扉の下に紙が差し込まれていることに気づいた。シンは片手で開いて、水差しの水を飲みながら読んだ。


『決闘を申し込む』

「勘弁してくれ」


 シンは隣のレイに知らせるか迷ったが、これから一緒に行動するんだから隠しごとはしないと決めた。

 すでにレイは起きていて、寝ぼけ眼で歯を磨いていた。


「何?」

「入っていい?」

「もちろん。シンならいつでもウェルカムよ。何で別々なの?」

「気を利かせてくれてるとか?」


 何だか部屋の格が違うような気がするのは気のせいかな。そんなことはどうでもいいが、泊めてもらっておいて、よくここまで散らかせるなと苦笑した。ミアに叱られそうだ。


「シン、窓の外見てみそ」

「ん?」

「右の方」


 右手を見ると、群衆が門から出ようとしていた。ポケットを探って望遠鏡で覗いたところ、手や背に荷物や子供を抱えた人が城から出ようとしているところだった。


「レイ、何でこっちの部屋にはバスタブがあるんだ?」

「シンのところはないの?」

「ない。便所もない」


 便所は落下式のものがバスタブと同じ部屋に備えつけられていた。こっちは廊下の遥か向こうの公衆便所まで歩いているというのに。


「何か話あるんじゃないの?」

「決闘を申し込まれたんだけど」


 シンは紙きれを渡した。レイは受け取らない。字が読めない。教会で教えてもらえるかもしれない。


「で、決闘って何?」

「何かのために闘うんだ」

「何のために?」


 レイは洗面器の中に突っ伏して洗った顔を手ぬぐいで拭いた。


「実際、何するの?」

「殺し合い」

「そっか。いつもやってるのは決闘なのか。セゴが相手になるかな」

「勝てないかな」

「ん?」

「ハンドアックスだし。ほら。じいさんもばあさんもいない」


 レイは無言で金髪を後ろで結わえ上げると、髪留めで留めた。


「殺していいの?」

「相手は僕だよ」

「納得できないな。こてんぱんにやったのはわたしなのに」


 そんなに映りのよくない鏡の前で額飾りをつけて、シンの方が勝てそうだとか思ったのかなと。


「でもシンはやる気満々じゃん」


 レイは腰のハンドアックスを指差した。このまま眠ってしまったからだと答えた。レイはよく眠れた?と聞いてきたので、夢の話をした。


「同じ夢かも。わたしも琥珀に包まれる夢見たんだよね」

「キレイだった?」

「ぜんぜん。シンだけが沈んでいくのよ。私が手を伸ばしてもシンは気づかなくて、叫んで目が覚めた」

 

 シンは笑った。いつもは蛇を首に巻きつけるくせに、夢では手を差し伸べるのか。

 ひとまず群衆のことも聞かなければならないので、ミアのところへ行こうということになった。

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