第四章 私の神様
第18話 亡霊
玲奈の脳裏には、夢で何度も見た細女の姿が過る。
それまで、幸せの絶頂だった。
まだ誰にも話していないが、この日玲奈は、自分のお腹に新たな命が宿ったことを知った直後だった。
月経不順で念のため病院に来てみると、妊娠していることが発覚したのだ。
まだ初期の段階だが、早く帰って聡太に知らせようと浮足立っていた。
産婦人科のある病院は町内でここだけ。
待合室で会計に呼ばれるのを待っている間、どうしてもニヤニヤと笑ってしまった口元は、マスクで隠れていた。
母親になることに不安はなかった。
むしろ、これで聡太との繋がりが絶対的なものになり、片山家の一員としてより一層重宝されることが分かって、嬉しさの方が勝っていた。
空調の利いた病院内はマスク着用が義務づけられていたが、外に出ると息苦しくて、すぐにマスクを外した。
今すぐにでも叫び出したいほど嬉しかったのに、目の前に、細女が立っていたのだ。
それも、こちらに話しかけて来た。
「玲奈ちゃん、中学の頃以来だね」
名前を呼ばれた。
細女に名前を呼ばれた。
にやりと気持ち悪い笑みを浮かべながら、細女に名前を呼ばれたことに驚いて、言葉が出ない。
それと同時に、頭の片隅に押し込んで、ずっと思い出さないように記憶から消したはずの別の記憶がよみがえる。
これは細女に似ているだけで、実在する人間だ。
この声を玲奈は覚えている。
「――……
いつも玲奈の真似ばかりして、「双子みたいだね」と揶揄されていたもう一人のれいなだ。
小学生の頃から、ずっと玲奈が仲良くしていたグループの子たちの中に混じって、不自然なまで玲奈と何もかもお揃いにして、玲奈に対して異常な感情を抱き、気味が悪かった、もう一人のれいな。
いつも玲奈にくっついてくるのと、苗字の芥がごみと読めるから、陰でそう呼ばれていた。
でも、顔が違う。
玲奈の中で彼女の顔は中学三年で止まっているが、普通、五年でここまで変化しない。
芥子麗奈は、一重で、鼻が低くて、笑うと歯並びの悪い不細工な歯茎がむき出しになる。
髪型や着る服は玲奈と同じにしていたとしても、お世辞にも綺麗だとか、可愛いとは言えない顔つきをしていたはずだった。
「よかった、覚えていてくれたんだね。嬉しい」
今の芥子麗奈は、はっきりとした二重瞼と鼻筋の通った高い鼻。
口元に若干不自然な違和感は残っているが、まるで作り物のように、玲奈に似ていた。
それも、今の玲奈じゃない。
中学三年生。
他人に心配されるほど痩せていた、あの頃の玲奈に似せたような顔をしていた。
瞳も、近づけようとカラコンを入れているのだろう。
玲奈と同じように、向日葵が咲いているような、神秘的な色の瞳をしていたが、コンタクトレンズなのがまるわかりだった。
同じくらいだった身長は、玲奈より少し高い。
高校生になる前に身長が止まってしまった玲奈とは違い、高校生の間にまだ少し伸びたのだろうと思った。
「どうして、ここにいるの?」
「どうして? そんなの決まってるじゃない」
何故そんなことを訊いてしまったのか。
無視をすればよかった。
玲奈が過去に麗奈からされたことを考えれば、こんなにも顔が違うのだから、気づいていないふりをすればよかった。
「人違いです」と、たった一言、言えば良かった。
「知らないです」と、しらを切ればよかった。
全身の血が一気に引いていく。
もう季節は夏だというのに、指先が冷たくなっていく。
「私、玲奈ちゃんに会いに来たんだよ。ずっと、ずっと、玲奈ちゃんを捜していたの」
聞かなければよかった。
気づかなければよかった。
「これからまた、私たちずっと、一緒だよ」
その日から、また、地獄が始まった。
* * *
玲奈が芥子麗奈と出会ったのは、小学一年生の入学式である。
自分の家がおかしいと完全に悟る前、「誰にでも等しく、優しく接しなさい」と言われて育った玲奈。
小学校に入ったら、幼稚園よりたくさんのお友達がいて、肌の色や言葉遣いが違う子やみんなより小さかったり、太っていたり、見たがどこか違う人もいる。
玲奈もある意味ではみんなと違う見た目をしていた。
火村家は、家系図を辿るとどこかで異人の血が混ざっている。
その為、いわゆる典型的な日本人とは少し違い、目を引く華やかさがあった。
思わず魅入ってしまう大きな瞳や高い鼻、骨格からして違う部分もある。
まさしく、お人形のようだと子供の頃から容姿を褒められて育った。
それが両親以外からというのが厄介で、玲奈は自分が美しいとも醜いとも思っていない。
だから、小学生の頃から自分が女子たちの間で憧れの的となっているという自覚がなかった。
玲奈が持っている筆箱や下敷き、キーホルダーなど同じものが欲しいと言う子が何人かいて、みんなが持っているから私も……というように、ムーブメントを起こしていたのは玲奈だった。
けれど、それは小学生でも手に入れられるようなものが中心で、たいていの場合、同じものは手に入らず色違いだとか、似たようなもので妥協するしかない。
ところが、いつも完全に色も形も同じものを持ってくるのが一人。
それが、芥子麗奈である。
美恵が言う通りに誰にでも等しく、優しく接することを心掛け、一方で自分の家族が異常であることに気づき始めていた玲奈は、芥子麗奈のその異常なまでの玲奈に対する執着心には、まったく気がついていなかった。
玲奈は次第に誰にも嫌われたくないから、誰とでも常に変わらず平等に接するようになり、高学年にはすっかり「いい子」を演じる癖がついていた。
だから、芥子麗奈が男子や一部の女子たちから「ごみ」と呼ばれていじられているのを知っていても、無碍に扱うこともない。
いつも班分けで溢れてしまう彼女を、担任は玲奈がいる班に入れるようにしていた。
顔は全然違うけれど、同じような髪型で、服装も一緒で、持っているものもお揃いなのだから、仲がいいのだろうと誤解していたからだ。
通学路が同じだったこともあって、よく数人のグループで一緒に登校していたということも、そんな誤解を生む一因になっていた。
小学校の頃は、それでよかった。
芥子麗奈は家が裕福で、欲しいものは何でも手に入るから、玲奈の真似をする麗奈に対して、むしろすごいなと思われているところもあったし、一年生の頃からそういう関係だったのだから、疑問に思うこともなかった。
けれど、中学生に入ると、みんなと同じがいいと思う反面、個性的でありたいという承認欲求も強くなり始める。
芥子麗奈が異常であることに麗奈が気づいたきっかけは、別の小学校出身のクラスメイト・
「あんたさ、玲奈の真似するのやめなよ」
教室の中心で、はっきりとみんなに聞こえるように、大きな声で言ったのだ。
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