道の端

たんすい

「道の端」

道の端を歩いていた。

朝の光はまだ柔らかく、舗道の縁に落ちる影は淡く細い。

人はまばらで、世界はまだ完全には目を覚ましていない。


私はいつものように、端を選んで歩いていた。

それは癖であり、小さな選択だった。

真ん中を避けることで、誰かの歩みを妨げないように。

誰にも気づかれなくていい優しさを、私はずっと好んできた。


そのときだった。


前方の脇道から、一人の女が現れた。

私と同じ歩幅、同じ速度。

最初は、ただの偶然だと思った。


けれど、彼女はちらりと私を見た。

その目は、私を知っていた。確かに。


そして——

何のためらいもなく、私の進行ルートに入ってきた。

まるで「そこは私の場所」とでも言うように。

私が先に歩いていたことも、端を選んでいた意図も、すべて知った上で。


私は一歩、身を引いた。

避けるしかなかった。


その瞬間、胸の奥に小さな波紋が広がった。


——なぜ、私が避けるのだろう。

——なぜ、彼女は譲らないのだろう。


もし私が脇から出る立場なら、必ず歩いている人を優先する。

それは礼儀ではなく、呼吸のようなものだ。

誰かの進行を遮らないこと。

その静かな倫理を、私はずっと当たり前だと思っていた。


だから今感じているのは、単なる苛立ちではない。

共有されなかった価値観への、ひどく静かな痛みだった。


彼女は何事もなかったように前へ進んでいく。

私は再び道の端へ戻り、淡々と歩き続けた。


たぶん、この世界では「先にいた」ことも、 「譲られた」ことも、 どちらも記録されない。


譲ることの意味と、譲られなかったことの重さが、 淡い影のように、ただそこにある。


誰に気づかれなくてもいい。

歩いている人の歩幅を尊重し、その道をそっと外れる。

ただ、それが自分でありたい。

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道の端 たんすい @puffer1048

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