第2話 はじまり、押し付けたら秘密がバレた
無事荷物の片付けも終わり、夕方には友人たちもかじかも部屋から去っていった。きれいになった部屋の中で、ユーインはぽつんと一人たたずむ。
なんて言ったって、初めての一人暮らしだ。狭い自室から突然広くなり、想像していたよりもずっと持て余しそうだと心配になってきた。過保護な父は家を出る最後まで心配していたが、予想が的中しないよう頑張らねば。
白い壁を眺める。ここには本棚をさらに追加してもいいだろう。キャットウォークを作ろうかな。猫が運動する高さを確保しないと。まさに飼い猫のハルシオンがいじけそうだ。あとで大家に相談しよう。ふむ、と顎を撫でると足元をなにかに撫でられた。
「うるさいの、終わった?」
ハルシオンがパタパタと尻尾を振っている。片づけをしている間どこにいたのかわからなかったが、彼女は隠れるのがうまいからさっそくこもる場所を見つけたのだろう。
「はい、終わりましたよ。ご苦労さま。がんばったハルにはおやつをあげましょう」
「うむ。その通りである。くるしゅうない」
かわいい三毛猫はご機嫌になって尻尾をあげた。皿におやつを入れてやりつつ、ユーインは軽く指を振った。すると机の上に置いていたスケジュール手帳がひとりでに浮かび上がり、彼の前にやってくる。
手帳が開きぱらぱらとめくれると、今月のページにたどり着いた。とりあえずしばらくは日本に慣れる時間は確保してある。締め切りを伸ばしてもらって正解だった。
ちかちかと足音がしたので振り向くと、アスターが首を傾げていた。
「おさんぽ……」
「今日はゆっくり休まなきゃだめだよ。二人とも、トイレの場所は覚えた?」
「おぼえた!」と元気に返ってきた。うん、とうなずいてたちあがったところでまたチャイムが鳴った。
今度はなんだとドアを開けると、配達員が困り眉で段ボールを持っていた。まだ届いていない荷物があったのか。驚いたユーインに配達員は何かを察して後ろを見るように合図をする。
「あのぉ、これだけではなくってですね。あと三箱ほどございまして。中に運んじゃっていいですかね?」
「はぇ?」
慌てて差出人を確認すると、祖母の名前が書かれている。一瞬でサプライズ好きな彼女のしたり顔が脳内に浮かんだ。つまりこれは祖母が田舎でやっている畑から送られてきた野菜たちに違いない。
それが三箱となると、頭の中で計算して悲鳴をあげそうになった。
とにかく配達員には玄関に積んでもらい、礼を言って帰ってもらった。すぐに祖母に連絡を取るもでかけているのか、無視されているのかつながらない。
終わったばかりの荷ほどきをまたするはめになり、冷蔵庫に入れようにももちろん足りるわけもなく。一通り処理を終えたがまだ一箱半ほど残ってしまった。
一人暮らしだと伝えたはずなのに、かわいい孫のために張り切って詰めてしまったのだろう。そう信じたい。
ユーインはサンダルをひっかけ、大家の部屋に声をかける。野菜を受け取ってほしいと説明したが、そんなにはいらないと半箱しか受け取ってもらえなかった。
どうしよう、と部屋に戻ってきて頭を抱える。すでに一週間、いや一か月は買い足す必要がない量が冷蔵庫にはある。
だったら今日の料理に使ってはどうか。考えたところで出来上がるのはやはり一人では食べきれない量の料理なだけだ。
「はぁ、困った。あとでおばあちゃんにはきつく言っておかないと」
「フクシアのおやつにならないの?」
「かわいいアスター、あんな小さなフクの体のどこにこれだけの野菜が入ると思う?」
「わん。ぼくもハルシオンも野菜はたべられないよ」
「知ってるよ。大丈夫。ありがとうね」
ぼそぼそと会話をしていたせいでユーインは気づかなかった。不用心にドアのカギを締めるのを忘れていたことも、かじかが偶然気づいて注意しようと気を利かせて中に入っていたことも、動物と当たり前のように会話していたことも。
だから真後ろでかじかが目も口も開いて驚嘆していたのを知ったのは、彼が思わず「話してる……?」と声を漏らしてしまったせいだった。
「え。あ! なんで中に入ってきてるんですか!」
「い、いやいやいやいや鍵を開けっぱなしだったから! 危ないぜって言おうかと!」
「へ!? だってここオートロックじゃ、」
かじかがぶんぶんと頭を横に振って足を指さす。
「サンダルが引っかかってたんだよ。だからドアがちゃんとしまってなかったんだ。どれだけ慌ててたの?」
言われ、立ち上がって玄関に小走りで確認しに行った。たしかにサンダルがドアの下に噛まれていて締まりきっていない。ややぁっと引き抜けば、カチ、と鍵が閉まったのを確認できた。がっくりとうなだれる。今度からちゃんと閉まったかどうかは確認しよう。
リビングに戻ってきてかじかにも頭を下げる。
「おはずかしい」
「日本は安全だって言っても、泥棒の危険はあるんで。マジで気をつけてください」
「はい」とうなずく。
「ところでさ」とかじかが身をよじりながらアスターとユーインを交互に見た。歯切れ悪そうに口をまごつかせたあと、ユーインに一歩近づいてくる。
「犬と、喋ってませんでした?」
なにを聞かれたのか一瞬わからなかった。そりゃ、喋れますけど。なにせ……。あ、とユーインが手で口を覆ってから冷汗が背中に吹きだした。
忘れていた。そうだ、普通の人は動物と会話ができないんだった!
どうしよう。こればかりはバレたらいけないのではないだろうか。父からは注意されていないのでわからないが、たぶんダメだろう。だってこの国には魔法使いはいないはずだから。
急にお腹が痛くなったような顔をした主人を心配したアスターがきゃんっと吠えた。おそらくかじかになにか悪いことをされたのだと誤解したのだろう。頭を撫でて落ち着かせた。
「シャベッテマセンヨ。ナンノコトダカ」
「いま明らかにやべぇって顔しましたよね」
「してません! だいたい勝手に家の中に入ってきた人に答えるわけもなく!」
「たしかに。それはすみません」
素直に謝られると調子が狂う。厳しめにかじかに差した指の行き場をなくしてしまった。
一度咳き込んでからユーインは喉の調子を整え、かじかに帰ってもらおうと改めて声をかけようとしたのだが。
「ねぇ、野菜どうするの?」とアスターが神のごとくの一言を放った。
「グッドボーイ、アスター!」
「え? ちょっと、やっぱりあんた犬と会話してますよね!?」
「してません! ところでミスター、一人暮らしですか」
「は。あー、ルームシェアしてますけど……。芸人同士で、それが?」
ゴッドセンド。まさに天の恵みだ。一人暮らしでないなら細かいことはなんだっていい。ユーインは急いで段ボール一つをかじかに突き出した。
「これ全部持ってってください! タダで良いです。祖母から送られてきて困ってたんです!」
「い、いきなり言われても、助かりますけど」
「だったらいいですよね!」
ぐいぐい押し付けるとかじかは困惑しながらも受け取った。返される前に追い返してしまえとそのまま玄関まで背中を押す。だがかじかも突然のことに納得はいかないようで、なんとか踏ん張って抵抗してきた。
「受け取りますから! さっきの説明してくれ、あんた犬の言葉がわかるのか!」
「答えないとだめですか……?」
かじかが激しくうなずいた。野菜を持った腕がきついのか震えている。
はぁ、とユーインはため息を吐いた。まぁ、絶対に内緒にしてもらう約束と、話したら痛い目を見るまじないの一つでもかけておけば大丈夫かな。
「わかりました。その前にちょっとおでこ触りますね」
「はい? いてっ」
「これでいいです。あのー、……魔法使いって言ったら、信じます?」
かじかのたれ目がみるみるうちに大きく開かれていった。
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