周子ちゃんのママは、私の目から目を逸らしたりはしなかった。でも、見つめ合う、という感じでもない。そんな、甘い雰囲気はなかった。当たり前だろう。私は周子ちゃんのママにとって、娘の友達だ。女同士だし、年が離れすぎているし、それに私が男で周子ちゃんのママと同年代だとしても、つり合いは取れなかったと思う。それでも周子ちゃんのママは、私の言ったことを聞こえなかったことにするでもなく、冗談にするでもなく、はっきりと向かい合ってくれた。それだけは、確かだった。

 「……だめよ。」

 周子ちゃんのママが、静かに首を振る。分かってます、と、私は俯きかけた。そしてその私の顎を、周子ちゃんのママの真っ白い指がそっと持ち上げた。

 「いつかあなたもちゃんと、恋をするのね。」

 首を横に振りたかった。色々な感情が頭の中でごちゃごちゃになっていて、上手く整理することができない。それでも私は今ここで、首を縦に振ることはどうしてもできないと思った。

 周子ちゃんのママのきれいな切れ長の目が、私の目をそっと覗きこむ。私は泣いてしまいそうになりながら、その目を見返す。

 「大丈夫。いつか、必ずするわ。」

 静かな声で周子ちゃんのママが言う。その静けさを、私みたいな子供では、わずかばかりも乱せないことが、とてつもなく悔しかった。

 「そろそろ周子が帰って来るわ。」

 周子ちゃんのママがそう囁いて、私の顎先から冷たい指を離した。私はぎくしゃくと、ソファから立ち上がる。

 「……おじゃましました。」

 「いいえ。またいらして。」

 いつも通りの言葉を交わして、私たちは玄関先で別れた。

 私は周子ちゃんのママが玄関のドアを閉める音を背中で聞きながら、家までの道のりを歩きだした。感情はやっぱりごちゃごちゃで、全然片のつけようがない。私が幼いせいなのだろうか。

 頭の中をぐるぐるに散らかしたまま家につく。玄関のドアを開け、リビングに入ると、ごたごたに散らかった部屋の中で、パパがテレビを見ていた。

 「仕事は?」

 「ちょっとシフト変更……どうしたんだ、化粧なんかして。」

 「……私……、」

 私用のピンクの座椅子に胡坐をかいているパパを見ると、感情の波が抑えられなくなった。私はペタンと床に座り込み、深い深い息を吐き出した。一気に視界が歪み、涙が頬を伝ってくるのが分かる。

 「私ね、失恋したみたい。」

 一瞬の無言の間の後、パパの大きな手が私の頭に乗った。

 「そうか、そうか。」

 低い、喉の奥でごろつく声を聞きながら、私は思う存分涙を流した。

 

 

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