第4話「掟の重さ」
試験導入から二週間。現実は、甘くなかった。
「また、システムエラーか!」
深夜二時。アダムの携帯が鳴った。シティ配送のドライバーから、三件目のトラブル報告だ。
「すぐに対応します」
彼は飛び起き、ノートパソコンを開いた。リモートでログを確認する。原因は、GPSデータの取得エラー。想定外の通信環境で、システムが停止していた。
「クソ……」
修正パッチを作成し、配信する。時計を見ると、午前四時だった。三時間後には、またシティ配送に行かなければならない。
一方、リドラは別の問題に直面していた。
「城戸社長、申し訳ございません。ドライバーの皆さんの不満は承知しております」
電話口で、城戸の声が疲れている。
「リドラ君、気持ちは分かるが……現場の抵抗が予想以上に強い。『今までのやり方で十分だ』『機械に指図されたくない』ってな」
「はい……改善します。必ず」
電話を切ると、リドラは頭を抱えた。技術は完璧でも、人の心は動かせない。それが、今の壁だった。
そして、ショーンは最も重い現実と向き合っていた。
通帳の残高:十二万三千ニール。
今月の経費:八万ニール。
来月の家賃:五万ニール。
シティ配送からの入金:来月末。
計算すれば分かる。このままでは、来月半ばに資金が尽きる。
「どうしよう……」
ショーンは、母親の顔を思い浮かべた。借りた五十万ニールは、母親が十年かけて貯めた金だった。父親を亡くしてから、母は一人で自分を育ててくれた。その母に、これ以上迷惑はかけられない。
だが、追加融資を頼まなければ、会社が潰れる。
三人の夢が、終わる。
ショーンは、その重圧に押しつぶされそうだった。
「大丈夫だよ。きっと、何とかなる」
自分に言い聞かせる。だが、数字は嘘をつかない。
彼は、その不安を誰にも言えずにいた。
三日後。三人は久しぶりに、夕食を共にしていた。
「順調か?」
リドラが、カップ麺をすすりながら尋ねた。
「ああ、まあな」
アダムが、目の下のクマを隠すように答えた。
「ショーンは?」
「うん、順調だよ」
ショーンは、笑顔を作った。だが、その笑顔は硬かった。
リドラは、二人の様子に違和感を覚えた。だが、深くは聞かなかった。自分も、余裕がなかった。
その夜。アダムは、またシステムエラーの報告を受けた。
「五件目か……」
彼は、自分の技術力に疑問を感じ始めていた。プロトタイプは完璧だと思っていた。だが、実運用では次々と問題が噴出する。
「俺は……本当に、天才なのか?」
自信が、揺らいでいた。
翌朝。ショーンは、母親に電話をかけた。
「お母さん、あのね……」
『どうしたの? 元気ない声だけど』
「ううん、大丈夫。ちょっと疲れてるだけ」
『無理してない? 体、壊さないようにね』
「うん。ありがとう」
電話を切ると、ショーンは涙が出そうになった。言えなかった。追加で金を貸してほしいなんて、言えなかった。
その午後。三人はシティ配送で、ドライバーへのトレーニングを行っていた。
「だから、この画面で確認して——」
「面倒くせえな! 今までので十分だろ!」
ベテランドライバーの一人が、アダムを遮った。
「でも、これを使えば効率が——」
「効率? 俺たちは機械じゃねえんだよ!」
その言葉に、アダムは返す言葉を失った。
リドラが間に入ろうとしたが、別のドライバーから「あんたたちのせいで、仕事が増えた」と文句を言われた。
ショーンは、ただ黙って見ていることしかできなかった。
三人は、オフィスに戻ると、無言で座り込んだ。
「……最悪だな」
リドラが呟いた。
「ああ」
アダムが頷いた。
ショーンは、何も言わなかった。言えなかった。
沈黙が、部屋を支配した。
そして——。
「なあ」
アダムが口を開いた。
「掟、覚えてるか?」
リドラとショーンが顔を上げた。
「苦しいときは、三人で共有する。だったよな」
「……ああ」
「今、俺たち、苦しいんじゃないか?」
その言葉に、ショーンの目から涙がこぼれた。
「ごめん……僕、隠してた」
「何を?」
「お金が……来月半ばには、底を尽きる。このままじゃ、会社が続けられない」
リドラとアダムは、息を呑んだ。
「なんで、早く言わなかった!」
「だって……二人とも忙しそうで、言えなくて……」
「バカ野郎! それこそ、共有すべきことだろ!」
リドラが立ち上がった。
「ショーンだけじゃない。俺もだ」
アダムが告白した。
「システムエラーが頻発してる。俺の技術が、実運用に耐えられてない。自信が……なくなってきた」
「アダム……」
「俺も、言う」
リドラが、二人を見た。
「現場の抵抗が、想像以上に強い。城戸社長からも、『このままじゃ契約更新は難しい』って言われた。俺の営業が、下手なんだ」
三人は、それぞれの苦しみを吐き出した。
そして、沈黙の後——。
「俺たち、バカだな」
ショーンが笑った。
「掟を作ったのに、守れてなかった」
「ああ。一人で抱え込んでた」
アダムも、苦笑した。
「よし、じゃあ今から、全部洗い出そう」
リドラが、ホワイトボードを引っ張り出した。
「資金問題、技術問題、現場の抵抗。全部、テーブルに出す。そして、三人で解決策を考える」
「賛成」
「うん」
三人は、徹夜で話し合った。
資金問題については、ショーンの母親に正直に状況を説明し、追加融資を頼むこと。同時に、他の小規模案件を並行して獲得し、キャッシュフローを改善すること。
技術問題については、アダムが一人で抱え込まず、エラーログを三人で確認すること。リドラとショーンも、技術的な理解を深めること。
現場の抵抗については、ドライバーとの対話を増やすこと。システムの押し付けではなく、彼らの声を聞き、改善に活かすこと。
「これで、いけるか?」
「いける。三人なら」
「うん。絶対に」
朝日が昇る頃、三人は疲れ果てていたが、表情は晴れやかだった。
「なあ、掟って、本当に大事だな」
アダムが呟いた。
「ああ。これがなかったら、俺たち、バラバラになってた」
「これからも、守ろう。絶対に」
ショーンが、強く頷いた。
三人は、再び拳を合わせた。
その日、ショーンは母親に電話をかけた。
「お母さん、話があるんだ」
彼は、正直にすべてを話した。会社の状況、資金の問題、そして自分の覚悟を。
『分かったわ。追加で三十万ニール、用意する』
「お母さん……」
『でも、ショーン。一つだけ約束して』
「何?」
『もう、一人で抱え込まないで。仲間がいるんでしょ? 三人で支え合いなさい』
「……うん。ありがとう、お母さん」
ショーンは、涙を流しながら、母親に感謝した。
一方、アダムはシステムエラーの原因を、リドラとショーンに説明していた。
「ここが弱点なんだ。通信環境が不安定だと、データが欠損する」
「じゃあ、オフラインでも動くようにできないか?」
「できる。でも、時間が——」
「やろう。俺とショーンで、現場を回してる間に、お前は開発に集中しろ」
「……ありがとう」
リドラとショーンは、毎日シティ配送に通い、ドライバーたちと対話を重ねた。
「なあ、おじさん。このシステムの、どこが使いにくい?」
「ボタンが小さすぎて、押しにくいんだよ」
「なるほど。それ、改善できるよね、アダム?」
「ああ。すぐにやる」
少しずつ、ドライバーたちの表情が柔らかくなっていった。
そして、二週間後。
「リドラ君、驚いたよ」
城戸社長が、笑顔で言った。
「ドライバーたちが、『このシステム、意外と便利だ』って言い始めた。配送時間も、確実に短縮されてる」
「本当ですか!」
「ああ。試験導入、成功だ。正式契約に進めたい」
三人は、抱き合って喜んだ。
「やった!」
「やり遂げた!」
「三人で!」
その夜、三人は安い居酒屋で、祝杯を上げた。
「掟を守って、良かったな」
「ああ。これからも、絶対に守る」
「うん。何があっても」
三人の絆は、試練を乗り越えて、さらに強くなっていた。
だが、ショーンは一つだけ、気になっていた。
リドラが時折見せる、遠くを見つめる表情。
何を考えているのだろう。
まだ、彼の中には、言葉にできない何かがある。
ショーンは、それを感じ取っていた。
(第4話終わり)
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