没落魔王の不遜進撃道

松暗ペイジ

第一話 魔王の目覚め

※横書きでも読めますが縦書きで読んでもらえると雰囲気が出ます。



 魔帝歴999年、長きにわたる人間族と魔族の対立は重大な局面を迎えていた。両陣営とも十分な軍力を備えておきながら、魔界から攻めれば人界、人界から攻めれば魔界という互いにとって不利な土地で戦わなければならない状況に戦況は膠着状態となっていた。決め手を欠いた両軍の鬱憤は魔界と人界の境界付近における小規模な戦闘という形で発散されていたが、それがさらに魔族と人間族の対立を深める要因ともなっていた。


 ゴルムス帝は歴代の魔王の中でも非常に血の気の多い魔王であったが攻め時を見誤るほど戦争において盲目ではなかった。膠着した状況に苛立ちながらも兵士の訓練や装備の補充を怠らず、ついにはあと数日の内に人界への侵攻を実行できるほどの戦力が揃う所まで来ていた。


 そうして戦争の旗が高く掲げられた魔王城だったが、そこに居る者全てが戦争を望んでいるわけではなかった。中でもゴルムス帝の子息であるハザークは平時であっても政には特に関わらない存在だったが、こんな状況であってもやはりいつもとそう変わりはなく、適当な部下を集め豪勢な宴に催していた。




「うぉーい!酒がもうないではないか!何でもいいから持って来ーい!」

 ハザークの私室はひどいありさまだった。皿や空き瓶がテーブルの上を埋め尽くし、それほど広くはない室内に裸同然のラミアやサキュバス、オークや獣人の女たちが闊歩し、その中心に当の本人も裸であるハザークがソファに腰かけ女体と酒に埋もれていた。

「も~、ハザーク様飲みすぎ~!私たちの分がないじゃな~い!」

「あーそんなわけがないだろぉ?まだ10本しか空けて・・・あ?20本か?んー・・・?」

 女たちが姦しく群がり、侍従の者たちが慌ただしく酒や食事を運び込む饗宴の中、ハザークは一滴も残ってないワインのボトルを片手に天井の模様を見つめだした。次第にその模様がぐにゃりと歪み、水の中のように周囲の声が遠くなっていく。ハザークはその感覚に抵抗することも考えたが、それも馬鹿らしいと思い目を閉じて意識を委ねることにした。夢の中で何を見たかは覚えてないが、こんな時勢に似つかわしくない暖かく幸福な景色だったようなことだけは朧げに彼の心に残っていた。


 どれぐらい寝ていただろうか。そもそも魔界随一の酒豪と名高いハザークが酔いつぶれること自体稀であった。目の前に美女が揃っていればなおさらである。まだお楽しみの時間を終わらせたくないと体を起こしたハザークだったが彼の意に反して部屋の中は汚れた食器や散らかった服を残して誰もいなくなっていた。確かに主役が寝てしまったのは興覚めだっただろうが、それでもあれほど盛り上がったのだから誰か一人ぐらいは自分を起こしてくれてもよかっただろうと思いながらハザークは枕代わりに抱きしめていた空瓶をドンとテーブルに置く。

 そこで彼は自分が眠気を満たしたから起きたのではないことに気が付いた。そもそもあれだけいた女たちが一人残らず部屋から出ていった上、これだけ散らかった部屋を侍従が全く片付けをしていないのは明らかに不自然である。

 

 酒に浸されドロドロになっていた頭が俄かに冴えてくる。予感、いや、確信だった。全身にビリビリと不吉な魔力の流れが起こり、どうしようもない漠然とした恐怖感が彼を襲う。   

 ハザークは落ちている布切れを腰に巻くと窓から城の外を覗く。何かが見える。あれは魔王軍だ、行軍の練習なのか何千人もの兵士たちが一心不乱に武器を構えて前へ前へと・・・いや、それにしては様子がおかしい。地平線の辺りに何かが光るのが見える。


 ハザークが〝それ〟を理解する前に、魔王軍の先頭付近で何かが炸裂する。それは地上から天高くへと立ち上る巨大な光の柱で、魔界全土を照らすのではないかと思うほどの光量でハザークも目が潰れそうになり思わず手で顔を覆う。それでもこの異常な光景の顛末を見ないわけにはいかないと目を細めながら様子を見ていると、巨大な光の柱が何本かに別れ触手のように蠢き始めた。

 そしてその一本一本の光がまた幾つにも分かれ、また分かれと繰り返し、数千、下手をすると数万はあるだろうかという細い光線の集合体になる。

 その僅か数秒後である。夥しい数の光の触手の一部が地面に一直線に伸び突き刺さる。始めの内は距離が遠くよく見えなかったが、次第にハザークもそれらの動きの意図を理解する。光の触手は地面を突き刺していたのではない、付近にいる魔王軍の兵士の身体を一人ずつ貫いているのだ。恐ろしいことに、それに貫かれた者は〝消滅〟しているように見える。気付けば地平線のあたりで起こっていたその惨劇はいつの間にか魔王城の近くにまで迫っている。巨大な光の触手の束から目にも止まらぬ速度で伸びる光線は次々と兵士たちを貫き消滅させる、少なくとも1万以上は居たであろう軍勢ももはや8割ほどがその餌食になっていた。


 その光景に呆然としていたハザークの注意を引き戻したのは城内に響く轟音だった。ひと際大きな光線が魔王城のど真ん中を貫いたのだ。そして崩れ始める魔王城の中から巨大な剣を振りかぶり飛び出す影が一つ、それは他でもないハザークの父であり魔王であるゴルムス帝の姿だった。

 彼は持てる全ての魔力を禍々しいオーラにして纏い光線に立ち向かい、そして、他の雑兵と同じように光の中で跡形もなく消滅した。


 まだ死にたくない!

 ハザークの心にあったのはただそれだけだった。しかしこれほど理不尽な攻撃から身を守るすべなどあるはずがない、現に目の前で魔界最強の魔王が魔力の欠片も残さず消されてしまったのだ。

 だが彼の脳裏に一つだけ生存の可能性が浮かぶ。少なくとも何もせずにこのまま死ぬよりはマシだと、最後の可能性にかけハザークは部屋を飛び出し崩壊しかけの魔王城の中を疾走する。目的地は階下の宝物庫だ。崩落する壁や天井を避けながら階段を一気に飛び降り、一直線に目的の宝物庫まで死に物狂いで走り抜ける。

 残り50m程というところで細い光線が壁を貫きハザークを狙う。体をひねって直撃は避けたハザークだったが腕に僅かに掠っただけで魔力がごっそりと削られる感覚があった。まともに当たればどうなるかは言うまでもないだろう。倉庫まで20m、10mと近づくにつれ彼を追う光線の数が増える。避けきれない光線が掠るだけで身体が焼けるような感覚に耐えながら、彼は宝物庫の扉を勢いのまま吹き飛ばし目当ての〝それ〟に手を伸ばす。ハザークの魔力に反応したのかちょうど人一人が中に入る大きさの貝殻のような魔道具が口を開く。


 その瞬間、光線の一本がハザークの背中に突き刺さる。全身から力が抜け、衝撃のあまり声も出せないハザークはそのまま貝殻の中に入り込み、貝殻がバグン!と勢いよく閉まる。薄れゆく意識の中、ハザークは自身が少なくとも自分がまだ生きていることを確かめながら深い眠りに落ちていった・・・。







「うーん・・・平和ね・・・寝ちゃいそうになるわ・・・」

 ソフィアは店のカウンターで外から入ってくる爽やかな風を感じながら大きな欠伸をする。

いっそのことこのまま昼寝でも決め込もうかと思った途端に元気な子供の声で眠気が吹き飛ぶ。

「ソフィアねーちゃん!お皿って何枚かあるー?」

「んえっ・・・あ、お皿ね!えっと・・・その本棚の横の箱に入ってると思うわ」

 元気な少年はソフィアが指さした箱の前にしゃがみ込みその中をごそごそと探し始める。

「母ちゃんがさー、自分が皿割ったくせに俺に買って来いって言うんだよな!イワンたちと遊びに行こうと思ってたのにさ!んー・・・これと、これでいいや!」

 少年は箱の中から適当な皿を2枚引っ張り出すとカウンターに持ってくる。

「この2枚で・・・100ギーツね、ちょっと待って今包むから・・・」

 ソフィアは少年から代金を受け取ると紙で2枚の皿を包み手渡した。それを抱えて駆けていく少年を見送ると静かになった店内でふぅとため息をつく。


「ソフィアー?掃除道具どこか知らない?いつもの場所に無いんだけど・・・」

 今度はソフィアの母親が店の奥から顔を出して尋ねる。

「あっごめん!さっき倉庫を掃除したときに置きっぱなしだ!取ってくる!」

 ソフィアは慌てて立ち上がると所せましと並んだ商品の間を通り抜け奥にある倉庫に向かう。倉庫の中に入ると扉のすぐ横に箒とちりとりが置き去りにされていた。ソフィアは自分のうっかりを反省しながら母親を待たせまいと箒に手をかけた。


 ガタッ、と奇妙な音が鳴る。音の出所は明らかに彼女の背後からで、驚いて振り向くがなにも動くものはない。この倉庫の入り口は一つで、朝ここを掃除したときにネズミの一匹もいないことは確認している。そしてそれ以降だれも出入りはしていない。気のせいか、上の階で父親が転びでもしたのだと自分に言い聞かせ、ソフィアはゆっくりと倉庫を出ようとする。


 ガタガタッ!と大きな音が鳴る。絶対に気のせいではない。ソフィアの視界に大きな荷物が目に入る。それは昔父親がどこかのオークションか何かで手に入れた品で、人間サイズの貝殻の置物のようなものである。あまりに売れないので長らくこの倉庫の古株になっていたが、それが音を立てて揺れ動いているのである。さらにその貝殻が心臓のように脈動したかと思うと、隙間から水を噴き出しらならゆっくりとその口を開いた。


「・・・フフフ・・・!大魔王ゴルムスを打ち負かそうとも、この俺を滅ぼすことは出来なかったようだな・・・!」

 貝殻の中から黒髪の男がぬるりと出てくる。その状況だけでもかなり特異なのだが、加えてなぜか彼は全裸であった。


 男は大きく伸びをすると、周囲の状況を確認し箒を手に固まっているソフィアを見つける。

「む、人間の小娘か・・・俺に恐れをなしている所悪いが、ここはどこだ?どうも魔王城どころか魔界ですらないようだが・・・」

「・・・いやあああぁあああああああっっ!!!!!」

 全裸の肉体を隠すどころか恥ずかしがる様子もなくずんずんと近づいて来る男に、ソフィアは握りしめた箒の柄で渾身のフルスイングを彼の頭にお見舞いする。


 ガッシャーン!!とけたたましい音を立てて男が乱雑な倉庫の品々を更に散らかして吹っ飛ぶ。しばらく鬼の形相で荒い呼吸を整えていたソフィアだが、ふと我に返り大声で両親を呼びに走り出すのだった。




 次にハザークが目を覚ました時にはどこかのベッドに横になっている状態だった。まだ少し痛む頭を抑えながら体を起こすと、傍らでお茶をすするヨボヨボの老人が目に入る。どうやらここは小さな病院のようだ。

「ん、もう目を覚ましたか。どれどれ・・・うん、たんこぶも引っ込んどるし、なかなか丈夫なヤツじゃの」

 老人はハザークの頭を雑に触診すると脇に置いていた湯呑を手に取りまたお茶をすすり始めた。ふと横を見ると、少し離れたところからこちらの様子を気まずそうに覗く少女がいる。ハザークにとってはせっかく生き延びた命を5秒で刈り取ろうとした張本人である。

「そこの小娘よ、遠慮しなくて良いぞ。さっきのは互いに不運な出会いだったと言うことで水に流そう、俺は心が広いからな」

「・・・小娘じゃなくて、ソフィアって名前があるのよ。あんた全裸だったんだから、そりゃあれぐらいするでしょ・・・」

 そういいながらも目の前の男を箒で殴り飛ばして気絶させたことを申し訳なく思ってはいるようで、弱気な表情を浮かべてベッドの方に近づいて来る。

「で、なんであの中に居たの?いつから?」

「あの魔道具が俺の命を救ったのだ。だがどれぐらい経ったかはわからん、外の様子を知る術が無かったのでな」

 偉そうに答えるハザークにソフィアは少しイラついた。

「ところで・・・この服は何だ?随分安っぽい作りだが」

 ハザークはベッドのシーツをめくり、自分が白色のシャツと茶色のズボンという質素な服を着ていることに気付く。

「ウチにあった古着を着せてあげたのよ!貴族や王族じゃあるまいし文句言わないでよね」


「王族、か。ではいいことを教えてやろう。聞け!ソフィアとやら!そしてそこの名も知らぬ老人よ!」

 ハザークはシーツをばさりと翻しベッドの上に仁王立ちすると二人を見下ろしながら高らかに名乗りを上げた。

「我が名はハザーク!大魔王ゴルムス帝の子息にして次代の魔王となる男だッ!!!」

 清々しいまでのドヤ顔で自己紹介をするハザークをポカンとした表情で見つめて固まる二人。

「・・・やっぱり打ち所が悪かったんかのう・・・」

「わ、私、大変なことしちゃった・・・?!」

 それからしばし医者の老人とソフィアの間でこの可哀そうな患者をどうするかの議論が行われ、とりあえず体は問題なさそうなので退院して大丈夫だろうという判断が下された。


 病院から出てきたハザークは目の前に広がるのどかな村の光景を興味深そうな目で観察している。その様子はさっきまで偉ぶっていた全裸男とは思えないほど純粋に見えた。

「改めて聞くが・・・ここは一体どこなのだソフィアよ」

「イアル村よ。言っとくけど魔界や魔王城なんて想像もできないぐらい遠くよ。別の大陸の端っこだからね」

「ふむ・・・俄かには信じがたいが現段階では受け入れざるを得んな・・・なぜあの魔道具はこんな辺鄙な村に?」

「あのでっかい貝殻のこと?あれはパパが昔買い付けたものだから詳しいことはパパに聞いた方が良いわ」

 ハザークはソフィアと共にゆっくりと村の中を歩き回る。広場で追いかけっこをする子供たち、軒先で世間話をする母親たち、全ての時間が穏やかに流れていた。


「信じがたいと言えば貴様の実力にもなかなか驚かされたぞ、ソフィアよ。」

「は?何のこと?」

「よもやこの俺を棒きれ一本でのしてしまうとは・・・俺のこの膨大な魔力に満ち満ちた肉体をも凌駕する戦闘力・・・少々油断していたとはいえ見事であるぞ!」

「え・・・ちょっと待って・・・私が見る限り、あんたから魔力なんて全く感じないけど・・・」


 ソフィアのその言葉にハザークの足がピタっと止まる。しばらく考え込んだのち、自らの身体をくまなく調べ尽くすと・・・その場に膝から崩れ落ちた。

「な、なによ!?そ、そりゃ魔力が全くないっていうのは珍しいけど・・・べ、別に、魔法が使えなくたって生きてくことはできるから・・・!」

「違う・・・違うのだソフィアよ!!あれか・・・!!あの憎き白い光・・・!あの感覚は俺の魔力が・・・ぬうううっっ・・・!!!」

 地獄から響くような唸り声を上げながら倒れ込んでいるハザークの様子に村人たちもおかしなものを見るような視線で遠巻きに観察している。

「・・・まあ、こうしていても仕方が無いな。まず貴様の父親とやらに話を聞きに行くぞ」

「切り替えはやっ」



 ソフィアの家は雑貨屋であり、村の中央広場から通りに入ってすぐの立地に店を構えている。店の前には中に入りきらない古びた家具や趣味の悪い置物などが並んでいるので村の中でとても目立つ。二人が店に入るとソフィアの代わりに店番をしていた彼女の父親がカウンターから声をかけてきた。

「二人ともおかえり、君はケガは大丈夫だったかい?」

「体の丈夫さは昔から自信があるのでな、心配には及ばん」

「いや~すまんねうちの娘が・・・元気なのは良い事なんだが、ちょっと怒りやすい所は昔の嫁にそっくりでなぁ、彼女と出会った頃は私も些細なことで怒らせてしまって、よくひっぱたかれたもんだ・・・アハハ」

 突如始まった父親の惚気話が長引きそうな気配を感じ、ソフィアは聞きたいことがあるんだけど、と彼の話を遮った。


「ソフィアの父よ、あの魔道具・・・貝殻について詳しく聞きたい」

「私のことはバートンでいいよ。あの貝殻ね・・・まさか人が入ってるなんて思わなかったよ!こじ開けようとしてもびくともしなかったのに」

「あれは一度入ると中の者が回復するまで例えドラゴンが踏んでも開くことは無いからな。で、なぜあれがこのような人間の村にある?」

「私が知ってるのは、あれが王都の近くの街でオークションに出てたってことだ。もう20年ぐらい前のことだけど、一目惚れして競り落としたけどこんなに長く売れ残るとはね」

「・・・20年前とは、何かの間違いだろう?俺があの中にいたのはせいぜい数週間ほどのはずだが」

「いやいや、ソフィアが生まれる前だから、間違えるわけないよ。あの貝殻は崩壊した魔王城から掘り出された大量の遺物の内の一つで、数十年間いろんな所で取引されてたらしくて、巡り巡って私が手に入れたのが20年前ってわけ。ていうか君、ずっとあの中に入ってたならもしかして私より年上だったりする?見た目は若いけどねえ、アッハッハ!」


「ちょっと待て・・・今は何年だ。魔帝歴・・・いや、人間の暦でかまわん!正確な年代を教えてくれ!」

「ええっと・・・一応今は新暦60年だけど・・・魔帝歴って魔界の古い暦よね?歴史の授業で習うやつだし」

「古い・・・?その新暦とは何だ?」

「そんなことも知らないの?人間の勇者が魔族の王ゴルムス帝を打ち滅ぼしてから始まった新しい暦のことよ。人間と魔族の戦争の終結から今年で60年、子供でも知ってるわよ」

「・・・ロクジュウネン・・・!」

 ハザークは再び膝から崩れ落ちた。彼の感覚では長めの睡眠をとっていた程度にしか感じていなかったが、魔族にとって生命そのものと言っても過言ではない魔力を完全に奪われた体を回復させるにはそれだけの時間を要したのだろう。ハザークは高速で思考を巡らせる。今得た情報から察するにあの巨大な光の柱を放ったのがその勇者であり、あの瞬間に戦争は終わったのだろうと。

「えっ、あんたまさか、ほんとに60年ずっとあの中に居たの?!」

「・・・こうしては居られん!一刻も早く行かなくては!!」

「ちょ、ちょっと!どこに行くっていうのよ!」

「決まっているだろう!あの時魔王軍を打ち倒した勇者とやらと戦うのだ!人間族の寿命は我々より遥かに短い!60年も経っているのなら急がなければ向こうの勝ち逃げで終わってしまうではないか!」

「・・・魔力もゼロなのにそんな強い相手と戦うの?」

 ソフィアの放った冷たい一言で力強く踏み出したハザークの足が止まる。


「・・・それは些細な問題だ。腐っても俺は世界を統べる魔王になるべき男なのだからな・・・」

「魔王魔王って・・・私だって昔のことはよく知らないけど、もうそんな時代じゃないのよ・・・。人間と魔族の戦争だって歴史の授業で習うようなものだし、仮にあの時の勇者様がまだ生きてたとして、あんたと戦ってくれると思う?」

 ソフィアの諭すような口調にハザークは背を向けたまましばらく黙っていた。少し言い方がきつかったかとソフィアが反省した次の瞬間、ハザークが振り向いて言い放つ。

「ソフィアよ、貴様を見くびっていたようだ。まさかこの俺を言葉でも負かしてしまうとは・・・貴様は遠からず大事を成す器だと俺が保証してやろう」

「・・・言い負かされただけなのによくそんなに偉そうにできるわね・・・」


「で、これからどうするんだね、どこか行く当てはあるのかい?」

「う~む・・・その目標をたった今貴様の娘に木っ端みじんにされたところだからな・・・」

「じゃあ、しばらくウチに泊まるかい?」

「パパ!?」

 バートンの提案に真っ先に反応したのはハザークではなくソフィアだった。

「だって・・・このままほっぽり出すわけにもいかんだろう、このあたりの土地のことも知らないだろうし」

「そ、それはそうだけど・・・」

「まあもともとウチに20年も居たんだ、もうちょっと長居しても大して変わりはないだろう、ハッハッハ!」

 バートンは自慢の口髭を撫でつけながら豪快に笑う。

「うむ、なかなか悪くない提案だ。ここは好意に甘えて世話になるとしよう」

「よし!そうと決まれば夕飯を一人分増やさないとな!おーい、キャシー!しばらく家族が一人増えるぞー!」

 なぜかウキウキの様子で妻に声をかけ店の奥に歩いていくバートンとなぜかそれに得意げな様子でついていくハザーク。一人取り残されたソフィアは深呼吸をして長いため息をつくと、考えても仕方ないと今日起こったあらゆる珍事を割り切ることにした。



「確かに世話になるとは言ったが・・・これは一体どういうことだ」

「どういうって、居候するんだから店番ぐらいはしてもらわないと」

 ハザークの復活から一晩明けて、ハザークはゆっくり寝ていたところをソフィアに叩き起こされ使い古されたエプロンを着けて店のカウンターの中で燻っていた。

「魔王が片田舎の雑貨屋で働くなど聞いたことがないぞ!ましてや客もほとんど来ないというのに!」

「嫌なら出て行ってもいいのよ?隣町までは歩いて三日、もし迷ったら死ぬほど広い森をたったひとりで彷徨うことになるけど」

 ハザークはぐうの音も出ないようで不服そうな顔をしながらカウンターに置いてある数週間遅れの新聞を読み始める。そのまま数時間が経っただろうか、静かな店の中で二人はそれぞれ商品の本を数冊目の前に積み重ね読書に耽っていた。

「・・・本当に数十年も経っているのだな。俺の知らない知識や技術が山ほど出てくるぞ。それに、人間と魔族が共に暮らすことが当たり前かのような内容ばかりだ」

「戦争が終わってから、人間と魔族が交流を初めて文化的にも技術的にもいろんな進歩があったって学校で習ったわ。そんなことができるなら、戦争なんかせずに最初から仲良くしてれば良かったのに」

「種族の違いというのはそう単純ではない・・・古くから人間同士、魔族同士でも争いは絶えないのだ、あのような時代から考えれば戦争が終わっただけでも奇跡だろう」

「なんか、知ったような口ぶりね」

「この目で見てきたからな。といっても200年にも満たない僅かな期間だが、数年に一度は人間のふりをして人間界の調査をしていた。あの頃の殺伐と狂気に満ちた世界からは想像もできんほど今の世界は・・・平和で退屈に見える」

 ハザークのその言葉にどれだけの意味が含まれているかソフィアには分からなかった。しかし手に持った本を指でなぞりながら寂しげな目つきで読んでいる彼を見てなにか感じるものはあるようだった。

「あんた、全然魔王っぽくないわよね」

「・・・それは聞き捨てならんな。良いかソフィアよ、確かに今は魔力を奪われこのような屈辱的な労働に身を置いているが、父が死んだあの瞬間から空席になった魔王の座は主人を待っているのだ!俺が復活した今、当然魔王になるべきは・・・」

「それって、まだ魔王になってないってことじゃない?」

「・・・フフフ、恐れを知らぬその物言いには称賛を送ろう・・・しかし!実際に魔王であるかどうかなど些末なこと!世界を統べる者は、生まれた瞬間からその運命に刻まれた未来を・・・」


「あの~、ちょっといいかねえ?」

 ハザークの熱い演説の途中で一人のおばあさんが店に入って来た。

「丁度いい、この者に聞いてみようではないか!さあ名も知らぬ老婦人よ!貴様の目にはこの俺が魔王にふさわしい者に見えるか!?見えるだろうとも!」

「イスが~欲しいんだけども~・・・」

「マリーおばあちゃん、イスならこっちね・・・あっそれにする?うん、まいどありー・・・えっ?ああそっか、家まで運ぶの大変よね。んー・・・」

 ソフィアの視線の先には、二人に完全に無視されて仁王立ちのまま静止しているハザークが映っていた。


 数分後。

「おかえり、遅かったわね・・・それは?」

「・・・イスを運んだ礼に菓子を貰った。俺はあの老婆より遥かに年上だぞ・・・」

「いらないんならちょうだい!マリーおばあちゃんのお菓子は美味しいのよ?」




 それから数日が経ち、ハザークは意外なほど村に馴染んでいた。たまに悪態こそつくものの、仕事をサボることもなく覚えも早かった。後は時々出る魔王発作(ソフィア命名)さえなければ完璧なのだが、その大仰な言動は子供たちからのウケが良く彼らと一緒に名乗り口上を考えることすらあったほどだ。

 またとある日、ソフィアは店にあるチャンバラで使うような木剣が見当たらないことに気付いた。それ自体は取るに足らないことだったが、眼が冴えて眠れない夜にふと庭を覗くと月明かりの下で剣の鍛錬をするハザークを見つけた。得物はちゃちな木剣だというのに彼の気迫は真剣そのもので、それが元からの習慣なのか魔力を失った埋め合わせなのかは分からないが、彼に気付かれないようにしばらく様子を見守ってから、静かにベッドへと戻ったのだった。



「ふう・・・マリー婆さんはなぜ俺を見るたびに荷物運びだの家の掃除だの頼んでくるのだ・・・心なしか、もらう菓子の量も段々増えているような気がするぞ」

 散歩に行っていただけのハザークの帰りが遅かったのはそのせいだったか、と合点がいきながらソフィアはいつものように彼が持ってきたマリーおばあちゃん特製お菓子をつまむ。

「きっと新しい孫が出来たみたいでつい構いたくなるのよ。ていうかあんた意外と真面目に働くのね。店の仕事もちゃんとやるし」

「俺は自分にできることはなるべくこなす主義なのだ。それに魔界ほどではないがこの村は居心地が良い・・・皆もう少し魔王に対する畏怖と敬意を抱くべきだとは思うが」

「あんた見た目は完全に人間だからね、もっと角とか牙とか生えてれば魔族に見えるけど・・・あっ!目が3つってのもいいかも、それか腕が6本あったり!」

「・・・そのような発言こそ、敬意の無さの極みであるぞソフィアよ」

 ハザークの指摘を無視してソフィアが最後のお菓子に手を伸ばそうとしたその時、一人の少年が慌てて店に飛び込んできた。

「はあっ・・はあっ・・・イワンが、イワンが、居なくなっちゃった・・・!!」


 ソフィアは冷静な口調でフィル少年を落ち着かせ状況を聞いた。彼が友人のイワンと森の奥でかくれんぼをして遊んでいると、いつのまにかイワンの声が聞こえなくなりいくら名前を呼んでも返事が返って来ないことに気づいた。先に帰ったのかと思いフィルも村に戻って皆に聞いてみると、誰もイワンのことは見てないと言う。

 

「あれほど森の奥には行っちゃ駄目っていつも言ってるのに・・・!他の皆には知らせた!?」

「う、うん・・・もう何人か、探しに行ってると、思う・・・ごめんなさい、ソフィア姉ちゃん・・・」

「お説教は後よ!ハザーク、話聞いてたわよね?」

「ああ、案ずるなフィル。人の子一人、目をつぶっていても見つけてみせよう!」

 二人が走って森の入口へと向かうと、そこはかなりの騒ぎになっており既に大人たちがいくつかの班に分かれてイワンの捜索に出ているようだった。二人もそのまま森に入る。日が落ちるまでに見つけなければ最悪の自体も考えられる。


「イワン!返事してー!イワーン!!」

 森の奥へと進み、ソフィアができる限りの大声で呼びかける。耳を澄ましても聞こえるのは木の葉が風にそよぐ音ばかりだ。

「まったく・・・かくれんぼにはもってこいの森だ。あいつらにはもっと安全で刺激的な魔界流の遊び方を教えるべきかもしれんな・・・」

 ハザークは鬱陶しい小枝や低木を持ってきた木剣で薙ぎ払いながら周囲にも気を配る。

「それはそれで不安なんだけど・・・っていうかそれ、持ってきたの」

「こんな玩具でも無いよりはマシだ。そういう貴様も玩具の杖を持っているではないか」

「これは玩具じゃないわ!確かにちょっとみすぼらしいけど、学校で使ってた魔法の杖なの!これでも私、学校では成績もトップで・・・きゃあぁっ!!?」

 ソフィアが一歩前に踏み出した瞬間、足元の地面が消える。背の高い草で見えなかったがそこは崖のような地形になっていたのだ。数メートル下に固い地面が見え、思わず目を閉じて落下を覚悟するソフィアだったが、そのまま数秒立っても落ちる感覚はない。

「まっ・・・たく・・・!貴様まで、なにかあっては流石に、敵わんぞソフィアよ・・・!」

 ハザークがソフィアの腕と近くの木の枝を掴みギリギリで踏ん張っている。崖に身を乗り出した二人は不安定な足元を慎重に踏みしめながら少しずつ後ろに下がる・・・。


 バキッ!と軽快な音を立ててハザークの掴んでいた木の枝が折れる。流石の魔王でも重力には逆らえないようで二人の体は無情にも崖の下まで落下する。

「・・・いったぁ・・・!ってあれ・・・そんなに痛く・・・ない?」

「・・・貴様はそうだろうな・・・感謝するがいい・・・この魔王に・・・」

 ソフィアは下から聞こえてくる声で自分がハザークを下敷きにしていることに気付いた。

「ごごご、ごめん!!大丈夫!?ちょっと待って今治癒魔法を・・・あああっ!?!」

 ソフィアが自分をそっちのけで何かに愕然としているので、痛めた腰を押さえながら起き上がって見ると彼女の手には真っ二つに折れた木製の杖が握られていた。

「うう・・・ずっと大事に使ってたのに・・・これじゃ魔法も使えないじゃない・・・」

「なんだそんなことか・・・魔法ぐらい徒手で使えばよかろう」

「魔族と違って人間は触媒になる道具がないと魔力の制御が難しいのよ!あぁぁ・・・これ、直るかな・・・」

 虚しくも折れた杖を繋ぎ合わせようとするソフィアを小馬鹿にしようとしたハザークだったが、視界の端に小さな人影が動いたことを見逃さなかった。


「イワンではないか、ずいぶん探したぞ。なぜそんな所に隠れている?」

 そこには岩陰からこちらを覗き込むイワンの姿があった。服は泥だらけで、片足をかばっておりどうやら彼も崖から落ちてケガをしてしまったようだった。

「し、しずかに・・・!二人もはやく隠れて・・・!」

 イワンは取り乱しながら辺りを見回して二人に手招きをしている。状況が飲み込めない二人だったが、ほどなくして深く腹の底に響くような唸り声が聞こえてきてイワンが何に怯えているか理解することになった。


 草むらをガシガシと踏み分けて、それは姿を現した。体高は1メートルを超え白と黒の体毛がジグザグの模様を描いて、太い四つ足の蹄を地面に食い込ませて鼻息荒くこちらを睨んでいる。

「イナヅマイノシシ・・・!ヤバい!避けて!!」

 イノシシは地響きのような鼻息を鳴らしながら一直線に突進を繰り出す。すんでのところで避けた二人の間を突き抜けてイノシシは後ろの木に激突する。物凄い衝突音の後、バキバキバキ!と直径30センチはある木がへし折れて地面に倒れる。

「・・・だ、だから森の奥には入っちゃいけないのよ・・・!イナヅマイノシシはちょうど今が繁殖期だから・・・」

「なるほど・・・こんなのが居ては身動きもとれんわけだ。だが問題はない、なぜならば俺がここに居るからだ!」

 ハザークは腰の紐に引っ掛けた木剣を引き抜くと、大きく体をねじり全身に力を込める。普通の剣術には見えないその構えだが、決して目の前の敵から視線を外すことは無い。全身の骨、筋肉、神経の一本に至るまで集中し、緊張と同時に脱力が彼の体を満たす。

 例え彼の実力を知らないものであっても、この構えを一目見ただけでただ者ではないと思わせるほどの説得力がある。側にいるソフィアも、正面から対峙する両者の放つ緊張感に息が詰まるほどだった。

 そしてハザークの集中力が極限にまで達した瞬間、バネのように蓄えられた力が瞬間的に解放される。ミリ単位で調整された肉体の連動が左手へと集約され剣に伝わり、その切っ先が四つ足の獣へと弾丸のように飛んで行く!


 ぼいんっ・・・。


 イノシシに直撃した木刀は分厚い皮膚と脂肪に容易く跳ね返されカランと地面に落ちる。

『ブモオォォオオォオォォオオッッ!!!!!!』

「余計怒らせてるじゃないー!!期待させるだけさせておいてーー!!!」

 下手な攻撃にさらに興奮したイノシシはその怒りに任せて再び高速の突進を繰り出す。ソフィアとハザークはなんとか回避するもののイノシシは木や岩に激突しては間髪入れずに突進、突進、突進の連続で全く止まる気配もない。幸い直線でしか動かないため回避はそれほど難しくはないのだが、怒った獣の執念深さは留まることを知らず、二人の体力が先に切れてきてしまった。

「はあ・・・はあ・・・ちょっと・・・どうすんのよ・・・イワンも助けないとなのに・・・はあ・・・」

「くそう・・・全力の俺なら、この10倍は巨大な魔獣でもひとひねり、なのだがな・・・」

 こちらの攻撃は無意味、逃げ切れる速度でもない。辺りはイノシシが暴れまわり木々が倒れ岩が砕かれ、その破壊力の恐ろしさを物語っている。ハザークはその景色を見てふと、とある考えが思い浮かんだ。


「・・・ソフィア、俺の手を握れ」

「はあ?!こんな状況で何言ってんの!?」

「そういうことではない!魔法が使えなくても魔力はあるだろう、それを俺に分けるのだ!」

 動きの鈍った相手を見てイノシシは次こそ外すまいとじっくりと狙いを定めている。

「魔力を分けるって・・・ど、どうすれば・・・!」

「頭で考えるな、普段魔法を使う時の感覚でできるかぎりの魔力を俺に流し込め」

「・・・もー!どうなっても知らないからね!!」

 ソフィアはやけくそ気味にハザークの右手をギュッと握りしめ、とにかく全力で魔法を使う感覚で魔力を掌に集中させる。

 それと同時にイノシシも渾身の力を込めて二人に向かって突進を始める。後はタイミングの勝負だ。ハザークは瞬きもせずに一直線に突っ込んでくるイノシシを待ち構える。右手から流れ込んでくる魔力の熱を感じながらそれをできる限り溜め込み、正面に構えた左手への魔力の経路を構築する。あと1秒、いや、0、5秒・・・今だ!


「《リフレクト》!!」

 イノシシが直撃する数センチ手前、ハザークはチャージした魔力を一気に消費し魔法を発動する。彼の前方に出現した半透明の魔方陣にイノシシが衝突すると、両者の力がせめぎ合い一瞬静止した後、イノシシの巨体がはるか後方へと弾き飛ばされた。イノシシはそのまま地面を転がり、ひっくり返って痙攣しながらようやく暴走を止めたのだった。

「貴様は強かった。が、恨むなら自分自身の破壊力を恨むのだな・・・」


「ねえ・・・あの子・・・死んじゃった?」

「いや、気絶しているだけだ。目を覚まさないうちにイワンを連れて戻るぞ」

 ハザークが振り返ろうとすると、ソフィアがまだ彼の手を握っていて動けない。

「おい、もう手を放していいぞ」

「・・・ちがくて、めちゃくちゃ疲れたから・・・悪いけど、支えて・・・」

 結局ハザークは魔力を使い切って力の抜けたソフィアと、足を怪我したイワンにそれぞれ腕を掴まれながら森の奥から村を目指し、3人揃って疲労困憊になりながらも無事に帰ることができたのだった。

 

 日が沈み始め暗くなった森の入り口でイワンを探しに行っていた村人たちも戻ってきて彼の無事を喜んでいた。ハザークとソフィアが少し離れてその様子を見ていると、イワンの父親が駆け寄ってきて深くお辞儀をする。

「今先生が診断してくれたが、擦り傷と捻挫以外に大きなケガは無いらしい。二人のおかげであの程度で済んだんだ、改めて礼を言わせてくれ」

「いいのよおじさん!何かあったら助け合うのがこの村の決まりでしょ?それに、私はほとんど見てただけでこいつが・・・」

「そうだとも!俺の魔王がかった作戦なくしてはあの獣を退けることは不可能だっただろうな!フハハハハ!」

「あー・・・まあなんにしても、全員無事でよかった。ソフィアも村を出て行く前に怪我なんかしなくて本当によかったな、それじゃまた明日!」


「・・・じゃあ、私たちも帰りましょ」 

 そういうソフィアはどことなく気まずそうだった。ハザークは気を遣って言及しないでおこうかとも思ったが面倒なので単刀直入に聞くことにした。

「この村を出るのか?」

「あ・・・うん、別に隠してたわけじゃないのよ?村の皆にはちょっと前に話してて、あんたには言うタイミングが無くて・・・実は、明後日出発するの」

 ソフィアは薄暗くなり夜を迎えようとしている村をゆっくり歩きながら話し始めた。

「私ね、偉大な魔法使いになりたいって夢があるの。だから小さいころから魔法の勉強を続けて、学校にも通って、それなりには上達したつもりだけど・・・この村にずっといても、たぶんダメなのよ。どうなるかは正直わからないけど、外の世界に行かないとわからないことがたくさんあるんじゃないかって思うの」

 二人はいつの間にか雑貨屋の前まで来ていた。ソフィアは深呼吸をしながら店の看板を見上げると、いつもの明るい調子でハザークに話しかける。

「私の夢、笑わない?」

「お前が笑って欲しいのなら、いくらでもそうしてやる」

 真面目な顔でそういうハザークに逆にソフィアの方が声をあげて笑うと、二人は家の中へと帰っていくのだった。



 次の一日は驚くほど平凡に過ぎていった。店にはまばらに日用品やおもちゃを買いに来る村人たちが来たり、散歩に行っていたハザークがまたマリーおばあちゃんに手伝いを頼まれ大量のお菓子を持ち帰って来たり、なんの刺激もない実に満ち足りた一日であった。



「それじゃ、気を付けて行くんだよ。何かあったらいつでも帰ってきなさい」

 バートンがソフィアの肩を力強く掴みながらいつも以上に穏やかな口調で言う。

「うん・・・パパも無駄遣いしてまた変な置物とか買ってこないようにね?」

 村人たちが総出でソフィアを見送りに集まっている中、後ろの方から母親のキャサリンが何かを手に走ってくる。

「ソフィア!これを探してたら遅くなっちゃった!はい、持って行って!」

「えっ、これ・・・!ママが昔使ってた杖じゃない!ダメよこんな大事なもの・・・!」

「いいの!あなたの杖は折れちゃったでしょ?魔法が使えないといろいろ困るでしょうから・・・そのかわり、大事にしないとお説教よ?」

 キャシーが強引にソフィアの手に小さな杖を握らせる。それは30センチ程の細い木製の杖で、持ち手の部分には淡いピンク色に光る小さな魔石が埋め込まれている。

「・・・うん・・・!大事にする!ありがとうママ・・・!」

 ソフィアは涙をこらえながら両親と抱きしめあい別れを告げる。そして大きなリュックを背負いなおすと、大きく深呼吸をして精いっぱい元気に皆への挨拶をした。

「それじゃ、行ってきます!!」



 村から外へ出ると道は歩きやすいもののほとんど森の中であり隣町までは3日ほど掛かる。

(そういえば、ハザークがいなかったわね・・・まあ、別れを惜しむ程の関係でもない・・・のかな)

 少し歩くと村への案内をする簡素な木の看板が立てられている。そしてその看板に寄りかかるようにして見覚えのある男が腕を組んで待ち構えていた。

「随分遅かったな。俺が寛大な魔王であることに感謝するがいい」

「何よ、居ないと思ったらこんなところに居たの?目立ちたがりもいいけどそんな態度ならお別れも言ってあげないわよ」

「ああ、必要ない。俺も一緒に行くからな」

「・・・は?」

 ハザークをそのまま通り過ぎようとしていたソフィアの足が止まる。ハザークは腰に差した木の剣を恰好つけて高く掲げると天に向かって高らかに言い放つ。


「正確には!俺の旅に貴様が同行するのだ!今はこの体たらくだが、失った魔力を取り戻した暁には人間、魔族、あらゆる者を統べる魔王として君臨する!その名誉ある配下の第一号になれるのだ、これほど幸運なことは無いと思え!フハハハハ!!」

 ハザークな高笑いを続けながらずんずんと道を進んでいく。ソフィアはいっそのこと引き返してやろうかと本気で思いながら、ため息をついてハザークの後ろをゆっくりとついていくのだった。

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