第三章 度重なる不幸
第13話 向日葵の瞳
家は、一種の結界である。
神棚や仏壇がある家は、よほどのことがない限り、悪いものは中に入ることはできない。
こちらから引き入れない限りは。
細女の話を聞いた優奈が玲奈に教えた対処法は、簡単だ。
御札が手元にあるのなら、折りたたんで置いておくのではなく、自分の部屋の北西側――神棚を置くと良いと言えるその場所に貼るだけ。
効果は、御札が綺麗な状態であることが望ましい。
玲奈が一枚だけ持っている御札は、上着のポケットに乱暴に突っ込んでいたため、破れてはいないが皺だらけになっていた。
ならば、しわしわの紙幣を綺麗にするのと同じで、アイロンをかければいい。
御札にアイロンなんて、なんだか罰があたりそうな気がするが、信之丞はざっくりいえば火の神らしく、熱はむしろその力を増幅させるのだとか。
しかし、それはあくまでも応急処置。
本当にその細女に憑りつかれているのであれば、祓った方がいい。
今の玲奈にはその力も技術もなく、信之丞のお力をただひたすらにお借りする形になる。
つまり、いつも実家でしていたように、朝晩二回のお祈りは必須。
最低でも十四日間は、毎日欠かさず続けるべき。
御札に向かって、お祈りするのが一番良い。
怪異や妖怪は、名前がつくとその力が増す。
多くの人がその存在を認知することでわずかでも生じる恐怖心が、力の源となる。
玲奈があの夜、寮の窓から視たものが本当にその細女であるなら、彼女は玲奈と友達になろうとしていると思われるが、かつて玲奈について来たトンネルの老婆のように、人に対して恨みがある可能性が高い。
そういうものは、友達になっても悪いことしかこらず、周囲を不幸にすること間違いなし。
中には、憑りつかれた人といつの間にか入れ替わってしまう、なんてこともある。
そういった霊や怪異は波長が合えば、普段見えない人間にも見える瞬間がある。
逢魔が時から夜にかけてが一番波長が合いやすい時間とされているが、典子が庭にいるその女を見たのは、まだ太陽が高い位置にいる時間帯。
つまり、それほどまでに強い力をもつ怪異である可能性が高い。
「――逢魔が時?ってなに?」
『うーん、昼と夜の間。まぁ、簡単に言えば夕方ね』
こんな会話をしているのを聡太や登紀子に知られたくなくて、玲奈はわざわざカラオケに一人で入った。
二階に自分の部屋を与えられ、実家と違って監視カメラも盗聴器も付いていないとはいえ、典子や近所の住人がチャイムもならずにいつやって来るかわからない。
大学構内に一人になれそうな場所はなくはないが、どこかで誰かに聞かれているかもしれないと思うと、怖くてできなかった。
禁煙室を選んだら、案内されたのは無駄に広い部屋だった。
DAMの音量は下げたが、廊下で流れているポップなオリジナルソングがうっすらと聞こえている。
一方、テーブルの上のスマホ画面。
アニメのポスターが壁中に貼られた友達の家にいた。
通話相手の優奈は常日頃そういう類の話を口にしていて、まったく抵抗感がない。
友達もその家族も優奈が教祖の娘であることは知っているが、信者ではない。
優奈が話す幽霊や怪異などのオカルト的な話に興味がある為、とても気が合う友達である。
『お母さんがこういう話は何度かしてたと思うんだけど……まったく覚えてないの?』
「うん、だって、私視えないし、興味もないし」
確実性を求めるなら、優奈より美恵の方が専門家だ。
だが、美恵に言ったら面倒なことになりそうな気がして、絶対に美恵や父には内緒にして欲しいという玲奈の意図を組んで、自分の部屋ではなく友達の家というのが、妹としての配慮であった。
『まったく、全然信じてなかったのに今になって……本当、お姉ちゃんって自分の都合ばっかりだよね』
「う、うるさいわね! 今回だけよ! それに、あんたでしょ? また何か視えたら、面倒なことになる前に言うようにって私に言ったのは」
『そうだった?』
「そうよ、覚えてないの?」
『覚えてないけど……まぁ、それだけお姉ちゃんが聡太さんの家族を大事に思ってるっていうことよね』
「そうよ」
『あらやだ。愛の力は偉大ね』
「優奈、あんた本当にそのしゃべり方どうにかならないの?」
やはり中身はおばさんなんじゃないかと玲奈はあきれるが、画面越しに「何か問題でも?」という表情で優奈は小首を傾げている。
「まぁ、いいわ。それより、御札を壁に貼るって――あんなの貼っているの見られたくないんだけど……」
あくまで、玲奈が望んでいるのは自分の周りをうろついている細女をどうにかしたいというもの。
貼るのは十四日間――約二週間になるが、玲奈の部屋にはまだベッドと机しかない状態だった。
扉に鍵も付いていないし、玲奈が不在の間に、誰かが入る可能性はある。
そんな中、壁に御札だけ貼られていたら、どう考えても気持ち悪い。
親が教祖であることは聡太も登紀子も知っているが、玲奈は宗教とは無関係で、むしろそこから離れたいと思っていることも理解してくれている。
その上で、玲奈をまるで本当の娘や孫のように可愛がってくれているというのに、見られたらどう思われるか。
考えただけでもぞっとする。
細女はどうにかしたいが、異常な家族から離れ、やっと手に入れた自分の居場所を失いたくなかった。
『うーん、それなら、絵か写真でも飾ったら?』
「写真……?」
『できれば、向日葵がいいわ。額縁にいれて、その裏側に貼ればわからないでしょう? 勝手に他人の部屋に入って、わざわざ絵の裏側まで見る人はいないだろうし』
「なるほど……それは確かにそうね。でも、なんで向日葵?」
『向日葵は火村家の血筋の象徴よ。私にもお姉ちゃんにも、お母さんも、向日葵の瞳を持っているから』
火村家の血を引く人の一部の人間は、吸い込まれるような、大きな瞳の中に花が咲いているように見える、珍しい瞳の色をしている。
玲奈もその一人で、優奈よりもよりはっきりとしていた。
それがとても神秘的な印象を与える。
優奈いわく、それは火村家の血を色濃く引いている、視える力を持つ者の証だという。
〈玲奈ちゃんの目、向日葵みたいですごく綺麗〉
玲奈は昔、誰かにそんなことを言われたような気がした。
けれど、それが誰だったかのか思い出せなかった。
〈いいなぁ。私も玲奈ちゃんみたいになりたい〉
その声だけは、覚えているような気がしたのに――
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