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風が澄む。

まだ町が眠る明け方に、妹を起こさないように着替えて外へ出る。

父さんから習った、俺だけの時間のルーティーン。


友達100人できるかな、なんていうけれど、そんなの一年間じゃ無理だった。中学までコツコツためてきて、やっと100人に届いたかもしれない。

友達は親友じゃないというか、どうしても家族とは違う距離があるけれど、それはそれで楽しめている。だけど毎朝こうやって、自分はその誰でもないことを確かめる時間も大事にしていたいんだ。


この風の感じかたは、父さんに教わったけど。

最近、もうひとつだけ自分の確かめ方を身につけた。


空が白み出したころ、家について汗をふく。

通知が賑やかなスマホを取り出し、ひとつのアプリだけ開いてみる。

新着の作品。また、夜更かしして書いたんだな。

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俺は、ある作家に恋をしている。


※※※


「吉井碧里(みどり)様」。

そう宛名が書かれた葉書の束は、まるで正解の数みたいだ。


うちの親戚には、年賀状という文化がまだ残っている。

結局正月に集まるから、身内は手渡しになるんだけど。


うちのお父さんの親族は、まるで三人兄弟のような近さだった。

父さんのひとつ下の美月(みつき)さんは、俺のことを小さい頃の父さんそっくりだといって、自分の息子の次に甘やかしてくれる。外では超怖い人らしいけど、ピンとこない。

反面、妹のことはちょっと遠ざけている。妹が落ち込んでたから一度聞いたんだけど、自分の小さい頃よりかわいいから、複雑な気持ちになるんだそうだ。俺も、うちの妹は天使だと思う。


父さんの一回り上の海(かい)さんは、小言が多くて気むずかしそうな顔をしているけどあんまり叱られたことがない。

自分からはあまり話してくれないけど、なにか聞くとちゃんと考えて答えてくれるから、頼りにしている。何より、父さんがとても信頼している人だから、安心して頼れる。


それぞれの年賀状は面白い…父さんが『碧里、今年もよろしく』とくれるのも好きだし、美月さんが『みーくんに何かあったらお姉さんが力になるからね』とくれるのもうれしい。

海さんはいつも何か難しい格言を書いてくる…意味を聞くと長くなるから、自分で調べるようにしている。


俺達が小学生になった頃には、子供同士でも交換していた。

妹は絵を描いて、美月さんの息子は「お金はやらねーぞ」みたいな生意気なことを書いてくれる。


友達に送るようになったら、面白がって返してくれるようになった。

メールとかも合わせたらもうすぐ、父さん宛のものよりも俺宛の方が多くなるかも。

これは友達100人できるかなチャレンジの、一番わかりやすいスコアだった。



そして、そうやって積み重なった葉書の中。

いつも俺には、一番好きだった文字があった。


「走れ」。


海さんの娘で、俺のひとつ上のお姉さん。

麻世さんはいつもきれいな字で、そのときの俺にぴったりの文字をくれた。


麻世さんの中学校の文化祭を見に行ったとき、壁に書道の作品がたくさんかけられていた。

俺はその中から一目で、麻世さんの文字を見つけた。

身内だからだけじゃなかった。

どれだけの人の中にいても彼女の言葉は、ずっときれいで素敵だった。


※※※


俺は昔から走っていたから、足の速さならほとんど誰にも負けなかった。

一度だけ、ものすごく速い女の子と当たったことがあったけど…またあの子と競争したら、今ならもっと良い勝負ができると思う。


ちょっと大きな賞をとって放送委員や先生たちにおだてられ、みんなの前でスピーチをすることになった。

でも、全然難しかったし乗り気じゃなかった。人前に出るのは嫌いじゃないけど、誰に向けたものかわからない言葉となると、なんかうまいこと話せないのだ。


麻世さんの顔が浮かんだ。きっときれいな言葉をくれそうな気がして、彼女の家に相談に行った。


「…手伝うだけならいいけど。せっかくの晴れ舞台なんだから、自分の言葉でしゃべった方がいいよ」

全くの正論だった。まあ、そうなんだけど……。

うつむいた俺に、麻世さんは困ったように笑った。

「うん。それじゃ、お話ししよう。お母さんの真似」

麻世さんのお母さんは、カウンセラーだ。

「お話の中で、言葉を見つけたいと思う。私のじゃなくて、碧里くんの言葉を」

ひとつだけ上のお姉さんだったんだけど、なんだかお母さんみたいな目をしていた。

にこにこと話をしながら、彼女は俺の声をまとめてくれた。


俺は麻世さんの、きれいな仕草が好きだ。上品というか、神秘的というか、お手本みたいな美しさがある。なんだかすごく恥ずかしくなって、いつからか目を合わせなくなった。

そう思い始めたのは、漢字ドリルに書かれた灰色の文字が、麻世さんのものみたいに思えたときだったかもしれない。友達を増やしていく度に、お手本通りに過ごすのはとてつもなく難しいことのように思える。


妹に対してお兄ちゃんらしくしようと思ったときは、いつも麻世さんのことを考える。そうすれば、絶対に間違いがなかった。

年上とかお姉さんというのはそういうものだと思っていたけど、普通はもっと乱暴でわがままなものらしい。

この人の近くにいられるのは、もしかしたらすごく幸せなことなのかもしれない。


「どうしたの?」

にっこりと、麻世さんは俺に問いかけた。

ぽーっとして、つい見つめてしまっていたようだ。

「ううん、なんでもない」

「そっか」

なんでもないわけないけれど、なんにもいうことはできなかった。


「…あのさ」

「うん」

「俺は、幸せだね」

ごまかすためだけの話。

「…なんで、そう思うの?」

「好きなこと、してるだけなのに。麻世さんの方が、文字とか歩き方とか、みんなの面倒見たりとか、そういうすごいことしてるのに。たまたま俺には、賞がもらえた」


なにも考えず、この恥ずかしさから逃げるために喋っていた。

「そんなことないよ」と言ってくれるのを期待していたけど、なにも言われることはなかった。


「飲み物持ってくるね」といい、ぱたぱたと麻世さんが部屋を離れた。

何か悪いことでもしてしまったかな。もしかして、じろじろ見すぎたのかな。


机の上に、綺麗なノートが残っていた。

それはまるで、俺が好きなあの文字がつまった宝箱みたいに見えた。

どきどきと、まるで漫画でお風呂場を覗くような気持ちで、でもそれよりはマシだろうなんて言い訳して。

俺は麻世さんの字がみたくて、ノートを開いた。


…あれ?


ノートから、はらりと二つ折りのルーズリーフが落ちた。

そこには、詩のような小説のような、不思議な文章が書いてあった。


「『キラーロック』


あの岩は頭突きで勝負する

自分が一番固いんだ


あの岩は大きい壁にも負けない

自分が一番強いんだ


鉄もダイヤもセメントも

恐れることなく立ち向かう


たたかって ぶつかって かって かって

けずれた頭は戻らない


私は岩のかけらを持って

風ですぐ消える絵を描いた」


……なんだか、良くわからなかったけど。

少なくともこれは、宿題じゃなかった。

やらなきゃならないことじゃなかったし、お姉さんらしいことでもなかった。

書いてあることはわからなかったけど、いつも丁寧な麻世さんの字は少しだけ走り書きだった。


「だめ!」


聞いたことのない、鋭い声が聞こえた。

麻世さんは俺からルーズリーフをひったくり、くしゃくしゃに丸めた。


「あ…」

この感覚には、覚えがあった。

妹の翠空(みそら)が初めて自分の歌をお風呂で歌っているのを聞いて、「なんの歌?」と尋ねてしまったとき。

「だめー!いくらお兄ちゃんでも、今のはだめだよ!忘れて忘れてー!」なんてバタつかれてしまった。

だけど、麻世さんはそんな風に暴れなかった。

ただ、ズル休みが見つかった学級委員みたいに、赤くなって涙ぐんでいた。


「ご、ごめん」

「何に?」ひどく冷たい声。

「…ええと、勝手に、見て」

「そうじゃない」

「…」

「わからないのに、謝らないで」


もう、何も言えなかった。

しばらくお互い沈黙したあと、静かに麻世さんは言った。

「…叫んじゃって、ごめんね。続きはあとで、メールちょうだい。お手伝いならできるから」


「…あのさ」

「…」

「俺は、好きだよ」

それは、麻世さんに言ったんだっけ。

それとも、その文字に言ったんだっけ。

少なくとも、その物語には言えてなくて。

麻世さんには、全部お見通しだったんだろう。


ふっと冷たい顔をして、麻世さんは「ごめんね」と笑った。


※※※


「お兄ちゃんさあ」

翠空は、俺におぶさって耳を引っ張って来る。

これはいたずらの種を見つけたときのサインだ。

「好きな子、できたでしょ。この翠空ちゃんを差し置いて」

「…翠空にはまだ早いよ」

「私はずーっと小さい頃から、ミクにすきすきーって言われてるんだけど?健太朗も私のこと大好きだし、恋愛なら大先輩ですよーだ」

ミクや健太朗というのは幼馴染みの男の子で、親同士も交流がある。

妹は元気で可愛くて、ずっとみんなのアイドルだ。


「ま、お兄ちゃんだって、ファンクラブあるじゃん。私のクラスにも、お兄ちゃん狙いの子は結構いるよ」

「…」

なんというか。

友達100人できるかなの延長線上で生きていると、一緒にいて楽しい子はたくさんできる。

でも別にそれ以上変にドキドキしたり、バレンタインに騒いだりするのはうれしい以上に面倒くさい。

賞なんか取った日からは、よく知らない人からも好かれるようになってしまった。


「でもー、翠空ちゃんレーダーはそういう追っかけてくる人じゃなく、追っかけたいタイプの年上って言ってるんだよねー。もしかして陸上の先輩?それとも、コーチ?いやいや、先生って線もあるかなあ」

「それはさすがに…」

「あり得ない話じゃないよー。ミクの同級生なんか、ミクのおかあさんに恋してるんだって」

もはやそれは別の話だろう。


「でー?どうなの、どうなの?」

「……こないだ、嫌われた」

「あらま」

「みちゃいけないものを、みちゃって」

「うわー、どんまーい。似たような子紹介してあげるから、どんな子か教えて」

「優しくて、きれいで」

「うんうん」

「面倒見がよくて、譲れないものを持ってて」

「うんうん…え?」

「素敵なものを描き出す人」

「…お兄ちゃん?」

「……」

「ヤバイよそれ。近親ソーカンじゃん」

「うるさい、変な言葉使うな。っていうか、親戚ってだけだしそこまで近くないだろ」

「え?親戚?いや、てっきり私のことかと…」

「」

「あー、麻世さんじゃん!なるなる、なるほどねー!」

自爆した。つらい。


ひとしきり騒いだあと、翠空はちょこんと向き直った。コイバナが好きというよりも、兄の弱みをいじれるのが相当に嬉しいらしい。

「良いんじゃない?面倒臭い海おじさんが義理のパパになるのはちょっとキツいけどさ。麻世さんはどっちかと言うと大人に好かれるタイプだよねー。アホの男子では気付けないよさがありますなあ。さすが我が兄、みる目がある」

「だから、嫌われたんだって」

「おーちーつーけー。らしくないよ。いつもにこにこ爽やかなお兄ちゃんらしくないなあ。スピーチ書いてもらったんでしょ?どんな感じ?」

「…自分の言葉で書けってことで、うまく行かなかった」


「ふーん。じゃあ、それは?」

俺のスマホが鳴っていた。着信音で、誰だか分かる。

「ほらほら、リベンジチャンスだよ。見といてあげるから」

楽しそうな妹にイライラしながら、電話を取った。


『もしもし』

「…はい」

『さっきは、ごめんね。かーっとなっちゃって。お姉さん失格だね』

「そんなこと、ない、です」

麻世さんの声は優しいけど、少しだけこわばって聞こえた。

ノイズのような息の音だけが、お互いにしばらく行き来した。


「あの、さっきは、その」

『碧里くん。今から、スピーチを読みます』

「え?」

『原稿じゃないけど。私の声を、伝えます。聞いてくれるかな?』

「うん…」

通話の向こう側で、すう、と息をするのが聞こえ、少しの間をおいて彼女のスピーチが始まった。


『私には、自慢のカッコいい親戚がいます。

友達が多くて、足が速くて、妹を大切にする、優しいお兄ちゃんです。みんなのことが大好きだけど、一番を選ぶのが苦手です。甘えるのも得意じゃなくて、だけどその困った顔もかわいいです。


そんな優しい彼が、誰かのためじゃなくなる瞬間。それが、走る時間です。誰のためでもないからこそ、走っているとき彼は一番素敵に生きています。そしてそういう素敵さを、きっとみんなが知っています。


今回、大きな賞を取れましたが、それはたまたま運がよかったからかもしれません。それでも、彼はみんなの前で拍手を受けるべき人だから、そんな時間があってよかったと思います。

私は、彼にたくさん拍手を送ります。彼にふさわしい場をくれた、皆さんと幸運にも同じくらい、ありがとうと拍手を送ります。


これから彼はお話をしてくれますけれど──そんな言葉がなくたって、みんな彼のことを知っているはずです。だからどうか、ただその時間を拍手で迎えてください。親戚のお姉さんからの、お願いでした』


「…」

『はい、おしまい。私は碧里くんの言葉はつくってあげられないから、碧里くんがしゃべる前の応援スピーチを書いてみました。こういう援護射撃があると思って、自分の言葉を書いてみて。きっと、碧里くんなら大丈夫だから』

「麻世、さん」

『泣かないの。男の子でしょ。私と、仲直りしてくれる?』

「うん。俺のこと、きらいじゃ、ない?」

『きらいになるわけないよ。でも、あのとき見たものだけは秘密。女の子には、隠しておきたいものがたくさんあるんだから。ね?』

声の暖かさは戻っていて、でも俺の内側には昨日より強い熱さがあった。


「あの、さ」

『うん』

「こんど、大会見に来てよ」

『もちろん。親戚一同応援するから』

「そうじゃなくて、その」

『?』

「なんでもない。おやすみ」


通話を切り、しばらくはボーッとしてた。

「青春よのう」とニマニマする妹を追い出し、いつもより早く布団に潜った。


※※※


「美月さん、ごめんなさい。忙しいのに」

「みーくんがこの私に相談なんて言われたら、いてもたってもいられないって。あんまり時間取れないけど、お姉さんに任せなさい」

仕事帰りのスーツ姿、まさにできる女性って雰囲気をまとう美月さん。正月の子どもっぽい感じと違って、かっこいい。


「美月さんは、父さんのことを大好きでしたよね」

「今でも好き。うちの旦那の千倍カッコいい。そっくりなみーくんもカッコいい」

「あ、はい」

その姿で甘やかされるとギャップが怖い。


「……怖くなかったですか?」

「ん?」

「親戚のこと、好きって堂々と言うの」

「……どっち?」

「妹じゃないです」

「ならセーフか。うん、大体わかった」

美月さんはさばさばとこちらを理解したようだ。この人は本当に頭の回転が速いから、言葉たらずでも大体理解してくれる。


「私とはちょっとパターンが違うかな。私の場合、ちゃんと相手に気持ちを伝えた上でじゃれてられた。たぶん、麻世ちゃんはみーくんの気持ちに気付いてないし、男の子として意識してないでしょ」

ぐふっ。


「で。麻世ちゃんと、どうなりたい?ファンの子みたいに、キャーキャー言って欲しい?デートしたり、手を繋いだりしたい?もういっそのこと、結婚したい?」

「…わかりません。ただ、そんな風に仲良くするのとは、ちょっと違う…その、憧れ、みたいな。麻世さんは俺に、拍手にふさわしいと言ってくれた。だけど、それは彼女だってそうなんだ」

だから、もっと近くにいたい。もっと素敵なところに、連れていきたい。だけど、何をしたら良いかわからない。

モヤモヤして、ねじくれてしまいそうだ。


「うん。みーくんは、それで良いよ」

「え」

「その想いは、今のまま大切に持っておきなさい。みーくんにはこれからたくさん友達も、きっと恋人もできるけど──今の気持ちも、嘘じゃない。全ての気持ちに、無理に決着をつける必要なんてないんだから」

私も大人になったもんだ、と頭をかく。


俺にはまだ難しいことは分からなかったけど、今抱えているこのなにかが間違いじゃないのかもしれないと言ってもらえた気がして、少しだけ嬉しかった。

…同じくらい、胸が苦しくなったけど。


※※※


「みどりくん」

てちてちと、翠空の友達のミクが寄ってくる。

俺はこの男の子が苦手だ。翠空のことが大好きというけれど、どうにも人間味を感じない。

『僕、かわいいでしょ』という顔でころころと生きる、子どもの振りをする何かに見えて仕方がない。はっきり言って、気持ち悪い。

麻世さんならきっと、年下にこんなこと思わないんだろうけど。


「麻世ちゃんの、大事なもの。あげる」

活字のURLがかかれたメモを渡された。

「…なんのつもりかな?」

「わいろ。翠空ちゃんをください」

深呼吸。

「きみのそういうところ、正直苦手だ」

「え」

「自分の頭の中にしかないことよりも、目の前の相手がどんな顔をしているかちゃんとみた方がいい」

「う…」

大人げないかもしれないけれど。

さすがに、大切なものを二つもバカにされると、腹が立つ。


「あ、ミク!どうしたの」

翠空が飛んできた。

「みどりくんに、いじめられた」

「そ。じゃ、たぶんミクが悪い。お父さんとお兄ちゃんのほうが、ミクよりきっと正しいもん」

ぐすりだしたミクに、翠空はきっぱりといった。

「うぅ…」

「遊ぼっか?」

「ううん。かえる」

とぼとぼとミクは去っていった。相変わらず、あの子は翠空には弱い。


「もー。お兄ちゃんもお父さんも、本当にミクには厳しいよね。そんなに私を取られたくないんだ?」

「まあね」

「あ、それなに?」

翠空は勝手に俺からメモをひったくり、自分のスマホでURLにアクセスした。

個人の小説サイトのようなものが開かれて、いくつかのタイトルが並べられていた。


「おー。これはこれは」

「そんなもん見るな」

「確かに、私じゃないね。お兄ちゃんのものだよ」

翠空は、にやにやとそのうちのひとつを開いて俺に画面を突きつけた。


「『ブックマーク』


私が挟んだ栞の中で

激しい物語は一度止まる

私が誰かになった夢を

進む途中にとどめてくれる


次の日にまた本を開いて

その物語は終わりへ向かう

突き刺していた栞の跡が

昨日の時間を覚えてくれる


本を読み終え私は思う

私の命が物語なら

誰かが栞を挟んでくれる

そんな素敵な声を書きたい 」


そこには、麻世さんの物語が書かれていた。

なんていうか、名前を見なくてもわかった。

無機質な活字だったけど、確かに麻世さんの匂いがした。

更新時間は、俺と仲直りをした日だった。


ミクに強引に渡されたのは癪だったけど。

確かに、ワイロにふさわしい。


「これは、見て良いものなのかな」

「なにやってんの。いいに決まってるでしょ」

「でも」

ルーズリーフをぐしゃぐしゃにした麻世さんの姿を思い出す。

「わかってないなあ。アーティストには、自分のペースっていうのがあるの。ノートじゃなくてここに書いたってことは、誰かに届いて欲しいんだよ」

「…じゃあ、感想を」

「だめだめだめ!このアホ兄!この手の作品には、どうコメントしても野暮なの!それくらい見てわかれ!」

…もう、訳がわからない。

いったい俺にどうしろというんだ。


「まったく、世話が焼けるなあ。こういう時はね…」


※※※


麻世さん。


俺には、あなたのように美しい言葉は書けないし。俺のような中途半端な外側に勝手に評価されるの、きっと恥ずかしいよね。

わかって欲しいけど、みられたくない。今、俺にはあなたの矛盾が、少しだけわかる気がする。


だから、俺はただ足跡を残すよ。

あなたが新しく書く話の、どこにでもいるひとりのファン。

リアクションマークだけを残す、無害で無益な読者。


いつかこの向こうのあなたに出会えたら。

俺の初恋の思い出を、笑って話したいと思う。


麻世さんと廊下ですれ違う。

俺は手を振り、彼女は会釈する。

会えるけど会えない場所で、俺はあなたを楽しみにする。

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