第3話 美しき花より枯れそうな花

 今、話している者はヘリオトロープ女公爵の父であるリュウキンカだ。圧のある声だが、私はあの者の裏を知っている。そのため、今吐き出した言葉に家族思いの欠片もこもってないことは重々承知だ。その裏とは、リュウキンカはヘリオトロープ女公爵のことや母、ガーベラのことを一ミリも家族として見ていない。見ているとすれば経済として、権力として。


 ──みなが口にするだろう。

「なぜ、ガーベラはリュウキンカと結婚をしたのか……しかし、そのおかげでヘリオトロープ女公爵がうまれたのだから喜ばしいことだ」と。

 これはもう手のひら返しとそう変わりない。もう結婚した美しきガーベラには興味なく、その娘を狙い、目を光らせている。これぞ、男の本能というものだろうか。同じ男だが、本当にみっともないと思う。顔が良いだけで、恋に落ち、そして求婚をする。貴族社会では当たり前なのだろうが。私の人生ではそういった考えに至るまで相当な時が必要だ。


 結局、男にとって女は、性的な者かつ経済的な者にしか見えていない。私の初恋は、ツクシだが、元々はあの者の優しさに惚れたのだ。…それが七割。残り三割は…顔。だが、決して顔のみで惚れたのではない。断じて違う。

 もう考えるのはやめよう。せっかくの美味しい食べ物が台無しになってしまう。

 ホオズキは、そう思いながら目の前に並ぶ食べ物の数々にフォークを刺し、自分の皿にのせて口に放り込む。

 …美味しい。

 今、ホオズキの頭の中はそのことで一面染められている。

  

「おい…あの美しい女、ヘリオトロープ女公爵じゃねぇか?」

 美味しい食べ物を堪能しているときに耳に届いた言葉は他の男の小言だ。美しさには興味ないとはいえ、公爵の名を持つ者なため顔を向けるにしかほかはない。

  

 そして今見ている者のほとんどがこう言う。

「お綺麗な女だ。ぜひ、嫁に持っていきたい。」

 しかし、その思いは叶うはずがない。

 なぜならば、その美しき者はある男のもとへ急ぎ歩き出した。まさに獲物を追いかける強き獣のように。

 その光景をホオズキは横目に気にも留めず、他の女性に目を向けた。ホオズキ以外の男のほとんどは美しき者に目を取られ、その者の行動に理解が追い付いていない。


 ホオズキはヘリオトロープ女公爵以外の者を見て、良い人はいないか選別している。そこへ、会場端のソファーに腰を休め、今の会場の場に馴染めない者がいた。そして、瞬間にホオズキは目を奪われてしまった。もう、あの女性を忘れ今は、目の前に静かに座ってなんとか溶け込もうと必死な女性に。

「そこの美しい女性。私と話さないか?」

 その言葉には恐れや不安は一切なく、話したい一心だとお見受けできる。また、その女性もその問いに答えるように口を開き、こう申した。

「はい、わたくしとですか?」

 よそよそしく話す女性は、まだ晴れるに時間がかかる天候であった。


「私は、ローリエ・ホオズキ。あなたの名前は?」

「わたくしは、シオンと申します。」

 彼女は家名を明かさず、名前のみ答えた。しかし、ホオズキにとってそんなことは大したことないに等しい。それほどまでにシオンのことが気になり、心の中は彼女一色なのだろう。

「体調が悪いのか?」

 今のホオズキは、いつものように礼儀を欠かさずに話すことがままならない。だが、紳士らしく決して女性から話題を出さないように必死だ。

「…えぇ。生まれつき体調が少し悪くなる時が多々あります。今宵も、本当は体調を万全に早めに寝たのですが、この舞踏会に来る際、馬車で酔ってしまい、今ここでお休みさせていただいています。」

「そうか。では、ここで話を続けよう。……私と付き合ってくれないか?急に言ってすまない。私はあなたに惚れ、嫁として迎えたいのだ。」

「………あなた様はわたくしのことをご存じで申していますか?わたくしの体は、今日のように晴天の昼でさえ、外に出てしまえば体を壊し、部屋に引きこもる形になってしまいます。そういったことがほぼ毎日ございます。それでも!……あなた様は求婚をしますか?」

 今、ホオズキの心は今後のことを軽い想像でしか物を言えない状態。なので。

「あぁ、私はあなたが一緒にいてくれればうれしいぞ。その体も愛そう。」

「その言葉に嘘偽りはありませんね?」

「ない。」

 ホオズキは断言した。

  

 しかし、彼の心は今後どうなるのかは、今はまだ分からない。


 その後、二人は順調に進んだ。

 ホオズキの両親は、シオンを見るなり、嬉しく喜んだ。そして、今でいうスピード結婚を行った。そして、離れに家を建て、二人と複数の執事、メイドを招き、暮らすことになった。

  

 だが、その人生は長くは続かなかった。


 ──あぁ、男はなんて自分勝手なのだろうか。

 いやそう思うのは、ホオズキだからなのか?

  

 結婚した何年かは、病弱に生まれたシオンを愛し、ベッドで横になる姿を見てもなお、美しいと思い、過保護に子を見るように看病していた。

  

 シオンが欲しいと言ったものはなんでも手に入れようと努力した。


 それが小さなものばかり。

 りんごを剥いて欲しいだの、抱きしめて欲しいだの、いやシオンのことだ。軽いものしか頼まなかったのだろう。

  

 とうとうホオズキは聞きたくなくなり、シオンへの愛が薄れていった。

 しかもその願いを煩わしく思う。

 だが、シオンはそれに気づいていても離婚を言い渡すことも距離を置きたいとも言わない。それはホオズキも同じ、一度でも美しいと思ったのだ。簡単に愛情がなくなっても外見での考えは完全には消えなかった。いや、病気が治って今よりももっと美しく輝く女性になると、信じ願っている。

「あなた様は、私のことをもう愛してはくれないのですか。…いや愛してはくれているはず、ただこんな体に生まれた私が嫌いなだけ。」

 シオンはもう壊れてしまった。

 希望を捨てることを忘れ、タイミングを無くし己やホオズキを傷つけないような考え方をして気を逸らす。これこそが、愛に落ちた者たちの関係。

  

 事件……修羅場が今宵に起こってしまう。

「あ、あなた様。その女の方は誰なのですか?」

 久しぶりに体が動き、あの舞踏会のホオズキのように、自らが進み彼の元へ歩み寄った。

 その考えに至ったのは、ある話を聞いたからだろう。

  

  

「ねぇ、聞きましたか?執事長。ホオズキ様がシオン様以外の女の方が好きらしいですよ。」

「…ここで話すことではありません。誰かに聞かれていたらどうするのですか?シオン様がいたら。」

「大丈夫ですよ。だってシオン様は……。」

 シオンはその後の話が聞こえないほど、驚愕する話を耳にした。

  

 ホオズキ様、わたくし以外を…。いいえ、ホオズキ様がそんなことをするはずがございません。

 噂です。噂だから、気にすることは…。

  

 シオンの目からは大粒の涙がいくつも落ち、止まることを知らない。

  

 ならば今夜、ホオズキ様の元へ行きます。今日はいつもより体が動きます。これも神様が私を前に押し出して噂が違ったと証明させるためです。

  

 しかし、その照明はシオンにとっては最悪な結果。それが現実になってしまったのだ。

  

「あなた様、その横にいらっしゃる酔いに負けているお方は誰ですか?」

 周囲を見渡すと、お見かけの二つのグラスに多少のアルコールと思われるものが入っていると読み取れた。

 世間をあまり見てこられなかったシオンでさえ、今の状況が理解できている。

 そう、噂通り浮気だ。

  

「シオン、これはその…誤解なんだ。ただ二人で話しているだけ!お酒は、気分転換だ!」

 ホオズキは次々と口から嘘を並べ、もう一息でぼろを出すような雰囲気だ。だが、シオンはそんなことを望んではいない。望んでいることは二つ。その女がいてもなお、自分のことを愛してくれるのか。そして今後その女以外にも浮気をするのか。

  

 元々、シオンは結婚自体できないと思っていて舞踏会での出来事は夢のようだと考えている。そして結婚という幸せを手に入れて、心が揺らぎホオズキが浮気をするだろうと予知ではなく覚悟を決めていた。結果的には浮気をされたが、さほど彼女は悲しみも堕落的な思いも湧き出ることはなかった。出たのは、「それでも、私を捨てないでほしい。」という願う言葉。

 だが、その言葉を聞けばホオズキは現を抜かし再び浮気をする。シオンも器が広いと噂されていても人間だ。いつかは限界が来る。今はまだ来ないだけ。

  

「ホオズキ様、わたくしのことはいいのでその女性と楽しまれてください。」

 言い去るのと同時に開いたままの扉を閉めた。

 その扉は二つの意味を持つ。一つは現世の開いたままの扉。もう一つは、ホオズキへの軽蔑と哀れみ。

 

 そして噂好きなメイドが今回の出来事を館中に言いふらした。しかし、思ったよりもほかの執事やメイドは驚くことはなかった。

  

 あったのは一言。

「やはりですか。」

  

 一つの糸が切れた瞬間、ホオズキは隠す必要がもうなくなったと安堵し、その後はシオンが近くにいてもお構いないしに女を読んでは欲の発散に使うだけ。決してシオン以上の関係にはならなかった。これは、爵位のこともあるのか。はたまた…。


 彼女はその後に考えることはなかった。考えたくもないことをわざわざ考えるほど大馬鹿者ではない。

  

「シオン様!いいのですか?!ホオズキ様がシオン様以外と仲睦まじい様子になられても!」

 ある一人のメイドが注意のような言葉を発し、シオンは固まったままって沈黙を挟む。しかしかえってきた言葉に生気はなかった。

「いいのです。ホオズキ様が幸せであればそれで…わたくしはそれだけで嬉しいのです。」

 メイドは絶句。部屋の中では哀れみと憎しみの混じった空気が溶け込むことも知らず、怒りも忘れ、堕落するのが素人でもわかる。

 それ以上、メイドはシオンに問うことはなく、必要最小限の動きで茶を入れ直し、部屋を去った。

 立ち去った後の部屋には哀れみは残りつつ、憎しみが消え去り悲しい雨が降り注ぐ。悲しい雨は雫一つが花びらに当たれば円を描くように枯れて崩れる。

  

「あなた様は、きっと今も心のどこかでわたくしのことを思っていると信じています。」

 ベッドで一つの動きさえないシオンは、口だけを動かし、自分の不安を除いている。

 シオンは知っている。もう、ホオズキが自分のことをあまり思ってなく、他に現を抜かすくらいに精神が安定していないのだと。


 だが、それを分かって理解したうえで別れを切り出さず、今を生きている。もし、彼女自身から話せば、離婚という形にはできる。でもそれをしてしまえば彼女の人生は終わり、今よりも辛いものになると悟っている。あと気が進まないのは彼女の勇気の無さだ。一つの言葉を言えば済むことをあの人の思いという重い鎖で縛られて抜け出すこともできない臆病者だ。辛口で話さねばシオンに同情してしまう。同情すると勇気の一つもできず、このまま進み死んでしまう。

  

 あの浮気事件からホオズキは浮気をする回数や頻度が増えて、シオンが近くにいてもお構いなしになってきている。

 メイドや執事たちもシオンの同情を通り過ぎて呆れを感じている。

  

  

「シオン様!?シオン様、大丈夫ですか!?」

 静まり返った深夜。窓から外を覗けば、いつも通り街灯がいくつか灯っていて町の者も眠りに着こうと急ぎ焦る時間帯。その明かりが消えるような町と息を合わせるようにシオンも冷たく、動きを亡くした。

 慌てたメイドはすぐに寝間着の上から耳を押し当て、その段々と動きを無くす揺れを聞く。

 …ドクン…ドクン……ドク………ン………。

 消えゆく心の揺れを正常化するために、メイドは呼吸を確認して、ないことに焦りを感じた。

「誰か!!医者を呼んできて!!」

 自分の知識をフル活用し、まずは胸の真ん中の固く凹みがある場所に手首の固い部分を当てる。

 1,2,3,4……。

 三十回したあとは休むことなく、人工呼吸を瞬時に行い、それを繰り返す。

  

「生きて!シオン様生きて!」

 叫びを動かす手の勢いにのせて時間を忘れるくらい繰り返す。

 しばらくして、医者の大きな声を廊下に響かせて近くに歩み寄った。そして、スムーズに交代して繰り返し胸骨圧迫、人工呼吸。

  

 心肺蘇生をしてから時間は早く経ったと感じたのは、医者の言葉を耳にしたからだ。

「……もう、無理です…ね。始まってから10分は経ったはずです。おそらく子供のころにできた病気が再発してしまったのでしょう。」

 病気…シオン様が患ったものは『散炭病(さんたんびょう)』という名を持ち、主な症状は吐き気、嘔吐、精神混乱、血液硬化、心拍減少、幻覚、そして唯一シオン様のみ持っていた症状で、脚の膠着状態。

 これらは数分耐えればよくなるもの。しかし、脚の膠着状態だけは異なりいつどこでどのような形で発症するのかが分からない。だからこそ、歩くことさえ怯えてしまう。

  

「ローリエ・シオン、死亡を確認。」

 医者が優しく白いハンカチを顔に被せ、涙をハンカチの代わりに手で拭った。周りの人たちは、どうにか声を堪えても出てしまっている。ハンカチで拭う者や拭うことも忘れ、泣く者もいる。

  

 しかしこの部屋…この館にホオズキの姿は見当たらない。見つけたとき、暗く闇に囲まれた世界に馬車を経て館へ戻ってきた。それも何も私は悪くないと堂々たる姿勢。メイドたちはその姿を見て腹が立ち泣くのすらやめ、怒りが芽生えた。

  

「え、シオンが死んだ?…いやそんなはずはない。…嘘だ。嘘だ!」

 慌てた様子に声も震え、感情が揺らぐ。

  

 今の状況は簡潔に言えば、『当たり前だと思っていた大切なものを失って、消えてから大切なもののありがたさ、当たり前だったものに後悔している。』といった己の心を責め立て嘆き崩れる。

 哀れなり。そして悲しい者。失ったものは元には戻らないことを理解していないのがホオズキのダメなところ……いや、本来は想像してこそ、理解が深まるもの。だからこそ、今回の問題はホオズキの想像力の無さと己への甘えと愚かさ。

  

  

「シオンよ、すまない…すまない。」

 膝を自室の冷たく悲しみに包まれた床につき、雪崩のように倒れ、朝の陽ざしが窓から注がれるまでホオズキは泣いた。頭が痛くなろうが、声が枯れようが、貴族という威厳が壊れようが、関係なく悲しんだ。

 周りの人はその姿を見ても「足りない。」と言うだろう。それほどまでにシオンは慕われていて周りがシオンに支えられてきたのだと改めて実感する。シオンは優しく明るい方だった。何事にも怒らず決して文句も吐かない。言うとするならば、冗談交じりの言葉と優しく朗らかな笑顔を添えて。

 ホオズキは確実に大切かつ大事なものを失った。


 しかし、その報いを返すことはできない。なぜならば。周りがなにを言っても貴族としての威厳という鎖に縛られて、ホオズキ自身が落下することを拒んでいる。

 結局、シオンの死因は病気の再発、という形となりホオズキの浮気は民に知れ渡ることはなかった。今までのホオズキなら喜ばしいことだろうが、今回は違う。失ったものがでかすぎるのだ。でかく己の傷も大きい。

  

「すまない…本当にすまない…シオンよ。戻ってきてくれ。」

 今宵も願うが神はその願いを聞き入れることもしない。それが人生であり運命だ。もうホオズキの相手をしてくれる者は館には存在しない。館を出て民たちに相談をすれば少しは心が晴れるかもしれない。しかし今話せばぼろを出し、民たちにホオズキの浮気がバレて、信用を失う。そして今はそんな勇気を持ち合わせていない。持っていても現状は変わらない。

 大切なものを失えばどうなるかは目に見えているはずなのに……哀れだ。

  

 その後、ホオズキは死んだ。

 死因として自ら崖から落ちた。その遺体が見つかったのは死んでから三年の月日が経ったころ。それまでホオズキがいなくなっても探す者がおらず、その崖の下を探検家が歩いているときに、前にシオンから貰った素朴だが小さなネックレスが光ったそうだ。

 これは神がホオズキを助けるために仕向けたことではない。また神でさえ、ホオズキを助けようとはしない。だからこれは………。

  

 大切なものはいつか突然、離れ離れになる。だからこそ今、当たり前を当たり前だと思わず、大事にするしかない。

  

「シオンとホオズキよ、死の世界でまた出会い、そこでは失敗のないように。頑張りなさい。」

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虚愛物語〜汚れた愛〜 花魁童子 @yukari_hanada

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