摩那斯の武神
竜崎
プロローグ
神に終わりがあるのだとしたら、それはどんな終わりなのだろうか。
◆◆◆
澄み切った青い空を、トンビがゆったり、高く高く飛んでいる。
鳥の眼前には、何頭もの数え切れない天然の岩柱が、緑に覆われてそびえ立っていた。
その中に、2つの影。
トンビはその影の一つの手に吸い込まれるように降り立つと、脚に巻きつけられた紙を“女”は器用に、慣れた手つきで解いた。
紙に目を通した女はトンビの眼前に手を添えると、何かを静かに唱える。
途端、トンビは目の色を宝石のような琥珀色に変え、くんと引かれた女の腕から解き放たれ、行き先を理解しているかのように空を駆け抜けていった。
トンビが去った姿を2つの影はただ、岩柱から眺めていた。
◆
澄み切った青い空を、鷹がゆったり、高く高く泳ぐ。
岩肌の多い山々の岩盤がむき出しになっている山道を、二人の影が下っていた。鷹の影が二人をかすめる。橄欖色の旅使いに長けた羽織を羽織った女性が顔を上げた。しばらくぼうっと鷹を見つめていると、山風がその長い、後頭部に高く結わえた黒髪をしゅるりとさらう。艶のある黒髪をなびかせ、女は麓を見た。緑がだんだんと広がり、背の高い木が増え、森を形成している麓の遠く先には集落が見える。
『まずはあの集落を目指すか』
発せられずに女の“声”が、後ろ隣を歩く紅の外套を巻き付けた男に届く。まるで思考が繋がっているかのように。紅色の瞳の男はなにも返事を寄越さずに、淡々と岩道を下るが、その反応に思うところ何もなし、と言わんばかりの様子で女も続いた。
その上空を、鷹は日に向かってさらに上昇して行く。
◆◆◆
生きる意味ってなんだろう。この、死ぬ未来が決まった私に。
それまで守られる意味って本当にあるのだろうか。その人が命をかける意味なんて、私にあるのだろうか。
まるで生きる意味を見いだせない私は、とある人たちに出会った。
◆◆◆
隊商は馬車を三台引き連れて、行き先である集落が見えてきたことを喜ばしそうに進んでいた。とはいえまだ遠くに見えただけ。しかし、長旅の終わりが見えてきたことは、隊商を喜ばせるのに十分すぎた。
鬱蒼とした森の中の道は、お世辞にも整えられた道ではなく、馬車はガタガタと揺れる。まだ下り道の坂道をスピードを上げることはできず、ゆっくりゆっくり下る。
そんな隊商を、森の中から取り囲む黒い影。
先頭の馬が、突然ブリルと鳴いた。茂みから突如として狼が飛び出す。馬車の先頭から悲鳴が上がった。御者が狙われたらしい。恐怖と緊張が隊商に一気に駆け抜け、雇われの用心棒が武器を抜く。ところが、隊商の後ろからも、真ん中からも悲鳴が聞こえ始める。どうやら狼の群れであることを悟り始める。少ない用心棒たちで追い払えるものではないのではないかと早くも気が付き始めてしまった。
一匹の狼が御者の首に噛みつこうとした瞬間。
閃光のような速さで一つの影が狼を貫いた。
影ごと狼は吹き飛ぶ。
短槍で狼の腹を突いた影は、深緑色の瞳を翻して駆け出す。恐ろしい速さで二匹目の狼の喉を薙ぎ払うと、減速することなく三匹、四匹、馬車の反対側で、用心棒に飛びかかる狼には、馬車の下を滑り込んであっという間に掻き切った。その惨状を見ていた狼の群れは、ジリジリと後退し始める。
橄欖色の羽織をまとい、髪を長く結い上げた女は短槍を構えて止まった。視線を狼たちに向ける。隊商の前の狼たちには女が、いつの間にか隊商の後ろの群れには赤い外套を巻きつけた長身の男が何も構えずに立っていた。右下に刃を向けていた槍が、己に向いているように狼たちには圧を感じている。一匹、翻すと、波のように狼達は引いた。
静まり返っていた隊商はどよめきだし、負傷者の手当てと移動と慌ただしく動き始める。
◆
「助かりました……! お怪我はないですか? 狼を追い払っていただいたどころか集落まで護衛していただき……! なんとお礼をしたら……」
集落に辿り着いた隊商は、ここまで謎の二人に護衛されて来たらしい。深緑色の瞳の女と、紅色の瞳の男の謎の二人は、特に表情がない。女が口を開く。
「たまたま通りかかっただけです。お礼など」
その表情は少しだけ柔らかくなり、声音も思っていたよりも優しかった。隣にいる女より長身の男は一言も発さず、表情も微動だにしない。
「あんなに狼が出没するなんて……貴方様がいなければもっと甚大な被害を受けていました……。これはせめてものお礼です。どうか、お受け取りいただけないでしょうか……」
隊商の長は懐から小袋を取り出して女に差し出した。女は一度手の平を立てて断る姿勢を見せたが、長がなかなか譲らないので、
「……では、お心遣いとして。ありがとうございます」
ようやく受け取った。
◆
隊商の馬車に乗せてもらっていた私達は、その二人に出会った。これが私の考えを、生き方を変える出会いになるだなんて、私は微塵も感じてはいなかったのだ。
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