第49話 来栖京介

 すべてが終わり、俺たちは雑居ビルを出た。


 組長が看護師に支えられながら俺の前に立つ。


「葉子に会わせてくれてありがとう。心から感謝する」


「ああ、よかったな」


 組長は少しだけ元気を取り戻したように、俺には見えた。


 先ほどよりも足元のふらつきがない。今も車に乗る際、危なげなかった。


 組長はリムジンの後部ドアの窓を開け、もう一度俺たちに礼を言った。


「本当にありがとう。何かあればいつでも言ってくれ。あんたは我々の恩人だ」


 俺は思わず肩をすくめた。


「まあ、何かあったら頼ることもあるかもな。その時はよろしく」


 組長がそこで初めて俺たちに笑みを見せたところで、リムジンがゆっくりと動き出し、走り去っていった。


 リムジンを見送ったところで、千弦が俺に言った。


「警察に送ろう」


 俺はありがたくその言葉に甘えることにした。


「そうさせてもらおうかな」


 千弦は笑みを湛えてうなずくなり振り返った。


「おい、来栖をこの車に乗せてくれ」


 来栖を抱えた組員が、目の前の車の後部座席に放り込んだ。


「では俺が運転します」


 柴崎が運転を買って出た。


 千弦がうなずく。


「ああ、頼む」


 千弦はそう言ってその車の助手席ドアを開けた。


「後ろに三人で乗ってくれ」


「わかった。俺とソルスで来栖を挟むとするか」


「それがいい」


 そう言うと千弦は助手席に乗り込んだ。


 柴崎はすでに運転席に乗り込んでいる。


 俺はソルスに向かって言った。


「向こうの右のドアから乗り込んでくれ」


「いいよ」


 相変わらずの軽い調子でソルスが応じた。


 俺は鼻を鳴らして後部座席に左から乗り込む。


 来栖は大人しく後部座席中央に座っていた。


 どうやら完全に観念しているようだ。それもそうだろう。まさか俺たちの手から逃れられるとは思ってはいまい。


 ソルスと、来栖を挟み込むようにして乗った俺は、運転席の柴崎に向かって言った。


「いいぞ。出してくれ」


「わかった」


 柴崎は短く答えると、すぐに車を発進させた。


 しばらくして、千弦が後部座席を振り返った。


「来栖を縛る縄を解いたらどうだ?警察に突き出すにしても、そのままでは問題だろう。猿轡も外した方がいい」


「確かにな」


 俺はそう答え、すぐに縄を解きにかかった。


 縄はかなり固く結ばれていたものの、俺にかかっては造作もない。すぐに解くことに成功した。


 来栖の腕は俺の手刀によって折れていたものの、添え木をして固定されている。だが解く際にまったく影響を及ぼさないわけはなく、途中来栖は猿轡を強く噛みながら何度か悲鳴を上げた。


 次いでその猿轡も、間もなく解いてやった。


「大人しくしろよ。お前もまさか俺たちから逃げられるとは思っていないだろう?」


 来栖は無言だった。折れた腕をさすりながら、無言でフロントウインドウの向こうをただ見つめていた。


 俺はなんかムカついた。


「おい、俺を無視するんじゃねえよ」


 すると来栖がぐるっと勢いよく首を回し、俺に向き直った。


 その顔には、人を小ばかにするような嫌らしい笑みが浮かんでいた。


 何だ、この野郎。俺はさらにむかっ腹を立てた。


「お前、俺にぶっ飛ばされたのを忘れたのか?」


 来栖は笑みはそのままに、じっと俺を見つめている。


 俺は思わず舌打ちをした。


「お前、完全に俺を舐めてんな。その腕を折ったのは誰だ?俺だろ。その俺を何で舐められるんだ?お前、頭おかしいのか?」


 するとようやく来栖が、にんまりと引き歪んだ口を開いた。


「そうだよ。僕はキチガイだ。昔からそう言われていたよ」


 俺は再び舌打ちした。


「てめえ、喧嘩売ってんのか?」


「喧嘩なんか売ってないよ。お前、バケモンみたいだしな」


「売ってんじゃねえかよ」


 来栖が鼻で笑った。


「売ってないって。バケモンに喧嘩を売るなんて、怖くて出来ないよ」


「それが喧嘩を売っているって言ってんだよ」


「堂々巡りだね」


「お前のせいでな」


「僕の?そうかな、お前のせいじゃないか?言いがかりをつけてきたのはお前なんだし」


「ていうかお前、俺のことをお前って言うんじゃねえよ。ぶっ飛ばすぞ」


「おお、怖。ところでこっちのバケモンは本当に死神なの?」


 来栖がくるっと首をめぐらし、ソルスに向かって言った。


 ソルスは愉快そうに笑った。


「そうだよ。さっき君も見たろう。俺は正真正銘の死神さ」


「へえ、凄いね。じゃあ、僕を地獄に連れていく気?」


「違うよ」


「ふうん、じゃあなんでここにいるの?」


「そっちの奴に呼び出されちゃってね」


 ソルスはそう言って俺を指さした。


 なんか色々とムカつくんだが。


「ねえ、電話してもいいかな?」


 来栖がまた俺に向き直り言った。


「はあ?」


「ずっと縄で縛られていたから、電話が出来なかったんだ。だからさ」


 俺は鼻で笑った。


「ふざけるなよ。殺人犯のくせに調子に乗るんじゃねえよ。被害者だって、最後に家族に電話のひとつもしたかっただろうに、お前がさせなかったんだぞ。それなのに、お前が刑務所に入る前に家族に電話させてやろうなんて温情を、俺が出すわけねえだろうが」


 すると今度は来栖が鼻で笑った。


「家族?僕には家族なんていないさ」


「嘘つけ。俺たちはお前の実家に行ってるんだよ」


 来栖が不審げな顔をする。


「僕の家族に会ったのか?」


「会ってはいない。だが誰かいたのは確かだ」


 すると突然、来栖が顔を上げて大笑いした。


 来栖の不快な笑い声が、車内に充満する。


 俺は眉根を寄せて来栖を睨みつける。


「何を笑ってんだ、お前」


「そりゃあ笑うだろ。だって僕は天涯孤独の身だよ」


 俺は驚きに目を大きく見張って来栖を見た。


「嘘つけ!」


「嘘じゃないよ。僕の両親は十年も前に死んでいる。それに兄弟もいない。親戚はいるんだろうけど、付き合いはまったくないね」


 そんなはずはない。俺たちが来栖の実家を訪れた際、二階の窓から覗いていた奴がいた。


 すると助手席に座っている千弦が後部座席に振り返り、怪訝な顔をして言った。


「来栖に家族がいないのは本当だ。報道でも天涯孤独の一人暮らしと言っていたし、俺たちも調べたんだから間違いない」


 なんだと?じゃあ、あの視線は誰だったんだ?来栖の実家の二階の窓から俺たちを覗き込むように見ていた、あの視線は。


 来栖が愉快そうに笑いながら言う。


「死神だから、僕の両親の幽霊でも見えたのか?」


 そんなはずはない。ソルスが冥界の扉を開かない限り、俺には死者の姿は見えない。


 俺は助けを求めるようにソルスに問いかけた。


「ソルス、お前も見たよな?二階の窓から誰かが覗いていたのを」


「ああ、いたね」


「あれは死者ではないだろ?」


 ソルスがうなずく。


「ああ、二階の奴は・・・・・死者じゃなかったな」

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