第6話
二人の間にしばらく沈黙が流れる。
陽子は俯き唇を噛んでいた。
ヒカルは陽子に背負われたまま二人の様子を眺めていたが、ふいにコウの方に向かって手を伸ばした。
「?」
コウは不思議に思いつつも、その手に釣られるように一歩ヒカルの方へ歩み寄る。
するとヒカルはコウのシャツを掴み、コウに向かって微笑みかけた。
「えっ」
コウと陽子が同時に声を上げる。
ヒカルは掴んだシャツを引っ張りながら無邪気に笑みを浮かべ続けている。
「こんなこと初めて。今まで人に関心を示したことなんてなかったのに……」
ヒカルが見せた初めての行動に陽子は驚きを隠せない。
「人……」
陽子の言葉にコウの顔が曇る。しかし陽子がそれに気づくことはなかった。
コウは動揺を悟られないよう静かに息を整え、言葉を選びながら陽子へ語りかけた。
「他の子よりもゆっくりかもしれませんが、お子さんは確かに成長していると思います。時間はかかるし簡単にはいかないことも多いでしょう。それでもやっぱり、お子さんの成長を信じてどこか別の場所でやり直してほしいです。――僕が今言えるのは、それだけです」
陽子は何度目かのため息をついた。しかしそれは今までよりは幾分軽いものだった。
「わかりました。今日のところは帰ります。ただ、また来るかもしれませんよ?」
「はい、その時はまたお話しましょう」
コウは精一杯の笑顔と明るい声で答えた。
森の入口付近まで戻ってきたところでコウは立ち止まった。
「では、僕はここで」
すると陽子の背中から降りたヒカルが、今度はコウのズボンを掴んで森の外へと引っ張った。
「ごめんね、僕は一緒には行けないんだ」
ヒカルの目線に合わせてしゃがみ込んだコウはやさしく語りかける。
その様子を見ていた陽子は、コウに対して感じていた疑問を口にした。
「あなたは、なぜこんな所でこんなことをしているのですか?」
森を吹き抜ける風が止み、辺りが無音に包まれる。
「……他に、することがないからですよ」
少し間を置いてコウは答えた。
しゃがみ込んでいたため表情はわからない。
しかしその声は抑揚がなく、まるで先ほどまでの自分を思い起こさせ、陽子はこれ以上聞くことはできなかった。
森を出て車を停めた場所まで戻ってきた陽子は、ポケットに入れていたはずの車の鍵がないことに気づいた。
「ごめんヒカル、車の鍵落としちゃったみたいだから探しに行こう」
ヒカルを連れ、もう一度あの駐在所へ戻る。
ここになければ森の中で落としたのかもしれない。
そしたらまたあの人に――と考えたところで陽子は思った。
(そういえば、名前を聞いてなかったな)
車の鍵は建物の入口に落ちていた。先ほど慌てて中に入った時に、扉に引っ掛けて落ちてしまったのだろう。
鍵を拾い顔を上げると、ヒカルが建物の脇にある古びた掲示板を見上げていた。
駐在所の廃止を知らせる案内や、防犯を呼びかけるポスターなどが風に揺れている。
長年風雨に晒されていたためか、そのほとんどは色褪せ、文字も消えかかっていた。
「昭和63年12月末をもって、
文字を読み取ることができた張り紙を、陽子は何となく声に出して読んでみた。
すると、ヒカルが別の張り紙を指差した。
『探しています』と記されたその張り紙は、肝心の写真がすっかり色を失い、誰の顔かも分からない。
それでも文字だけはまだ読み取ることができた。
「それも読むの?」
ヒカルの視線を受けて、陽子はその張り紙の内容を読み上げた。
◇
【探しています】
昭和63年12月26日午後、笠木間駐在所付近で目撃されたのを最後に行方不明になりました。
情報は
行方不明者
晴山警察署地域課巡査部長
笠木間駐在所勤務
年齢 29歳
※いずれも当時
氏名
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます