告白
[シン]
淡いランプの灯を前にしたミアは机に置いた本のページを行ったり来たりしていた。簡単な夕食を食べた後、食器は水桶に浸けたままだ。
「勉強ですか」
「まあね。ここに薬の調合を記してあるのよ。塔の街で教えられたものから自分で試したものまで。でもどうしたの?斧なんて持って」
「レイは?」
「寝てるんじゃない?」
ミアは興味津々に輝いて、薬缶を小さな火にかけた。
「適当なところに座って」
部屋は木造で、廊下側の壁が腰の高さからくり抜かれていた。ミアが特別に作らせたらしい。部屋からは寝ている病人の姿が見えた。彼らがどこに行くにしても、ミアが気づくようにということだった。剣士ともなると抜け出す者もいるらしい。
「ここで住んでるんですか」
「今はこんな状況だしね。住んでるみたいなものかしら」
レイの様子を見に来たの?と尋ねてきた。
「よく寝てるわよ。起こさない方がいいと思うけど」
「そうですね」
「やさしいのね。好きなの?」
「え?」
「そうなの。美人さんだし性格もいい人じゃないの。一緒にいたら守ってあげたくなるわよね」
「彼女、強いですからね」
ミアは薬缶からカップに何とも言えない液体を注いだ。僕が匂いを嗅ぐと、レモネードよと笑うので口に含んだ。それでも苦かった。
「レイはあなたが好きよ」
彼女は飲んだ。あなたの口がお子様なんだわと笑った。そして調合した丸薬をくれた。これを水に入れるとレモネードになるのだと。
「あなたはどうなの?」
シンはミアに剣が盗まれたことを話した。ちょうどウラカとレイが風呂にいた頃、何者かに盗まれた。叱られると思っていないかと気になって様子を見に来たのだと。
「さすがにお風呂に剣を持ち込むことできないもんね。あなたの方が気にしすぎよ」
「情けないですね」
「で、どうなの?」
シンはどうしても苦いレモネードを飲み干した。苦すぎるのか、情けないのかわからないくらいだ。
「レイのこと教えてほしい?」
「え?」
「今、レイはここにいないわ。もうとっくに回復してる」
「ええ?どこに?」
「気づいてないの?レイのことをどうでもいいと考えてない?」
「まさか」
「言い訳はそこまで。思うか思わないかなんてわからない。ちゃんと行動に出してるかどうかよ」
ミアは薬草臭い手でシンの口を軽く押さえるようにして続けた。
「あのさ。あなたはね、やさしすぎるのよ。話を聞いてると、レイが小さい頃に連れて来たんでしょ?」
連れて来たのではなくて、連れて来られた。しかも小さいと言えども何歳かすらわからない。今だに文字も読めないし、書けないし、眼の力のコントロールも曖昧だけれど。
「抜けきらないんじゃない?」
「変わったのは見た目だけで、中身は変わってないんですけどね」
「ほら。そういうところよ。見た目が変わるということは、恋に落ちる人も現れるわよ。そうなれば本人も成長するわ。今回についてはそうでもないんだけどね」
指差すと、壁にぼんやりとした絵が映っていた。何世代も前の解像度の悪い監視カメラのようだ。
シンが迷い込んだとき、ノイタ王子が第一王子の城の間に来たことがある。これと同じ呪術だ。
これでも塔の街にいて、使えそうな術もいくつか学んだ。下手くそだから見えにくいし、相手が隠れるための術具を使うと見えなくなると話した。
「二人とも映ってるわ」
「剣を持ってないから?」
「ここに来るときはいつも持ってないわよ。万が一のために部屋に隠してあるみたいだけど」
「万が一?」
「あなたが戦わなければならないときのために。レイは剣なんていらないみたいだし。健気な子よね」
涙が出てきそうになった。レイがそこまで考えていてくれたことにもそうだが、いつもシンのことを気にかけていたことに思いを馳せた。
「だいたいこれくらいの距離で半時間くらい話してから、わたしのところでココア飲んで帰るわ。いつもは行くときも寄る。二人の話の内容のことね。内容は、ないわ!」
「ない?」
「セゴが口説いて終わる」
「レイは?」
「知りたいの?」
意地悪な笑みを浮かべ、
「いや、あ……」
「情けない。眼中にないわよ」
「でも会いに行くんですか?」
「あなたもウラカに話があると言われたら行ったじゃない。ちゃんと自分のことと照らし合わせなさい」
「確かに」
「仲間が死んで悲しいとか話していると、これから一緒にいてほしいとなるのよ。レイはあなたに振り向いてほしいのよ。意識してないみたいだけどね。甘やかしてるわね」
甘やかしてる気はない。実際に普通に接してきた。もともとやさしい子なのだと、ミアに話した。すると彼女は笑みを含んだ後、すぐ表情を曇らせた。
「セゴも仲間が死んだのはショックかもしれないわ。でもね、皆覚悟してるんだからさ。わたしの弟もダセカも任務を任せられて死んだ」
火にかけた薬缶を見ていたミアの目は沈んでいた。
「でもセゴは生きてるわ。死ねと話してるんじゃないわ。剣の腕もいいのに、女の子のこと考えてる」
「あっ!」
シンは慌てた。
「何してるんだ?」
不意にレイが術を使い、セゴを吹き飛ばした。ただでさえも薄暗い映像が土煙で掻き消され、術の影響のせいでノイズだらけになった。
シンは慌てて飛び出した。
ミアが外へと叫んだ。アーチ状の出入口を抜けて、左!回廊を左へと指示されて走ると、小さな雨水の排水溝が敷かれた排水を管理するための空間に出た。そこに額の眼を輝かせたレイが崩れた壁際に腰を抜かしているセゴを見下ろしていた。
今まさに光る鞭を振り上げたところだった。シンはレイを呼んだ。声すら聞こえていないほどで、近づこうものなら鞭の餌食になるかも。
『レイ』と念じた。
彼女はハッと気づいた。
シンが近づくと、うさぎのように止まった。シンはレイの震える肩を抱いて室内へと移した。他の兵士が駆けつけてくる前に、ミアはシンとレイを納戸に押し込めた。
「ひとまずここにいて。セゴは生きているの?」
ミアが尋ねると、レイは小さく頷いた。ミアが何とかごまかしてくると立ち去った。ごまかせるのか。
「額飾りは?」
言うと、レイは首に掛けていた女王からもらった琥珀の額飾りを結んだ。話す気はないようだ。ひとまずレイが落ち着くまで、シンも彼女の向かって左の側面に腰を掛けた。
「どうしてあんなことを?」
レイは同じことを二度尋ねたもののわずかに動いたのみだ。
「ずっと黙ってるのはダメだぞ」
レイを責めるのは絶対に違わなくないか?と自問自答した。責めてないと言えない自分もいた。
「怒ってる?」
ようやく発した言葉が、いつものそれだった。怒っているように見えてしまうんだろうか。
「いつもそう言うよね。僕は怒るときはちゃんと伝えてると思ってたんだけどね。気にさせたよね」
「そんなんじゃない」
「セゴと会ってたのは驚いた。好きなら話してほしかったかな」
「嫉妬してるの?」
「嫉妬って何かわかる?」
「セゴが言ってた」
レイは自分の右の肩越しにシンをチラッと見た。シンは重い気持ちになっていた。レイに好きな人ができれば、幸せを認めようという気持ちは揺れているのかもしれない。
「わたしはウラカのことが好きだけど、ウラカがシンと話してるときはドキドキする」
シンは言葉を探した。同じ気持ちだと言えば済むだけなのに、どうしてもすぐに言えない。この世界から離れるかもしれないし、いつまでも連れ回すわけにもいかない。しかしそんなことは言い訳だ。
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