「それがクッキーの砕け方だ」
日比野さんと土井さん、伊藤さんとの待ち合わせ場所は、何故かバスの中だった。僕は家の近くの停留所から乗り込み、車内の一番後ろの座席に座った。バスの車内には、前方に男が二人座っているだけで、乗客は多くない。
僕たちは今日、あるバンドのライブに行く予定だった。ライブハウスは都心にあり、道もかなり入り組むようなので、日比野さんたちに案内してもらうつもりだった。
スマートフォンを見ていると、前方から「すみません」と声がした。見ると、二人の若い男が焦って乗り込んでくるところだった。片方はサングラスをかけて杖を持っていて、もう一人はイギリスの有名なロックバンドのシャツを着ている。
二人の男は何かを話しながら、僕がいる後ろの座席のほうへ歩いてきて、一人は僕の隣に座り、もう一人は通路を挟んで反対側に並んで座った。
「ねえ、君」
隣の男が僕に話しかけてきた。「あのさ、運転席の後ろの座席に座ってる人、見た?」
「見てないです」僕は前方をちらりと見て答えた。「何かあるんですか?」
「うん。俺の友達がさ、匂うって言うんだよ」
「匂う? 臭いんですか?」
「違うよ」男は笑った。
「危険な匂いがするんだよ」反対側に座る、サングラスの男が顔を出した。「何かをするつもりだと思うんだけれど」
「何か?」
「危ないから、降りたほうがいいかもね」
そうですか、と僕は適当な相槌を打った。
「ところでさ、もしかして、日比野の友達?」隣の男が言った。
「え? 日比野さん?」
「やっぱり。俺も知り合いなんだよ」男は、やっぱり君だったんだね、と笑った。「俺は
柊木さんの名前を聞いた時、どこかで聞いた気がする、と直感的に思った。昔に会った知り合いの顔を脳に浮かべてみるが、そういうことではない気がしてやめた。
「ライブに行くでしょ? 俺もなんだ。あっちに座ってる
通路を挟んだ反対側の座席を見ると、向井さんは僕に会釈した。
「もしかして、俺たちが来るって、日比野から聞いてなかった?」
「まあ、はい」
「だよね。日比野なら言わなそうだ。土井たちとも知り合い?」
「はい」
「じゃあ、俺でコンプリートか」
「はい?」
「気にしなくていいよ。君の話はよく日比野から聞いていたから、会えて嬉しいよ」向井さんが微笑んだ。日比野さんは僕のことをなんて伝えているんだろう、と思っていると、向井さんは愉快そうにしながら、「生意気で失礼だけど、いい奴の、知君」と呟いた。
すると、バスの中に、ぱん、と乾いた音が響いた。何だよ、と思ったと同時に、視線が音の方へ向いていた。視線の先には、前方に黒い服に身を包んだ男が立っており、僕たちに向かって何かを叫んでいるが、聞き取れない。男の手には筒状の黒いものが握られていて、煙を吹いていた。柊木さんが、「銃だ」と言うまで、僕には何が何だか分からなかった。
♫
犯人は二人組だった。二人は、「動くなよ」だとか「静かにしろ」などといったテンプレートのような台詞を叫びながら、僕たちの手を縛っていった。
「やっぱり、向井さんの鼻はすごいねえ」僕の近くのほうに座る男が能天気に言った。窓際のほうに座る男も、「そうだね。当たって嬉しい」と呑気に微笑んだ。
「なんで、のほほんとしてるんですか。バスジャックですよ、これ」
「いやあ、そんなにびっくりしてないな。銃を向けられるのって久しぶりだけど」
「久しぶりって」
「二人とも、状況を教えてくれないかな」向井さんが言った。「見えなくて」
「あ、そうだね」柊木さんは頷いた。「えーと、犯人は二人。銃があるよ。バスの前の方にいて、運転手に何か指示を出してる」
柊木さんが言うのを聞きながら、運転席の方へ視線をやる。犯人の一人が、運転手に向かって何かを指示しているのが見えた。おおかた、行き先を指定しているのだろう。
「なるほど」と向井さんが頷く。「そうなると、犯人たちの目的はバスジャックじゃなくて、その先にあるってことかな」
「イグザクトリー」柊木さんが足を組んだ。「おおかた、目的地があるんだろうね。何らかの理由で、合法的には目的地に向かえない。だから、バスジャックで連れていってもらおうってわけ」
「僕たちは巻き込まれたってことじゃないですか」
「イグザクトリー」
「おいそこ、喋るなよ」犯人の怒鳴り声が聞こえ、顔を向けると、犯人がこちらへ歩いてきていた。「変な動きをしてないだろうな」
「してないよ」と柊木さんが口を尖らせる。「理不尽な言いがかりはやめてよ。こっちは君たちに付き合ってあげている立場だよ」
「なんで上からなんだよ。おまえ、状況わかってんのか」
「わかってる。君たちのおつかいに巻き込まれてる」
犯人が舌打ちし、手を動かすと、もう一人の犯人が「
「町田さんかあ」と柊木さんが呟いた。「名前言っちゃったね」
すると、バスが停留所に到着した。
「え?」なんで?
停留所には人が居なかった。僕は柊木さんと顔を見合わせた。バスはいつも通りぷしゅう、と音を立てて扉を開き、そしてすぐに閉まった。
「あの犯人、運転手に、行き先を指示してましたよね?」
「していたと思う」
「なんでバス停に?」
「さあね」
柊木さんが言うと、町田と呼ばれたほうの犯人が、「喋んなって言っただろ」と、子供を叱る父親のように怒鳴った。
その次の停留所でも、バスは停車した。幸い、乗り込んでくる客は一人もいなかった。
「これは、まずいね」柊木さんが言った。「もし、このまま停留所に向かうなら、人質がどんどん増えていくことになるよね」
「ですよね」と相槌を打つほかない。
犯人の一人は運転席の近くにいるため、こちらを見ないが、もう一人の町田のほうは、後部の乗降口の前で車内を見張っている。僕らの話し声が聞こえると、すぐにこっちへやってきて癇癪を起こしたように怒鳴る。
「サスペンスドラマみたいだ」柊木さんは可笑しそうに言う。「でも、ラッキーだよ」
「何がですか」
「サスペンスドラマなら、主人公は死なないでしょ」
「僕たち、主人公なんですか」僕が言うと、柊木さんは、もちろん、と笑う。
「クッキーって、普通に砕けるじゃないか」ふいに、柊木さんは思い出したように言った。「強い力でも、弱い力でも。人生もそんなもんだよなって思うんだ」
「どんなもんですか、それ」
「クッキーは砕けたら、見た目が悪いけれど、味は落ちない。それが良いんじゃないかな」
「いい話だね」向井さんがしみじみと首を揺らした。
「そういえば、このバスには日比野も土井も乗ってくるんだよね」
「あ」
このバスは、僕たちの待ち合わせ場所になっている。
「やばいね」柊木さんは全く、やばいねと思っていない表情で言った。
♫
バスが停留所に到着し、窓の外を見ると、土井さんと伊藤さんの姿が見えた。バス内の異変には気づく素振りもなく、バスに乗り込んできてしまった。
「やばい、面倒な二人が来た」と柊木さん。それには同意する。
二人はバスに乗ってすぐ、犯人の二人に銃を向けられ、僕たちが座る一番後ろの一つ前の座席に並んで座らされた。
「柊木君、どういうことなのこれ?」
「知、大丈夫だったのか?」
「落ち着いてよ。みんな無傷だし、状況は分からない」柊木さんは慣れた様子で二人をなだめる。「とにかく、俺たちはバスジャックに巻き込まれたんだ」
「なんてこと!」伊藤さんが言う。
「バスジャックは初めてだ」土井さんが言う。
「俺もだよ」柊木さんが苦笑する。
「今から、どうにかして犯人から情報を聞き出したいんだ」そう言った向井さんは、仲間が増えて嬉しそうに見えた。「何か案はある?」
「案? 盗聴器とかか?」と土井さんが首をひねる。伊藤さんが「誰が持ってるのそれ」と言い、その案は立ち消えた。
「普通に、話を聞くのはだめなの?」
「無理ですよ」
「いや」向井さんが口を挟んだ。「いけるかも」
♫
「町田さん、町田さん」
「なんだよ」町田はむすっとした声色で歩いてきた。呼んだら来るんだ、と少し驚いた。
「トイレに行きたいんだけれど」柊木さんは続ける。
「ねえよ。我慢しろ」
「無理だよ。どれくらい我慢すればいいの?」
「知らねえよ」
「ここでやっていい? もう」
「だめに決まってんだろ。このバスまだ使うんだよ」
「ちょっとくらい汚くてもいいじゃん。どうせろくなことじゃない」
「そうだけど、やめろ。変な匂いがついていたら、怪しまれるだろ」
「何に?」
町田は少し黙り、「教えねえよ」と濁した。そして元の位置に戻っていった。できるだけ小さい声で、僕たちは話し始めた。
「向井さん、どうだった?」
「嘘は一つも無かったと思う。けど、焦っていた。焦っていたというより、急いでいた。どちらもかな」
「かなり情報は集まったんじゃないか?」と土井さん。「俺はよく分からないが」
「町田、ちょっと馬鹿ですね」僕は思わず口に出していた。あんなに教えていいものなのか。
「それもきっとヒントだよ」柊木さんが苦笑する。「謎を解く鍵を見つけるためにも、いったん整理しようか」
柊木さんは楽しそうだった。「このバスは、目的地に着いた後も使用される。それは、犯罪に関わること。ここまでは大丈夫だね?」
全員が頷いた。僕も同じ考えだった。「このバスは、犯罪に利用されるために、運ばれている、ってことですよね」
「そうだね。僕もそう考えた」向井さんは頷いて、「それに、犯罪に関わることなら、このバスの進み方にも納得だ」
「バスが進むルートが変わると、怪しまれるから」僕が呟くと、柊木さんは「やるね」と嬉しそうにした。
「それで、仮にその通りだとすると、僕たちは殺される可能性があるよね」
「ですね」
僕は頷いたあと、バスの運転席を見た。運転手のそばに立つ犯人の足元に、一つのトランクケースが、隠すように置かれているのに気がついた。犯人の足に隠れていて見にくいが、楕円形で、赤黒い色をしているのは分かった。変な形だな、と思うと同時に、見覚えがある、と思った。
あ、と、息とも声ともつかない声が出た。
僕と日比野さんが最初に会った日のことと、土井さんたちと最初に話したことを、思い出した。
「柊木さん」
「ん?」
「鍵を見つけました」
♫
「ちょっと前に、近所で、良くない取引をしていた、みたいなニュースがありましたよね」
「あれか!」柊木さんが声を上げる。「武器の取引現場になってたやつだよね」
「それです。で、その取引現場に来ていた売り手のほうが、変な形のトランクケースを持っていたんです」
「変な形?」土井さんと伊藤さんの声が重なった。伊藤さんが「そんな情報なかったと思うけど」と小さく言うのが聞こえたが、スルーして進めることにした。
「その変な形のトランクケースが、あのバスに置いてあるんです」
「え? どこに?」伊藤さんが身を取り出す。土井さんに制止され、不満そうに座席に尻をついた。
「でも、なんであの犯人がバスジャックをしたのか分からなくて。武器の取引をするにしても、こんな大掛かりなことをする必要がないですよね」
「確かに、そうなるとこのバスジャックは無駄だ」向井さんが顎を引く。
「そうなんです。でも、そういう細かいところは、みんなで考えればいいと思って」
僕が言うと、土井さんが僕の顔を見て微笑んだ。「そうだな。みんなで推理しよう」
「使ってない情報があるよね。犯人は焦っている。あと、変な匂いがついていたら怪しまれる」
「後者については、普通に考えたら、警察ですよね」
「そこだよね。町田さんは誰に怪しまれたくないのか、が大事だ」
「町田さんというのは、あれか、あのおしゃべりな犯人か」
「おしゃべりな町田さんは、そのトランクケースのためにバスジャックをしてるの?」と伊藤さん。
柊木さんは「たぶんね」と頷く。
「ねえ、その、前にあった武器の取引は、まだ警察が追っているんだよね?」向井さんが小さく言った。「だとしたら、今、取引をするって、流石に危険すぎるんじゃないかな」
数秒の沈黙の後、柊木さんが、立ち上がらんばかりの勢いで顔を上げた。
「扉は開いた」
「ええ?」伊藤さんが間抜けた声を出す。「町田さんの目的、分かったの?」
「アンタら、いつまで喋るんすか」
犯人がやってきた。「町田さんじゃないほうだ」と言ったのは、土井さんだった。
「ずっとなんか喋ってますよね。気づいてますからね。撃たないと思ってるんですか?」
「思ってる」土井さんが頷く。
「舐めてるんすか」
「舐めてはいない。怖いと思ってる」
「おい、何してるんだ」
町田が走ってきた。「そいつらに話しても無駄だぞ。話が通じねえんだ」
「通じなかったっす、町田さん」
「名前を言うなって」
「すみません、町田さん」
「だから、名前を言うなよ、
「名前言わないでくださいよ町田さん」
僕たちは二人組の犯人の会話を、黙って聞いていた。向井さんを見ると、笑いを堪えているのがわかった。柊木さんが咳払いして、話し始めた。
「二人は、命令されたんでしょ? 別にこんな事したくないけど、やるしかなかったんでしょ」
「な、なんだよ」町田の声が明らかに裏返る。
「このバスは、武器の密輸が公になる前、取引現場として使われていて、しょっちゅう武器が置かれていた。だけど、警察の捜査が始まってしまった。だから佐野さんたちは、バスの中に残ったトランクケースを、バスごと回収して来いって言われたんだ。証拠隠滅作業のためだね」
「なんで分かるんだ」「なんで分かったんすか」
「落ちついてよ。推理しただけだよ」
「本当かよ」
「本当だよ」柊木さんは頭を掻いた。「ちなみに、君たちが探してるトランクケースは運転席の下にあるよ。まあ、どうせバスごと組織に持って行くんだから、意味ないかもしれないけど」
町田と佐野は顔を見合わせると、銃を下ろし、話し始めた。
「俺たちは、あの取引とはなんの関係もない、ただの下っ端なんすよ。取引を運営していた側の組織ですけど、なんで上の奴らが回収し忘れたブツを下っ端が尻拭いしなきゃならないんですかね」
「断れなかったの?」と伊藤さん。
「無理ですよ。途中で逃げるのも無理です」
「運転手が組織側の人間だからですか?」僕は尋ねた。町田が目を丸くし、「静かにしろよ」と凄んだ。
「その通りですよ。運転手のじじいが、あっち側なんです。だから、俺たちが仕事を完遂するまで見張られるんです」
「仕事を完遂しなかったら、どうなるんですか?」
佐野は親指を立てて、自分の首の前をスライドさせた。「最悪の場合っすけど」
「これからどうするんだ? 邪魔な俺たちは事情を把握したから、黙っていたほうがいいか?」土井さんが尋ねると、町田は「途中で降ろすつもりだったよ」と吐き捨てるように言った。「別におまえらは関係ねえしな」
「分かってくれていたんだね」向井さんが笑った。
「あたりまえだ。俺たちはワルだけど、そこらへんは弁えているんだよ」
「さすがだ」柊木さんが笑った。
そこで僕は、柊木さんに対して抱いていた既視感の正体が分かった。長谷川さんの事件を解決した、伊藤さんの友達の「名探偵」というのが、目の前にいる柊木さんだったのだ。
ありがとうございます、と、心の中で言った。
次の瞬間、バスが乱暴に停車した。
「何だ」と土井さんが、抑揚のない声で言う。
前方を見る。運転手が、通路に立ってこちらを見ていた。
「やべえ」町田と佐野が僕たちの前に立ち、銃を運転手に向けた。「今、こいつらと話してるんだ」
「知らない。全部見てたし、余計なことばっか喋ったよな」
運転手は渋い顔つきをした中年の男だった。低い声でそう言うだけで、かなり迫力があった。隣をちらりと見ると、さすがの柊木さんも動揺しているようだった。
「おまえら、逃げろよ」町田が怒鳴った。「おい、じじい、上司なのか何なのか知らないが、俺たちの仕事を邪魔するなよ」
「おまえの仕事は、情報漏洩なのか?」
運転手は拳銃を取り出し、僕たちの方に向けた。
やばい。
いつの何だったか忘れたが、日比野さんが、「困ったときは三つ数えろ」と言っていたことを思い出した。「そうすれば、大丈夫だ」と。
僕は三つ、数えた。そうすれば、大丈夫だ。
どん、と乾いた音がした。布団叩きで布団を叩く音に似ていた。運転手を背後から蹴り飛ばした日比野さんと、バスの座席に額をぶつけて床に倒れ込んだ運転手が、すべて同時に、視界に飛び込んできた。
「何やってるんだよ、おまえらは」
そう言う日比野さんの呆れたような、困惑しているかのような顔が、馬鹿らしかった。
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