07
横浜ベイスターズは打順にようやく型ができあがった。
6月は12勝9敗と勝ち越して最下位を脱出すると、7月はオールスター前までに勝ち星を重ね8勝4敗1分けを記録した。
ただ、残念なことに、好調なベイスターズをおれは生で観ることができなかった。
7月は神宮での試合がなかったし、6月は神宮で開催された2試合で連敗を喫したからだ。しかも、おれが観に行った日は3対13対で負けるというていたらく。早く球場に着いた日に限って、
るみかさんには常連客がつきだした。完全歩合制だから、確実にロングで入ってくれる固定客ほどありがたいものはない。
「ロングばかりだと、『いつ行っても空いていない』と言い出す面倒な客も出てくるから気をつけろよ。るみかさんなら、そこら辺の回しもうまくやれると思うけど」
おれは勤務後で腹ぺこだというるみかさんに、銀だこのたこ焼きをおごった。
「いろいろありがとね。最近さ、私の日記にたまにメッセージが付くの。あの子からなんだけど。落ち込んだ内容を書いちゃうと、励ましの書き込みがあるの」
早咲は誰の心にも居場所を作ってしまう。
「落ち込んだこととかいらいらしたこととか、気をつけて書かないようにしていても、あの子は気づくの」
早咲となら気持ちよくお酒が飲めるのは、そういう彼の気遣いがあるからかもしれない。なにかを察することができるのだ。キャロル・キングが「君の友だち」で歌ったような、都合の良さ。あの歌で主人公がとる行動は、「君」にとってどこまでも都合が良い。そういう都合の良さが、早咲には備わっているのかもしれない。
早咲は最近、ネットカフェを利用するようになった。職探しをするためだと言っていた。るみかさんの日記も、ネットカフェで覗いているのだろう。
ミラノ座の前に行っても、そこにいないことが何度もあった。
おれは仕事の合間を縫って、あの宗教団体について独自に調べた。
店から教団の本部まで、自転車で10分もあれば着くので、何度か周辺に足を運んだ。
本部は神田川沿いの住宅地にあった。6階建てのビルだ。
近隣の住民からは騒音に困っているという話を聞くことができた。夜の10時を過ぎても、太鼓やピアノの音が聞こえてくるという。
他には、近隣への違法駐輪が目立つという話もあった。「道路が狭くなって危ない」「家の前に自転車を置かれて邪魔」とのことだ。
パンティー牧師が実在することもわかった。「ペンティーモクサ」と呼ぶ人もいた。韓国語で「ペンティー」は「パンティー」、「モクサ」は「牧師」を意味する。その宗教団体は、キリスト系の新宗教にありがちな、韓国をルーツとする宗教だった。
一度、信者の女の子とドトールで2時間ほど話す機会を得た。本部裏の通りで座って泣いている彼女に声をかけたのがきっかけだ。
先輩の信者から口汚く罵られたという彼女は、ミルクレープを2皿平らげた。黒い布袋の話は彼女からも聞けた。「くらやみ」もしくは「オドゥム」と呼ばれ、恐れられているようだ。「オドゥム」が韓国語で「くらやみ」であることは言うまでもないだろう。
彼女からは、他にも気になる話を聞くことができた。未成年の信者が組織的な売春に関わっている――という噂が半年ほど前に教団内で広まったようだ。
男性信者が、女の子たちをどこかの組織に繋げた――という話も耳にしたという。なんでも、その男性信者は安心感を与えるのがうまく、彼に誘われて女の子は売りを始めようという気になるのだという。マメなスカウトマンみたいだ。歌舞伎町でもやっていけるに違いない。
彼女はその日、ひとしきり泣き終えると、自転車で東中野方面へと駆けていった。
オールスター明けもベイスターズは好調だった。
中断期間を挟んで9連勝を決め、順位を3位にまで上げた。一方で、
8月1日から早咲は東中野の駅前にあるコンビニでアルバイトを始めた。
就職祝いとして、おれは早咲をラーメン屋に連れて行った。
以前から早咲が行きたがっていた博多ラーメンのお店だ。
博多ラーメンというのは、麺をあまり茹でないから、すぐ伸びる代物だ。しかも、スープとまるで絡まない。硬い麺というのはそういうものだ。早咲も微妙な表情をしていた。
「勤務条件とかはどうなってんだ?」
週に3回、夜10時から朝9時まで、休憩1時間で働くのだと、早咲は答えた。時給は千円。ふたり体制だが、夜1時から朝の8時までは、ひとりで勤務する――という。
「今は研修期間中だから、1時から8時までもふたり体制ですけどね」
「休憩とかどうするの?」
「1時までに食事タイムで30分は休めるけど……」
「でも、店が混んだら、休憩は中断するわけだろ? 落ち着いてメシも食えないじゃん」
「仕方ないですよ。お客さまは神様だから」
「客は神様だから絶対服従すべし――という意味じゃないからな」
早咲は腹の底からため息をついた。自分でも労働環境が悪いことには気づいているのだ。
怒ったような表情を浮かべると、早咲は伸びきった麺をすすった。
「残り30分はいつ休むんだ? それにひとりじゃ、トイレも行けないだろ」
早咲はスープに口をつけると、「うすっ」と声を漏らした。
休憩をまともに取れない環境での労働に、時給千円が見合っているとは思えなかった。
食べ終えると、早咲は夜勤に備えて帰ると言い出した。
ふた駅ほど歩いて中野のカプセルホテルに向かうのだという。
「バイト前は風呂に入ることにしています。2千円の出費は痛いけど、客商売だから」
乾いた風が抜けていくなか、萎れたひまわりのように背中を丸め、早咲は去っていった。
るみかさんは、お店に入ってはじめてお茶を引いた。
その日は最高気温が36度を超え、25度を下回らないほどだった。外に立っていると、息苦しくなるような日だった。
「冷房の効いた部屋にずっといたので、体が冷えちゃって。白湯を飲んでいました。ババくさいですよね」
店の事務所に遊びにきたるみかさんは、肩をすくめてみせた。
テレビでは『千と千尋の神隠し』のCMが流れていた
「今日このCMを待機室で何回も観ましたよ。おかげで観る気が失せちゃった」
彼女はぼやいた。寒さで首も凝っているのだろう。肩をしきりに回している。
「落ち込んだりもしますけど、私は元気です」
るみかさんは照れながらも強がってみせた。
帰路につくるみかさんの背中は、萎れたひまわりのようだった。
おれはといえば、来る日も来る日もAVを売り続けた。POPをせっせと作った。
最新の「店長イチオシ」POPは、
AV屋の傍ら、暇な時間を見つけて、おれはレポートをまとめた。
パソコンのワープロソフトを使って、例の宗教団体に関して知っていることをすべて書き並べた。レポートは、編集プロダクションで働いている知り合いのライターに渡した。
「おれもまだ調べてみるけど、とりあえずそれで原稿にまとめといてよ」
A4用紙で23枚はあるレポートを、歌舞伎町の喫茶店で手渡した。セントラルロード入ってすぐにある「珈琲茶館
目の前にあるボンゴレビアンコを片付けながら、ライターはレポートに目を通していく。ちゃらちゃらしているので不安だが、そいつぐらいしかライターに伝手はなかった。
彼は唇にイタリアンパセリの葉をつけたまま、持ち込み先として雑誌の名前をいくつか挙げた。どれもこれも、早坂ひとみの袋とじグラビアを載せそうな媒体だった。
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