06

 仕事をほっぽり出して、新幹線のチケットを取った。

 マッキノンは大変そうやったけど、ずっとルノの事を心配してくれてる。目の前でルノが急に泣き出してびっくりしたんやと思う。虫が出た訳でもないのに、泣きながら静かに座ってるんやもん。ビビってもしゃーない。

 オレがバタバタしながらいろいろやってる最中に、ゆりちゃんがいろいろ買い物に行ってくれた。ご飯の調達から、服とかウィッグを準備して、おまけにオレとルノのスーツケースも片付けてくれたらしい。きれいに準備してから玄関ホールの隅っこに置いてくれてた。

 支部からは出られへんけど、そこやったらええやろ。

 オレは仮眠室に置いてた服を片付けようと思って、会議室を出た。

 仮眠室ではルノがムーランを抱いて眠ってる。隅っこの方で小さくなって寝てるけど、ジュラ子とギャレットが見た感じいてへんかった。もうスーツケースにしまったんかな?

 ゆりちゃんがルノの服を畳んでる真っ最中やった。

「ゆりちゃん、いろいろありがとう」

「ええよ。うち、東京来たのに結局、渋谷に買い物にしか行けてないのが心残り。それも自分の買い物やなくて仕事の買い出しやで?」

「オレもルノも、東京タワーとスカイツリーに登った以外はどこにも行けてないで」

 部屋に入ってゆりちゃんの横に座ると、オレは自分の着替えを広げた。

「ああ、置いといてくれたらやるで」

 ゆりちゃんはにっこり笑って言うた。

「ええよ。時間出来たし、自分でやる」

 ゆりちゃんの真似をして畳んだけど、何故かオレがやったらきれいになれへん。ゆりちゃんがやったのも、ルノが畳んだやつみたいにはきれいになってへんかった。ルノって、一体どうやって畳んでんの?

 ちょこっとルノを見ると、オレはゆりちゃんに訊いた。

「ギャレットとジュラ子は?」

「どっちもルノが握ってんで。さっきまで泣いてたけど、薬が効いたんか寝てもたわ」

「ジュラ子、あのカバンには入らんと思うんやけどな」

 そう言うと、ゆりちゃんが面白そうに笑った。

「スーツケースに入れようって言うたら泣いてんで? 可愛いよな」

「持って歩くつもりやろか」

「逆に目立つから、支部長に取り上げられそうやない?」

 二人で笑いながら服を畳んでたら。ルノが寝返りをうった。ムーランを抱いたまま、上を向く。さっきまで腕があったところに、黄緑色の恐竜が転がった。

 ちょっと可哀想やから、オレはルノに近寄るとジュラ子をルノの頭の横に置いた。落ち着いてるみたいや。少なくとも、泣いてない。ちょっとしんどそうな顔はしてるけど、凄い大人しく眠ってる。

「そいつ、うちのお腹食べるんやけど」

「オレは足食われた」

「なんでジュラ子なん?」

「ジュラシックパークのジュラ子」

 ゆりちゃんは楽しそうに笑った。

「じゃあサメのシャーくん、ジョーズのジョーくんのが面白いんちゃうん?」

「ルノのぬいぐるみ、ユニバみたいになってるやん」

 二人で笑いながら服をきれいに片付けると、ちょっと広くなった仮眠室に並んで座った。

「まさかこんなに早よ帰る事になるとは」

「分かる。オレも一ヶ月はおると思ってた」

 夕飯はルノのご飯やないから味気ないけど、コンビニ弁当や。ゆりちゃんが買って来てくれたやつを三人で食べる予定。美味しいかな? ちょっとだけ気になる。

 ジェームスから出来るだけ一緒におれって言われたから、今晩はゆりちゃんもここで寝る事になる。またルノを挟んで三人で寝るの、ちょっとだけ楽しみ。

「支部長って、迎えに来られそうなん?」

「大丈夫やろ。ヴィヴィアンも最後は納得してたみたいやし」

 流石にオレとゆりちゃんだけで、ルノを連れて歩くのは危なすぎる。無理やろって、ヴィヴィアンに言うたんよ。オレ仕事しながら見てたから知ってる。ヴィヴィアンにあのダサいジャージを捨てるならいいとか言われて、嫌そうやったけど大人しく捨てるって言うてた。捨てへん気がすんねんけどな。でも約束したからって、ヴィヴィアンはええよって許した。

 オレはそんな二人の言い合いを聞きながら、いろいろ片付けた。チケットを取って、今やってるクラッキングの仕事を済ませて、簡単すぎる東京支部の仕事も手伝ったんやで? 頑張りすぎて疲れた。

 でも帰りの新幹線はジェームスと一緒やから安心や。東京駅で迷子にならんで良さそうやし、新幹線の中で震えんでもいい。今度はルノやゆりちゃんと一緒に駅弁食べるくらいの余裕あるとええな。

 東京って、大阪とは違う駅弁売ってるんやんな? どんなんやろ。ちょっと楽しみ。

「ゆりちゃんは新幹線で駅弁食べた?」

「食べたで。美味しかったから、帰りも食べたい」

「オレも。行きはしんどくて全然食べられへんかってん」

「そうなん? なんで?」

「だって、新幹線狭いんやもん」

 オレはそう言うと、二つも駅弁食べてニコニコしてたルノを思い出した。あの時は幸せそうな顔をしてたんやもん。帰りにはジャンヌちゃんは生きてるよって言えるやろか。

 隣りで楽しそうに笑ったゆりちゃんは、目の前ですやすや言うてるルノを見て言うた。

「ジャンヌちゃんの事、しんどいやろな」

「うん」

 ならんでぼうっとしてたら、急にドアをノックする音が聞こえた。

 誰かと思って、オレはゆりちゃんをちらっと見た。ここにわざわざ来る人、いてへんと思ってんけどな。マッキノンがなんか聞きに来たんやろか。

 仕方がないから立ち上がってドアに向かうと、オレは手を伸ばしてノブに手を掛けた。捻って押すと、もしゃもしゃの頭が見えた。アルベルト支部長や。

「どうかしましたか?」

 もうこの人の顔、見とぅないんやけどな。だってこの支部長さん、やってる事がめちゃくちゃなんやもん。仕事舐めてそうやし、全然役に立たへんし。

 でもわざわざ何の用?

「少しいいかな?」

「なんですか?」

「ルノくんは?」

「中で寝てますけど」

 そこで気が付いた。アルベルト支部長の他にも誰かいてる。それも結構いっぱい。

 支部長の横からヘイリーが顔を出した。

「ちょっとごめんね」

 そう言うとヘイリーはオレを押しのけて中に入ってきた。そのままゆりちゃんに手を差し出して言う。

「悪いけど、一緒に来てくれる? 乱暴はしたくないんだ」

 脅してる。でもなんで?

 後ろを向いてヘイリーの肩を掴んだ。

「何のつもり?」

 そしたら誰かがオレの肩を両手で押さえた。

「ダンテもだ、大人しくついてこい」

 大っ嫌いな低い声。顔なんか見んでも分かる。どうせ今日もホンダの軽自動車に乗ってる筈のランボルギーニや。

 でもなんで? なんでランボルギーニが、よりによって支部の中にいてんの? ここは安全な筈。簡単には入って来られへん筈や。内部の人間が招かへん限り、入って来れる訳ないんよ。

 オレは振り向くと怒鳴った。

「ふざけんな。もうお前のいう事なんかきかへん」

 でもすぐにヤバいと思った。

 だってランボルギーニはよりによってシモンを連れてんねんもん。こいつに中を覗かれたら、ルノがいてるって事がバレる。そうなれば、薬でぐっすりのルノが何をされるか。

 暴れるのをやめて、オレは目の前のランボルギーニを見つめた。

「何のつもりや」

「そこの金髪に用がある」

 そしたらシモンやなくてミランダが、こっちをちらっと見てから入ってきた。黙ってろって顔してたから、オレはそのまま大人しくしてた。

 ミランダはルノの肩をそっと揺すると、小さい声で言うた。

「ルノ、起きれるか?」

 眠そうなルノがむくっと起き上がると、目をこすりながらミランダを見る。

「なんで虫女がいてんの? 俺また夢見てる?」

「黙ってついて来たら怖い事せぇへんからおいで」

 まだ寝ボケてそうなルノは、ぼうっとミランダを見つめる。きれいな髪の毛がボサボサや。

「怖い事?」

「お前、また芋虫食いたいんか」

 途端にルノは不安そうな顔をしてムーランにしがみついた。ボロボロ泣き出したから、ミランダは優しい声で言うた。

「ギャレットやったら持って来てええから、そのデッカイのは置いて」

 言われた通り、ルノはムーランをクッションの上に置いた。握ってたギャレットを胸にくっつけて、ミランダに引っ張られて立ち上がった。大人しく仮眠室を出ると、ミランダに引きずられながらどこかに連れて行かれた。

 ゆりちゃんがそんなルノの背中に向かって怒鳴った。

「どこ行くねん」

 嫌な感じのヘイリーはそんなゆりちゃんの腕を掴むと引っ張った。

「君も一緒に来てもらうよ。大人しくしてくれる?」

「ふざけんな。誰がお前なんぞについて行くか、ボケ」

 暴れるゆりちゃんを見て、ヘイリーは迷わずお腹を殴った。咳き込みながら床に転がったゆりちゃんに、ヘイリーは言うた。

「君って、本当に面倒だよね」

 意味がよぅ分からん。前にも面倒な事があったみたいな言い方してるけど、ゆりちゃんはヘイリーになんかしたん? ただ、付き合いたくないって言うただけちゃうん?

 ヘイリーはゆりちゃんを抱き起こすと、そのままルノと同じように引きずって行ってもた。

 ランボルギーニについてなんか行きたくない。こいつがオレを殺して、大阪支部に閉じ込めたんやから。狭い部屋に閉じ込めて、オレを閉所恐怖症にした張本人や。大っ嫌いなこいつに、従いたくない。

 でもルノとゆりちゃんを盾に取られたんじゃ仕方がない。

 オレは黙って部屋を出た。

 玄関ホールには泣きじゃくるルノに、何かの薬を飲ませようとしてるミランダがおった。その様子を後ろからシモンが睨んでる。ミランダは何故かギャレットをルノの手からとって言うた。

「薬飲んだらギャレット返したる。黙って口開けて」

 ルノが大人しく口を開けると、ミランダは何かをそっと飲ませてからクマさんを握らせた。ヘイリーも同じようにゆりちゃんに薬を飲ませてる。一体何を飲ませてるんか分からんけど、ランボルギーニは何故かオレには飲まさへんかった。

 オレの前でルノの足枷を切って、ミランダはそれを玄関ホールにぽいっと捨てる。ルノはそんなん気付かへんくらいの泣き方してて、途中から呼吸も怪しくなってきた。あれ、放っといて大丈夫なんか?

 ランボルギーニはオレだけ先に外に出すと、止まってた車に向かう。二台あって、前に白の普通車。後ろに黒の大型がある。オレは前の普通車に乗せられた。後から出てきたルノとゆりちゃんは後ろの黒い大型に乗せられた。

 別々にされたら困る。

 でも今、下手に逆らうのはマズい。大人しく言われた通りにしてた方がええ筈や。ミランダがおるって事は、ケイティもこの事を知ってるんかもしれん。運が良ければまた助けてくれるんちゃうか?

 大人しく座ったまま外を見ると、ミランダがヘイリーと少し話してるみたいやった。そこにランボルギーニが混じっていって、それからすぐにバラバラになった。

 アルベルト支部長は支部に残るらしい。後始末でもするんやろか? でも一体何をするって言うん? あの人、今でもパソコン触れるんか? 多少ならともかく、難しい事は無理やと思うんやけど。

 ヘイリーは後ろの車にミランダと一緒に乗り込んだ。

 オレの横にランボルギーニが乗ってくると、車はすぐに動き出した。後ろの車も同じ方向へ行くみたい。ちゃんとついてきた。

「オレだけならともかく、ルノやゆりちゃんに何の用なん?」

 オレはランボルギーニ尋ねた。

 ランボルギーニは面倒くさそうにこっちを見ると、低い声で一言だけ言うた。

「黙ってろ。あのブロンドは今すぐ殺してもいいんだ。お前の目の前で殺してやろうか?」

 あかんか。オレは大人しく黙ると、下を向いた。

 しまった。ランボルギーニが乗ってくる前に足枷のボタン、押すべきやった。ジェームスはオレの位置情報なんか見てへんやろし、支部の誰かが気付いてくれたらええけど無理やろな。人手が足りんくって大惨事の筈。

 どうしようか悩んでたら、高速道路に出た。一体どこに連れて行かれるんやろ。ジェームス、ヴィヴィアン、オレはどうしたらええ?

 オレは少し悩みながら、外を眺めてた。


 田舎の方やと思う。高い建物がないところで、オレは下ろされた。田んぼがいっぱいって訳でもなく、そこそこ普通の町の中って感じがするところや。後ろにちゃんと黒の大型も止まったからよかった。

 ふらふらのルノはミランダに連れられて、目の前の古いビルに入っていった。スタートリガー社みたいなボロさではないけど、そこそこ古そうなひとけのないビルや。そんなに大きくなさそう。

 ゆりちゃんはヘイリーに引っ張られて、怯えたような顔をしながらその後ろを大人しくついていった。乱暴されてなかったらええんやけど。

 二人は縛られたりしてる様子はない。ルノは両手でギャレットを持ってるみたいやったけど、もう泣いてなかった。ゆりちゃんはほっぺた赤かったから、もしかしたら殴られたんかもしれん。ゆりちゃんの事やから、大人しくしてなかったんかもしれん。

 でも二人がちゃんと無事なんは確認出来た。少なくとも、立って歩ける状態や。大きい怪我はしてない。

 ランボルギーニは、何故か降りんとこっちを見た。

「ダンテ、一つやってもらいたい仕事があるんだが」

「どんな?」

 逆らうつもりはない。

 ルノとゆりちゃんの安全を保証してくれるんやったら、オレはなんだってするつもりや。オレがちょこっとクラッキングするだけで、二人の命が助かるんやで? 安いもんや。

 それに逆らったとしても、ランボルギーニはオレがやるって言うまでオレを殴る筈。目の前でルノとゆりちゃんを殺した上で、殴られながら仕事させられる事になるよりよっぽどいい。

「一人で大阪に戻り、ジェームスとヴィヴィアンに薬を飲ませろ」

 思ってたんと全く違う事言われて、オレは目の前のランボルギーニを見つめた。

「え?」

「やらないというなら、お前の目の前であのフランス人を殺す。失敗したら、あの二人は戻って来ない。お前は賢いから分かるな?」

 オレは深呼吸をしてから、ランボルギーニに尋ねた。

「その薬って何?」

「毒ではないとだけ、教えてやる」

 逆らうなんて選択肢、今のオレにはない。

 でもその薬、多分毒や。オレに二人を殺して来いって言うてんねん。ジェームスとヴィヴィアンを自分の手で殺すか、目の前でルノとゆりちゃんを殺すとこ見せられるか、オレに選べって言うてんねん。

 そんなもん、選べる訳ないやろ。

 オレはゆっくり深呼吸をしながら、必死で考えた。

 ジェームスとヴィヴィアンに毒なんか盛れる訳ないやんか。仮にただの胃薬やったとしても、そんなん飲ませられへん。

 でも確かに、それはオレにしか出来ひん筈や。

 あの二人は元凄腕の工作員でそんなに簡単に近づかれへん。きっと誰にも出来ひんやろ。簡単に近づけて、それが出来るのは家族であるオレだけや。

 今までは、他にオレの弱みになる人間がいてへんかったから、こういう事出来ひんかった。唯一の弱みがジェームスとヴィヴィアンやったから。

 でも今のオレにはルノとゆりちゃんがいてる。しかもルノはすでに虫を見せるだけで大人しくさせられる。ゆりちゃんはハッカーで、暴力とは無縁。使うのにちょうどいい。

 流石はランボルギーニや。

 オレが嫌がるような事をよく分かってる。

「それをして、ジェームスとヴィヴィアンに何をするつもりなん?」

「お前が知る必要はない」

 参ったな。

 オレはどうすればいい?

 焦れば焦るほど頭が働かんようになる。選択を間違えれば、オレだけやない。ルノやゆりちゃんも危ない。でも、ハイ分かりましたとは言われへん。だって、ジェームスもヴィヴィアンも、オレの大事な家族なんやから。

 迷ってんのに気付いたんか、ランボルギーニは急に車のドアを開けると降りた。オレの腕を乱暴に引っ張ると、車から引きずり降ろしてビルに入った。

 一階の奥の部屋に入ると、床に転がされてるルノが目に入って来た。

 ルノは変な息をしながら小さくなってた。ミランダがルノのそばに立ってるけど、こっちは何もしてなさそうや。ミランダやなくてシモンの方が、楽しそうにルノの前にしゃがんで虫かごを振ってた。

「ダンテ」

 ミランダはちょっと困った顔をしながらこっちを見た。

 多分ミランダは今なんも出来ひんねやろ。少なくとも殺されへんようには見ててくれるみたいやけど、下手に止めてルノの味方をしたら目をつけられるかもしれん。でもきっと、ホンマの緊急事態にはルノを助けてくれる筈。

 でもそのミランダが、一体なんでここにオレを連れてきたんやって顔して、じっとランボルギーニを見てる。

「何か御用ですか?」

 ミランダは不思議そうな顔をしながらランボルギーニに言うた。

「ああ、ちょっといいかな?」

 それからシモンになんか言うと、部屋の隅にあった冷蔵庫から何かを出した。

「この間カミキリムシを買ったんだ。冷凍だと結構安くて、八百円くらいだったかな」

 お皿には結構デカい芋虫がいっぱいのっかってた。芋虫には串が刺さってる。結構デカい。しかもキモい。

 その皿をわざわざルノの目の前に置くと、髪の毛を掴んで座らせた。ルノが泣きながら嫌がるのを見ても、ランボルギーニは楽しそうやった。シモンにルノを押し付けると、目の前でライターを出して芋虫をあぶった。

「昔はこれをテッポウムシと呼んで、生でも食べたそうだよ」

 オレはランボルギーニの背中に怒鳴った。

「なんでもするからもうやめて」

 走っていってやめさせようとしたけど、ランボルギーニはオレを簡単に突き飛ばした。無理や。オレの力じゃこのおっさんを止められそうにない。

 目の前でルノが悲鳴を上げて、頭を振ってる。バタバタ暴れてるけど、あんまり意味はなさそうや。

 シモンが楽しそうにルノの顎を掴むと、ランボルギーニの方に向けさせる。涙でぐしゃぐしゃのルノに向かってなんか言うた。それはもう楽しそうな顔をしてるけど、フランス語みたいでなんて言うたんかオレには分からんかった。

 ミランダが迷いながらも、ルノの前にしゃがんだ。

「口開けてみ。大丈夫や、すぐ終わる」

「嫌や、放して」

 かすれた声でルノが言うた。ミランダはちょっと悩みながら、ランボルギーニを見た。

「うちがやりますんで、ちょっと下がってもらえます?」

「頼むよ」

 目をつぶってそっぽ向くと、ルノの泣き声が聞こえてきた。

「もう嫌、放して……」

「すぐ終わるからな」

 ルノが暴れるのをやめたらしい。泣き声しか聞こえて来ぇへんようになって、しばらくすると酷く泣き出した。

「偉かったな」

 ぱっとルノの方を見ると、床に落っこちたギャレットとガタガタ震えたルノが目に入ってきた。

 起き上がってルノに駆け寄ると、しがみついた。

 ギャレットを握る力も入らんのか、ダラダラ涙を流したままされるがままになってる。足元に転がったギャレットを拾って、ミランダはルノのほっぺたにあてた。

 オレはルノの代わりにギャレットを受け取ると、そのまま背中をさすった。

「やるから、ルノにもうこんな事せんといて」

「それはそのクソガキ次第だ。大人しくしていれば何もしないと約束しよう」

 ぐしゃぐしゃのルノの髪の毛を撫でて、オレはルノに言うた。

「ルノ、絶対逆らったらあかんで。大人しくしてるって約束して」

 聞こえてんのか聞こえてへんのか、ルノはそのままぐったりオレにもたれかかってきた。ちょっと重い。

「ダンテ、もうルノに意識あれへん。うちから言うとくわ」

「そんなん言うて、ホンマにルノに伝える気あるん?」

「伝えるよ。嘘つかへん」

 ミランダを疑ってる訳やない。伝えてくれる筈や。

 でもランボルギーニの目の前で、あっさりミランダを信用したら怪しまれる。これくらい言うた方がええ筈や。

 オレはルノの体を抱いたまま、目の前でニヤニヤしてるランボルギーニを睨んだ。

「いいだろう。明日、ジェームスと一緒に大阪へ戻ったら、二人に薬を飲ませるんだ。明後日までに出来ないようなら、ガキどもはこちらで処分する」

 オレは出来るだけ落ち着いて、ランボルギーニを見つめた。

「分かった。でも今晩、オレはルノとゆりちゃんから離れへん」

「好きにしろ。そこの床でよければな」

 ほっとして、オレはルノの顔を覗き込んだ。

 ぐしゃぐしゃの顔して、ルノは気絶してる。相当泣いたんやと思う。ルノの服の袖はびしょびしょで、ギャレットも濡れてたから。

 ミランダがシモンになんか言うと、シモンは諦めたように虫かごを置いて出て行った。ランボルギーニはそんなシモンと一緒に行ってもた。

 ミランダが小さい声で言うた。

「大丈夫か?」

「なんでいてんの?」

「ルノを脅すのに来てくれってランボルギーニに言われたんよ。ルノより、ゆりちゃんやっけ? あっちの子の方が危ない」

 真面目な顔をして、ミランダはルノの頭を撫でた。

「あの子、ヘイリーに好きにされてまうで。連れてきたるから、大人しくするように言うてくれへん?」

「それはいいけど」

「よし。うちとはこのまま敵同士のフリしてや」

「もちろん」

 ミランダは立ち上がると、部屋を出て行った。

 オレはルノを床に寝かせると、頭のすぐ横にギャレットを置いた。置いてあった汚れた毛布を広げると、ルノの肩にそっと掛ける。ぐしゃぐしゃの顔をそっと拭いてると、ミランダがゆりちゃんを連れて入ってきた。

「ルノ」

 ゆりちゃんは真っ直ぐこっちに走ってくると、ルノの前に座った。

「どうしたん? 何があったん?」

「うちが虫食わせた」

 ミランダがドアを閉めながら言うた。

「なんでそんな事したん?」

「うちがやらんかったら、シモンにもっと大量に食わされてたで」

 ゆりちゃんはちょっと怯えた目でミランダを見上げた。

「どういう事?」

 ミランダはゆりちゃんの前にしゃがむと、小さい声で言うた。

「うちは敵やない。でも味方やと思われると困るから、多少は我慢して。ルノとゆりちゃんが危なくなったら助けるけど、基本的には敵やと思って」

 それからその辺にあった椅子を引っ張ってくると、ドアの前に置いてそこに座った。

「ゆりちゃん、大丈夫やった?」

「なんとか」

「オレがなんとかするから、しばらくルノと大人しくしてて」

 でもゆりちゃんは不安そうな顔をして下を向いた。

「ダンテはどうすんの?」

「ランボルギーニはオレの事だけは殺さへん。オレは大丈夫やから」

「でも」

 すると、ミランダが立ち上がった。

「お前らも虫食いたいか?」

 顔を上げると、ミランダが何か合図した。

 オレはミランダを睨むと怒鳴った。

「なんでもするって言うてるやんか」

「ほな、早よその女、大人しぃさせぇや」

 ミランダが微笑む。そのままドアに背中を押し当てて言うた。

「ホンマに迷惑なクソガキばっかやな」

 そしたらドアが開いた。

 ヘイリーがこっちを見てる。

「リリー、こっちおいでよ。虫なんか食べたくないだろ?」

 ヘイリーはミランダが椅子をどけると中に入ってきて、ゆりちゃんの前にしゃがんだ。

「悪いけど、お前と仲良ぅするくらいやったら、虫食った方がマシや」

 冷たい目でそう言うと、ゆりちゃんは気にせずヘイリーのほっぺたを叩いた。今、オレ大人しくしてってゆりちゃんに言うたのに、一体ゆりちゃんは何を考えてんの?

 ミランダはちょっと面白そうな顔をすると、近寄ってきてヘイリーの肩を叩いた。

「ヘイリー、フラれてるみたいやで。諦めたら?」

 真っ赤な顔をしたヘイリーは、ゆりちゃんのほっぺたに平手打ちかましてから立ち上がった。なんて事するんかと思ってんけど、ゆりちゃんはそれでも気にせずヘイリーを睨んでた。

 オレはそんなゆりちゃんの腕を掴むと後ろに引っ張った。

「やめてぇや、ゆりちゃん」

「嫌や。こいつのいう事だけはききとぅない」

 一体ヘイリーはゆりちゃんに何を言うたんやろ? 分からんけど、よっぽど嫌われる事をしたんやと思う。ゆりちゃんがこんな顔するのを、オレは見た事がなかったから。

 ゆりちゃんは強い目でヘイリーを睨みながら、ルノの手を握って座ってた。

 ヘイリーはくるっと背中を向けると、ミランダに向かって言うた。

「虫、たっぷり食べさせてあげて」

「そんなんしたって無駄やと思うで」

 ヘイリーはそのまま部屋を出て行った。

 ドアが閉まると、ミランダがゆりちゃんに言うた。

「嫌なんは分かるけど、もうちょっと仲良ぅ出来んのか?」

「あいつ、うちにキスしようとしてんで? 無理に決まってるやろ」

「レイプされるよりマシやろ。我慢しぃや」

「無理。あんなんにキスされたらゲロ吐く」

 ミランダは溜息をつくと、ゆりちゃんの前にしゃがんだ。

「あんなキモいの、嫌なん分かるけどな、あんなんでもルノと同じ工作員や。下手したら殺されんで」

「それでも嫌」

「ゆりちゃん、拷問受けてレイプされたいんか? 死んだ方がマシって思うような事されたくはないやろ?」

 ゆりちゃんは下を向くと、ルノの手を強く握った。なんも言わんと、めっちゃ嫌そうな顔をする。

「ちょっと手ぇ握って、好きですってフリするだけでええから、もうちょっと我慢して。痛い思いはしたくないやろ?」

「フリ?」

「せや。好きな人やと思って、大人しく甘えてみ。もしそれ以上の事されそうになったら、まだ怖いって言うんや。あいつは本気みたいやから、大人しくしてたら乱暴にはして来ぇへんよ」

 ミランダは真面目な顔してそう言うと、ゆりちゃんの肩を叩いた。

「出来る限りゆりちゃんとあいつを二人にはせぇへんから、落ち着いて演技して。出来るか?」

「分かった。やる」

 ゆりちゃんはそう返事すると、諦めたように下を向いて呟いた。

「好きな人か」

 そしたらルノが動いた。

 オレはルノの方を向くと、肩を叩いた。

「ルノ、分かる?」

 ルノはゆっくり起き上がると、辺りを見回した。ギャレットを見つけると、胸に押し当てて呟く。

「夢やったらよかった」

 ミランダはルノの事を見ると、ゆっくり立ち上がった。ドアの方に近寄っていくと、こっちに手で合図する。ルノは嘘つかれへんから、敵やと思わせとけって事やろか。ちょっと可哀想やけど仕方がない。

 ゆりちゃんがちょっと離れたところに置きっぱなしやった虫かごを遠ざけると、ルノの方を向いた。

「大丈夫か?」

 ルノは黙って首を横に振ると、膝を抱えて泣き出した。もうぐっしゃぐしゃの髪の毛をそのままにして、声出して泣くんよ。震えてはなかったけど、しんどかったんやと思う。

 オレはルノの背中をさすると、なんて言うていいか悩んだ。どうせオレには大した事言われへんねんけど。

 ゆりちゃんはそんなルノの手を握ると、優しく言うた。

「大丈夫やからな」

「もう嫌や。ジャメルとパリに帰りたい」

「パリに帰ってもたら、うちはお相撲さんになられへんやんか」

 全然意味の分かってないミランダが不思議そうにこっちを見た。なんでゆりちゃんがお相撲さんになりたいんか、理解不能やろ。気になるみたいやけど、黙ってこっちを見ながら座ってる。

 ルノのボサボサの髪の毛を手櫛できれいにすると、ゆりちゃんは静かに笑った。

「うちが太らんかったら、ジュラ子どうすんの? 飢えて死んでまうんちゃうか?」

「ジュラ子ぉ」

 ミランダが後ろで笑い出した。

「ジュラ子はゆりちゃんのお腹も食ってるんか?」

 困った顔をしたゆりちゃんは、ミランダの方を見て目をぱちくりさせた。ミランダは気にせず近寄ってくると、ルノのそばにしゃがんだ。

「うちの肉はマズいって吐くんよ。ゆりちゃんは?」

「うちは美味しいって言われたけど」

「何その違い」

 ミランダはルノに尋ねた。

「ゆりちゃんとうち、何がちゃうんや?」

 ちょっとだけ落ち着いたんか、ルノがゆっくりミランダを見た。

「ジュラ子さん、固い肉嫌いやから」

「しなやかな筋肉は美味しいと思うんやけど」

「脂身がいいって」

 ミランダがむっとした顔でルノに言うた。

「あいつ、霜降りしか食わんのか?」

「しもふりって何?」

「ヴィアンドゥ・ペルシイエ」

 ミランダは楽しそうにそう言うと、ルノの頭を軽く叩いた。

「まあ、日本の和牛みたいなやつ、フランスでは売ってへんけど」

 大人しくなったルノは、ミランダに尋ねた。

「わぎゅーって神戸ビーフの事?」

「日本の牛の事や。神戸ビーフもそうやで。お前食った事あるんか?」

「ない」

 ミランダはゆりちゃんの方を見て笑った。

「知ってる? ルノはジュラ子の彼氏がほしいんやで」

「そうなん?」

「そうや。この前言うてたから作ったんよ」

 ミランダはそう言うと、ズボンのポケットをごそごそいじると、水色の恐竜を出した。

 首が長くて水色の可愛い顔した恐竜や。こいつは歯が生えてない。お腹は白くて頭のてっぺんに青い毛がちょっと生えてる。

「どうや、ジュラ男は?」

 名前を聞いて、ゆりちゃんが笑い出した。

「ジュラ男って」

「ジュラ子の彼氏なんやから、ジュラ男やろ」

 ルノの前に出すと、優しく言うた。

「あげるから、ジュラ子と一緒に大事にしたってや」

 ちょっとだけ嬉しそうな顔をしたルノは、ジュラ男を両手で握った。

 まさかミランダがホンマにジュラ子の彼氏を作るとは思わんかったな。ルノがぬいぐるみで遊んでんの、そんなに気に入ったんやろか。すぐそばで遊ばれたらちょっと邪魔なんやけど。

 ゆりちゃんはルノの手の平を覗き込んで言うた。

「めちゃ可愛い」

「ありがとう。うちの周りでそれ褒めてくれんの、ケイティさんだけやねん」

 キラキラした目でゆりちゃんはミランダを見た。

「こんなに凄いのに?」

「ゆりちゃんもほしかったら、そのうちデッカイのあげるわ」

「ムーランくらいのやつ?」

「あんなんでええんやったらいっぱいあるで」

 ミランダはそう笑うと、ルノの頭を撫でた。

「ルノはあみぐるみにまみれて寝てたよな」

「フランスの家にデッカイのいっぱいおった」

「あれ、置くところなくなってきたから、どっかに寄付しようか悩んでんのよね」

 思い出した。フランスに連れて行かれた時、オレとルノを引き離すためにルノだけがミランダの家に連れて行かれたんや。確かにあの時、ルノがぬいぐるみいっぱいあったって言うてたっけ?

 そんなにいっぱいおったんかな?

 ゆりちゃんがちょっと羨ましそうに言うた。

「うち、それ見てみたい」

「ゆりちゃんって、可愛いの好きなん? そんなふうには見えへんけど」

「ルノほどやない」

 ルノはちょっと嬉しそうな顔で、ジュラ男の背中にギャレットをのせた。ジュラ男を動かしてほんのちょっとだけ笑う。小さいぬいぐるみ二つを顔にくっつけて嬉しそうや。

「気に入ったか?」

 ルノは顔を上げると、にこっと笑った。

「嬉しい」

「そうか。お前、ホンマに可愛い奴やな」

 ミランダは嬉しそうにそう言うと、ゆりちゃんの方を見た。

「ゆりちゃんはどんな動物好きなん?」

「え? ライオンかな」

「なるほど。今度はライオンにしよかな」

 ゆりちゃんがちょっと嬉しそうに笑った。

「絶対可愛いやん」

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