チウタキの働き
[レイ]
正門をくぐると、姿が映るほど輝いている巨大な一枚岩が待ち構えていた。シンとレイは二人並んで同じような間抜け面で眺めた。
「大きな岩だね」
「御影石みたい。他の岩とは違うものだね。硬そうだ。壊すなよ」
「何でも壊してきたみたいに言わないでください」
レイは冷えた体をあたためるように腕を抱きながら、これまでどれほどのものを壊してきたのか考えてみろと笑ってみせた。シンも同じくらいだと返してきた。
「寒いのか?」
「何か変かな」
レイは実際に寒くはないが、何か潜んでいる気がして不安だと話した。自分でも珍しい。白亜の塔でもこんなことはなかった。シンの首の様子を見た。シンが消えてしまうのかもしれないと思うときと同じだ。
「悪くなってる?」
「平気」
シンは指折り「白亜の塔、貴族屋敷、呪術学校、聖女教会コロブツ分院、コロブツ湖のミタフ村の堰、精霊の地下神殿、穀倉地帯の水路」と数えていた。
「ルテイムの街の結界」
レイは付け加えた。
「この岩、きれいだね」
「ピカピカしてる」
「術がかけられてる気もする。ここから何か流れ込んでくるの」
レイは離れたかった。またシンの首に巻いている包帯代わりの袖に手を伸ばしてきた。
「使わないでと言ったよね?」
レイは睨んだ。シンは何も使ってはいないらしい。特に使い方もわからないからと表情を緩めた。
「約束はね、シン、守らないといけないんだからね。いい?」
「レイが僕を?」
「うん」
「首そんなにひどい?」
「ちゃんと治さないと。いつまでもこんな袖巻いてちゃいけない」
「白亜の塔で学んだ治癒を自分に施したんだけど意味なさそう」
レイは術自体、使わなくてもいいと言い、右手の奥には礼拝堂らしきものが見た。
「これ外してもらえんの?」
シンはレイに手鎖を見せた。
「わたしに聞かれてもわかんないけど外す?」
門兵は誰かを待っている様子で手持ち無沙汰にしていた。レイは力任せに外した。劣化した木くずと化してボロボロ落ちた。
「外してほしい?」
「できれば」
レイは握りつぶした。
「シン、あの建物にいる神様か精霊様かいるんじやないの?街に教会があるくらいだし」
「捨てられてたけどね」
レイがシンと話しながら礼拝堂へ歩き出したところ、二人の門兵が慌てて正面で槍で止めた。いつまで待たされなければならない。
軽い衝撃が響いた。
「どした?」
「あれだね」
外廊の結界に怪鳥が衝突したのが見えた。二匹、三匹と結界を破ろうとして遥か上空から急降下してきたが、ここでは石ころでも落ちてきたかなというほどの印象しかない。
「おまえたちセゴ殿が来るまでここから離れるな」
門兵が自分の持ち場まで急いで戻った。歩廊の下の暗がりに消えるのを見てから、レイは上空にも門兵にも興味がなさそうに歩き出した。
礼拝堂は開け放たれていた。
天窓にはステンドグラスがはめ込まれていて、そこには花畑にたわむれる女の子たちが描かれていた。
柱と床しかない。
シンは祭壇に近づいた。ひそかにシンの首が治せないか考えていたのだが、そんなものはなさそうだ。
「聖女様かな」とレイ。
「わかんないな」
レイは祭壇を覗き込んだ。聖女教会のコロブツ分院など比べるまでもなく巨大で豪華だった。
「何か聞こえた?」
レイが言うので、すぐにシンは祭壇に背を向けた。彼は誰もいないと答えた。礼拝堂を後にすることにした。
「誰かいないか!」
祭壇から男の声がしたので、レイは「ほらね」とシンを見た。互いに顔を見合わせたが、どうもこうもない。レイは穴を覗いた。
「そこの二人!ノイタ様を呼んでくれ!頼む!チウタキが戻ってきたとお伝えしてくれええっ!」
シンはレイに門兵にこのことを告げるように言うと、すでにレイは祭壇の暗闇に降りようとしていた。
「シン、誰かいる」
「引き上げられる?」
「よっ!」
レイは声の主を泥と煤の中から祭壇から引き上げた。足は靴がなく血に塗れ、手の爪は剥がれて、耳が削げて、なおも生きようとしていた。
「あなたは?」
「レイ。セゴの知り合いです」
レイは重い頭を抱いて、ひょうたんから水を飲ませた。
「セゴか。また会いたいな」
「すぐ来ます」
「もう間に合わんよ」
「これくらいでへこたれないの」
もうこの人は保たないと思うと、レイの心臓が激しく動いた。太ももには棒平剣が刺さっていた。これは邪鬼の持っていたものだ。
「うまい水だよ」
「後でもっと飲めるわ」
「こんな美人に抱かれるなんて何というご褒美なんだろ?」
シンは青年を覗き込んだ。レイは額飾りを外して、あちらこちらのキズに手を添えた。
「もういい。俺は死ぬ。死ぬ前に渡さなければならんもんがある」
レイは彼の鍛えられた筋肉の上から心臓に手を添えた。ガツンと脳天へと突き上がる衝撃がして、それが腕へと伝わると、チウタキの全身にどす黒いものが流れていた。
チウタキは気絶した。煤を手で拭ってやると、やつれた白い顔が現れた。髪は白髪で、髭にも泥がついていた。白亜の塔で学んだできるだけのことはしてみたが、後は本人の生きる力に任せるしかない。
門兵が押し寄せてきた。
「シン……」
「どうした?」
「わかんない。邪気が消えた」
ようやくセゴが現れた。
レイの姿を見て喜んだのもつかの間、床で横たわるチウタキに走り込んだ。シンは「今、レイが治癒をしました」と告げた。
「僕がやろう」
「シン……」
レイは首に目を走らせた。後は本人次第だとも。腕の中の彼のことも心配だが、レイにしてみれば、シンの体調が心配でたまらない。
「とにかく傷が深い。毒にもやられている。ちゃんとした処置をしないと」
シンは斬り捨てた祭壇の下に通じる通路を見つけた。彼が頭を入れた格好をしていたので、首から斬り落とされても知らないと伝えた。
「もう誰もいない。ここは何?」
シンが覗きながら聞くので、レイはセゴに答えを求めた。セゴはよそ者に答えるかどうか迷っていた。それでもレイのまなざしに負けた。
「そこは街へと通じる秘密の抜け道ですよ。城の中でも一部の者しか知りません。いつもは途中途中に魔術を施して鍵をかけて、敵は入れないようになっています」
続いて二人の護衛兵とともに青年が現れた。声の主は肩までの白い肌と金髪に青い瞳をしていた。たぶん僕と同じような歳だが、姿勢からして気品に満ちていた。
「この者は鍵を持っています。その話は後で。早く治癒の間へ運べ」
礼拝堂の外にいた兵士が担架でチウタキを運んだ。セゴはどうすればいいのか迷いつつも、チウタキを見送った後、祭壇まで戻ってきた。
「返すね」
レイはセゴにメダルを返した。気品のある青年は苦笑しつつ、凛とした声で「他の者は外へ。こちらから呼ぶまで入るな」と命じた。
「セゴも隅に置けないね」
「ノイタ様、これは」
「まあいい。私はルテイムの第二王子ノイタです」
青年は名乗った。次にセゴに抜け穴を調べるように命じた。彼はレイもシンも差別しないので、レイは好印象を抱いた。
「セゴに誘われたのですね?」
王子はレイに微笑んだ。レイは頷くと、シンに寄り添うように移動してきた。王子はシンをないがしろにはしていない
「あの者は何か携えていませんでしたか?」
「何も
レイは答えた。
「そうですか」
「でも渡さなければならないものがあると言っていました」
「殿下、ございました!」
セゴが船荷などに使う大きなドンゴロスを持ってきた。袋には平剣が刺さっていて、焦げてもいた。
「王子様、わたしはこの人の治療をしたいんです。城なら何かあるのではないですか?」
チウキタから離れたレイはシンの首を撫でた。湿り気を帯びて、ひそかに白亜の塔の治癒の術を使ったなと思ったが、どうしても責める気にならなかった。眼を首のキズに押しつけて治るように念じた。
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