20

 ヘロヘロなんやけど。

 もう仕事ばっかりや。東京支部の全員の情報を確認せなあかんねんで? めちゃくちゃしんどいし、大変やし、もう嫌。しかもほぼ全員がハッカーなんやで? 確かにちょっとハッカーを名乗らんといてほしいレベルの奴が数人おったけど、情報量が普通の人とは桁違いやから、確認作業がしんどくてしゃーない。

 そんな時にゆりちゃんの部屋の方から泣き声が聞こえてきた。

 なんで泣いてんの? ルノ、もしかしてフラれたん? いやでも、ルノはフラれたからって泣くタイプちゃうと思うんやけど。それにこの泣き方、どっちかというと虫が出ましたって感じなんやけど。

 放っとこうと思って作業を続けててんけど、何故か全然泣き止む気配がない。わんわん泣いてる。

 ゆりちゃんは虫を退治してくれへんかったんかな?

 それともなんか酷いフラれ方したとか?

 なんにせよ、ちょっともう我慢出来んかったから、オレはパソコンを軽く半開きにして立ち上がった。どうせ誰もいてへんのに、わざわざこれやる自分もなかなかやと思う。

 部屋を出ると、すぐ横の部屋のドアをノックした。

「ゆりちゃん、何してんの?」

 バタバタする音が聞こえてから、ゆりちゃんが出てきた。

 ドアから見える限り、ルノがベッドに転がってる。まだ泣いてるみたいで、声が聞こえてきた。

「大丈夫?」

「ごめん。なんもない」

「ホンマに? 虫でも出たん?」

「いや、ホンマになんもないんよ」

 気になったから、オレはドアの中に向かって声をかけた。

「ルノ、大丈夫なん?」

 そしたらベッドに転がってた筈のルノが起き上がった。顔をぐしゃぐしゃにしたまま頷く。よく見たらガタガタ震えてるみたいやった。ひっくひっく言いながら座ってる。

「ゆりちゃん、ルノに何したん?」

「ダンテが思ってるような事だけはしてない」

 でもこのままオレがどっか行って、大丈夫とも思えへんかった。

 虫が出た訳でもないのに、ルノがギャン泣きしてんねんで? 一体何があったんよ。いくらなんでも泣きすぎやろ。

 ルノに向かってもう一回言うた。

「なんかあったんちゃうん? 大丈夫ちゃうやろ」

 せやのにルノは首を横に振った。

「ホンマに大丈夫なん?」

 絶対前見えてないのに、ルノはこっち向いて頷いた。ちょっとつらそうに言う。

「ごめん。ホンマになんもない」

 ルノがそこまで言うならしゃーない。

 オレはたまたま持ってたペン型カメラをそっと床に落とした。ベッドの方に足で向けると、ごめんごめんって適当に謝って部屋を出た。

 二人には悪いけど、ちょっと流石に気になる。

 部屋に入ってすぐに、自分のパソコンにカメラを繋ぐと様子を伺う。音質は悪いけど、一応音も拾える。有線のイヤホンを繋いで耳をすませた。

「ルノ、ごめんな」

 ゆりちゃんはルノの横に座ると、優しく抱きしめて頭を撫でた。

「ちょっと流石にやりすぎた。ダンテにも心配させてもた」

 まだ泣いてる様子のルノの顔を、ティッシュで拭いてる。ちょっと落ち着いたみたいやけど、ルノはヨレヨレフラフラでうつろな顔してゆりちゃんにもたれた。

「ちょっと、ホンマに大丈夫?」

 ルノはゆりちゃんのシャツを握ると、泣きながら言うた。

「平気」

「頭撫でたるから、ここに寝て」

 どうやらゆりちゃんはルノの事を普通に心配してるみたいや。別に意地悪な事をしたって訳やないみたい。優しくしてるように見える。

「大丈夫やから、やめんといて」

「何言うてんねん」

「お願い、俺の事捨てんといて」

 聞き間違いかと思ったけど、ルノはまた言うた。

「なんでもするから、捨てんといて」

 一体何の話? ルノはゆりちゃんと付き合うとかそういう話やなかったん? なんで捨てるって話になってんの? 全然分からん。もしかして、ゆりちゃんに脅されてるん?

 ぐったりしたルノに、ゆりちゃんは言うた。

「何回でも言うたるけど、捨てへんってば。うちの事なんやと思ってんの?」

「俺、ゆりに捨てられたくない」

「だから捨てへんって言うてるやろ」

 そのうち気を失ったんか、寝たんか、ルノは動かんようになった。そんなルノをどうにかベッドに寝かせて、ゆりちゃんは溜息をついた。

「なんやねん」

 こっちが聞きたい。

 でもこんなん、気になったからカメラ仕掛けて覗き見しましたなんて言われへんやん。詳しくは後でルノに訊くしかない。ゆりちゃんに訊いてもええけど、絶対なんでか訊かれるやん。

 とりあえずルノが大丈夫そうなんは確認したから、オレはカメラの映像を切った。

 静かにはなったから、とりあえず仕事の方を再開する。片っ端からクラックして、データを確認して変なのはないかチェックする。チェックの作業は大阪支部のハッカーもやってるんやけど、ハッカーのパソコンにクラッキング出来るメンバーは少ない。オレとコンドルと他二人でやってるんやけど、なんせ数が多い。全然終わりそうにない。

 チェック作業にゆりちゃんを回してもいいんやけど、もうちょっとチェックするデータが増えてからやないと任せられそうにない。すぐにやる事なくなってまう。だから昼からはルノと遊んでてってお願いしたんやけど、まさか泣かせるとは思わんかった。

 いろいろ気になって集中出来ひん。

 ルノは大丈夫なんかな。後で詳しく訊かんなあかん。でもなんて訊こう。なんで泣いてたん?って訊いても、ルノは恥ずかしがって答えてくれへん気がする。

 今すぐ隣りの部屋に突撃していって、ルノに自白剤打ったらすっきりすんのに。オレは見た事ないけど、ランボルギーニはそういう手をよく使ってたってジェームスが言うてた。

 オレはそこまで最低な奴になりたくないけど、大事な親友が脅されてんねやったら、何してでも助けてあげたい。ルノが泣いて嫌がるって分かってても、自白剤打ってホンマの事聞きたい。

 気になってきた。

 どうしようか悩みながらも、手は出来るだけ止めんとクラッキングを続ける。

 いっそゆりちゃんのパソコンをクラックするか? でもついさっきの事やし、そんなデータはないと思う。ゆりちゃんのiPhoneを見たって、ルノとそんな話はしてへんやろ。

 どうしたらええんやろな。

 悩んでる間に夕飯の時間になった。

 ヴィヴィアンがその辺でお弁当買って来てくれるって聞いてるけど、隣りの部屋にいてる筈のルノとゆりちゃんを誘って大丈夫やろか。

 邪魔せぇへん方がええのは分かるけど、ルノがあれだけ泣いてたんやし、声かけても怪しまれる事はないと思うんやけど。二人にちょろっと事情聴きながらご飯食べるくらいやったらええかな?

 悩みながら座ってたら、ヴィヴィアンが来た。袋を持ったヴィヴィアンはニコニコしながら、ドアを開けると入ってきた。

「ダンテ、夕飯やで」

 悩んだけど、オレはヴィヴィアンに言うた。

「ちょっといい?」

 ヴィヴィアンは真面目な顔してベッドに座った。

「どうしたん?」

「ルノの事なんやけど」

 袋から弁当箱を出したヴィヴィアンは、不思議そうな顔をしながらベッドに座った。

「どうしたん?」

「その、昼間に凄い泣いてたんよ」

「虫か?」

「それが虫やなかったみたいで、ゆりちゃんが泣かせたっぽいんやけど」

 ヴィヴィアンは真面目な顔をして、オレを見つめた。

「ダンテはそれが心配なんやな?」

「そう。でも本人は泣きながら平気って言うてたから」

「それは何があったんか心配やな」

 オレはヴィヴィアンに言うた。

「お弁当持って行くついでに、上手に訊いてくれへん?」

「ええけど、ゆりちゃんはともかく、ルノはホンマの事言わんと思うで」

「そこを上手にやってほしいから言うてんねん」

 断られると思って、オレは俯いたまま立ってた。

 自分で行けばいいとは思うけど、ホンマに自信なかってん。きっと、ルノはホンマの事言わへんやろし、ゆりちゃんもオレには話してくれへんと思う。頼れんのがヴィヴィアンしかいてへんねん。

 でもルノがめちゃくちゃ心配や。

 あんな泣き方するほどの事をされても、捨てんといてとか言うんやで? オレはジャメルさんやないから、そういうの分からへん。でも普通やない事くらいは分かる。悩んでるんやったらどうにかしてあげたい。

 そしたらヴィヴィアンがオレの頭をぽんぽんって叩いた。

「分かった。でも、話してくれへんかもしれんのは覚悟しててや」

 顔を上げるとヴィヴィアンは笑顔で、よしって言いながら袋を持ち上げた。それから待っててって言うて部屋を出て行く。ちょっとだけ頼れる背中をしてたヴィヴィアンに安心した。

 どうせ聞こえへんのは分かってるけど、オレはゆりちゃんの部屋側の壁に耳をあてて聞いてみた。カメラを使ってもいいけど、流石にプライバシーの問題もあるやろ? オレ、そこまで邪魔したい訳やない。

 しばらくすると、ヴィヴィアンの声が聞こえた。でも何言うてんのかはよぅ分からん。聞き取られへんかった。ルノは全然喋ってないみたいやけど、どうなってるんやろ。

 それからもうちょっと時間を掛けて、なんか話してるみたいやった。たっぷり話してから、ドアの閉まるような音が聞こえてくる。そのあとすぐ、オレの部屋のドアが開いた。

「ダンテ、訊いてきたで」

 ヴィヴィアンは優しい顔でそう言うと、お弁当の入った袋をあいてる方のベッドに置いた。ゆっくり近寄ってくると、何故かオレの耳元で囁く。

「なんか、ルノは好きな子とキスすんの初めてで、怖がって泣いただけみたいやで」

「え?」

「でもゆりちゃんはルノが可愛くて仕方なくて、やりすぎて泣かせてもたって言うてた」

 びっくりして、オレはヴィヴィアンを見つめた。

「ホンマに?」

「ゆりちゃんが言うてた」

「ルノは?」

「よぅ寝てた」

 ヴィヴィアンはそれからポケットをごそごそすると、オレが仕掛けたペン型カメラを出した。

「あっ」

「ダンテ、気になんのは分かるけど、これはあかんで」

 やっぱりヴィヴィアンにはバレたか。しゃーない。適当にドアのところに転がしただけやったし、すぐバレたと思う。これでもヴィヴィアンは工作員やった訳やし。

 オレはカメラを受け取ると、ヴィヴィアンに言うた。

「だって、虫が出た時みたいな泣き方しててんもん」

「それは……うちでもやるかも」

 ヴィヴィアンはベッドに座ると、オレに優しく言うた。

「でもあの顔やったらゆりちゃんは嘘ついてないと思うで。逆に相談されてもた」

「何を?」

 ちょっと楽しそうな顔をしたヴィヴィアンがこっちを見る。

「ルノが自分の事捨てんといてくれって言うみたい」

「ルノが?」

「そう。なんか捨てられたくないって、すっごい泣いてたんやって」

 あのルノが?

 そういう事、全然言いそうにないけど。自分に自信あるみたいやったし、そういう事を言いそうには見えへんのにな。なんでルノはそんな事を言うたんやろ?

 ちょっと考え込んでたら、ヴィヴィアンがオレの手を引っ張った。

「うちはちょっとだけルノの気持ち分かんで」

 ヴィヴィアンの横に座ると、優しい顔して笑うヴィヴィアンが小さい声で言うた。

「ルノはきっと、それくらいゆりちゃんの事大好きなんやで」

「だからって、そんな事言うもんなん?」

「ルノは女の子と付き合った事いっぱいあるから、捨てられた事もいっぱいあるんやろ。本気やから、簡単に捨てられたくないんよ」

 そんなふうになってまうほどなん?

 オレには全然分からんくって、ヴィヴィアンの事を見てる事しか出来ひんかった。

「うちも、ダーリンには捨てられたくないから、同じような事言うてまいそう」

 ジェームスはそう簡単に、ヴィヴィアンの事捨てへんと思うけどな。大好きやん、ヴィヴィアンの事。文句ばっかり言うけど、一緒にいてる時のジェームスは幸せそうや。喧嘩してる時はちゃうけど。あの時ばかりは本気なんかな?って疑いたくなる。

 でもルノはゆりちゃんがルノの事を好きでいてくれてるか、自信ないって事かな。寝てる人にこっそりイタズラするくらいには好きやと思うんやけど、それでも自信なくてそんな事言うてんのかもしれん。

 やっぱりオレには分からへん。

 オレが子どもやから?

 ルノが何考えてんのか全然分からん。後で会ったら詳しく訊いてみよ。恥ずかしがって教えてくれへんやろけど、心配やからって言うたら話してくれるかもしれん。

 ヴィヴィアンはにっこりすると、じゃあ弁当配ってくるって笑って部屋を出て行った。

 普段やったらやりながらご飯食べるんやけど、もうホンマにしばらくパソコン見たくない。一人でご飯食べるのも、ホンマは嫌や。でもみんな忙しいし、寂しいけどしゃーない。オレはパソコンを閉じるとテレビをつけた。テレビ画面を見ながらお弁当を広げて手を合わせた。


 あれから全然音の聞こえて来ぇへんゆりちゃんの部屋のドアをノックした。

 明日の打ち合わせしたかったのもあるんやけど、やっぱりルノの事が心配やってん。ジジの話じゃ、まだゆりちゃんの部屋にいてるみたいやし、ちょっとだけでも顔見たかってん。

 しばらくして、ドアを開けたのはルノやった。

 眠そうな顔して立ってて、いつもと違ってしわしわのシャツにぐしゃぐしゃの頭をしてた。そこまで泣いた訳ではないみたいで、目が赤かったり腫れてたりはしてない。でもちょっと疲れたような顔をしてた。

「ルノ、大丈夫?」

「ダンテ」

 ルノはあくびをしながら出てくると、ドアを閉めた。

「昼間、なんであんなに泣いてたん?」

 普通に訊いただけやのに、ルノは真っ赤になった。真っ赤になってくっついてくると、ちらっとこっちを見てからオレの手を引っ張る。どこ行くんかと思ったら、オレの部屋や。

 ドアを閉めるなり、ルノが言うた。

「怖なっただけやねん」

「オレ、めちゃくちゃ心配してんで」

「ごめん」

 ルノはそう言うと、めちゃくちゃ小さい声で言うた。

「ゆり、ホンマに俺の事好きやと思う?」

「なんで?」

「俺にいいとこなんかないやんか」

 何を訳の分からん事言うてんかな? いいところ、いっぱいあると思うんやけど。料理が出来て、掃除も洗濯も出来て、友達大事にして、すっごい優しい。虫怖いかもしれんけど、誰にだってそういうのあるやん。

 せやのに目の前のルノは本気で悩んでそうな顔をしてた。

「いいところしかないと思うけど、ルノはなんでそう思うん?」

 そしたらルノは急に泣き出した。

「だって俺、凄い不良で、女ヤリ捨てしまくって、酔っ払ってめちゃくちゃやってきた。タバコもハシシもやるし、腐りきったゴミくずみたいなどうしようもないクソ野郎や」

 まさか、ルノが自分の事をそう思ってたとは思わんかった。

 目の前で泣いてるルノは、いつもと全く違って自信なさそうで、凄いつらそうやねん。弱々しくて、ちょっと怯えてるようにも見える。

 とりあえず、オレはルノをベッドに座らせた。ルノはボロボロ泣きながら、頭を抱えてる。

「虫が怖くて、ギャレットがおらんかったら寂しくて、一人で寝られへんようになって、弱くて、情けなくて、ゆりのしたい事もさせてあげられへん」

 オレはルノの横に座ると、背中をそっとさすった。ひっくひっく言いながら、ルノは酷く泣いててしんどそうや。せやのにオレには話を聞いてあげる事くらいしか出来そうにない。そばに座って、そっと背中をさすりながら、なんて言ってあげたらええんか悩んだ。悩みながら、このまま黙ってたらあかんと思って言うた。

「ルノはいいとこいっぱいあんで。なんでそんなん言うん?」

「だって、こんな奴誰も好きになんかなれへんやんか」

「そんな事ない。ゆりちゃんは好きって言うてくれたんちゃうの?」

 ルノはぐしょぐしょの顔を上げてこっちを見た。

「せやけど」

「嘘やと思うん?」

「俺のええとこ、顔しかあれへんやんか」

 そんな事を言うとは思わんくって、目の前で泣いてるルノをじっと見つめた。顔以外にもいっぱいあんのに、何を言うてんの?

「凄いフランス料理作れて、掃除も洗濯も出来て、友達の事大事に出来るやん。優しくて面白くて、オレにいろんな事教えてくれたやん」

 ルノは自信なさそうにこっちを見た。

「なんで顔だけとか言うん? そんな訳ないやんか。好きって言うてくれたゆりちゃんに失礼やで」

 そう言うたら、ルノはちょっとだけ泣き止んだ。顔を拭きながら、オレの事を見る。それでも自信なさそうなルノに、オレは言うた。

「ゆりちゃんの事、信用出来ひんの? ルノが好きになったんは、そんなに酷い子なん?」

 首を横に振って、ルノは顔を拭いた。ぐっしゃぐしゃの酷い顔してたけど、オレはルノの目を見て言うた。

「オレの知ってるゆりちゃんは、イタズラはするかもしれんけど、そんな酷い事するような子ちゃうで」

 肩を叩くと、ルノはちゃんと頷いた。だいぶ落ち着いたみたいで、ようやく涙は止まったみたいや。それでもまだ自信なさそうな顔してる。

 ルノはなんでそんなに自信ないんやろ。少なくともオレの知ってるルノは、めちゃくちゃいい子で、優しくてカッコいいと思うんやけどな。普段はそんな悩みとは無縁って感じやのに。

 ちょっと気になったけど、オレはそれ以上訊かんかった。

 ルノはこっちを見るとちょっと笑った。

「ありがとう」

「ルノは無理してへん?」

「してへん。大丈夫」

 穏やかな顔で笑うルノは、いつもと違って見える。普段はムーラン抱いて寝てたら面白いんやけど、今やったら可愛く見えるんちゃうかって感じの顔やねん。すっごい幸せそう。

 ホンマによかった。

 オレはルノに言うた。

「なんかあったら言うてな。オレ、なんでもするから」

 ルノはとびっきりの笑顔で頷いた。

「せや、ゆりちゃんは?」

 思い出したから、オレはルノに訊いた。

「風呂入ってる」

 なんで女の子がお風呂入ってるところにおんねん。あかんやろ。ジジやジャンヌちゃんちゃうんやから、そんなところにおったらあかん事くらいオレにでも分かんで。ルノは何考えてんねん。

「なんでそんなところにおったん?」

「離れたくなくて」

 可愛い事を言うたルノはちょっと赤くなった。

 いやでも、あかんやろ。ゆりちゃんがお風呂入るんやったら、ルノは部屋に戻ってなあかんと思うんやけど。離れたくないっていうのは可愛いと思うけど、でもあかんやろ。

 そもそもゆりちゃんはルノがおんのに、なんで平気でお風呂入ってんねん。家族ちゃうんやから、あかんやろ。

「一緒におりたいんやったら、ゆりちゃんの部屋二人部屋なんやし、隣りのベッドで寝たら?」

「寝かしてくれると思う?」

 なんでルノはそんなに自信なさそうやねん?

 ムーラン持ってって、横で寝かせてって言うだけやん。ゆりちゃんも嫌とは言わんと思うんやけど。何回も横で寝かせてくれてた訳やん。今更そんな意地悪言わんと思うけど。

「なんでルノは寝かせてくれへんと思うん?」

「そういう事するって勘違いされて、嫌がられるかもしれんやん」

「隣りのベッドでって言うたらええやん」

 めちゃくちゃ自信のなさそうなルノは、俯いたまま呟いた。

「入れてくれるやろか」

「絶対入れてくれると思うけど、あかんかったらオレの横おいでぇや」

「俺、一晩泣くかもしれんけど、慰めてくれんの?」

「慰めたるやん」

 疲れて途中で寝そうな気がする。

 でもゆりちゃんは断らへんと思うんやけどな。いくらでも寝かせてくれるんちゃうかな。ムーランとギャレットを連れてようが、見慣れてるやろし、気にせんと入れてくれると思う。

 せやのにルノはめちゃくちゃ自信なさそうな顔したまま、下向いてんねん。

 そう言えば、たった今気付いたけど、ルノがギャレット持ってない。ゆりちゃんの部屋に置いてきたんかな?

「ルノ、ギャレットはどうしたん?」

 ルノはちょっと赤くなった。

「カッコ悪いと思ったから部屋に置いてきた」

 何を今更。ゆりちゃんやったら、ルノがどこにでもギャレット連れて歩いてる事くらい知ってると思うで。カッコ悪いも何も、散々そういうの見られてんねんから気にせんでもええと思うんやけど。

「大丈夫なん?」

「あんまり大丈夫やない」

 せやろな。めちゃくちゃ不安そうな顔してる。いっつも大事に握ってたんやから。いてへんかったら寂しいんちゃうんかな?

「部屋に取りに行こう。ついて行くから」

 いつもと違ってめちゃくちゃ静かなルノは、こくんと頷いた。そっと手を引っ張ると、後ろをちゃんとついてくる。恥ずかしそうな顔をしながらついてくるから、なんか別人連れて歩いてる気分。

 廊下に出て、ルノの部屋のドアをノックして開けた。部屋ではジジがベッドに転がって、のんびりメールかなんかしてるみたいやった。

「ルノ、お前大丈夫か?」

 ジジはこっちを見るなりそう言うと、上半身を起こした。iPhoneを放り出して、心配そうな顔をしてる。あのジジが心配するような顔してるんやろな。

「ぬいぐるみ置いてったやろ?」

「大丈夫」

 ルノのベッドの枕の上には、ちょこんとギャレットとウサギさんが座ってる。ピンク色の可愛い顔した垂れ耳のウサギさん、こいつはまたミランダにもらったんやろか。他にも、ちゃんと布団かぶって寝てるムーランが、マヌケな顔してこっち見てる。

 ルノが全然取りに行こうとせぇへんから、オレはルノをそこに放っといて、ギャレットを持ち上げた。ついでにムーランも拾い上げる。

 そいつらを持たせたら、ルノはめちゃくちゃ大事そうにムーランを抱えてギャレットに頬擦りした。全然大丈夫やなさそうやから、めちゃくちゃ心配。

「風呂入らんのか?」

 ジジはちょっと困った顔でルノに言うた。

「入る」

「お前、マジで大丈夫か?」

「大丈夫」

 オレはジジに言うた。

「今晩、ルノはゆりちゃんの部屋行くって」

 そしたらジジは急に立ち上がった。いきなりルノの事を引っ叩いて、凄い勢いで怒鳴りつけた。

「お前、何考えてんねん。ふざけんな」

 床にしりもちをついて座り込んだルノの服を掴んで、また引っ叩く。

「ゆりちゃんに何するつもりや。泣かせるような真似、絶対許さんからな」

 びっくりしたけど、オレはジジの腕を引っ張った。

「やめてぇや、ジジ」

「放してダンテくん、こいつはこれくらいせな分からんねん」

 何を言い出したんか、オレには全然分からんくって、軽くパニックになる。とにかく止めようと思って、必死でジジの手を引っ張った。

「やめて。なんで叩くんよ」

「こいつがとんでもないクソ野郎やからや」

 それを聞くなり、ルノはボロボロ泣き出した。普段やったら叩き返しそうなもんやのに、ジジに叩かれただけで泣いてんねんで? ガタガタ震えながら、そのうち声まで出して泣き出した。

 流石にジジもなんかおかしいと思ったんか、目の前で黙って叩かれてるルノを見下ろした。

「お前、何泣いて……」

 ムーランにしがみついて、ルノはわんわん泣いた。ほっぺたを赤く腫らして、顔をまたぐしゃぐしゃにしながら泣いてんねん。全然泣き止みそうにない。

 ジジがルノの気にしてる事を言うたからや。さっき自分で言うてた、クソ野郎って言葉が一番ショックやったんやと思う。叩かれた事で泣いてるんやない。

 オレはとにかくしゃがむと、ルノの体をそっと抱いて頭を撫でた。

「ルノ、落ち着いて」

 でも全然止まりそうになくて、ルノはそのうちぶつぶつなんか言い出した。何言うてんか分からんから、多分フランス語。ジジがそれを聞いて真っ青になる。

「ごめん、ルノちょっと」

 ジジはルノの肩を掴んで揺さ振った。

 そのうち騒ぎに気付いたんか、ゆりちゃんが部屋に飛び込んできた。

 髪の毛びちょびちょで、めちゃくちゃ急いでたんかホテルのパジャマを凄い適当に着ただけ。ボタン半分くらい留まってへんかったから、オレはゆりちゃんから目をそらした。

「ちょっと、何事?」

 ルノはゆりちゃんに気付くと、顔をぐしゃぐしゃ拭いて首を横に振った。

「なんもない」

 なんもない筈ないのに、ルノはそう言うと立ち上がった。ベッドにムーランを置くと、お風呂場に入ってってドアを閉める。いつもやったらもっと大事に置くのに、ムーランはベッドの隅っこに転がってた。

 そのうちシャワーの水音が聞こえてきた。

 困った顔のゆりちゃんがジジに訊いた。

「何があったん?」

「ルノがふざけた事言うから、ちょっと怒ったんやけど」

「ちょっと?」

 オレはホンマの事をゆりちゃんに教えるべきなんやろか?

 ルノが自分に物凄い自信なくて、自分の事をどうしようもないクソ野郎やと思い込んでる事。それをついさっきまで気にして泣いてたのに、ジジがルノの事をそう呼んでもた。それがショックで傷ついてるって。

 ホンマはゆりちゃんに、そんな事ないって言うてもらうのが一番やねん。ルノはクソ野郎やないって、そう言うてもらわんなルノはずっと気にしたまんまや。

 でもそれをオレが教えていいの?

 オレには分かれへん。

 ジャメルさんやったらどうするん? 誰か教えて。どうしたらルノは楽になるん? オレには何がしてあげられんの?

「ジジ、ルノに何を言うたんよ?」

「いつもと同じ事やけど」

「ダンテ、ホンマなん?」

 これは事実な訳やし、オレは大人しく頷いた。

 ゆりちゃんはちょっと困った顔をしてから、びちょびちょの髪の毛に気付いて言うた。

「とにかく一回きれいにしてくるから、みんなそこにおってや」

 そのまま急いだ様子で部屋に戻っていく。急に静かになったから、オレはジジに訊いた。

「ルノはなんて言うてたん?」

「自分がクソ野郎やって、分かってるとかなんとかかんとか」

 やっぱり、めちゃくちゃ気にしてる。

 オレは立ち上がると、お風呂のドアを叩いた。

「ルノ、入っていい?」

 そっとドアを開けると、ルノはお風呂の床に座り込んで泣いてた。ドアに背中をくっつけてたみたいで、オレにはその背中を見つけてほっとした。床にしゃがんで、ルノの肩を叩く。

「大丈夫?」

 全然大丈夫そうやないルノの背中に、オレは出来るだけ優しく言うた。

「ゆりちゃん、心配してんで」

「大丈夫って、言うといて」

 めちゃくちゃ元気ないルノはそう言うと、自分の顔をぐしゃぐしゃ拭く。全然大丈夫そうやないのに、そんな事言える訳ない。せやけど、ルノはギャレットを持って立ち上がると自分のベッドのところまで戻った。ベッドにギャレットを置いてから、バスタオルとパジャマを持つ。そのままゆっくり歩いてお風呂に戻っていくとドアを閉めた。

 ジジがこっちを見る。

「なんかあったん?」

 言うてええんかな? ルノが気にしてるって事。

 ルノはオレの事信用して話してくれたんかもしれんのに、オレがこれを話す事で、もう二度と悩んでる事を話してくれへんようになるかもしれん。話せる相手がおらへんようになったら、困るのはルノやんか。ますますしんどい思いをするかもしれん。

 でも話さへんかったら、ジジは今後も似たような事をルノに言う筈。そのたびにルノは傷ついて泣く事になるかもしれん。

 迷ってたら、ジジが言うた。

「そんなにゆりちゃんと寝たいって、言うてた?」

「寝かしてくれへんかもって、気にしてたけど」

「そうか」

 ジジは頭をボリボリかきながら、困った顔をした。どうするんかと思ってたら、ジジはドアに向かって言うた。

「おい、ルノ。やっぱりお前、今日はここで寝ろ」

「ジジ、そんな事言わんでも」

「いいや、それだけはあかん。信用ならん」

 隣りのベッドで寝かせてって、それだけやのに? 何かそんなに問題ある? ルノは一緒におりたいだけやん。そばにおりたいっていうのは、別にあかん事ちゃうと思うんやけど。

 でもジジはオレの目の前ではっきり言うた。

「お前、ゆりちゃんの事大事なんちゃうんか? うちの友達でもあるんやぞ。傷つけるような真似させんからな」

 それならなおさら、そばにおらせてあげたらええと思うんやけどな。何がそんなにあかんねやろ。

 確かにオレはこういうのめちゃくちゃ疎いと思うけど、ルノはそばにおりたいんやからゆりちゃんがええって言うんやったら好きにさせてあげたらええのに。ルノもゆりちゃんも子どもちゃうんやし、いいんやないの?

 ジジはお風呂のドアに向かって言い続ける。

「お前みたいな奴に、好き勝手させへんからな」

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