海辺の少女と旅人の二重奏 言の葉を音として ―魔力調律師の即興旅行記

あかつきりおま

第1話 バディプールの物言わぬ少女

 今日はとても天気が良い。青い海がまるで鏡のように光を煌めかせている。青空の中には漁師の採ってきた魚を狙って鳥が円を描いていた。


 私は船着き場からそう遠くない石造りの建物の前で、横を歩いていた娘に声をかける。


「チェトラ、扉を開けてくれる?」


 娘は黙って自分の背丈ほどのところにある扉の持ち手を両手で押し下げ、身体ごと扉を押して開けてくれた。魚がたくさん入った籠を抱えて中に入れば、たくさんの机と椅子が並べられている空間。ここはこの町で一番海に近いこの酒場。私はここへ料理の手伝いをするためにやってきた。


 まだ誰もいないと思っていたら、部屋の隅には一人の男性の姿。数日前からここバディプールに滞在している『案内役ガイド』のヴィオリーノさん、通称ヴィオさんだ。栗色のくせのある髪に日が当たって柔らかい光を跳ね返している。


「あら、ヴィオさん。もう始めちゃってるんですか?」


「どうもーセレスタさん」


 彼は窓際の席でくつろぎながら手を挙げた。まだ日は高いのにヴィオさんは既にお酒を注文し終えている。こんな風に毎日来てはよく呑んで、よく笑っていた。私は一旦籠を床に置く。


「早いですね」


「依頼人さんの用事が思ったより早く終わったからねー明日帰るまでゆっくりするつもりだよ」


「確かテムリッジから来られたんでしたっけ?」


 そうそう、とヴィオさんは無精髭の残る、少し陽に焼けた顔をにこにこさせて頷いた。いつ聞いてもほっとするような低くて優しい声色で、まるで今日の海のような人。


「今から出るには遅いし、折角だからお土産でもゆっくり見ようと思っているんだ。なかなか海の物ってテムリッジではお目にかかれないからね」


「そうですか。ゆっくりしていってくださいね。でも飲みすぎには注意をしてくださいよ」


「ありがとう。そうだ! よければ今夜何か音楽を提供するよ」


 ヴィオさんは、自分の隣の椅子に置いてあった楽器を指さす。そこにはこの辺りであまり見たことがない小型の弦楽器がある。


 そういえば『魔力調律師』とかいうこともしていると言っていた気がする。楽器はその為に使うものなのかしら? ただ残念ながら今はそれを聞いている時間は無かった。仕込みを始めないと夜の忙しい時間に間に合わないから。


「それは楽しみです! 店主にも伝えておきますね」


 わかった、とヴィオさんはひらひらと手を振った。私はカゴをまた持ち上げて、厨房へと歩いていく。その時、小さな影がすっと私のそばから離れていくのが視界をかすめていった。


「……チェトラ! だめよ! お客様の邪魔をしては!」


 チェトラがヴィオさんの机に向かって歩いていっていた。少し驚いた顔をしてヴィオさんがチェトラの顔を見つめる。娘は黙ってヴィオさんの楽器を指さした。


「これ? 聞きたいのかい?」


 こくり、とチェトラは頷く。ヴィオさんは穏やかに微笑んで楽器を手に取った。


「いいよーじゃあ、この町でよく聞く歌でも」


 といって肩に楽器を乗せ、指先で弦を弾く音を部屋に飛ばす。私は止めるに止められなくて黙って様子を見るしかなかった。あの子が自分で動くときは何を言っても止められないのを知っているから。



 軽く持ち上げられた弓が弦に置かれて旋律が生み出される。これは……バディプールでよく歌われる海の歌。チェトラが机にかじりついて弓を動かす様子を見ている。なんとなく曲に合わせて静かに机の上で手が動いているような気がした。


 なめらかで、穏やかに揺れる船のような音。籠を握りしめていた力が自然と緩くなっていく。知らずに固くなっていた心の部分までがほぐれるような――






 小さく手を叩く音が聞こえて私は我に返った。ヴィオさんはチェトラに恭しく礼をしてみせる。すぐにチェトラが人差し指をすっとヴィオリーノさんにむけて立てた。


「おや、もう一曲ってことかな?」


「チェトラ、だめよ。ヴィオさんの時間を邪魔してはいけません。ほら、こっちへ来なさい。今から食事の仕込みを始めなきゃいけないから」


「構わないよ。俺が相手をしておくからさ」


 笑顔でそういっていただけるのはありがたい。でもチェトラには問題があって、


「でも……この子、話さないんです」


「話さない?」


「5歳になるんですけど。一言も喋らないんです。さっきみたいに指で示したり、うなずいたりするだけで。だからきっとご迷惑をおかけするかと……」


 と、私は金色の肩まである真っ直ぐな髪の娘を見る。チェトラは私の方を振り返らない。背中がこわばっているのが分かる。ヴィオさんは一瞬真剣な顔をしたけど、すぐにまた表情を緩めた。


「……問題ないよ。指で教えてくれるだけでも十分伝わるさ。それにその真剣な眼差し、興味津々なのがよく分かるよ! さっきも一緒に机で拍を刻んでくれてたよね」


「でも……」


「大丈夫だよーセレスタさんの仕事が一段落するまで遊んでおくさ。あぁ、もちろんお嬢さんさえよければ、だけどね」


 と、ヴィオさんはチェトラの顔を優しい表情で見つめた。チェトラは間を置かずに大きく頷く。それから私の方を振り返った。これは……譲らないときの顔。深い藍色の瞳の奥に強い光が見える。


「わかったわよ。でもヴィオさんを困らせないようにね? 遠くへ行ったりしてはだめよ? ……すいません、では少しの間だけ」


 ふいっと何も言わずチェトラはヴィオさんの方へと向き直る。私が言ったことをわかっているのか、わかっていないのか……


「うん、任せておいて。じゃあチェトラちゃん、おじさんと遊ぼうか!」


そう言ってヴィオさんは残っていたお酒を一気に飲み干した。









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