地下迷路の逃走
[シン]
シンたちは倒壊した神殿の地下にいた。レイの術が効いているうちに彼女を抱いて逃げ込んだ。地下とはいえ、建物が半分ほど壊れていたので、差し込んだ光が昔の死体を照らしていた。昔でももちろん遥か昔のことではない。
レイはシンの膝枕で気を失っていた。一気に敵の力を受け止めた衝撃のせいか、自分の力の消耗のせいかはわからない。ただ珍しい。シンは眼を隠すように、ずっと彼女の額に手を添えていた。埃塗れの顔を地下水で濡らした布巾で拭いた。
「いつまでも連れ回すのはダメだ」
シンは呟いた。
息を確かめようと覗いたとき、レイが「シン!」と叫んで急に起きたので、お互いに頭をぶつけた。
「痛ぁ」
「シン、どこ?」
「痛い」
「ああ」
レイは安心したらしい。
「変なことしようとしてた?」
「しとらんわ。それに変なことってなんだよ。まったく」
「え、あ、その……ウラカが話してたみたいなこと?」
「僕のいないところで何を話してたんだか」
「わ、忘れた」
「どうでもいいけどさ。落ちたときのことは覚えてないのか?」
「シンに抱き上げられた」
「そこまでか。落ちきるまでレイの術が効いてたんだ。無意識だね」
「首……」
レイは喉に手を伸ばした。シンは特に何もないと話した。泣きそうな顔で本当に?と尋ねるので、レイは包帯代わりの袖をほどいて、顔をしかめた。
「首がちぎれてない?」
「今んところ」
シンは頭を左右に動かしたが、今すぐに転げ落ちるようなことはなさそうだと答えた。
「ちゃんと治さないと」
「自分でやるよ」
シンはどこかで替えなければならないなと思いつつ、ひとまず血塗れの袖を巻きなおした。
「ここは?」
「神殿の地下だね。あっちには倉庫があった。台所みたいなところには溝があった。水も流れてた。暮らしていたのかもしれない」
レイは膝枕の上で上の空だ。
「狙われてた気がする」
「シンも気づいた?」
「気づいたのかな。レイの眼のおかげかもしれない。でも驚いた」
「相手は強い」
「レイよりも?」
「うん。わかんない。わたしでもシンを守れないかも」
レイは自分の体を抱いた。シンは震えている彼女に覆いかぶさるようにして「逃げる」と答えた。これまでもそうしてきた。この世界に来て学んだことは今も変わらない。何が何でも逃げきる。後のことなんてどうでもいい。逃げるときは全速力で走る。振り返るなということ。
「起きられる?」
「うん。で、どうするの?」
「ここにいても意味があるとも思えない。それに上は怖い。だから地下道伝いに街の真ん中へ戻る」
「戻るの?」
「東の塔は、まだ攻撃されてないからひとまず身を潜める。派手なことさえしなければ隠れられる」
地下道が続いていたらという条件付きだ。途中、聖女教会が恵んでくれたロウソクに火を灯した。壁際に積み重ねられた骨の一つを燭台に借りた。地下道の両脇には骨が収められた棚が続いていた。
「南無阿弥陀仏」
「それ何にでも効くの?」
「気休めみたいなもんか。しかしまあ狙い撃ちされるとはね」
「敵には見えてたのかな」
「見えるも何もないよ。あれだけ同じところから鳥を撃ち落としたんだからね。気づかれる」
「まったく考えてなかった。シンは考えてた?」
「まったく。そもそも街の結界が壊れるなんてのも考えてないし」
話しているうちに、次第に腹立たしくなってきた。結界内から攻撃できないんなら意味がない。
「シン、結界内から攻撃できないんじゃ意味なくない?」
「耐えるということかな」
塔の街の結界は限定的だ。いかに塔の街は攻撃に特化していたのかわかる。ヤバい連中だったのだ。
「シン、ずっと上りだね」
「疲れた?」
「平気」
レイは続けた。
「土塁は低いところだと思うの。だからちゃんと反対へ向かってると思っただけ」
「待てよ」
シンは振り向いた。しゃれこうべが現れた。レイが冗談で頭からかぶっていた。
「心臓止まるわ」
「暇だし。急にどした?」
「僕たちは中央から東の教会くらいに行かないとならんわけだ」
「だからわたしは上りすぎるといけないんじゃないかなと思うの」
しゃれこうべが話した。要するに上れば上るほど城に近づくと。そう言いたいんだな、レイは。
「正解。一つあげる」
レイは僕の頭にしゃれこうべをかぶせた。しかしこの死人は大きな頭だなと、シンは感心した。
「上るのはやめよう。こっちに通路があれば進んでいこう」
「さっきあった」
「なぜ言わない」
「どんどん進むから、秘密の抜け穴みたいなの知ってるのかと」
「知るわけないよ。どれくらい戻ればある?」
「神殿の下くらい」
「マジか。初手から間違えてる」
シンはレイに頭のしゃれこうべをかぶせると、顔半分が隠れた。
「似合うね」
「うれしくない」
レイはかぶったまま、
「次見つけたら曲がる?」
「そうしよう。今さら神殿まで戻るのは怖いし、実際危ない」
戻ったはいいが、また狙い撃ちされたら堪ったものではない。土塁の外の外、丘の上からだぞ。しかしあれは三撃目だ。一撃は西の教会、二撃目は東の教会。そして三撃目にレイが狙われた。しかも結構連続だっで多少威力は落ちていた。もし一撃目で食らっていれば、二人とも死んでいたかもしれない。
「シン、邪気だ。他にも」
「住人?」
「わからない」
「どのみちやるしかないか」
シンはロウソクを吹き消した。レイが寄り添うと、ずいぶん前に人の姿が見えるような気がした。
「僕には霞んでてわかりにくい」
「目で見るんじゃない。それと考えるんじゃない。ただ感じるの」
「わかった」
「たぶん邪気だと思う」
何かおかしくないか?今の言葉の使い方は、単なる当てずっぽうという意味ではないはずだぞ。
シンは「燃やすか」と呟いた。
他にもいる可能性もあるのかと思いなおした。レイは正々堂々とやろうと駆け出した。
「まったく!」
シンもハンドアックスを抜きながら追いかけた。レイの手からイバラの光をした鞭がしなる。地下道に潜んでいた影が、予想以上に一気に照らし出された。
シンは鞭の下、飛び込んだ。左のハンドアックスで棒状の剣が跳ね飛ばし、敵は逆宙返りでかわした。シンは突いてきた刃をハンドアックスで削るように退けた。つい今、シンから逃れた敵は、一瞬でレイの無数の鞭で粉々に刻まれた。
「こんなところにいるなんてね、それにしてもロウソクいらなくね?」
シンは息を整えながら、精一杯の冗談を言った。塔の街やコロブツにいた連中とは違い、一人一人の強さが際立っていた。
「シン!」
倒したと思っていた敵の体が噛みつこうとして飛び跳ねた。
「こいつら頭がおかしいんじゃないか?ここまでするか?」
ガチガチと音が聞こえた。
火打ち石だ。
「まだ向こうに邪気がいる!」
レイが突っ込もうとした。
シンは寸前のところで止めた。
焦げ臭い煙が流れてきて、袋を手にした男が走ってきた。
「レイ、結界!」
シンはとっさにレイの体に覆いかぶさった。敵は自爆した。シンたちは結界ごと吹き飛ばされた。
地上では陥没していた。
「レイ、大丈夫か」
「大丈夫に見える?」
「何とか」
「じゃ大丈夫かも。頭くらくらするんだけど。眼使いすぎた」
「石のせいじゃないか?」
レイの顔は煤塗れで、涙を浮かべていた。結界が転がった後、ようやく止まった。球体の結界は石畳の石や骨、壁で埋もれていた。
「何で結界が球んこなんだよ。もっと普通のがあるだろ?」
「普通って何?こうしなきゃいけないとかあるの?とっさにイメージしたら球んこになったんだもん」
「泣くことはないだろ」
「煙いのよ」
「結界の中、煙だらけだ」
言いつつ、何とか這い出すことができたのもつかの間、ゆっくりと巨木が倒れてくるのが見えた。
「ヤバいっ!」
シンは慌てて肩で担ぎ止めた。
「今の何!」
「あれだよ、あれ。土塁のところで爆発した奴。火をつけたら爆発しただろ?花火と同じだよ」
「花火、塔の街で一緒に見た!シンは覚えてる?」
「忘れるもんか!」
「きれいだったよね」
「きれいだった」
「また見たいね。ところで何で木なんか担いでるの?」
割れた天井からは光が降り注いでいて、頭上からザワザワと人の声も聞こえてきた。
「引き上げてくれませんか!」
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