第14話:冒涜の狼煙と、司令塔の誓い
戦闘を終え、街道を西へと進むこと数日。 俺たちの新調した馬車は、ついにイグニスさんの故郷「ヴァルム村」が見渡せる丘に到着した。
旅の道中、イグニスさんは故郷について、ぽつりぽつりと語ってくれていた。 かつて魔物の襲撃で壊滅したが、残された人々で必死に立て直し、今はささやかながらも活気を取り戻しているはずだと。 その目には、いつもの豪快さとは違う、望郷の柔らかな色が宿っていた。
だが、丘の上から見下ろしたその場所に、彼が語った「希望」はなかった。
「……嘘だろ……」
イグニスさんの口から、空気が漏れるような音がした。 赤土の畑は荒れ果て、家々の窓は板で固く打ち付けられている。 人の姿はおろか、家畜の鳴き声ひとつしない。 村全体が、まるで巨大な墓標のように、死んだ静寂に包まれていた。
「……静かすぎます」
リリアさんが、身震いするように肩を抱く。
「待ってください」
俺は、その静寂のただ中で、唯一「動いている」ものを見つけた。
「あそこ……村の中心、教会の辺りから、煙が上がっています」
俺が指さした先。 イグニスさんが「妹との思い出の場所だ」と語っていた教会の鐘楼から、一本のどす黒い煙が、まるで不吉な狼煙のようにゆらりと立ち上っていた。
「……オーク、か!」
イグニスさんの顔色が変わり、手綱を乱暴に振るう。 「掴まってろ! 飛ばすぞ!」
彼は馬車を急加速させ、丘を駆け下りた。 俺たちの制止を聞く余裕などない。彼の脳裏には、かつての惨劇がフラッシュバックしているのだろう。
村の入り口に突入する。 だが、想像していたオークの群れも、逃げ惑う村人の姿も、どこにもない。 ただ、入り口の道が、乱雑に積み上げられた農具や瓦礫で塞がれていた。
「……チッ、バリケードか!」
イグニスさんが大剣を抜き、瓦礫を粉砕しようとする。
「イグニスさん、待ってください!」
俺は馬車から飛び降り、彼の手を止めた。
「このバリケード、おかしいです」
「ああん? 何言ってやがる、村の連中が身を守るために……」
「逆です」
俺は、瓦礫の隙間に打ち込まれた杭を指さした。
「杭の角度が、村の『内側』に向かって打ち込まれています。それに、補強材も外側から当てられている。これは……村人を守る盾じゃない。村人を逃がさないための『檻』です」
「……なんだと?」
「戦術を知っている者の仕事だ」
馬車から降りてきたゼフィルさんが、バリケードの魔力痕跡に触れ、冷たく言い放つ。
「単なる魔物ではない。知性を持った何者かが、村人を効率的に『追い込む』ために設置した罠だ」
イグニスさんの顔から、血の気が引いていく。 彼は何も言わず、バリケードを蹴り破ると、自らの生家である「イグニスの鍛冶屋」へと駆け込んだ。
俺たちも続く。 炉の火は完全に消え、冷え切っていた。打ちかけの農具が金床の上に寂しげに置かれている。 だが、争った形跡も、血痕もない。 生活の匂いだけを残して、住人だけが忽然と消え失せている。
「誰も……いねえのか……」
イグニスさんは、壁に立てかけられたままの戦斧――彼の父の形見だという――に触れ、指を震わせた。 武器すら持ち出していない。抵抗する間もなかったのか、それとも……。
「……煙だ。あそこに行けば、何かが分かるはずだ」
イグニスさんは、すがるような目で教会の方角を見た。 そこだけが、唯一の「変化」がある場所だから。
教会の重厚な木の扉は、固く閉ざされていた。 イグニスさんは、躊躇いもなく大剣の柄で扉を叩き壊すようにこじ開けた。
「誰かいるか! 俺だ、イグニスだ!」
叫びながら踏み込んだ彼を待っていたのは、地獄のような光景だった。
祭壇の前で、不気味な紫色の炎が燃え盛っている。 その炎が焼いていたのは、薪でも、村人の遺体でもなかった。
「……なんだ、これは……」
ゼフィルさんの声が、戦慄に低くなる。
そこに山と積まれ、焼却されていたのは、おびただしい数の**『オーク』の死体**だった。
「儀式ではないな」
ゼフィルさんが、ハンカチで口元を覆いながら近づく。
「ただの……ゴミ処理だ」
「見てください、ゼフィルさん」
俺は、炎からこぼれ落ちた一体のオークの死体を指さした。 屈強な魔物の背中に、正確無比な一点の突き傷がある。
「どのオークも、同じ手口です。背後から、心臓を一撃で……。これほどの数の魔物を、正面から戦うこともなく、一方的に殺戮したんです」
まるで、害虫駆除作業のような、感情のない正確さ。 俺たちの知る「戦い」とは、次元が違う。
その分析が、イグニスさんの耳に届いているのかどうか、分からなかった。 彼は、ただ立ち尽くしていた。 故郷を滅ぼした憎きオークが、無惨に殺されている。 だが、彼の心に湧き上がったのは、復讐を遂げた喜びなどではなかった。
復讐の相手さえも奪われたという絶対的な虚無。 そして、神聖な教会が、ただの「焼却炉」として扱われたことへの、生理的な嫌悪と絶望。
「あ……ぁ……」
イグニスさんの喉から、獣のような、しかし力のない呻き声が漏れる。 大剣が手から滑り落ち、石畳にガシャンと音を立てた。
「ふざけるな……ふざけるなよ……!」
彼は、祭壇に歩み寄ると、素手の拳で、オークの死体が積まれた台座を殴りつけた。
「なんでだよ! なんで誰もいねえんだよ!」
ゴツッ、ゴツッ、という鈍い音が響く。 拳の皮が裂け、血が飛ぶ。それでも彼は止まらない。
「俺は……俺は、守りたかっただけなのに……! なんで……!」
それは、あまりに無力で、悲痛な慟哭だった。 リリアさんが、その痛々しい姿に駆け寄ろうとする。 だが、俺は片手で彼女を制した。
「アレンさん……?」
「待ってください。……まだ、終わっていません」
俺の「目」は、イグニスさんの絶望に同調するのではなく、この惨状の中で見落とされている「違和感」を探していた。 敵はオークを処分した。村人を追い込んだ。なら、村人たちはどこへ消えた? 死体はない。血痕もない。
俺の視線が、教会の奥、食料庫へと続く小さな扉に吸い寄せられた。 かつてイグニスさんが、妹のニアさんに隠されたという、思い出の場所。
その扉が、内側からではなく、外側から破壊されていた。 そして、その床に、何か小さなものが落ちている。
俺は、イグニスさんの慟哭を背に、その場所へ歩み寄った。 赤土で汚れ、踏みにじられた、小さな布切れ。 拾い上げ、泥を払う。 それは、カザニアの花を模した、手作りのリボンだった。
……間違いない
俺は、イグニスさんの元へ戻った。 彼は、血まみれの拳を祭壇に押し付けたまま、肩で息をしていた。
「イグニスさん」
俺の声に、彼は反応しない。
「イグニスさん」
俺は、血に濡れた彼の肩を、強く掴んだ。 その痛みで、ようやく彼がこちらを向く。焦点の合わない、虚ろな瞳。
「……悲しむのは、後です」
俺は、拾い上げたリボンを、彼の目の前に突きつけた。
「あ……」
イグニスさんの目が、大きく見開かれる。 そのリボンに見覚えがないはずがない。
「これは、食料庫の扉の前に落ちていました。そして、そこから森へと続く、多数の足跡があります」
俺は、彼の目を真っ直ぐに見つめ返した。淡々と、しかし確信を込めて事実を告げる。
「村人たちは、殺されていません。連れ去られたんです」
「……連れ去られた……?」
「はい。奴らはオークを『処分』した。それはつまり、オークが邪魔だったからです。奴らにとっての『本命』は、村人たちだった」
俺は、彼の手を取り、無理やりリリアさんに治癒を頼んだ。 温かい光が、拳の傷を塞いでいく。
「イグニスさん。あなたの故郷を『冒涜』し、土足で踏み荒らした連中は、まだこの先にいます。村の人たちも、きっとそこにいます」
俺は、自分の胸当てを拳で叩いた。
「俺は、奴らを許しません。……あなたは、どうしますか?」
俺の問いかけに、イグニスさんの瞳から、虚無の色が消えていく。 代わりに宿ったのは、燃え盛るような怒りの炎。 だが、それは以前のような暴走する怒りではない。目的を持った、鋭く冷たい殺意だった。
彼は、震える手でリボンを受け取ると、それを愛おしそうに握りしめ、そして胸のポケットにしまった。
「……アレン」
彼は、足元に落ちていた大剣を拾い上げた。 その動作には、もう迷いはなかった。
「……ああ。お前の言う通りだ。泣くのは、全部終わってからだ」
イグニスさんが、俺たちを見た。 その顔は、涙でぐしゃぐしゃだったが、戦士の顔に戻っていた。
「行くぞ。俺の故郷(むら)を取り返しにな」
俺たちは頷き、イグニスさんの背中を追って、教会の奥へと進んだ。 破壊された扉の先には、深い森の闇が広がっていた。 だが、俺たちの足取りは重くない。 そこには、確かな「敵」と、取り戻すべき「希望」があるのだから。
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