02

 3週間後の水曜日、神宮球場へと向かうため、おれは店を早めに切り上げた。

 横浜ベイスターズとヤクルトスワローズの神宮3連戦の2戦目に、友人と行く約束になっていたからだ。

 小雨がだらだらと降っていた。我らがベイスターズは3回裏までにすでに3点を取られていた。


 神宮へ向かう前、おれは9階に立ち寄った。びしょ濡れに携帯を届けるためだ。社用のパソコンだけでなく、女の子に持たせる社用携帯の手配もうちが請け負っている。

 携帯はるみかさんのために用意したものだった。待機室で3週間ぶりに会った彼女は、ソファに浅く腰掛け脚を組んでいた。

 今日はもう上がるようで、いつものOL風制服ではなく、レモンイエローのサマーニットにデニムパンツという出で立ちだった。今日もカタログをテーブルの上に広げている。

 のぞき込むと、事務服のカタログだった。バドガールやバニーガールならドンキホーテで手に入るだろうが、OL風制服は正規ルートで入手するしかないのだろう。


 携帯を受け取ると、るみかさんは立ち上がって頭を下げた。サマーニットは胸元が大きく開いていた。ソファのへこみを眺めながら、おれは彼女に話しかけた。照れくさくて、目を合わせられなかったからだ。谷間は皆を少年に戻す。

「業界は長いんだよね?」

「はい。再来年に娘が中学に入るんで、風俗に復帰しました」

「そっか。なにかとお金がかかるもんね」

 入り口から出口が覗き見えるような平易な会話を心がけた。業務としての会話だ。明日になったら内容をさっぱり忘れてしまえるような業務的な会話を導入口に、携帯の説明を手短に済ませる。そして、神宮へ向かうのだ――。


「るみかさんは、OL風がコンセプトなんだね。じゃあ、」

 おれが言い終える前に、るみかさんが口を開いた。

「この前、コマ劇場横で若いホームレスに話しかけていましたよね」

 不意打ちだった。

 風呂場に空っぽの鳥かごとラケットが置いてあるような、脈絡のなさだった。パステルカラーで統一された待機室で、おれは余裕を失っていた。


 確かに、おれには若いホームレスの知り合いがいる。

 半年ほど前に知り合ったばかりで、早咲はやさきという男だ。

 大久保公園で寝泊まりし、ミラノ座前の広場によくいる。

 時折おれは早咲に飯をおごっていた。馬鹿話をして過ごすこともある。

 どこでどういうきっかけで知り合ったかは忘れてしまった。第一、男友だちとの出会いなんて、覚えている方がどうかしている。


「あいつがどうかしたのか?」

 名前を言わないよう、気をつけた。

「彼は私の弟なんです」

 彼女がそう答えるまでに、間はいっさいなかった。おれとまた会うことがあったら、この話をしよう――と決めていたに違いない。冗談とは言いがたい間だった。


 歳が少し離れているというのが、第一印象だった。

 るみかさんは30代半ばで、早咲は多分おれよりふたつほど若くて20代前半。OL姿と薄汚れたデニムシャツという対比もあるかもしれないが、姉と弟という組み合わせでイメージしづらかった。両親の健康状態や実家の改装工事について、るみかさんと早咲が話し合う場面を想像できなかった。


「あいつにお姉さんがいたなんて……」

 そう答えるしかなかった。

「あの子とはよく話すんですか?」

 よく話すなんてものではない。おれは早咲に飯だけでなく酒もおごっていた。

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