魔法でなくとも

二代目チウネ

第1話 はじまり、住処はいつもきれいで清潔に

 ガラガラと重たいスーツケースを運ぶ。


 背中には猫を入れたリュック、右手にはうさぎを入れたケース。そして腰にはリードをつけ、犬が一緒に歩いている。空港から知り合いの車に乗せてもらったけれど、用事があるからと駅前で下ろされてしまった。


 賑やかな駅前広場から逃げるようにマップに従って歩いてきたものの、建物が多すぎるし、複雑に入り組んでいて疲労が溜まる。


 故郷のイギリスはもう少し整っていた。道も広かったし住居エリアももっと隣家と余裕があった。ガタゴトと音がする方に振り向く。線路が真上を走っているなんてありえない。


 戸惑っている飼い犬のボーダーコリーが、辺りを見回してうなだれた。


「ユーイン、早くお家つかないの?」


 不安げに声をかけられ、飼い主の青年は乾いた笑いを漏らす。ごもっともだ、とスマホのマップを確認し直した。指示によると、どうやらもう少しで到着するらしい。送られてきた写真を表示し、外観を見つけるために青年も辺りを探した。


 青く長い髪を持ち、スラリと身長の高い彼はユーインという名前のイギリス人だ。齢二十六歳という若さながら売れっ子の小説家で、ある縁をきっかけにイギリスから日本に越してきたばかりだった。


 親族に日本人がいたおかげで日本語は少し話せる。それに国が変わっても、人の暮らしなんて大きく違わないだろうと高をくくっていた。


 まさか空港から出るまでもてんてこ舞いに大変だとは思いもしなかった。とにかく動物たちが無事でよかったし、こうしてやっと新しい住処の前まで来たのだが、故郷とは違う湿り気を含んだ空気に少しむせる。


「あった。ここだ」


 ようやく見つけたマンションを、写真と外観を何度も見比べて確認した。五階建てのデザイナーズ新築マンションは一軒家が並ぶ中に忽然と現れた。


 おしゃれなエントランスを超え、管理室に行き鍵をもらう。部屋までの階段は屋内にあり、住居者がくつろげるラウンジや中庭もある。隠れ家を思わせる雰囲気に少々興奮した。写真を見て一目で気にいったのだ。


「聞いてた通りペットが多いねぇ。可愛いわんちゃんだね」


 案内してくれるために出てきた大家に驚かれた。声をかけられた犬は人見知りをさっそくしており、ユーインの後ろに隠れている。


「えぇ、この子がアスターで、後ろの三毛猫がハルシオン、うさぎがフクシアです」

「おしゃれな名前だこと。ポチ、ミケ、ぴょん子ね」

「ぽ、ぽち……?」


 訂正を入れようと思ったが、大家は部屋の前に着くと満足したのか去って行ってしまった。かわいい飼い犬が顔を出して鼻を鳴らす。


「ぼく、ポチなの?」

「おばあちゃんにも同じ名前で呼ばれてたね」


 懐かしいことを思い出した。日本人のシニアはみんな動物をそう呼ぶのかもしれない。



 部屋に入るとすぐに大量の段ボールが目についた。ほとんどイギリスから送ったものだが、さすがの量に目が回りそうだ。あとで送ってくれたのとは別の友人たちが荷解きを手伝いに来てくれるそうだ。先にこちらに住んでいる知り合いが多くて助かった。


 とりあえず玄関に脱走防止の柵を立て、動物たちを部屋に放ってみた。犬は元気に走り回り、猫は姿勢を低くして匂いを嗅ぎまくっている。うさぎは眠ってしまったので抱き上げて、ユーインは窓の外を見た。


 ちょうど角部屋が空いていたおかげで眺めの良さに感嘆する。緑が生い茂った場所があり、公園も近そうで安心した。飼い犬の運動量を確保するのは骨が折れる。


 さて、タオルや服をとりあえず先に片付けよう。はしゃぐペットたちをいなしつつ、段ボールの山を崩していった。


 一時間ほど経ったところでピンポンと玄関チャイムが鳴り、慌ててドアを開ける。こちらに住んでいるイギリス人の友人や、編集担当が来てくれた。


「ようこそ、ユーイン。いろいろ大変だろうが頑張ってな」

「ありがとう。ジョシュこそ、なにかと頼ることになると思うからよろしくね」


 軽く握手を交わしてから三人が玄関を上がる。しかしその瞬間、「あの~」とのんきな声がユーインたちの隙間を縫った。全員が振り向くと、にこにこと笑顔が眩しい青年が立っていた。


 誰かの知り合いだろうか。友人を見るが、驚いてた様子で固まっている。あれ、とユーインも首を傾げた。


 ぴり、と緊張が走る。けれど疑問はすぐに頭を掻いている青年の後ろにいた大家が説明したことによって解消された。


「この子、お隣さんね。ひましてるらしいから手伝わせてやって」

「あの、でも迷惑じゃ」


「構いませんよ!」とユーインの言葉を青年が遮った。青年の口から八重歯が覗く。


「俺、隣の部屋を借りてる秋庭かじかって言います。えーと、フォーサイスさん、ですよね」

「は、はい」

「いやぁ、さすが背高いっすね。髪の毛も綺麗な碧色だなー。あ、人手が必要ならもっと人数呼べますけど」


 スマホを出して振ったかじかに、ユーインは頭をぶんぶんと横に振った。

 なんというか、失礼な人だ。


 褒めているつもりなのだろうが、青い髪のことはあまり好きではないし、背が高いのも日本人から見たらなだけで普通である。


 思わず眉間に力が入っていたのに気づき、揉んでから友人に耳打ちをした。もちろん彼にはバレないように、母国語で。


「適当に言って追い払う?」

「人手は必要じゃないのかい」と友人がにやつきながら返してきた。

「この人、デリカシーなさそうだよ。俺の見た目のことすぐ言ってきた」

「ユーインは珍しい髪色だからしょうがないさ」


「でも、」と食い下がろうとしたが、かじかの声がまたも遮る。


「あー、すみません。デリカシーがないのは認めます」

「へ。あ、いえ、その」

「英語ちょっとわかります……。手伝いたい気持ちにやましいところはないんで、だめっすかね?」


 この通り、と手を合わせて頭を下げたかじかに後ずさる。まさかわかっていたなんて、悪口がバレてしまった気まずさと恥ずかしさに顔が熱くなってきた。友人と担当がやれやれと言いたそうにうなだれたユーインのつむじを眺める。


 だ、だって見ず知らずの人がいきなり現れて手伝うなんて、……いや、向こうではたまにあることだな。


 それによく考えなくても大家が連れてきた人だ。お隣さんだと言っていた。血の気が引いていく。


 これから仲良くしていかなければならない人じゃないか!


 ちょっと嫌な部分を弄られただけで追い払おうとしていたとはとんでもない。


「俺こそ、すみません。ぜひ手伝ってほしいです! 犬とか猫は平気ですか」

「あ、はは。平気ですよ。あんまり周りに外国人がいなくって、つい。気をつけます」

「髪の色を言及されるのは好きじゃないんです」

「え? そんな綺麗なのに? ていうか地毛ですか、それ。あっ、またやっちまった」

「そういう風に言われるから好きじゃないんだ。地毛ですけど」


「へぇ、」とかじかが茶褐色の目をきらめかせた。だがパッと髪から目をそらし、腕まくりをして部屋の中に入っていく。


「さっさと始めないと夜中までかかりそうっすね! この段ボールなんですか」

「あ。それは犬のやつ。あっちの部屋に持って行ってもらえます?」

「了解。どんどん言ってください」


 ようやく引っ越しの荷ほどきが本格的に始まった。

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