密会
[レイ]
レイとウラカは湯帷子姿で洞窟の中の浴室にいた。流れる湯に足をつけたレイは、ウラカと並んだ。洞窟の深くから風が吹いてきて、たまに笛のような音がしていた。ミアと一緒にいたレイにもまとわりついていた薬草の匂いが鼻腔に心地よい。
「ウラカ、何の話?」
「剣のこと」
二人とも湯気の向こうに見え隠れする洞窟の壁を眺めていた。
「わたしは剣をルテイム王国に預けたわ。シンに使わせるためじゃない」
「わたしも使わせたくない」
「レイも同じ意見ね」
レイはシンのキズのことを話した。このまま使い続ければ、シンの体はボロボロになる。今はレイの力が効いているが、これから保証はできない。だから手放したい。
「弱くなるわよ」
「わたしが守る」
「勇ましいわね。わたしも教会の力を注いで全力でシンを守るわ」
レイは小さく溜息を吐いた。言おうか言うまいか悩んだが、どつなるかわからない今、ウラカになら言っておくべきかもしれない。
「わたしはシンと一緒にいたい。でも三つ眼族は魔族。シンの迷惑になる。だから離れようと思う」
「……」
「でも離れたくない」
レイはお湯で濡らした手ぬぐいに顔を伏せた。どうしていいのかわからないし、涙があふれてきた。ウラカに泣いているところなど見せたくはない。
「ね、あなたがシンと一緒にいたいんなら教会へ来なさい」
「シンは教会にわたしの幸せがあるとは思えないと言ってる」
「ずっといるわけじゃない。あなたが一人前になるまで。シンはあなたに選択肢を与えたいと思ってる」
ウラカはレイの湯帷子の冷えた肩を抱き寄せて、一緒に湯に入るように促した。
「選択肢?」
「学べば増えてくるわ。シンといるのもいいし、離れるのもいい。あなたの気持ちと行動が伴えばね」
レイは顔を上げると、これまでに見たことのないウラカのほほ笑みが浮かんでいた。ミタフの民がウラカを信じた理由が理解できた。ウラカという人は、苦しみを秘めてほほ笑んでいる。今も……だ。
「ウラカ、わたしは剣は国王陛下に渡したい。シンから離したい」
「ええ。わたしはルテイムに預けた気でいた。なのに……」
「どうすればいい?」
「剣は?」
「服と一緒に置いてある」
レイは風呂から続く、灯の揺れる階段を見た。ウラカも同じようにした。問題は誰が納得して、誰が反対するか。おそらくシンを納得させることは簡単ではない。覚悟を決めたシンの意思の強さは、白亜の塔でもコロブツでも嫌ほど見た。
「ひとまず教会が何をしたいのか見極めないと」
「ウラカ、わかんないの?」
「残念だけどね。わたしは知らされてない。国と教会の間で極秘に取り決めがなされるかもね」
ウラカが暗い表情で話した。極秘に何を決めるのかと尋ねると、国王一家の命を教会が預かる。共和国はルテイム王国を手に入れる。
「国民は?」
「王国民から共和国民となる」
「これまでみたいに暮らす?」
レイはウラカを覗き込むように尋ねた。王国であろうとどこであろうと、下々の暮らしは同じだ。豊かになることはないし、下手をすれば土地は奪われ、命すら怪しい。
「どういうふうにシンに知られなように剣を国王陛下に渡すかよね」
「剣はわたしが管理してるわ」
「シンは気にしてないの?」
「特には」
「そうなの」
ウラカの呟きに、レイは湯の下での胸に重苦しい気持ちを抱いた。シンを騙すなど耐えられない。
「ウラカは平気なの?」
「ん?」
「ごめんなさい。わたしから頼んだことなのに。苦しいの。これからすることを考えれば……」
ウラカは無言でレイの頭を抱き寄せた。レイは抵抗せず委ねた。ウラカの鼓動が早鐘のように動いているのが響いていた。レイは自分だけではなく、ウラカも緊張しているのだと気づいた。教会の彼女にはもっとしなければならないことがある。
「教会は共和国と何の取引をしているのかがわからない。わざわざルテイムに来たくらいだから、何らかの話は持ってきているはずなのよ」
ウラカはレイから離れて潜るようにした。レイは彼女のゆらゆら動いた黒髪を眺めていた。シンはレイが教会へ行くことがいちばん楽なのかもしれない。
「ウラカ、わたし教会へ行くことに決めた。みんな楽になる」
「んん?レイ、わたしはそんなことは求めてない。シンも。あなたが犠牲になるなんてことはね。教会へ来ることが運命なら来るわよ」
「いいの?」
「もちろん。わたしはね、ここだけの話にしてね、わたしの琴線に触れた人や魂が救われればいい。教会なんて器にすぎないわ」
ウラカは上を向くと、洞窟と風呂の広さを満喫するように、両腕を広げた。レイもやってみた。ここに案内されたときから、片隅で湯を使っていただけなのに気づいた。
「ここは広いんだね」
「レイ、軍使が殺されたことは本当なのよね。教会の調停でどうにかできるものなのかな」
「わたしには難しいことはわかんないけど、セゴの話からすると、国王陛下らは逃げる準備してる」
「教会が誘導するのね」
ウラカは急に沈んだ。足がつくと思っていたのが、予想以上に深くてバシャバシャしていた。レイはそんな彼女の腕を持ち、浅瀬まで引き入れた。ウラカは賢いのかドジなのかわからないところがある。
「交渉材料は何?」
「そんな顔しても、溺れかけたことなかったことにならないからね」
レイが笑うと、ウラカは顔を真っ赤に染めた。少しぬるい湯に手ぬぐいを浸して火照りを冷ました。
「ウラカ、わたしにもわかるように話してほしい。共和国て何?」
「共和国は古い世界に変化をもたらしたい人たちの国ね。以前、白亜の塔を含めた王族が支配した。今、共和国が立ち上がろうとしている」
「じゃ、もう古いお城とかいらないんだ?」
「あぁ!この城よ!」
ウラカは立ち上がろうとして後ろ向きに引っくり返った。レイは何となく気づいた。ウラカは一つのことに集中すると、他のことを忘れる傾向がある。
「この城を丸ごとくれてやれば納得するということ?」
「レイ、そうよ。共和国は城自体が欲しいんだわ」
「古いのに……」
「古いからこそよ」
頭がモヤモヤしたレイは、額飾りを外して洞窟の天井やもっと向こうを見た。城は生きている。自分の力ごときが見てはいけないと、慌てて眼を隠した。交渉で国王一家を逃してやれば済む話ではなさそうだ。
額飾りをはめたとき、
「誰!?」
レイは湯から出た。濡れた湯帷子に足をとられて盛大にこけた。
「二人とも何してるの?」
湯帷子姿のカザミ姫が、二人のお供とともに来た。ウラカは慌てて挨拶をしたが、レイは階段を駆け抜けた。途中、兵士に止められた。
「どいて!」
蹴り倒して、脱衣所の自分の服を散らかした。ない。白亜の塔の一対の剣が盗まれていた。そんな広くない脱衣所を探した。勢いで眼を使おうとした。つんざくような痛みが駆け抜けて片膝をついた。
「息ができない……」
背後からローブを掛けられ、やわらかな体に包まれると、額の飾りをつけてくれる人影がいた。
「ウラカ……剣が……」
「何も言わなくていい。今すぐミアを呼ぶから」
気づいたとき、レイは遠くでシンのやわらかな声を聞いていた。薬の匂いがする。見たことのある壁や天井がおぼろげにでも見えてきた。
「誰も戦争は嫌よ」
「すべて失うからね。何もかも」
命、暮らし、家族、友人、信頼すべてが一瞬にして、また徐々に失われていくんだと話していた。
「僕はこの世界に来て戦うということを覚えた。向こうの世界では散々平和ボケだと言われたけど、平和ボケのままが幸せだと思うよ」
「起きたみたいよ」
ミアがレイの寝間着の首筋から脇に冷たい手拭いを添えた。
「わたし……」
「風呂で倒れたんだよ」
「眼に攻撃……」
「しばらく使わない方がいい」
額飾りの上から指がコツンコツンと当たるのを感じた。彼にコツンとされるたびに穏やかになれる。
「剣が……」
「すべてウラカから聞いてる。気にすることはないよ。つきまとわれてたんだからね。清々してる」
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