捨てられた令嬢は前世の【発酵スキル】で辺境の村を救うつもりが、出来上がった味噌や醤油が伝説級ポーションと勘違いされ聖女と崇められてしまい、今更戻ってこいと泣きつく実家と王国にはもう興味ありません

☆ほしい

第1話

ごつごつとした荷台の上で、私は揺られていた。

もう何日も、まともな食事を与えられていない。


ガタン、と大きな音を立てて、馬車が止まった。

乱暴に扉が開けられる。

「着いたぞ、出来損ない。さっさと降りろ」


御者の男が、私をゴミでも見るような目で睨んだ。

私は力なく荷台から転がり落ちる。

冷たくて、硬い地面が全身を打った。


「ここがお前の新しい住処だ。クライネルト侯爵家の恥め」

男はそう吐き捨てると、すぐに馬車を去っていった。

残されたのは、私、アリア・フォン・クライネルト一人だけ。


目の前に広がるのは、荒れ果てた土地だった。

空はどんよりと曇り、重たい空気が漂っている。

これが、追放先のファルム村。

瘴気に汚染された、棄民の村だ。


村人らしき人々が、遠巻きに私を見ている。

誰もが痩せこけ、その目には光がない。

絶望。

ここには、それしかなかった。


「……お腹、すいた」

誰に言うでもなく、そう呟いた。

もう、どうでもよかった。

魔力なしと罵られ、家族からも使用人からも虐げられてきた。

もう、疲れた。


私はそのまま意識を手放した。


………。

……。

…。


(ああ、またこの夢か)

(納期前、徹夜続き、栄養ドリンクが友達)

(上司の怒鳴り声、鳴りやまない電話)

(そうだ、私は、発酵食品メーカーの研究員だった)

(毎日毎日、菌と向き合って、新しい商品を開発して)

(それで、過労死したんだ)


鮮明な記憶。

前世の記憶だ。

なんで今頃、こんなことを思い出すんだろう。


(死ぬのは、もう二度目か)

(嫌だな。どうせなら、お腹いっぱい食べてから死にたかった)

(ああ、炊き立てのご飯に、熱々の味噌汁)

(それから、卵かけご飯。醤油を垂らして)

(自家製のベーコンと、とろけるチーズも)

(食べたい)


食べたい。

食べたい。

美味しいご飯が、お腹いっぱい食べたい。


その強い欲求が、私を現実に引き戻した。

「……っ!」

私は跳ね起きた。

辺りはもう暗くなりかけていた。


「おお、目が覚めなさったか」

しわがれた声がした。

見ると、みすぼらしい服を着た老人が私を覗き込んでいた。

「わしは、この村の村長をしとる、エドガーじゃ」

「……アリア、です」

「侯爵家のご令嬢、アリア様。お待ちしておりましたぞ」


エドガーと名乗る老人は、力なく笑った。

その目も、他の村人たちと同じく絶望に濁っている。


「こんな所へようこそ、とは言えんがのう」

エドガーは枯れ木のような指で、村を指し示した。

「見ての通り、ここは瘴気に侵された土地じゃ。まともな作物は育たん」

「……」

「王国からは見捨てられ、教会からも聖職者様は来てくださらん。我々は、ここで静かに死を待つだけの存在じゃ」


私は立ち上がった。

ふらつく体を押さえ、自分の体を見下ろす。

栄養失調で、腕も足も細く、皮と骨だけのようだ。

追放される前も、ろくな食事を与えられていなかったからだ。


(このままじゃ、本当に死ぬ)

(前世は過労死。今世は餓死?)

(冗談じゃない!)


私の行動原理は、今、一つに定まった。

「美味しいご飯を、お腹いっぱい食べる」

そのために、私は生きる。


「村長さん」

「なんじゃな、アリア様」

「食べ物なら、私が作れるかもしれません」

「……は?」

エドガーは、私が何を言っているのか分からない、という顔をした。


「作物が育たない、と言いましたね」

「うむ。瘴気のせいで、種をまいてもすぐに腐ってしまうんじゃ」

「なら、腐らないものを作ればいいんです」

「腐らない、食べ物…?」


(そうだ。発酵だ)

前世の知識が、頭の中で爆発する。

(この世界に、発酵の概念があるかは分からない)

(でも、菌はいる。絶対にいる)

(空気中にも、土にも、植物にも。微生物はどこにでも存在する!)


私は走り出した。

「アリア様!? どこへ!」

エドガーの制止も聞かず、私は村の周辺を探索した。


(瘴気がある。でも、植物がゼロじゃない)

(この環境でも生き残っている植物があるなら、そこには強い菌がいる可能性がある!)


私は目を皿のようにして地面を探した。

あった。

瘴気の影響が比較的薄い、岩陰だ。

そこには、わずかだが野生の豆(大豆もどき)と、麦(のようなもの)が実っていた。


「嬢ちゃん! それは毒だ!」

村人の一人が慌てて止めに来た。

「瘴気に汚染された豆だ。食ったら死ぬぞ!」

「大丈夫です。食べませんから」

「は?」

「正確には、このままでは食べません」


私は構わず、その豆と麦を採取した。

村人たちは「ああ、ついに頭が」という顔で見ている。

どう思われても構わない。

私の頭の中は、これから作る「ごちそう」でいっぱいだった。


(まずは、麹菌だ)

(麹菌がないと、味噌も醤油も始まらない)

(日本の麹菌は、稲わらにいることが多い)

(この世界に稲があるか?)


探すと、麦に似た植物の「わら」があった。

これだ。

私はそのわらをいくつか集めた。

それから、村にあった唯一マシな木の実(果物もどき)も採取した。

これは酵母菌(パン用)の素になるかもしれない。


「アリア様、いったい何を…」

エドガーが困惑した表情で私を見ていた。

「村長さん。火と、大きな鍋と、樽を貸してください」

「火と、鍋と、樽…ですと?」

「あと、塩。塩はありますか?」

「塩は、貴重じゃが…わずかなら」

「お願いします!」


私の気迫に押されたのか、エドガーは村の共有の竈(かまど)へと案内してくれた。

石を積んだだけの、原始的な竈だ。

鍋も黒く煤けている。

でも、今はこれで十分だ。


私はまず、採取した豆(大豆もどき)を鍋で煮始めた。

ぐつぐつと豆が煮える音。

それだけで、お腹が鳴った。


(いけない。これは大事な材料だ)

(これを潰して、塩と麹菌と混ぜて、寝かせる)

(そうすれば、味噌になる!)


村人たちが遠巻きに私を見ている。

「あの貴族の嬢ちゃん、何を始めたんだ?」

「豆を煮ているようだが…」

「まさか、あの毒豆を食う気か?」

「やめておけ。汚らわしい」


彼らのヒソヒソ声が聞こえる。

でも、私の集中は途切れなかった。

(美味しいご飯のため。美味しい味噌のため…!)


豆が柔らかく煮えた。

私はそれをすりこぎ(村にあった木の棒)で懸命に潰す。

次に、塩と、麹菌の素(わらに付着しているであろう菌)を混ぜ込む。

前世の知識では、米麹や麦麹を使う。

でも、今はこれしかない。


(頼む。うまく発酵してくれ…!)


私は祈るような気持ちで、それを樽に詰め込んだ。

ボロボロの木の樽だ。

隙間がないよう、力一杯押し込む。

味噌玉を作る要領だ。


「……嬢ちゃん」

作業を終えた私に、エドガーが静かに声をかけた。

「それは、いったい何を作っておるんじゃ」

「……食べ物です」

「食べ物…?」

「はい。美味しくて、力が湧いてくる、食べ物です」

「そんなものが、こんな村で…」


私は樽に蓋をした。

「あとは、待つだけです」

(私の知識が正しければ、数日後には…)


私は自分の唾をごくりと飲み込んだ。

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